この星のどこかの君にささやかな愛を

青葉日向

第1話 運命

――愛してる。

そう言って、俺の母は死んだ。

『愛してる』なんて言われたのは何年ぶりだろう。そんなことを考えようとしたが、止めた。思い出せるはずもない。

父は俺が生まれて間も無く死んだ。だから、声も知らないし顔も写真でしか見た事が無い。つまり、確かな血の繋がりはあるが、俺からすればただの他人なのである。

母が死んでしまった今、家族皆を失った俺はめでたく独りだ。

悲しくはない。昔から感情の起伏が小さい俺は、皆から気味悪がられていた。

だが、不意に、手に落ちてきた水滴。一瞬雨でも降ってきたのかと思ったが、すぐに切り捨てた。ここは室内だ。落ちてきたきたのは涙。

悲しくなくとも、何も感じなくとも、涙は流れるものなのだということを知った。

この、震える肩も、唇も、今にも叫び出したい衝動に駆られるのも、悲しみや無力な自分への怒りではない。

――そう思わないと、そうやって自分を騙し続けないと、

「…重みで、今にもこの足が折れそうだ…」



◇  ◇  ◇



俺の名前は…そうだ、夜薙巡だ。まだ、忘れてはいないようだ。

その日から、俺はただ堕落した生活を送っていた。

死んでしまった両親もこんな事は望んでいないだろう。だが、それも仕方がないのだ。

話す相手も居ない、笑顔を交わす相手も居ない、愛してくれる相手も居ない。

ならば自分の存在意義は、これ以上生きる意味はどこにあるというのだろう。

使い手の居なくなった道具と同じように、時間にその身を蝕まれ、誰の記憶にも残ることなく、儚く散っていく。

――何て馬鹿馬鹿しい…こんな…無意味な日々を暮らすくらいなら死んだ方がましだ。そうだ…明日死のう…


その時、不意に、何を見るともなく点けていたテレビから、あるニュースが聞こえてきた。

「速報です。今日午後5時頃。△△県桜露市で、白鴎女子高校2年の星嶺小百合さんが殺害されました。犯人は、女子高生連続殺人事件の指名手配犯と同一人物であるとされています。犯人は未だ逃走中です。不急の外出は控えて、周辺地域にお住みの方々は十分にご注意下さい。では次のニュースです――」

そのニュースの内容は、ここから遠く離れた地域で、女子高生が殺害されたというものであった。

――ついでに俺も殺してくれればいいのに…あぁ、女子高生じゃないから無理か…

くだらない思考を切り捨てて、自殺方法に考えを巡らす。

――もう、何もかもが面倒くさい…明日起きたら死んでればいいのに

そうして、巡は眠りに着いた。



◇  ◇  ◇



次の日、目が覚めた巡は、朝一で自分の知る限り最も高いビルへと向かっていた。

そこは、とある大企業の本社である超高層ビル。

早朝からわざわざこんな場所に訪れた理由は一つしかない。無論自殺のためだ。

このビルは、大企業の本社だけあって防犯カメラの性能や数はどんな名のある強盗でも真っ青になる程だ。

だが、それに頼りきって派遣されている人員は少ない。

つまり――

「屋上まで来るのだって、簡単だ 」

巡は、すでにビルの屋上へたどり着いていた。

何と無く、屋上の端に寄り、景色を見下ろす。

こんな早朝にも関わらず、慌ただしく行き交う車。

――かわいそうだな…

何故か、そう感じた。

そして、ここへやって来た目的を遂行するべく、寄りかかっていた柵から身を乗り出す。

巡が飛び降り自殺を選んだのには、特に理由は無い。

ただ、注目されるかつ、飛び降りた瞬間に恐怖で気を失うと言われているため、何の苦も無く死ねると思ったからだ。

そして、不意に、飛び降りようとした巡に言葉がかけられた。

「おい、坊主。何アホみたいな事やってんだ」

その人物は、全身を黒い服で包み、大きなライフルを構えた男。スコープを覗きこんで照準を調節しているようだった。

「おじさんこそ、何やってるの」

巡は逆に問い返す。

だが、返ってきた言葉はそれに対する答えでは無かった。

「お前のような若い奴が絶望するにはまだ早い。後10年経って死にたいと思ったらまたここに来い。というか、目の前で死なれたら夢見が悪いんだよ」

「いや、今まさに人を殺そうとしてる人に言われたくないんだけど」

そして、巡は男がライフルを向けている方向を見る。

そこには、こんな早朝にも関わらず、豪奢な飾り付けがされた部屋で、何やらパーティーが行われているようだった。

「おじさんって…殺し屋?」

だが、先程と同じように男は質問に対しての答えを返さなかった。代わりに――

「世界に絶望して、失望して、何もする事がないのなら一度死んでみるのもいいかもしれない。だが俺のように、世界にそんな思いを抱いたとしても、やらなきゃいけない事があるのなら、生きろ」

男はそう言い終わると同時に引き金を引く。

――バシュッ

サイレンサーを着けていたためか、音はとても小さい。だが、威力は絶大だった。その弾丸は、狙い違わずパーティー会場の中央に居た、小太りした中年男の頭を撃ち抜いた。

しばらく硬直し、やがて撃ち抜かれた事を思い出したかのように、時間差で男の頭部から鮮血が舞う。即死だった。誰かの悲鳴を皮切りに、パーティー会場は地獄と化す。

「いや、たった今人を殺した人に生きろなんて言われたくないんですけど」

そして、ゆっくりと立ち上がった男は、笑顔を見せて言う。

「つまりだ。生きてればいつか良いことはあるって事だよ。幸せを掴むための第一歩は後10年生きること、何つってな」

「遠慮しておくよおじさん。それより、そのライフルで俺の頭も撃ってよ」

一瞬の迷いもなく、巡は切り捨てる。

不確定で理不尽な未来に、楽観的な希望を抱いてはいけない。

「嫌だね。俺は無駄な殺しはしないんだ。ていうか話聞いてたのかお前」

「…そうか。なら、自分で死ぬよ」

そして、柵を乗り越え、外側の縁に立つ。

「おいお前!止めろ!」

後ろから、何やら聞こえてくるが何を言っているのかは分からない。

こういうとき、普通は走馬灯を見たりするものなんだろうが、生憎、走馬灯に出てくるような思い出は持ち合わせていない。

「…はぁ、最後に見たのが殺し屋の顔って…どんな人生だよ。本当に…意地悪な神様だ…」

そう呟いて、巡は飛び降りた。

顔に打ち付けてくる風が強い。下で何やら感じ取った人が叫んでいるが、飛び降りた今ではもう遅い。

予定では、飛び降りた瞬間に失神するという事だったのだが…いつまで経っても意識は覚醒したままだ。

当然か…飛び降りる前も、飛び降りた今でも恐怖も何も感じない。あるのは、本当にあるのかさえ分からない空虚のみ。

妙に引き延ばされたように感じる時間の中で、地が迫ってきている事を認識する。

――願わくは、次の人生では幸せに…誰かの愛を受けられるように…

居るはずもない誰かに、そう願って、巡は、静かに目を閉じた。




――ジリリリリ!!

部屋に響き渡る目覚まし時計の音。その音に、目を覚ます巡。

――どういうことだ…俺はさっき飛び降りたはず…

「何で目が覚めた…?何で生きて…る…」

そして、自分の発した声に驚愕する。

――え…?何で女子の声なんだ?どういうことだ?そもそも…

巡は、部屋を見渡してみる。

「ここは…どこだ…?」

あまりにも非現実的な状況に動揺するが、すぐに治まった。

――何だ…夢か…

そうして、再びベッドに入り、眠りに落ちようとするが。すぐに自分の思った事の大きな矛盾に飛び起きる。

「いやいやおかしいだろ!俺は今さっき死んだはずだ!夢なんて見るはずも…」

その時、母かと思われる人物の怒声が発せられた。

「いつまで目覚まし鳴らしてるの!朝ごはん出来たから早く降りて来なさい!」

「あ…ご、ごめん…」

そして、ようやく目覚まし時計を止めた。

――ここは二階だったのか。…ふーん…なるほど…

「全然意味わからん…!これどういう状況なんだ!?」

感情の起伏が小さな巡でも、さすがにこの状況には驚いてしまったようだ。

「ていうかここどこだ!?何が起きたんだよ!?誰か説明してくれ!」

だが、ふと目に入った光景に巡は硬直する。

それは、高校の制服と思われる服。その名札には、

「…嘘…だろ…」

白鴎女子高校2年星嶺小百合の文字。

その人物は、昨日見たニュースで死んだはずの女子高生であった。

そこに再度、母と思われる人物の怒声が響く。

「早く食べないと遅刻しちゃうわよ!さっさと降りてきなさい!」

「…あ、はーい…」

巡は、未だにこの状況を信じられないのか、最終確認というように、手のひらで胸から下半身にかけて撫で下ろしていく。

――ある……!!……無い!!

やはり、と巡は思う。

――信じられないようだが、俺は過去にタイムスリップして、さらに死んだはずの女子高生、星嶺小百合の体に乗り移ったらしい。

そして、そこから導き出される事に、巡は凍り付く。

――もしかして、俺の死亡もリセットされてるのか…?なら、今、俺の体は…!


この日を境に、何の関わりもなかった二人の人生は、複雑に、まるで運命が示しあわせたかのように交わっていく――

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