第40話 神子殺し

 ミハイルの屋敷から撤収した神子は、ナチス・ドイツの宣戦布告がもうすぐである事態を予言できなかったことに凄まじい衝撃を受けていた。

――何故、出来なかったのか。

疑義と恐怖の目で誰もが神子を見る。

東條英機は、元来、疑義の目で神子を見ていた人間であった。特に、神子の秘密の一つを知っていた彼は、理性を巡らせて、もう今後は断じて予言なぞ当てにしてはならぬとまで考えていた。

「……何でじゃ……どうしてじゃ……この妾がどうして……この世界の歴史が、まさか変わり始めたとでも言うのかえ……!?」

錯乱しているのか、神子は震えながら『どうして』ばかり言っている。

「神子様、お言葉ですが、何を仰っているのでしょうか?」東條英機は淡々と、「それより、ヒトラーより神子様に映像通信でお話しがあると申しておりますが、如何致しましょうか」

「……出る……出て、問い詰めてやるぞえ……! 天皇も直ちに呼ぶのじゃ! 貴様も見ておれ!」

はっ、と東條英機はその通りにしたが、内心では激怒していた。今上陛下を呼び捨てにするとは!私のただ一人の主君は断じて貴様ではない、神子!今上陛下ただ御一人である!

 神子の部屋に設置された巨大なブラウン管や映像通信機器が動き始めて、その向こうにアドルフ・ヒトラーとその傍らに追従する通訳を映す。

「!」東條英機は驚いた。何故ならその通訳が、綾長季太郎であったからである。

『ヤア神子。 いや、僕の同類。 今はやっぱり梅枝穣司の体にいるのかい。 目ン玉一つ抉られて、ご愁傷様だね、アハハハハハ!』

最初から、彼は快活に、だが徹底的に神子を嘲った。

「貴様……貴様はまさか!」神子がハッキリと引きつった顔をする。

『そうさ、「リング・リインカーネイション・ロジック」……貴様と僕は同じ「異世界転生者リング・リインカーネイショナー」だよ。 もっとも最初から歴史改変を目的に勝手に異世界転生した貴様とは違って、僕は貴様の尻拭いのために正式に送り込まれたのだけれどね』

「黙れや! 妾は正しい事をしたのじゃぞ! 大日本帝国が敗北した世界からこの世界の過去へ異世界転生し、代宮家の女の体を乗っ取って……この国を第二次世界大戦において勝利せしめたのじゃ! 何が悪い!」

『その結果、貴様や僕が生まれた世界で人類が滅亡したとしても?』

「なっ……!?」

『貴様は確かに大日本帝国を勝利せしめた、だが、それは独逸第三帝国との第三次世界大戦の始まりに過ぎなかった。 「リング・リンカーネイション・ロジック」は――平行する世界同士が互いに干渉し合いながらも存続していく、言わば鏡写しの世界が二つ存在するのが大前提の理だ。 貴様が歴史を変えてしまった所為で向こうの世界では何が起きたと思う? 第二次世界大戦の勝利者、米国とソ連が第二次世界大戦後に凄まじい核戦争をおっ始めたのさ! ……そして人類と人類文明は呆気なく滅亡した。 僕は人類滅亡の寸前にこの世界に送り込まれたのだよ』

「そんな……妾は……ただ……ピカドンが落とされたあの日……絶対にこの歴史を変えてみせると……!」

『そんな個人のちっぽけな欲望一つで異世界転生したのかい? とことん莫迦で我が儘で愚図だねえ。 さて、』ここで青年はアドルフ・ヒトラーに奏上した。『「精神寄生体リインカーネイショナー」である神子を殺す準備は完了致しました――どうぞ下知を』

アドルフ・ヒトラーは満足げな顔をして肯いた。綾長季太郎は素晴らしい音楽を聴いたような顔をし、手元のスイッチを押した。

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