第39話 ナチス・ドイツ対大日本帝国
欧州戦線がまだ終了していないのに、独逸第三帝国から大日本帝国への宣戦布告が秒読みである。
その驚くべき情報は瞬く間に世界中を巻き込んだ。
それは最高速度でワシントンDCから東京に戻ってきた一同をも揺るがす。
「どうしてだ?……まだ独逸第三帝国は欧州を完全に掌握している訳じゃあ無いだろうに」
グェンが密輸船へ情報提供にやって来た『ロロ』に訊ねた。
ロレンツォ・ジェンティローニは、「それが……」と暗鬱な顔をして話し出した。この巻き毛の青年はミハイルの集めた変人奇人の一人で、基本的に欧州に放たれている、スパイであった。お洒落好きの見た目や陽気な言動、仕事よりも女とワイン好きの癖――どう見ても典型的なイタリア人の青年だが、この若さで名だたるイタリアン・マフィアのドンをやっていた。特技は、暗殺である。
元々、グェンとの美術品取引の関係でミハイルとも知り合いになった。だがミハイルの持つ莫大なロマノフの財産を我が物にしようと暗殺を企んだために、お冬夫人に抉られかけて、助命と引き換えに情報屋になる事を誓い――今に至る。もっとも、今でもお冬夫人からはロロちゃんと殺意たっぷりに呼ばれていた。
「この情報を、『神子』が予知できなかったんだ」
「……何だと!?」クリフが驚いた。「あの『神子』がどうして、」
「分からない。 だから今、日本の上層部は蜂の巣をつついたより酷い騒ぎだ。 ただ、これのおかげで、ミハイルの屋敷はもう自由に誰でも出入りできるよ」
「……ねえ、ロロ」アイリーンがうつむいていたが、顔をとうとう上げて言った。「もしかして、ナチス・ドイツに変な……若い日本人の学者が協力していない?」
ロロの唇が一瞬、ほんのわずかに震えた。
「どうして……それを?」
「その日本人の男はノッポで、細い体で、眼鏡で、そしてどんな要望であろうと凄まじい科学力で必ず叶えてしまう。 名前はキタロー。 当たっているでしょう?」
「……あの日本人、君の知り合いだったのか。 そうだよ、あの日本人学者は悪魔だ。 ナチス・ドイツに忠誠を誓う鋼鉄の兵士を造ったり、凄まじい新兵器を幾つも武装させている。 ……でも、最も恐ろしいのは、あのアドルフ・ヒトラーを不老不死にした事なんだよ」
「「不老不死!?」」誰もが思わず叫んだ。
「ああ。 あの日本人学者を排除しようとしたクーデターがあったんだ。 『砂漠の狐』ロンメル元帥の友達が、あまりにも非道い人体実験を行うあの学者とアドルフ・ヒトラーを排除しようと決起したんだ」
「……大失敗に終わったのね」アイリーンは目を閉じた。
「ロンメル元帥も余波を受けた。 あの『砂漠の狐』が、自宅に幽閉されてしまったよ。 でも、この暗殺は、成功しているはずだったんだ」
「どう言う……事だ?」グェンがぎょっとする。
「事実、暗殺者達はヒトラーを機関銃で蜂の巣にした……民衆の前で演説をしている所を狙ったんだ……この目で僕もヒトラーが撃たれた現場を見たんだよ……」
「「!!?」」
「でも、ヒトラーは起き上がった。 銃創があっと言う間に治っていった。 それから、何て言ったと思う? 『私は真のアーリア人である。 不老不死の純粋アーリア人である。 貴様らごときに殺す事は出来ない。 我らが偉大なる独逸第三帝国は世界を永久に支配する!』」
「……キタロー……ついに、禁忌を、やったな」クリフがぐう、と呻いた。
「……そう、か」
事情を全て聞いたミハイルは、それだけ言うと、縁側に腰掛けて黙って煙管を吸った。瞑目し、じっと思索にふけっている。お冬夫人は彼に寄り添うように正座していた。緩やかな風が煙管の煙を揺るがしていく。一時間以上そうしていただろうか、ミハイルがおもむろに目を開けた。彼の目にはまだ庭の隅っこで土下座している綾長季太郎の姿が浮かんでいた。結局、俺が見たのは最後まで土下座虫だったなア。ミハイルは息をするのが苦しいくらいの切なさに襲われた。俺が息苦しいんだ、多聞丸は窒息死するぜ。ただただ、ミハイルも季太郎への感情を持て余している。それでも彼は動かなければならなかったので、覚悟を決めようとしていた。
その時、玄関を乱暴に叩く音、そして無理矢理にこじ開けてダッと駆け上がってくる靴音が聞こえた。
「ミハイル、ミハイルはどこだ! 大変だ、大変なのだ!」
若宮様だった。靴も脱がずにミハイルに近寄ってきた。その背後には、何と東條英機がいる。
「……若宮様、俺ア、もう人生でこれ以上無く大変だぜ」
だが彼はその言葉の甘さを痛感することになる。東條英機が重々しく口を開いた。
「先刻、『神子』が殺されて、ついに死んだのであります」
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