第5話 開幕

急げ急げ…遅刻しちゃう…!

現在、朝ごはんを食べ終わり、場所を聞いていないにも関わらず、勘で洗面所の位置を発見した小百合は、歯を磨きながら髪を整えていた。

――あ、髪は解かなくてもいいんだったわ

短い髪の毛に、自分の体ではない事を思い出す。

歯磨きを終え、鏡に自分の顔を映し横顔を確認する小百合。

――こうやって見てみると中々のイケメンよね……あ!忘れてた!急がないと遅刻するところなんだったわ!

そして、自室へと駆けて行った。

さっきまで鏡を見ていたのに、途端に慌て出した我が子を見て母は思う。

「あの子…もしかしてアッチ系に目覚めちゃったのかしら…?」

我が子の行く末を案じて、食器洗いの手も止めて考え込む母。

「だとしても私は止めないわ…周りからどんなに避けられようと私だけは味方だから…」

そして、暖かい目を息子が駆けて行った部屋に向ける。

その瞳は、息子がどんな道を歩んで行こうが共に行くという、慈愛と覚悟に満ちていた。

「今度、女物の服やアクセサリーを買ってあげようかしら。あの子きっと喜ぶわ。ふふっ」

恐らく、現在小百合と入れ替わっている巡がクシャミをしたであろう小さな呟きを残し、食器洗いを再開する母であった。

因みに、ある日部屋のクローゼットを久し振りに開け、中にあった明らかに異質なひらひらの付いた服を見つけた巡。結果、再び静かにクローゼットを閉め、それは二度と開く事のない開かずの間と化した夜薙家プチ事件は、また別の未来の話。




「うおおおぉぉぉぉ~~!急げ~!」

小百合と入れ替わっている巡は現在、バス停に向かって全速力で走っていた。

「あそこか!ラストスパートおぉぉ~!うおおおぉぉぉ!!」

――くそ!胸が邪魔だ!もっと速く走れないのか!女の人って大変なんだな…!

思いがけず、女性の大変さを知る巡。しかし、状況が状況だけに3歩走ると同時に頭の中から抜けていく。

そして、バス停まで後10mにさしかかった時、

「よ、よし!間に合っ…」

――ピー、バタン

――あ……………閉まった………じゃなくて!

「開けてくれ~!俺はまだここに居るぞ~!」

運転手にドアを開けてもらえるように、声を張り上げジェスチャーまで加えて、自分に気付かせようとするが、運転手はこちらを見ようともしない。

――駄目か…

と、諦めかけたその時、

――ピー、バタッ

「あ、開いた…?」

バスのドアが開いた。中を覗くと、何やら顔を赤面させた運転手がこちらをじっと見ていた。

「ほ、星嶺さん…?きょきょ、今日は随分と遅かった、ですね。お休みかと思いました…」

――……あぁ、そういうことね…

相手の心を読むことに長けている巡は、一瞬で一つの考えに至る。

――ちゃんとご褒美、してあげないと…な

そして、バスの中に足を踏み入れた巡は、運転手に向けて、

「運転手さん。待ってくださってありがとうございます。」

と、見るもの全てが恋に落ちるような笑顔で言い、静かにウィンクをした。

途端に顔をさらに赤面させた運転手の鼻から、ツゥ、と。一筋の深紅の液体が流れる。

その姿を目に納め、巡は席に向かって歩いて行った。

「う、うおおおおぉぉぉぉ!!」

近くに座っているお婆さんが、びくっ、としたことなぞいざ知らず、運転手は、不意に喜色溢れる叫び声を上げる。

…取り敢えず、このバスが事故を起こす確率が上がったのは確かである。




「…クシュッ…あ~、風邪かな…?」

巡がバスに乗りしばらくして、次の停留所に差し掛かろうとしていた。

――ん?あの制服は…

目に入ってきたのは、自分と同じ制服を着た青髪の女子高生。

――同級生か…

と、思い至り、次の瞬間凍りつく。

――これヤバいぞ…星嶺小百合の交遊関係なんざ知らんし、そもそも俺自身コミュニケーションなんて苦手だし…ここは当たり障りの無いよう挨拶だけでも…

そして、停留所に着いたバスのドアが開き、青髪の女子高生が入ってくる。

反射的に見てしまい、思いがけず目が合ってしまった。

「…あ、おはよう…」

何とか挨拶を絞り出す事が出来た。しかし、青髪の女子高生は、その瞬間ピンと背筋を伸ばし、顔を赤くして俯いてしまった。

――…?俺何か変なこと言ったか…?挨拶をしただけでこの反応ってことは…もしかして嫌われてる…!?

だがその時、俯いたままだが静かに呟くように、青髪の少女は口を開いた。

「…お、おはよう小百合…隣、いいかしら…?」

「あ、どうぞ…」

そして、少女は隣の席に腰掛けてきた。

――これはどういうことだ…?さっきは嫌われてると思ったが隣に来たって事はそこそこ仲が良い…?だがこの空気は何だ…やはり、女子の考えている事は分からんな…

巡は、相手の心や考えを読むことに長けている。だが、それは女性以外のみだ。女性に対しては、その力は全く意味を為さない。それは、女性の心は男性と違って複雑であるという事もあるのだろうが、単に、女性と同じ時をあまり過ごした事が無いからだ。そういうわけで、巡が乙女の機微なぞ分かるはずも無く、ただ重苦しい時間だけが過ぎていく。

「あ、あのさ、小百合…」

しかし、それは少女の発した言葉によって、唐突に終わりを迎える。

「ん?何だ?」

「…?あ、あぁ、前からずっと言いたい事があったの…。こんなの、自分でもおかしいと分かっているわ…でも、やっぱりちゃんと伝えたい…」

巡の返答に、少女は若干いぶかしむような態度を見せるが、すぐに気を取り直し続ける。

「…私…私ね…小百合のことが…す…すす…」

少女は、恋する乙女のように顔を真っ赤に染めて、最後の言葉を紡ぐ。

「小百合のことが…すきな――」

「うおぉぉぉ!!着きましたよ小百合さん!!明日もまた乗ってくださいね!!いってらっしゃいませ!」

だがそれは、頭のおかしくなった運転手の叫び声に遮られてしまった。

そして、毎度毎度何かに遮られ、最後まで言わせてくれない少女は、いつものように感情を爆発させる。

「もおおおぉぉぉ!何でよおぉぉぉ!!」

「うぉっ!?」

他の乗客はこの風景に慣れてしまっているのか、特に咎める者も居らず、ほのぼのとした様子で少女を眺めている。

――何だ何だ?何で急に叫び出したんだこの子?本当に女子の考えてる事は分からんな…

朝の白鴎高校の前には、ただ乙女の怒声が木霊こだましていた。




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この星のどこかの君にささやかな愛を 青葉日向 @gillgumessh

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