第37話 ナチス・ドイツへ

 アメリカ合衆国は辛うじて独逸第三帝国に降伏していなかったが、もはやそれも時間の問題であった。ノルマンディー上陸作戦は大失敗に終わり、欧州戦線は完全に独逸第三帝国の勝利に終わろうとしている。間もなく独逸第三帝国もアメリカ合衆国の領土分割問題に参入するであろう。

ここで大日本帝国の思惑やその他の思案が絡んでくる。アメリカ合衆国を余す所なく帝国領土にしたい大日本帝国にとっては、独逸第三帝国がアメリカ合衆国の領土割譲に口を挟んでくるのは、可能な限り、避けたい事態であったのだ。そしてこれはアメリカ合衆国に数多く亡命していたユダヤ人の意思とも合致する。大日本帝国は少なくともユダヤ人を強制収容所に放り込まない。むしろ領土内に集団亡命を受け入れた例も一度や二度では無かった。統治軍が今は多少の横暴をやっているものの、流石に殺人まではやっていない。だとしたら、とユダヤ人も動き出す。

当然ながら、その様々な思惑に対抗し、あるいは利用するために独逸第三帝国は数多のスパイをアメリカ本土に放ち、ついに統治軍の中にも食い込もうとしていた。

 スパイ・Sもその一人であった。Sは女であった。アメリカ人のふりをして、統治軍の将校の現地妻の地位に就こうとしていた。

Sがその日、将校との朝までのデートを終えて自宅に戻ってきた時、異変を察知した。紅茶の強い香りがしたのである。

咄嗟に彼女は拳銃をいつでも撃てる状態で構えつつ、自宅に入った。

リビングに侵入者がいた。日本人の若い男である。のんびりと椅子に座ってティーカップから紅茶を飲んでいた。彼女をみとめるなり、

「ヤア、ナチス・ドイツのお綺麗なスパイさん。 僕は総統閣下にお目にかかりたいんです」

完璧なドイツ語でそう言った。

「貴様は誰だ、目的は?」

銃口を向けられているというのに、青年は怯えるどころか愉しそうに、

「僕は綾長季太郎と言います、『神子』を殺せるたった一人の人間ですよ。 あなた方はアメリカが欲しい、僕は神子を殺したいし殺せる、とすれば僕らの利害はほとんど一致するんじゃありませんか?」

「『神子』を殺す……」

確かに天皇よりも絶対的な権力を持つ『神子』を殺せば、大日本帝国も大混乱に陥るであろう。その隙ならば独逸第三帝国がアメリカ合衆国の領土を根こそぎに分捕る事も不可能では無くなってくる。

しかし、ここでSの頭に様々な疑問が浮かんだ。最初の疑問を口にする。

「どうして……私をスパイだと知った?」

「アア、それですか。 簡単ですよ、元より独逸第三帝国からアメリカにもスパイは大勢放たれているだろうとは分かっていました。 貴方の家の前を通りがかった時、コーヒー党のアメリカなのにコーヒーではなく紅茶の匂いがしたので、変に思ってちょっと中を見てみたんです。 そうしたら、ほら」

青年はゴトリとライフル銃を机の上に無造作に置いた。

「独逸製のライフルがあった、と言う訳ですよ」

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