第7話 生きる価値

 見上げるほどの大きな鉄塔。それは二人の前で紅く、燦然さんぜんとした輝きを放つ。

 周りに生い茂る廃墟の森とは対照的に、まるで最近建てられたかのよう。

 傷はなく、鉄骨が折れてるわけでも、塗装が剥げているわけでもない。

 そして、その鉄塔の奥には夜空に浮かぶ蒼くて大きな月が見える。

 ユイは初めてそれがおかしいと感じた。

 不自然なほどの蒼さと、地球にぶつかってしまうのではないかと思わせるほどの大きさだからだ。

 今まで何とも思わなかったのに。あのスドウっていうおじさんの話を聞いてから、何かが変わったんだ。


「蒼い月なんて現実ではまずありえないよね。何であたしたち自然に受け入れてたんだろ」


 ユリナは夜空を見据えてそう言った。月光に照らされたユリナの顔はまたいつもとは違った良さがあった。つい見惚れてしまう。


「多分、それもあのミカド・ユウって人が仕組んだってことなんじゃないかな。テストを円滑に行うために、わたしたちの感性をいじったんだと思う」

「まーじで何でもありなのね。あたしたちの人権も少しは考えてほしいよ」

「ほんとだね」


 もし、あの人が言っていることが全て本当のことなのだとしたら。

 わたしたちのこの国は狂った人たちがまつりごとを執っていることになる。

 でも、どうしてそうなったの?

 まさか、最初から狂っていたわけじゃないだろうし。

 政府がそんなことを始めたのには何か理由があるはず。

 それもミカド・ユウという人物に聞けば分かるんだろうか。



 二人は鉄塔の最下部にある階段に向かった。塔そのものと同じく紅く染められたそれは、地上と展望台を繋ぐ六〇〇段ほどの外階段。昇降機はとうの昔に故障しているだろうと考え、二人はこの階段を昇って上に向かうことにした。まぁ今となっては「とうの昔に」なのか「最初から」なのかは分からないけれど。

 ユリナとともに階段の前に降り立つ。階段のそばにある壁に取り付けられた看板には「大展望台行き階段」の文字。これもまた新品のような見た目をしていた。


「さーて、登ろっか」ユリナが目の前にそびえる階段を見上げて言った。

「登り切る前にバテちゃいそう……わたし」

「えー、ユイなら大丈夫だよ。ユイ、足は遅いけどスタミナはあるでしょ?」

「それは、そうかもだけど」

「ね?」


 そういえば、今日は結構走ったっけ。昼、セレクターから逃げている時とか、さっき、火炎瓶を作るためにナカノの街を駆け回った時とか。流石に息切れはするけれど、かなりの距離を走れるという意味ではユリナの言う通りかもしれない。

 ユリナは拳銃を構えてユイに目配せすると、慎重に階段を登り始めた。ユイもユリナの後に続く。

 油断なく、一段、そしてまた一段と。

 さっきのスドウさんの話から想像するに、ナカノ駅でセレクターをけしかけてきたのはメールにあった「ミカド・ユウ」という人物なのだと思う。

 だとすると、「最後のセレクターと戦わせてあげる」というのは罠で、本当はわたしたち二人を直接始末したいだけなのかもしれない。

 だけど、わたしたちは進むしかなかった。真実を明らかにするために。この世界を救うために。そして、スドウさんやリサさんとの約束を守るために。


 夜風に吹かれながらユリナと一緒に階段を昇っていく。もう初夏の頃合いだというのに風はひんやりと冷たい。そして階段を昇っていくにつれてそれは強さを増していく。まるで風に昇ってはいけないよと言われているみたいだ。

 昇りながら、この後のことについて考えを巡らす。

 展望台に着いて、ミカド・ユウっていう人と会って、最後のセレクターと戦って、倒して。

 そうしたら、わたしとユリナはどうなるのだろう。

 元の世界に帰れる? それとも何も起きない? いや、わたしたちの身に危険が及ぶ可能性もあるかも。

 分からない。皆目何も分からない。

 でも、結末がどうあれ、ユリナと一緒ならばそれでいいと思う。

 ユリナと一緒に元の世界に帰る。

 ユリナと一緒にこの世界で暮らしていく。

 それか、ユリナと一緒に死ぬ。

 そんな、運命共同体みたいな関係を望んでいた。


「あたしと一緒に、この世界で生きてみない?」


 その言葉から始まったこの関係。

 今となっては、もう、ユリナはわたしの全てだった。



「ねぇ、ユリナ。この後、わたしたちってどうなると思う?」


 ユイは目の前のユリナに問いかけた。問いかけられたユリナは階段を昇りながら顔をユイの方に向ける。


「この後? 最後のセレクターを倒した後ってこと?」

「うん」

「さぁね。確かなことは分かんないや。まぁでも、リサやスドウがデタラメ言ってるとは思えないんだよね、あたしには。だから、あたしたち被験者が救われるっていうのは間違いないと思う。それが元の世界に帰れるっていう意味なのか、この世界で平和に暮らせるって意味なのか……」


 ユリナの瞳にはユイの顔が映っていた。ユイはそこにまたしても不安そうにしている自分を見た。


「ま、どんな結末になっても大丈夫だよ。セレクターを倒した瞬間にこの塔が爆発炎上しても、突然巨大怪獣が現れて熱線で一帯を焼き払っても。ユイとの約束は絶対守る。何があっても、あたしとユイは、その、ずっ……ずっと一緒だから」


 少し、ほんのちょっぴりだけユリナの顔が赤らんだ気がした。いつもの、ある程度の精神的余裕を含んだユリナの発言とはちょっと違う。これは、ひょっとして……。

 ユイの中である期待が膨らみ始めた頃、二人は展望台に到着した。

 しかし、そこには展望台とは全く異なる景色が広がっていた。

 壁という壁には様々な電子機器、それらを繋ぐ配線が張り巡らされ、部屋の奥には何枚もの巨大なディスプレイ。そこにはこの世界――壁の中のありとあらゆる景色が映し出されていた。

 そしてディスプレイに囲まれた空間、その中心に彼らはいた。

 一人は長身の、白衣を着た男性。もう一人は、いや、もう一体はセレクター。地下で遭遇した変異セレクターに似ているが、その体躯は全体がどす黒くなっていた。

 ユイたちが到着したことに気付いた男性とセレクターは、ゆっくりとこちらの方を向いた。


「やあ、良い夜だね。ツキシロ・ユリナ君とコヒナタ・ユイ君。ようこそ、ボクの城へ」


 男性はそう言って腕を広げ、歓迎する仕草を見せた。ユイたちが微動だにしないのを見て、男性は更に続ける。


「どうしてそんな遠いところで立ち止まっているんだい? 安心してくれ、こいつはボクの指示がないと動かないし、罠なんか仕掛けていないよ。そんな勿体ないことをするわけがないじゃないか」


 男性の声色からは本当に勿体ないことだと思っているのが伝わってきた。

 まだ安心はできないけれど、二人は歩みを進めることにした。

 油断なく銃を構えながらユリナが進む。ユイも周りを警戒しながら後に続いた。

 結局何も起こらず、男性とセレクターの目の前に到達した。ユリナの横にユイが立ち、男性と対峙する。


「言っただろう。何も仕掛けていないって」

「そんなこと言われても信用できるわけない」

「疑り深いなぁ、君は」


 男性は苦笑いしながらユリナの方を見た。


「あの、あなたがミカド・ユウさんですか?」


 ユイは最初に確認したいことを口にした。


「いかにも、ボクがミカド・ユウだ。先程ユリナ君のスマートフォンにメールを送らせてもらった者さ」

「じゃあ、あなたが国民選別試験の……」

「そう。ボクの肩書きは『国民選別試験 実施委員会 委員長』。国民を選別者セレクターを用いて選別する。その試験の監督官を担っているんだ」


 この人が試験の監督官。この人がセレクターを使ってわたしたち壁の中の人間を選別しているんだ。


「どうして……わたしたちが選別されなければならないんですか」


 それはユイの一番の疑問だった。手段はともかく、自分たちが選別される理由が分からない。

 ユイの質問を聞いたユウは軽く溜め息を付き、少しだけ天を仰ぎ、二人を見据えて答えた。


「……この国が不幸に満ちているから、と答えておこうか」


 ユウは二人の周りを歩きながら続ける。


「二〇三〇年、再生医療の爆発的進歩によりこの国の人口は五億人を突破した。環境問題や食糧問題など新たに顕在化した課題もあったが、皆が胸に期待を抱いていた。人の多さは豊かさの象徴。人口が多いということはそれはそのまま国が隆盛であることを示すからだ」


 そこまで言うと、ユウは天を仰ぐようにして嘆いた。


「だが……実際に増えたのは塵屑のような人間ばかりだったのさ。

 不自然なほどに上昇する犯罪率。今まで起きたこともなかったような凶悪な事件が次々に起こった。そして決まって被疑者には反省の色が全く無い。連日、そういった事件がニュースを騒がせ、人々は私刑に走る。

 犯罪だけじゃない。人々の道徳意識や倫理観も著しく低下してしまった。

 毎日のように街の彼方此方で怒号が聞こえ、ネット上では憎悪や嫉妬の感情が日夜撒き散らされる。皆が自分のことだけを考え、他人に対する礼儀や敬いといったものは失われ、何が正しくて何が正しくないのかが全て醜い感情によって決定される。

 この国は不幸で包まれてしまった。

 豊かだった、美しかった、この国は! そう言った人間未満の屑共によって地獄に変えられてしまったんだ!」


 そう語るユウの声は段々と大きくなっていった。その気迫に圧倒され、二人は口を開くことができなかった。


「……そういう屑はさらに屑を増やしていく。屑は屑同士で子を成し、その腐った考えは周りの人間を汚染していく。

 そして、屑は決して減ることがないのさ。屑の排除は更生可能性という名の欺瞞によって否定される。一時的に隔離することができてもすぐにまた世に放たれ、また別の不幸を生み出す。屑が屑以上になることなどないだろうに」


 ユウはセレクターの前に立った。セレクターは虚ろにユウの方を見ている。


「だから、ボクらはそれら屑を取り除き、善良で優秀な市民を守る仕組みを作った。選別者セレクターと遺伝子スクリーニングにより本当に生きる価値がある人間を選別する、国民選別試験。この試験によってこの国はかつての姿を取り戻す。屑共からこの国を取り返すんだ」


 ユウは再び二人の方を向いて続ける。


「ご清聴どうもありがとう。これで回答になっているかな?」

「…………なってます。なってます、けど」


 その時ユイの中には確かな怒りの感情が芽生えていた。滅多に怒ることがないユイだが、今の話はユイにとって到底許せるようなものではなかったのだ。


「今まで、わたしは沢山の人を助けてきました。男の人とか、女の人とか関係なく本当に沢山の人の怪我の手当てをしたり、薬を提供したりしてきたんです。その人たちは皆あなたの言うような屑じゃなかった。生きる価値がある人たちだったんです。

 それなのに……それなのに、セレクターはそんな人たちを殺した。わたしが生きてほしいと願った人を何の躊躇いもなく。そんなこと、許されていいはずがない……!」


 自分でも気づかないうちに声のボリュームが上がっていた。ユウの少し驚いた表情が目につく。それはまるで予想外の反撃を受けたかのような反応だった。

 怒れるユイに、ユリナが続いた。今までにないくらい真剣で力強い声と共に。


「生きる価値がある人間を選別する……? じゃあリサは? リサは、生きる価値がない人間だったって言うの!?

 リサは、どうしようもなく最低な人間だったあたしに優しくしてくれた! 落ちるところまで落ちたあたしを変えてくれた! そして、この世界の人たちを救うため必死に、一生懸命頑張っていたの! それを生きる価値がないだなんて…………許せない」


 こんなに怒っているユリナは初めて見た。拳銃をユウの方に向けながら、ユウを睨めつけるようにして見ている。その眼光の強さは今にも引き金を引いてしまうのではないかと思わせるほどだった。

 対するユウは乾いた笑いでそれに答えた。


「ははは。君たち、怒るとそれなりに怖い顔するんだね。まぁ、別に君たちにボクの、いや、ボクらの考えを理解してもらう気はないんだ。ただ一つ言っておくと、ルール違反は良くない。これは君やあのスドウという男にも言えることだけどね。

 さて、そろそろ本題に移ろうか。あんまり時間に余裕がないものでさ。ユリナ君、ボクが送ったメールを覚えているかい?」

「……最後のセレクターと戦わせてあげる」

「そうだ。もし君たちが戦いに勝ったのなら元の世界に帰してあげよう。負けたら他の被験者と同様に死んでもらう。あ、さっきも言ったけど、勝った場合でもこの世界での記憶は消させてもらうよ。君たちは色々と知りすぎてしまったし、不公平だからね」


 ユイの口からは思わず「えっ」という声が漏れた。思ってもみないような事実が言い渡されたからだ。

 この世界での記憶が消える?

 今までこの世界で見て、聞いて、体験してきたことをすべて忘れてしまうってこと?

 いや、他のことは別に忘れてしまったって構わない。

 でも、ユリナだけは。ユリナと過ごした日々、ユリナに抱いているこの気持ちだけは絶対に忘れたくなかった。

 そして、それはユリナも同じようだった。


「嫌だ。あたしはこの世界でのことを忘れたくない。この世界では色々な経験をした。色々な人に出会った。自分の最低なとこもよく分かった。だから、それを全部忘れちゃうなんて、嫌だ」

「……嫌だ、だって?」


 その言葉と共にユウは呆れたような仕草を見せた。


「いつから君はボクに意見する立場になったんだい? この世界では全てボクに決定権がある。ボクの言うことはここでは絶対なのさ。身の程を弁えてほしいなぁ。

 でも、君のそういう生意気な所は気に入っている。やはり、君はこの手で直接嬲り殺しにしてあげよう」


 そう言うとユウは指を鳴らした。

 次の瞬間、ユウの側で人形のように固まっていたセレクターが、突如として倒れ込んだ。まるで吊っていた糸が切れたかのように。

 倒れたセレクターは動く気配が全くなく、生気が感じられなかった。一体何を……?


「これで最後のセレクターはボクになった。そして」


 ユウは再び指を鳴らした。次の瞬間、二人の目の前に夜空と巨大な月が現れた。

 驚いてあたりを見回してみると、そこが展望台の上であることが分かった。どうやら瞬間移動させられたらしい。本当にここが現実じゃないのだと実感させられる。


「ここなら戦いやすいし、何より君を殺す舞台としては上出来だ。君もそう思うだろう、ユリナ君?」

「お気遣いどうも。でも、あたしはあなたなんかに殺されないから」


 蒼き月の下、銃撃戦を始める二人。

 ユイはただそれを見守ることしかできなかった。

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