第6話 終わりゆく世界の夢を見て

 すっかり日も落ちたナカノ駅には途切れることなく銃声が鳴り響いていた。その音を鳴らしているのは、二人。一人は地上にいるスドウ。もう一人は空中にいるユリナだ。スドウが下でセレクターを転倒させ、倒れた所を上からユリナが撃つ。それが二人の作戦だった。


 スコープを覗き、心臓を狙って、引き金を引く。それの繰り返し。単調な作業だけど全然退屈しない。やっぱり実銃はいい。サバゲーで使うガスガンとは全然違う。撃つたびに体に伝わってくるリコイルとか銃声とか、何もかもがリアルで心が震える。こんな状況だけど、存外に楽しんでしまっている自分がいた。

 それに、バタバタと次々に骸と化していくセレクターを見ていると何となく気分がいい。圧倒的な力や強靭な体躯があっても知能がないと何もできない。それがセレクターの弱点。それはたとえ集団になったところで変わることはなかった。

 そんな心地よい時間も終わりを告げた。狙撃銃PSG1の残弾がゼロになったからだ。予備のマガジンはもうない。残りのセレクターは散弾銃M3と九ミリ拳銃で片付る必要がある。上から狙撃銃で攻撃するよりは大変になるけど、できないことはない。それに、今は仲間もいる。


「スドウ! 弾切れ!」


 ユリナは下で突撃銃を撃っているスドウに声をかけた。


「了解だ! 一回降りてきてくれるか」

「おっけ!」


 ユリナは反重力を弱めてスドウの隣に着地する。二人の目の前にはまだ相当数のセレクターがいた。それらは屍と化した同胞を踏み越え、二人に迫る。まるで悪夢のような光景だ。

 マガジンを取り替えながらスドウが言う。


「大分数は減らせているが、作戦を変える必要があるな」

「んー、確かに」

「特に提案がなければ定石通り頭部射撃後に心臓を狙うが……」

「あ、それ定石だったんだ。いいと思う」

「それで、嬢ちゃんはどうする?」


 使える武器は三つ。拳銃、散弾銃、手榴弾。拳銃は全く通用しないので散弾銃と手榴弾で何とかするしかない。手榴弾は数に限りがあるから、基本的には散弾銃を使うことになる。さらに言うと散弾銃というものは基本的に接近していないと威力が下がる銃だ。つまり……。


「あたしは……最接近して頭を撃つ」

「何だって。他に有効打がないとはいえ、危険すぎるんじゃないか?」

「大丈夫。何回もやったことあるし。それに、反重力シューズがあれば何とかなる」

「しかしだな……」

「議論してる時間はないよ。あたしはそれで行くから」


 ユリナは散弾銃を持った。そして目の前のセレクターに向かって走り出す。

 接近してくるユリナに対してセレクターは巨大な腕を振り下ろした。

 その腕がユリナを捉える直前、ユリナはジャンプした。

 セレクターの腕が空を切り、地面に激突する。地面が窪むほどの衝撃が起きた。

 その間にユリナはセレクターの頭上から散弾銃を撃つ。

 至近距離から放たれた大量の弾丸がセレクターの頭部を破壊した。

 まず一体。

 そらを蹴って方向転換し、次の標的に向かう。その様子はさながら宙を舞う体操選手のようだ。

 突如として群れの中に切り込んできた外敵に対して、セレクターたちは対応に苦慮している様子だった。

 腕を振り回しても、爪で切り裂こうと思っても、牙で噛み切ろうとしても、全く捉えられないのだ。そして気付いたときには頭部が破壊されているか、手榴弾で吹き飛ばされている。

 攻撃する隙があるとすればリロードの時だが、スドウがそれを見逃すはずはない。攻撃しようとすると突撃銃の銃弾の雨に打たれることになる。

 そらをかけ、戦うユリナ。それを止められる者はいなかった。

 だから、セレクターは標的を変えた。

 宙を舞う少女から、もっと手近な脅威へと。


 ユリナが何体目かのセレクターにとどめを刺した時だった。

 セレクターの死体の山。おびただしい数のセレクターが積み重なったその山の一部が、動いた。

 そしてそれは、死体の山に背を向けて射撃を続けているスドウに襲いかかった。


「スドウ!」


 ユリナが気付いたときにはもう遅かった。

 スドウは、振り向きざまに脇腹から背中にかけての部分を切り裂かれていた。

 ばたりとスドウが倒れる。

 ユリナは動き出したセレクターに再び銃弾を撃ち込むと、急いでスドウのもとに駆け寄った。

 苦悶に満ちた表情でスドウは言う。


「すまねぇ……俺としたことが」

「………………」


 ユリナは無言でスドウを抱きかかえると、セレクターたちから距離を取った。

 ホーム付近まで後退し、ベンチにスドウを座らせる。流れる血がベンチを赤く染めた。

 見ると、かなり深い傷のようだった。内臓まで届いているのかもしれない。とにかく出血が酷い。軽度の出血ならユリナも止血法を心得ているが、ここまでの傷となるとユイにしかできそうになかった。

 まずい。ユリナは焦りを感じ始めた。このままでは出血多量で命を落とす可能性だってある。今ここでスドウを死なせる訳にはいかないし、何よりもう目の前で人が死ぬところを見たくはなかった。

 スドウは脇腹を押さえ、苦痛に顔を歪めていた。口から荒い息が漏れる。

 あたしのせいだ……。あたしがちゃんととどめを刺さなかったからこんなことに。

 ユリナの心の中で罪悪感が渦巻き始めた。グルグルと、ユリナの感情を掻き乱していく。

 スドウから目を背けるようにして線路の向こうを見ると、まだ生き残っている数体のセレクターが近づいてきていた。獲物を仕留めるために、ゆっくりと、少しずつ。

 スドウをあまり動かす訳にはいかない。最終的にはユリナがここで奴らを迎え撃つ必要がある。散弾銃の残弾は尽きてしまっているし、手榴弾ももうない。使えるのは拳銃だけだ。


「急いで……ユイ」


 祈るような気持ちだった。でも、それと同時にユイは必ずすぐ来てくれるという確信があった。根拠やそれを裏付けるものは何もないけれど、ユイならきっと間に合う。そう信じていた。

 そしてユリナはそれが現実となるのを目撃した。


「ユリナ!」


 元気の良い声と共に、階下に続く階段からユイが上がってきた。手にはビールケース。中には数本の火炎瓶が入っている。

 ユリナはユイに駆け寄り、ユイからケースを受け取った。


「ユイ、急いで怪我の手当てをして欲しいの。さっきの人がセレクターに切り裂かれた」


 ユリナはベンチに腰掛けているスドウの方を指した。


「! ……大変!」


 状況を理解したユイは慌ててスドウに駆け寄り、救急セットを取り出す。薬品や道具を取り出し、止血を試み始めた。

 ユリナは受け取ったケースの中から火炎瓶を取り出すと、近づいてきているセレクターの方へ向かった。

 走りながら、鞄からライターを取り出す。ガス式の年代物。リサと一緒にいた頃から持っているものだ。


「あたしは……犯した罪の贖いをする」


 ユリナは瓶の口から出ている新聞紙に火を点けると、目の前のセレクターに向かって飛ばした。

 それがセレクターの体に勢いよく当たり、瓶が割れた瞬間、辺りは爆発的に炎に包まれた。

 とてつもない熱気にユリナは距離を取り直す。


「やば。ユイ、ガソリン入れたのかな」


 炎に包まれ、もがき苦しむ仲間をよそに、残りのセレクターがユリナに向かって突進してくる。

 ユリナは二本目に火を点けると、空中からそれを放った。

 再び辺りを埋め尽くす業火。タンパク質が焼ける匂いが辺りに漂う。

 炎によって浄化されていくセレクターたち。耳障りな断末魔が耳を劈く。

 ユリナが最後の瓶に火を点け、地上に飛ばす頃には、もうそれらは聞こえていなかった。



「ユイ、大丈夫そう?」


 セレクターを倒し、ホームまで戻ってきたユリナはユイの背後から声をかけた。


「何とか、かな。とりあえず出血は止まったよ」

「……そっか。安心した」

「ユリナの方は大丈夫? 怪我とか」

「あたしは大丈夫。……危うく焼けそうになったけどね」

「あっ、ちょっと威力強すぎたかな。ガソリンと灯油混ぜてみたんだけど」


 ユリナが考えていた通りだった。


「いや、あれくらいが丁度いいよ。中途半端だと再生されちゃうしね」


 ユリナはスドウの方に目線を移した。さっきよりはいくらか穏やかめな表情で俯いている。気を失っているんだろうか。

 スドウの様子を確認しようとしたその時、ユリナから電子音が鳴った。

 正確にはユリナの鞄からだ。ユリナの鞄にはスマートフォンが入っている。それが出した音だった。


「この音は……メールかな。何でだろ、電波は通じないのに」


 壁の中ではとっくの昔に電波は通じなくなっている。ユリナがスマホを使うのはアドホックモードで通信をする時だけだ。

 スマホを開いて通知を確認すると、「ミカド・ユウ」という送り主からメールが届いていた。



 ――ツキシロ・ユリナ

   B地区にある紅い鉄塔に来るといい。

   そこで最後のセレクターと戦わせてあげよう。

                                                                      ミカド・ユウ



「………………?」


 ユリナはメールの内容が全く理解できなかった。

 この「ミカド・ユウ」とかいう人はどうしてあたしの名前を知ってるの?

 B地区に紅い鉄塔なんてあったっけ?

 最後のセレクターって何?

 たった三行のメールに多くの謎が含まれていた。


「なんて書いてあったの?」


 ユリナの様子を見ていたユイが尋ねる。ユリナはユイにもメールの文面を見せた。

 ユイはメールに目を通し、少しの間考え込んだあと、再び口を開いた。


「ユリナはこのメールの意味分かった?」

「いいや、全然。まず、B地区にある紅い鉄塔って何って感じだし」

「B地区にある電波塔のことだ」


 二人の話に割り込んできたのはスドウだ。いつの間にか意識を取り戻していたらしい。


「スドウ! 大丈夫なの?」ユリナがスドウに駆け寄る。

「ああ、おかげさまでな。白い髪のお嬢ちゃんには世話になった。礼を言う」

「いえ、わたしはわたしにできる事をしただけなので」


 相変わらずユイは謙虚だな、とユリナは思った。

 ユイは普段からよく怪我の手当てをしてくれる。その度に「ありがと」とか「助かるよ」とか、そういったお礼の言葉を言うのだけど、ユイの返事は決まって「ううん、わたしはこれくらいの事しかできないから」だった。

 ちょっと謙虚すぎる気もする。でもそういう所も好きだ。


「それで、B地区の電波塔って?」ユリナは言った。

「高さ三百三十三メートル、今から八十四年前に建造された電波塔がB地区にあるんだ。本来ならお嬢ちゃんたちも絶対知っているはずだが、存在を認識できないようになっているからな。知らないのも無理はない」

「えーっと、さっきから分からないことだらけなんだけど??」

「悪い。順を追って話そう」


 ユイとユリナの二人はスドウを食い入るようにして見つめた。二人が知らない、この世界の秘密について。それが明らかにされるのだから。


「嬢ちゃんたち、この世界がどうしてこうなったか、憶えているか?」

「そりゃもちろん、突然セレクターが現れて、戦争みたいな状態になって……」

「ではさらに質問だ。それがいつ起きたか、思い出せるか?」


 スドウの質問に二人は不思議な感覚を覚えた。

 考えたこともなかった。いつこんな事になったかなんて。

 でも、それが起きたことは確かに記憶にある。忘れるはずがない。だけれど、その前後関係が全く思い出せないことに気付いた。

 困惑する二人に、スドウは続けた。


「思い出せないだろう。なぜならそれは実際には起きていないからだ」

「実際には起きていない……? いやいや、まさかまさか」


 ユリナは苦笑する。ありえない、あたしは確かにあれを体験した。あれが起きてないわけがない。


「でも、もし本当にあれが起きていないのだとしたら、どうしてわたしたちはその記憶を持っているのかな」


 ユイがもっともな疑問を口にした。そうだ、起きていないのなら記憶が残るはずがない。

 いや、待てよ。

 ユリナはそこまで考えて、一つの可能性に気づいた。そしてその可能性はスドウによって言明される。


「なぜなら、それは作られた記憶だからだ。もっと言うと、この世界そのものも極めて作為的なものだ。

 嬢ちゃんたち、少し考えてみてくれ。

 どうして政府はあんな短期間で壁を作り、京都に逃げることができた?

 なぜ反重力シューズやAS特殊弾といったオーバーテクノロジーの産物が存在できている?

 そして何より、壁内の建物が廃墟と化して植物がそれらを侵食するような時間が経っても、なぜ俺たちは生き残れている?」


 今まで全く疑問に思わなかったような事柄が、急に違和感を伴って二人の脳内を駆け巡り始めた。

 どうして今までおかしいと思わなかったんだろう。

 いや、おかしいと思わないようになっていたということなんだろうか。

 だとすると、行き着く結論は一つだった。

 結論を口にする前に、ユイの方を見てみる。その瞬間、ユイもユリナの方を向いた。

 そのユイの表情から、何となくユイも同じことを考えているような気がした。

 二人はお互い頷き、結論を告げた。


「この世界が、現実じゃないから」


 それを聞いたスドウは心の底から驚いた表情を見せた。


「驚いた。これが以心伝心ってやつかね」

「へへん、あたしとユイは通じ合ってるからね」


 言いながら、ユリナはちょっとだけ照れくささを感じた。


「その通り。この世界は現実じゃねぇ。俺たちは皆作られた夢を見ているんだ。……少し昔話をしてもいいか?」


 スドウの提案に、二人は無言で首肯した。

 そしてスドウは静かに語りだした。


「……五年前の事だ。俺は都内でエンジニアとして働いていた。顧客と密にやり取りをし、顧客が納得するようなソフトウェアを作る。それが俺の仕事だった。

 ある時、俺たちの部署は政府主導のプロジェクトを任されることになったんだ。政府側の担当者の名前はミカド・ユウ。嬢ちゃんにメールを送ってきた奴だ。

 奴らが提示してきた要件は、『この世界を模倣した別の世界をコンピュータ上に作り上げること』だった。開発は三年以内に全て完了させる。途方もない要求だ」

「それを承諾したの?」

「ああ。その時、俺たちの部署には天才と言ってもいいエンジニアがいたんだ。弱冠二〇歳にして、ありとあらゆる案件を成功させてきた、天才エンジニア。名前はホシミヤ・リサ。嬢ちゃんがよく知ってるあのリサだ」


 知らなかった。世界がこうなる前、リサがどんなことをしていたとかは訊いたことがなかった。

 世界を模倣する。そんな途轍もないプロジェクトにリサが携わっていたなんて。


「それで、そのソフトは完成したの?」

「何とかな。ありとあらゆる所を頼った。他の企業、研究所、大学。それらの協力、そして何よりリサのおかげでそれは完成した。それで終わりのはずだった。だが、完成して数カ月後、政府はある声明を出したんだ。

『日本国民の選別を行う』ってな。

 突然の事過ぎて誰も理解が追い付かなかった。しかし奴らは粛々と進めた。

 遺伝子テスト、環境テストの二つの尺度で国民一人一人にスコアを付け、基準に満たない者に対しては強制的に安楽死措置が取られる。そのテストのために俺たちが必死で作った世界が使われたんだ」

「冗談、だよね……」


 ユイとユリナの二人はあまりの事実に絶句した。そんなこと、ありえるの……? いや、ありえていいわけない。


「冗談なら良かったんだがな。だが、政府の奴らは本気だった。俺たちに依頼をしてきたミカド・ユウという男。奴が委員長を務める『国民選別試験 実施委員会』。奴らはこの馬鹿げた試験をもう二十六回も実施しやがった。その間、何百万もの国民が選別されたんだ」


 俄には信じがたい話だった。そんな、国民を蹂躙するような勝手を政府ができるはずない。第一、そんな事したら暴動が起きる。誰だって黙って死ぬよりは立ち向かって死ぬ方がいいはずだ。


「どうして……あなたはそのことを知っているんですか。わたしも、ユリナも、そんなこと全く知らなかったし、今まで会ってきた人たちもそんなことがあったって知っているような感じじゃありませんでした」


 ユイはまだスドウの話を信じ切っていないようだった。そしてそれはユリナも同じだ。こんなこと、到底信じられるような話じゃない。


「それはな、テストの参加者は現実世界の記憶が消されるからだ。現実世界の記憶という名のバイアスを排除し、被験者の素の能力を測るためにな」

「それなら、あなたは被験者じゃないってことですか?」

「ご名答。俺とリサはここに意図してやってきたんだ。嬢ちゃんたち、被験者を救うためにな。そしてそれはセレクターを全滅させることで叶う。この世界もろとも、奴らの野望を打ち砕くことができる」


 そこまで言ったところで、スドウは包帯が巻かれた腹部を押さえて苦悶の表情を浮かべた。


「! 大丈夫ですか!?」

「……少々喋りすぎたな。嬢ちゃんたち、B地区の紅い鉄塔に向かってくれ。そして最後のセレクターを倒してくれ。そうすれば、全て、終わる……」

「スドウ!」


 ユイが急いでスドウの容態を確認する。脈や呼吸を確認した後、ユリナの方を振り向いてユイは言った。


「大丈夫。気を失っているだけみたい」

「良かった……てっきり力尽きちゃったかと」


 ユリナはB地区の方角を見た。夜の帳に煌々ときらめく紅の鉄塔が立っている。今までは分からなかったけど、今ははっきりとその存在を確認できた。


「ユリナ、さっきの話、信じるの?」

「うーんとね、全部が全部信じられる話じゃないと思う。けど、どちらにせよあたしたちがやるべきことは変わらない」

「最後のセレクターを倒す、だよね」

「そう。リサとの約束。あたしがこの世界のためにしなきゃいけないこと。

 だから……もう少しだけ一緒に頑張ってほしいな、ユイ」

「もちろんだよ、ユリナ。ユリナのためだったら、いくらでも頑張れるし」


 そう言って二人はお互い微笑んだ。

 頭上には無数の星たちと、蒼く大きな月が輝いていた。

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