第5話 黄昏に染まる駅
「それで、これからどうするの? 来た道は塞がっちゃったから、別なルートを使わないとだよね。……って、ユリナ?」
ユリナにそう問いかけているのはユイである。地下トンネルを脱し、変異セレクターを倒した二人は、セレクターを全滅させる決意を新たにしたのだった。
問いかけられているユリナはというと、俯いて自らの行いについて反芻していた。
怪訝そうに見つめるユイをよそに、いつになく真剣に。
ユイが自分のことを分かってくれたのが嬉しくて、半ば衝動的に抱きついてしまった。
ユイのことを抱きしめるのはこれで通算二回目。何ヶ月も一緒にいて、今日になって二回も。
一回目はさっき、地下鉄駅で。不安そうに、今にも泣き出しそうにしていたユイを安心させたくて。これも、ほぼ衝動的なやつ。頭で考えてない。
生来感情で生きてるなーっていう自覚はちゃんとある。他人から言われることも珍しくないし。でも、それでいいじゃんって思っていた。それが自分の性格なんだろう。
でも、でもだ。その性格のせいで少し困ったことになったかもしれない。
一回抱きしめてから……自分の中の何かが変わった。
ユイの、あの深い緑色の瞳で見つめられると、少しどきっとしてしまう。
ユイの、あのやわらかな黒いカーディガン。萌え袖気味になったそこから出ている、ほっそりとした手が触れると、ちょっとだけ幸せな感じがしてしまう。
今まではこんなことなかったのにぃー! そう言いながら頭を抱えてしまいそうだった。
一体どうしちゃったんだろうなぁ……。これが、いけないことだってよく分かってるはずなのに。
いけないことだって、リサに教えてもらったはずなのに。
「……えっと、ユリナ? 大丈夫? どうしたの?」
「…………ん。あっ、ごめんごめん」
ユイが心配し始めたところで、ユリナは自分の世界を後にした。目の前のユイは変わらず怪訝そうな顔をしている。
「どうかしたの? 珍しいね、ユリナが考えごとするなんて」
「いや、ちょっと、ね。別に大したことじゃないよ。それから、あたしだって考えごとくらいするからね。だってさ、ほら、悩み多き年頃だし?」
「悩み多き、かぁ。うん、それは確かにそうかもね。わたしもよく考えちゃうし」
言いながら、ユイは少し恥ずかしそうな顔をする。
言われてみれば、ユイは普段から物思いに耽ることが多い気がする。元々積極的に発言するというよりは心に秘めておくタイプみたいだし、それがユイの性格なんだと思う。
しっかり考えて慎重に行動を決定していく。どこかの誰かさんとは大違いだ。
まぁ、それはそれとして。そろそろ話を進めよう。
「えーっと、これからどうするか、だっけ」
「うん」
「そうだねぇ……。とりあえず、ナカノ駅に向かって歩いてみない? 何かあるかもしれないし」
ユリナは線路の先を指差す。縦に並んだ二本の線路が、複雑に分岐して駅の奥の方に続いているのが見えた。あれが、終点のナカノ駅のはずだ。
「確かに何かありそうだね。それなりに大きい駅だし」
「でしょ? じゃあ、行こっか」
黄昏時のナカノ駅を二人が歩く。
ナカノ駅はO地区の西端に位置していて、いくつかの路線が乗り入れる大きな駅だ。ホームが四つもある。首都に住んでる人からしたら大したことないのかもしれないけど、中学まで使っていた地方の寂れた駅と比べると、その大きさは歴然だ。
そのナカノ駅も、今では寂れた廃駅になっている。
所々床が剥がれたホーム。すっかり曲がってしまった架線柱。もう誰に指示を出すこともない信号機。
それらを、夕暮れ時の鮮やかな赤い空が包み込んでいた。
ユリナの瞳にその景色が映ったとき、ユリナは思いのほか切なくなった。
これほどの光景を見たことがなかった、っていうのもある。でもそれだけではなくて。
この景色を見ていると、世界が終わりを迎えようとしているかのように感じてしまう。
今日という日の黄昏と、この世界の黄昏。それがリンクしているみたいな気がしてしまうのだ。
ふと隣のユイを見やると、ユイもまた何となく切なげな顔をしていた。
ユイも同じ気持ちなんだろうか。自分と同じように感じているんだろうか。
だとしたら、本当に嬉しい。ユイと一緒の感覚に浸れている。ちょっとしたことだけど、ついはしゃいでしまうくらいには嬉しい。いや、ユイの前でははしゃがないけどね。流石に。
ユリナがそんなことを考えていた時、突然二人に声がかかった。
「おーい。嬢ちゃんたち、ちょっといいか」
隣のホーム上から声が聞こえた。ユリナは素早くホルスターから九ミリ拳銃を取り出すと、声の方に向かって構える。そして、ユイに背後に回るよう指示を出す。
秩序が崩壊したこの世界では道端で会った人にいきなり銃撃されることもある。この人は大丈夫、と分かるまでは油断できなかった。
「おいおい、俺はセレクターじゃないぞ。銃を下ろしてくれないか」
そう言いながら現れたのは白髪交じりの中年男性だった。長身でかなり体格が良い。背中には突撃銃を背負っている。顔に付いた傷跡や佇まいから、幾度もの修羅場をくぐり抜けてきていそうな感じがした。
男性はユリナが銃を下ろさないのを見ると、両手を上げて困った表情を見せた。
突撃銃は即座に撃てそうな状態じゃないし、どうやらこっちを襲う意図はなさそうだ。
ユリナは構えていた拳銃を下ろした。そして男性に向かって、
「すいません、いきなり。挨拶代わりに発砲してくる人もいるもんで」
「そいつは酷いな。いや、こんなご時世じゃ無理もねぇか」
世も末だな。そう男性が呟いたところで隠れていたユイが前に出てきた。顔をちらっと覗くと少しだけ怯えたような表情をしている。そんな顔をされるとこっちまで悲しくなってしまう。
早くユイの不安を取り除いてあげなければ。
「……それで、あたしたちに何か用でも?」
「ああ。ちょっとばかし確認してぇことがあってな。今しがた起きた爆発……あれを起こしたのは嬢ちゃんたちかい?」
「えーっと、はい」
それを聞いた男性は以外そうな表情を見せた。
「ほう……ダイナマイトでも使ったのか?」
「いや、ちょっとワケアリの銃弾で」
「まさか…………AS特殊弾か?」
「そう……だけど、なぜにASのことを」
まさかここでAS特殊弾という言葉が出てくるとは思っていなかったユリナ。それもそのはず、あの弾丸のことはユイとユリナ、そしてリサしか知らないはずなのだ。
「それはこっちが聞きたいもんだな。あの弾薬はホシミヤ・リサっていう名の人間が持っているはずだ。何故嬢ちゃんが持っている?」
「リサのことを……知っているの」
「ああ。以前行動を共にしてたからな。半年程前にはぐれたっきりだが。……なるほど、嬢ちゃん、リサの知り合いってわけか」
男性は腕を組みながら合点がいったような顔をした。
半年程前といえば、ちょうどリサと出会った頃だ。前に行動を共にしてた人がいたなんて。リサからは一切聞いていなかった。
「それで、あいつは今どうしてる?」男性が再び口を開いた。
「リサは……リサは、死んだ」
男性の方から目を逸らしてユリナはそう答えた。だが、直後にただならぬ気配を感じてすぐに顔を上げる。
ユリナの回答を聞いた男性はホームから飛び降りて、線路上にいる二人に駆け寄ってきた。
瞬く間にユリナの目の前に立つ。近くだと身長のせいかかなり圧迫感があった。
「バカを言うな。あいつが死ぬはずはない。何かの間違いじゃねぇのか」
真剣な、怒りすら感じられる顔で男性は言った。その気迫は、ホルスターから拳銃を取り出そうとしたユリナの手を止めるほどだった。
「間違いなわけ、ない……! リサは変異セレクターに――」
「変異セレクターだと!? あれは使用が禁じられているはず……いや、まさかな」
「使用? 誰かがセレクターを操っているの?」
「………………」
男性は考え込む仕草を見せた。
男性の言葉の意味をはかりかねている二人。だが、その言葉の真意を確かめる暇もなかった。
「ユリナ、あれ……」
ユリナのパーカーの袖を引っ張りながら、ユイは線路の先を指差す。
今にも落ちようとしている太陽。それに向かって伸びていく線路たち。そして、崩れてしまった架線柱が何本も連なるその先に、おびただしい数のセレクターがいた。それらがみな、こっちに向かってわらわらと向かってきていた。
「はは。あれじゃあ、もはや
「それは裏で操作している人間がいるからだ。セレクター共の意志じゃねぇ」
「ねぇ、それってどういうことなのか説明してほしいんだけど」
「話は後だ。嬢ちゃん、武器、弾薬はどれほど残っている?」
男性がユリナの持っている九ミリ拳銃と、
状況が状況なだけに追及がしづらい。後でしっかり説明してもらうことにしよう。
「九ミリパラベラムが二〇発、七・六二ミリが二十発、一二ゲージのショットシェルが二十一発、かな。あと、手榴弾がいくつか。ユイがちゃんと持ってきてくれてればだけど」
「えっ、ちゃんと持ってきたよ」
「おっ、良かった。ユイ、たまに抜けてる時あるから」
「うう……何も言い返せないよ」
ユイが顔をほんのり赤らめる。
地下鉄駅の入り口に仕掛けた罠。ユイはその存在を忘れて普通に通ろうとしてたっけ。まぁ、仮に作動したとしてもこっちですぐ解除できるから大丈夫だったんだけど。ユイには内緒だ。
「ふむ、少し心もとないな。ここは一旦退いた方がいいかもしれん」
「んー、確かにちょっと足りないかも。何か他に武器があれば……」
ユリナは辺りを見回してみた。しかしながら、こんな場所に武器が落ちているはずもない。
ダメかな。そうユリナが思った時、ユイが口を開いた。
「火炎瓶なら作れるよ、わたし。少し時間もらえれば、だけど」
「えっ、作れるんだ。マジか。すごいじゃん!」
意外な事実に、ユリナは感嘆の声を上げた。ユイは医療関係の知識が豊富だけど、火炎瓶の作り方まで知ってるなんて。
褒められた当人の顔には、照れくささと嬉しさが同居していた。いい表情だ。
「ただ、材料を集めるのに時間がいるの。それまでユリナたちが持ちこたえられるかどうか……」
打って変わって、ユイは自信のなさそうな顔でそう言った。
時間稼ぎなら得意だ。こっちには反重力シューズもあるし。何となくだけど、このおじさんも大丈夫な気がする。
ユリナが男性に目配せすると、男性は無言で頷いた。予想通りの反応。玄人っぽい雰囲気を漂わせているけど、どうやらそれは本物みたいだ。
「あたしたちは大丈夫。任せといて。……心配ないよ、いざとなったら逃げるしさ」
「分かった。危なくなったら必ずちゃんと逃げてね」
「ユイこそ、気を付けてよ。敵はセレクターだけじゃないからさ」
「分かってる」
リサが死んで間もない頃とは違って、今はセレクターに対してある程度冷静になれている自覚はあった。それに、ユイとの約束もある。衝動を抑えること自体はできるはず、というかできなくちゃいけない。
「こういう時、嬢ちゃんならどう戦う?」
ユイが駆け出していった後、男性はセレクターの方を見据えながら尋ねた。
「あたしならとりあえず足を撃つかなー。何発か撃てば転倒するから、その隙に上から心臓を撃ち抜いちゃえばいい」
「転倒させれば後続の進攻を遅らせる効果もある、か。名案だな。後はどうやって上から撃つかだが」
「反重力シューズがそれを叶えてくれる。リサがくれた、このシューズが」
ユリナは反重力シューズの紐を結び直しながらそう言った。
直後、沈黙。男性からの反応はなく、風の流れる音と遠くから聞こえるセレクターの足音のみが聞こえた。
あまりに長く男性が黙っていたので、ユリナは顔を上げて怪訝そうに男性の方を見る。
そこに見えた男性の姿から、ユリナは確かな悲哀を感じ取った。
「……すまんな。まだ、あいつが死んだってのを受け入れきれてねぇんだ」
この男性にとっても、リサは大切な人だったんだろう。大切な人を失う気持ちはよく分かる。そして、それを引き摺ってしまうのも。
「辛気臭い顔をして悪かったな。さて、セレクターの奴らに鉛玉をぶち込んでやるとするかね」
そう言って、男性は背中に背負った突撃銃を構えてマガジンを装着する。チャージングハンドルを引く子気味の良い音が聞こえた。
こっちの銃もすぐ撃てる状態だし、準備は万端。でも、何となくまだ違和感がある。そしてその違和感の原因に心当たりがあった。
「……ところで、おじさん。名前は?」
「名前? スドウ・アキラだ。スドウでいい」
「あたしはユリナ。ツキシロ・ユリナ。よろしく、スドウ」
戦いが始まる。
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