第2話 日常

 私は幸せに暮らしている。

 家族に囲まれて、信頼できる友人に囲まれて、とても、とても幸せ。

 幸せ。常に皆の理想であろうとして、自分を自分の中に包み隠して、閉じ込めて、本当は楽しくもないのに笑顔のマスクを被っている私は。

「…本当に…幸せなの…かな…」



 私は、白鴎女子高校2年白嶺小百合。3つあるクラスの中の一つ、A組のクラス委員長をしているわ。

 他にも、生徒会の副会長を務めていて次期生徒会長と噂されているの。

 中々有能でしょ?

 そして、小百合はゆっくりと、ベッドから体を起こす。

 今日は目覚まし時計の設定時間より、早く目が覚めてしまったようね。

 いつものように、一度大きな伸びをして、立ち上がる。

 起きたらすぐに制服に着替えて、朝ご飯を食べに下の階に降りるの。

 小百合はネグリジェを脱ぎ、いそいそと制服に着替える。

 あらわになる白く透き通るような、まるで完璧な彫刻のような肢体が艶かしい。

 そして、制服に着替え終わった小百合は、ベッド横にある鏡に向き合う。

 メイクはした事がないのよ?メイクをしたら逆に肌が傷んじゃうからね。

 鏡台に置いてある櫛を持って、腰まで届く長く美しい白髪をとかしていく。

 右を見て、左を見て、横顔を確認する。

 うんっ。問題は無いわね。

 鏡の中の自分に笑いかけて最終確認をする。まるで花が咲くような、な笑顔の自分が鏡に映る。

 いつも通り…ね…

 そして、寂しそうに、小百合は微笑んだ。

 あら、もうこんな時間。いつも通りならもうすぐ…

「小百合~!朝ごはん出来たわよ~!降りてきなさ~い!」

 やっぱり。朝ごはんが出来る時間ね。

「は~い!」

 そして、いつも通り、返事をする。

 学校で起こるどんな事よりも、どんな楽しい事よりも、こんなささやかな日常の一場面に幸せを抱いてしまう。

ある人が言ったわ。

―本当の幸せとは、どんな華やかなパーティーより、どんな功績を残した時より、何気無い日常の一場面に感じるものである―と。

本当に、良く言ったものね。あれは誰だったかしら…?

小百合が物思いにふける中、再び母が声を張り上げる。

「小百合~!朝ごはん出来てるわよ~!早くいらっしゃい~!」

「は~い。分かってるわよ~」

…少し、準備に時間をかけすぎたようね。

母は時間に厳しい人だから、少し遅れるだけでも怒られるのよねぇ…

と、愚痴を溢しつつ、階段を降りる小百合。

「あ、おはよう小百合。ママはもう出るから、後片付けお願いね。後、葉月の弁当も。じゃあ、行ってきま~す」

「うん。いってらしゃい」

母の仕事は弁護士。今日は冤罪だという被疑者の人の話を聞きに行くから早めに家を出たのね。まぁ、良くあることよ。

因みに、葉月は私の妹で12歳だからまだ小学生ね。

そして、小百合は食卓に着き、朝食を食べ始める。

母は料理上手なの。朝が早い時でもしっかりしたおいしい朝食を作ってくれるのよ。前に料理教室に行った時、先生より詳しくて逆に教える側になってしまったって言ってたわ。

でも、今日の朝食は珍しく手抜きみたいね。エッグベネディグトに何かのスムージー。手抜きでも美味しいから別に良いけどね。

そして、いつものようにテレビを点け、ニュースを確認しようとした小百合だが。

――ピンポーン

「あ、は~い!」

直前で、来訪者を知らせる音が鳴り、小百合は玄関に向かった。

その間にも、点けっぱなしにしているテレビからはニュースが流れる。

「昨日午後5時頃。△△県上利宮市で上利宮西高校1年、梶山美鈴さんが殺害されました。犯人は女子高生連続殺害事件の指名手配犯と同一人物であるとされています。周辺地域にお住まいの方々は十分にご注意下さい。では、次のニュースです――」

「何だ、やっぱりお母さんの化粧品か。…年取ったらメイクしなきゃいけないものなのかしらね…」

玄関から戻ってきた小百合。手早く朝食を摂り、食器洗いも済ませた小百合は、テレビの電源を切り洗面所に向かう。

あぁ、お父さんはアメリカに単身赴任中よ。アメリカに単身赴任って何事?って思う人も居るかもだけど、とても大きな会社で働いているから無理はないわね。取り敢えず、死んでいる訳ではないということを言いたかっただけよ。

歯磨きを終え、鞄の準備をしに二階に上がる小百合。

鞄の準備と言っても、昨日時間割り通りに教科書を入れているから最終確認っていうだけど。

「さてと、準備も出来たし、早めだけどそろそろ家を出よ―」

とはいかず、小百合は忘れていたことを思い出す。

「葉月の弁当、作っとかないと」

そして、下の階に降りるとちょうど葉月が朝食を摂っている所だった。

「葉月おはよう~」

「あ、お姉ちゃ…ごほん。御姉様、ご機嫌よう」

……。

「あ、あの葉月?今の言葉遣いは何かしら?」

「んー?お姉ちゃ…御姉様のまねで御座います」

……。

「出来れば止めて頂けると―」

「だが断る」

こういう時が一番恥ずかしい。家では使わない言葉を急に真似されると本当に恥ずかしい。お嬢様のような言葉遣いが私の真似だという事は後で分かるわ。…じゃなくて!

「ちょっと葉月!そんな言葉どこで覚えてきたの!」

「お姉ちゃんの友達の"此方だ"さんが言ってたよ。あなたのお姉さんはお嬢様みたいでとてもきれいなのよ~うふふふふふ、とか言って危ない笑い方してた」

「それ"向田"さんよ!あなた人の名前くらいはちゃんと覚えなさい!…今危ない笑い方してたとか言ってなかった…?」

それってもしかして、"そういうこと"なんだろうか、と葉月に問い返す。

幻聴であってくれという小百合の切実な願いは、次の瞬間砕け散った。

「言った」

そして、小百合は膝を着いて項垂れる。

「嘘よね向田さん…嘘だと言って向田さん…」

「嘘よ」

……?

はて…?聞き間違いかな…?と、小百合は問う。

「今、何て…?」

「だから、嘘よ。さっきのは全部嘘。お姉ちゃんのしゃべり方は私の独自の手段で得た情報。"アッチだ"さんの件も全部嘘よ」

――こ、こんのアマ~!

「あなたね!そういう嘘は言わない方がいいのよ!あなたまだ小学生なんだから少しは自重しなさい!はぁ…でもまぁ嘘で良かったわ。後アッチださんじゃなくて"向田"さんよ。…ん?…独自の手段って何…?」

と、その問いかけを華麗に無視して葉月は思う。

――ま、全部本当だけど。というかお姉ちゃんが子供過ぎるのよ。同じ女の子に好かれたって良いじゃない…べ、別に好かれたいってわけじゃないけど…!

「ってお姉ちゃん。早く弁当作ってよ。今日修学旅行だから早めに家出ないといけないんだけど。ていうかお姉ちゃんも時間大丈夫なの?」

小百合の頬を、一筋の汗が伝う。

昨日食べ過ぎて、次の日体重計に乗るか乗らないか迷う女性のように、ゆっくりと首を回して時計を見た小百合は途端に慌て出した。

「ヤバ!後15分以内に作らないとバス乗り遅れちゃう!」

そして、キッチンへと駆けて行った。

「全く。これだからお姉ちゃんはいつもお母さんに怒られるのよ。…姉よりしっかりしている妹。かっこいい…!」

と、何気なく、本当に何気なく時計を見た葉月は、途端に顔を青くして、

「ちょっとお姉ちゃん!早くして!集合時間に遅れちゃう!!」

――二人して慌てるその姿は、正に姉妹のようだった。



◇  ◇  ◇



「な…何とか間に合った…」

ぜぇぜぇ、と荒い息を吐きながらバスの座席に座る。

限界まで急いで弁当を作ったけど、あの子遅刻しなかったかしら…弁当を渡す時、ちょっと涙目だったからちょっと心配ね…まぁ、葉月は足が速いから大丈夫よね。

と、一息つく小百合に、後ろから声がかけられる。

「小百合、おはよう」

肩まで伸ばした、海が光を反射したような美しいブルーの頭髪。その頭髪に呼応されたように、ブルーに輝く双眸。

振り向くと、同じA組の同級生、星降佳奈ほしふりかなだった。

そして小百合は、ガチャリと、自分を心の中に閉じ込め、鍵をかける。

「あら、佳奈さん。ご機嫌よう。今日もその透き通るような髪が美しいですわね。羨ましいですわ」

そう、星嶺小百合は、友人や教師、他人と接する時は心に鍵をかける。

常に相手の理想であるように。疎まれないように。であるように。

葉月が真似していたのは、自分に鍵をかけた小百合だった。

そして、小百合の言葉に頬を染める佳奈。

「きゅ、急にそんな事言わないでよね…!恥ずかしいでしょ…」

口元に手を当て、そっぽを向いて目線だけ向けて恥ずかしそうに言う佳奈。

だが、自分に鍵をかけた小百合はそんな乙女の機微に気づかない。普段ならば、この時点で顔を両手で覆って何も言わない石像と化するだけだが、今の小百合は純粋無垢なお姫様モードだ。

「ふふっ、佳奈はそういうところも可愛いですわね」

――ボフンッ!と。

一瞬で顔を真っ赤に染める佳奈。

「~~~っ!小百合、あなた何言ってるのよ…!」

――嬉しくない訳ではないけど…!むしろ嬉しいけど…!まだそういう関係は早いと思うの…!こういう事はちゃんと段階を――

そう言って、心の中で叫ぶ佳奈。

だが、今日の小百合はまだ終わらない。

「…?佳奈さん熱でもあるんですの?顔が赤いですわよ」

と、小百合は佳奈の前髪を上げて、熱を確かめるように自分の額を触れさせた。

「~~~!~~~~!!」

声にならない悲鳴を上げる佳奈。

――ヤバいヤバいヤバい!これ以上は私がヤバい!!恥ずかしすぎて死ぬぅ…!

しばらくして、額を離れさせた小百合。

「う~ん。熱は無いみたいですわね。良かったですわ!」

と、佳奈の心の中での出来事などいざ知らず、花の咲くような笑みを浮かべて、佳奈にトドメを差した。

――もう…我慢出来ない…!今日こそ…この思いを伝える…!

「…さ、小百合…!…じ、実は私…」

恥ずかしさで爆発しそうになりながら、言葉を絞り出すようにして話す佳奈。

「さ、小百合のことが…す、好きな…の…?」

だが、その方向には小百合は居らず――

「佳奈さ~ん!何してるんですの~!早く行きましょう~」

小百合は既にバスを降りて、佳奈を待っていた。

……。

放心していたのは一瞬。だが、恥ずかしさで恥ずか死ぬ勢いで言った言葉を聞かれていなかったという事実に――

「何でよおおおおおお!!」

佳奈の不満が爆発した。



――こんな日常が、これからもずっと続いていくと思っていた。でも、それは   唐突に、理不尽に壊されてしまった。終わりは、いつも理不尽で唐突で、   予測するなど不可能なのだから――

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