第8話 この世界最後のキス
バン。
暗く澄み切った夜空に一発の銃声が響き渡る。
その音は白衣を着た男から。
その手に持つ拳銃から。
唐突に銃撃されたユリナはその身で弾丸を受け止めるしかなかった。
「ユリナ!」
ユイの悲痛な叫びがこだまする。
座り込んでしまったユリナに急いで駆け寄ろうとする。見たところ足に当たってしまったらしい。一発、そして急所ではないけれど、銃創は適切に処置を施さなければ致命的になることもある傷だ。なるべく早く傷の具合を見る必要があった。
しかしまた、銃声が轟く。
目の前の床に弾が命中するのが見えた。それによりユイの体が意識せずとも硬直する。
「おおっと。君はそこにいてくれるかい? 今はボクとユリナくんの時間さ」
声のする方には、片手で拳銃を構えたユウがいた。ユイの動きが止まったのを確認すると、ユウは銃口を再びユリナの方に向けた。
「なに、心配には及ばないさ。ボクが使っているのはゴム弾。至近距離から撃たない限り致命傷にはならない。ユリナ君のことは少しずつ痛めつけていきたいからね」
「……悪趣味な奴」
再び立ち上がったユリナはユウの方を睨みつけている。対するユウは微笑でそれに答えた。
そしてまた銃声が響く。
今度はユリナも黙って当たりはしない。身を翻して銃弾を避ける。次々に撃たれる銃弾を器用に避けていく。時折反重力も使いながら。
しかしユリナも避けてばかりじゃない。隙を見て拳銃で反撃する。
しかし、そこで不思議な事が起こった。真っ直ぐにユウに向かって放たれた弾丸。それはユウの手前で左側に逸れたのだ。
「うんうん、上手く機能しているね」
白衣に隠れて見えなかったけど、ユウは腰に機械を巻いていた。ユウはそれをトントンと手で軽く叩く。鈍色のそれは表面に赤と緑のランプが付いていて、今は緑のランプが点灯していた。何となく古めかしさを感じさせる機械だ。
「なんなの、それ」ユリナが問う。
「これはあの女ではなくボクが実装した特別なエンティティでね、起動すると周囲に歪曲領域を展開する。要はボクに向かって来る銃弾は全て今みたいに逸れるというわけさ」
「えっと、逸れる? それじゃあたしに勝ち目なくない?」
とユリナが不満そうな顔をする。
確かに、とユイも思った。
ユリナは今使える武器が拳銃しかないのだ。その拳銃が使い物にならないのなら勝ち目がないのと同じこと。あの人はわたしたちを勝たせる気などないのだろうか。
「『意思あるところに道は開ける』って言うだろう? まあ、頑張ってみるといい」
「こいつ……」
ユリナがイライラしているのがはっきりと伝わってきた。珍しい。ユリナが腹を立てるなんて滅多にないのに。
でもさっきのことを考えると当たり前か。わたしだってはっきりとした怒りを覚えた。ユリナの場合はリサさんのことを「生きる価値がない」なんて言われたから尚更だと思う。
それに加えて煽るような物言い。ユリナのイライラも仕方がない気がした。
そんなユリナにユウは間髪入れず銃撃してくる。
ユリナも負けじと撃ち返すけどやはり逸らされてしまう。放った銃弾が様々な方向に軌道を変えられる。
このまま突っ立っていると流れ弾に当たってしまいそうだ。そう思ったユイは伏せてユリナたちの様子を窺う。
だが、しばらく様子を見ていても状況は変わらない。ユウが撃ち、ユリナが避け、ユリナが撃ち、弾は逸らされる。ただ、ユリナの動きが段々と鈍くなっているのが分かった。このままだとまた被弾してしまうかもしれない。ユリナ……大丈夫だろうか。
そしてユイの心配は的中する。何回目かのユウの銃撃の後、ユリナの左足にゴム弾が命中した。
「っ! 痛ったぁ……」
ユリナが痛みに顔を歪め、体勢を崩す。それを見て満足そうに笑みを浮かべるユウ。
「いい! その顔だ。その顔が見たかったのさ。反重力シューズという道具に甘え、敗北という物を知らずに戦ってきた君のその顔。たまらないね」
「……もういい。あなたには必ず罰を受けてもらうから」
「ボクが罰を受ける? 受けるのは君の方だよ、ツキシロ・ユリナ!」
動けないユリナにユウはさらにゴム弾を撃ち込む。小さく悲鳴を上げるユリナ。もう黙って見ていられる状況ではなくなっていた。
何か、何かないのか。あの人を討ち破ることができる武器、弾薬は……。
散弾銃も狙撃銃も弾切れ。手榴弾もない。そもそも使える弾薬がほぼ残っていない。残っているのは拳銃用の九ミリパラベラム弾と…………あ、そうだ。
ユイは思い出した。AS特殊弾のことを。
地下トンネルで変異セレクターを爆炎に包んだ、あの特殊な弾薬。確かあの時使ったのは赤い弾薬で、まだ青色のほうが残っていたはずだ。
ユイは急いで鞄の中身を確認する。前のポケット、後ろのポケット、あった。青く塗装された拳銃用の弾薬。これをマガジンに装填すればすぐに撃てるようになるはずだ。
幸い、ユウはユリナに夢中でこちらの動きには気付いていないみたいだ。
空のマガジンを取り出し、青のAS特殊弾を込める。よし、入った。
青のAS特殊弾がどれほどの威力なのかは分からないけれど、赤の方と同等以上ならばユウにとっても大きな打撃になるはず。
後はユリナに渡すことができれば。
このまま投げて渡してもユウに撃ち落とされたり、撃つ前にユリナが撃たれたりしてしまう可能性がある。
だから、渡すとすればユウがリロードをする時。つまり弾切れになったタイミングを狙う。
それまでユリナが撃たれ続けてしまうのは心が張り裂けそうになるけれど、これしかない。
そのユリナはというと、何とか立ち上がってまた弾を避け続けていた。
そんなユリナを狙って楽しそうに銃撃を続けるユウ。
でもそんな時間は長くは続かない。ユウの拳銃はユリナと同じ九ミリ拳銃に見える。だとすると、装弾数は最大でも一〇発だからそろそろ弾切れのはずだ。
そしてその予想が正しいことが証明される。
ユリナの足を狙ってユウが再び引き金を引いた。そしてその瞬間、ユウの拳銃がホールドオープンを起こす。弾倉の弾を全て撃ち尽くした印だ。
今だ。
「ユリナ!」
ユリナに呼びかけ、マガジンを投げる。
ユイの意図を察したユリナがマガジンを受け取り、拳銃に装填する。
そしてユウの方も何が起きようとしているのか察したみたいだ。血相を変えて大急ぎでマガジンを取り替えようとする。
だが、間に合うはずもない。
ユウがリロードを終える前にユリナはユウの足元を狙ってAS特殊弾を放っていた。
空気を切り裂き、真っすぐに飛んでいく青い光。
そしてそれはすぐに歪曲領域によって地面と衝突する。
その瞬間、周囲が青い稲妻で包まれた。
目を開けているのが難しいほどの眩い稲妻。
雷が夜空に走った時のように、いくつもの稲妻の線が辺りに伸びる。
そしてその幾本かがユウを貫いた。これはいくら歪曲領域があってもどうしようもない。
ユウが悲鳴とともに座り込む。
そしてその腰に巻いた機械のランプが消えたのが見えた。
勝機が見えた。
これでユリナの弾も普通に当たるはず。反重力シューズみたいな特殊な移動手段を持っていないユウが銃弾を避けるのは至難の業だろう。
ユリナの方を見ると、ユリナと目が合った。
そしてお互いに微笑み合う。
やった、二人で倒したんだ。最後の脅威、最後のセレクターを。
そう思い込んでいたユイは自分が隙を見せていることに全く気が付かなかった。
突然背後に人の気配を感じたかと思うと、次の瞬間には首に腕を回され、銃を突きつけられていた。
「小賢しいよ、君たちは。本当に。まさかAS特殊弾を二つも持っているとはね……」
ユウだった。たった今稲妻を受けて座り込んだはずの。
「あなた……どうやって」
ユリナが目を丸くしている。それもそのはずだ。あんな稲妻を受けてどうしてこの人はすぐ動けたんだろう。
「ボクの歪曲領域を甘く見てもらっては困るね。銃弾を逸らすだけが能じゃないのさ。稲妻が強すぎて壊れてしまったが……、まあいい。ツキシロ・ユリナ。コヒナタ・ユイの命が惜しかったら銃を捨てるんだ」
「へぇ、そんなことまでしてあたしたちを殺したいんだ?」
「口答えは結構。早く銃を捨てるんだ」
言われたユリナが銃を捨てようとしているのを見て、ユイは叫んだ。
「ユリナ! 捨てちゃダメだよ。そうしたら本当に勝機がなくなっちゃう」
「君は黙っててくれるかい」
首に回された腕の力が強くなった。呼吸が苦しくなる。
でも抵抗をやめるつもりは毛頭なかった。やめたら間違いなく二人共好きなだけ痛めつけられて殺される。
そうしたら何もかも終わりだ。
諦めるわけにはいかなかった。
しかし、力の差は如何ともし難い。いくら暴れたところでびくともしなかった。暴れる度に腕の力が強くなっていく。
「大人しくしてくれないか。どうせ君には何もできないさ。非力で無力な君にはね」
非力で無力。それは正しい。わたしには人の傷の手当てをすることくらいしかできない。ユリナやスドウさんみたいにセレクターと戦うことはできない。今のこの状況は、わたしにはどうすることもできないんだ。
いや、待って。大事なことを見落としている。この人はセレクターじゃない。セレクターじゃないんだ。最後のセレクターを名乗ってはいるけれど、生身の人間じゃないか。わたしの記憶が確かなら、こういう時にこそ使えるものがあったはずだ。
ユウに気付かれないようにこっそりと鞄の中を探る。そしてそれの感触を見つけた。間違いない、これだ。
「ぐわあっ!」
大きな悲鳴と共にユウの腕がユイから離れ、ユウが倒れ込む。
拘束を解かれたユイの手には、電気スパークを用いた護身用品が握られていた。そう、スタンガンだ。
ずっと鞄の中に入れていたのを思い出した。しばらく使っていなかったけど、ちゃんと動作してくれたらしい。
横たわり、スタンガンを当てられた腰の部分を押さえて悶えるユウ。
百万ボルト以上のスパークを当てられたのだ。しばらくの間は動けないはず。
これで、この戦いの主導権は今度こそわたしたちに移った。この後どうするかは、ユリナが決める。
ゆっくりとこちらに近付いてきたユリナはユウの目の前に立った。
徐に、ユウの頭に銃口を向ける。
そこで引き金を引けば、全てが終わる。わたしたちは元の世界に帰れる。この世界の人たちは救われるんだ。
でもユリナはそうしなかった。
しばらく逡巡した後、銃を下ろしたのだ。
「どう、したんだ。ボクを、殺さないの、かい?」
ユウは苦しそうで、息も切れ切れな様子だった。
そんなユウを見て、ユリナは諭すように語り出した。
「……あなたはムカつく奴だけど、殺したくはない。
あなたは大罪を犯した。この国全土を巻き込んで、数え切れないほど多くの人を殺した。皆の権利を踏みにじった。そして、あたしの大切な人を殺した。
でも、ここで殺したらあなたは何もできなくなるの。死んだら何もかも終わりなんだよ。
犯した罪は消えない。でもそれを贖うことはできる。
それが、罪を犯した人間の責任であって、義務だと思う。
殺しちゃったら、その機会すらも奪うことになる。そんなことは……あたしにはできない」
その時ユイはユリナと出会った時の感覚を思い出した。
すっと、言葉が胸の内に入ってくる。今まで考えもしなかったことに気付かされる感覚。そんな考えもあるんだと、はっとさせられるような、そんな感覚だ。
そしてその感覚はユウをも支配しているのが、表情から読み取れた。
ユウは驚いたように目を見開き、息を吐いて目を閉じ、軽く首を横に振って、口を開いた。
「ボクは今、心から感心したよ。まだこの国に君のような考えを持っている人間がいたとはね。
だが……、現実はそう甘くないんだ、ユリナ君。綺麗事だけではこの世は上手く回らない。時には非情で慈悲のない決断をしなければならないこともある。例えば、こんな風にね」
ユウは手に持った銃を自らの側頭部に当てた。
「ちょっと! 何やってんの!?」
「ボクが死んでもボクの思想は消えない。ボクの思想を受け継いだ幾人かがこの国を導いていくのさ。それまで、しばしの間お別れだ」
それがユウの最期の言葉だった。
月を見ていた。二人、並んで。あの大きな大きな蒼い月を。
星を見ていた。頭上に広がる満天の星々。その硝子細工のような輝きを。
いつまでこうしていられるだろう、とユイは思った。
右、左。辺りを見回してみるが、何かが起きる様子はない。
もう最後のセレクターは倒したというのに、何も変わったことは起きなかった。
でも、それでいい。むしろずっとそうであってほしい。つい、見とれてしまうようなこの景色を、世界で一番大切な人と眺めている。そんな素敵な時間が終わってほしくなかった。これ以上、何も起きて欲しくなかった。このまま最後まで、ユリナとこの世界にいたかった。
「綺麗……。こんなに綺麗な夜空、初めて見たかも」
隣に座るユリナがそう呟く。
「わたしも、こんなに綺麗な夜空、初めて見た」
「ユイも、なんだ」
「そうだよ?」
「ふふっ、一緒だね」
わたしとユリナは今同じ気持ちだ。感動を二人で共有している。お互いがお互いの気持ちに共感し合っている。
こんなに嬉しいことはない。
しかし運命は残酷にその時が来たことを告げる。
「全てのセレクターの破壊を確認しました。現時刻をもって環境テストを終了します。三〇〇秒後に全生存者の接続を解除します」
どこからともなく聞こえてきた極めて機械的な音声が確かにそう告げた。
「あーあ、結局来ちゃうのか。この時が」
半ば諦観したかのようにユリナがそう言う。それを聞いたユイの心は大きく波立った。急激に荒れ狂い始める感情。心の中で行き場を失ったそれは、やがて目から零れ落ち始めた。
ぼやけた視界でも、動揺するユリナの顔は確かに見ることができた。
「ユイ……」
そしてわたしは、感情の赴くままに、告白した。
「わたし……嫌だよ。元の世界に帰りたくない。この世界での記憶を消されたくない。ユリナのことを忘れたくない! だって……、だって、ユリナはわたしの生きる理由だから! ユリナはわたしの、この世界で一番大好きな人だから!」
ほんの須臾の間だけ、後悔した。でもそれはすぐに消えてなくなった。
例えこれが、普通じゃない気持ちだったとしても、ユリナに対するこの恋心が、受け入れられないようなものだったとしても、最後くらい、自分の正直な気持ちを伝えたいと思った。これでユリナに嫌われてしまったとしても、悔いはない。
一瞬だけ、ユリナはいたたまれないような表情を見せた。そして次の瞬間には、その顔はユイの目の前にあった。
ユイの唇に温かでやわらかい感触があった。何が起きたのか、理解するまで少し時間がかかった。やがて、生まれてはじめての感覚がユイの中に広がり始めて、ユイは全てを理解した。
ああ、そうか。わたしの恋、叶ったんだ。
ユイの中に広がっている感覚は、驚きとか恥ずかしさとか、嬉しさとか心地よさとか、そういった言葉では表現できないものだった。
ただ、ずっとユリナとこうしていたい。その思いだけははっきりとしていた。
そしてユリナも同じことを思っている。間違いなくそうだ。
だってわたしたちは、通じ合っているからだ。
「残り三〇秒で、全被験者の接続を解除します」
再び機械音声が流れ、この世界の終焉が迫っていることを知らせる。
「いよいよかな……」
「……………………」
せっかくユリナと結ばれても、その記憶すらなくなってしまう。結局最初から何もなかったことになってしまう。
元の世界に戻ったら、わたしはユリナと出会っていないし、ユリナと一緒に過ごしていないし、ユリナのことをこんなにも好きになったことがない、そんな人間になる。
それは本当にわたし、コヒナタ・ユイなんだろうか。
「残り二〇秒」
時間が差し迫っていた。いよいよ本当に何もかも消える。
「ユイ」
ユリナにそう呼ばれた。ユリナの方を見た。目が合った。
「元の世界に帰って、記憶が全部なくなったとしても、あたしたちはまた会える。絶対会えるよ。会えたら、またあたしはユイのことを好きになると思う。ユイもそうだと思うんだよね。
だから……最後くらい笑顔でいようよ? ユイ」
「残り十秒」
「……わかった。そうだよね」
そう言ってユイは心からの笑顔を見せる。
ユリナもまた、とびきりの笑顔だった。
「五、四、三、二、一」
機械音声がそう告げた、次の瞬間にはこの世界の全ての人間が消えていた。
世界には廃墟と月と星だけが残った。
そうして世界は終わりを迎えたのだ。
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