第30話 桜を植える
「これは何なの……!?」と真っ先に言ったのはアイリーンだった。「このコンクリートに焼き付いた影は、まさか……」
「ソイツは幸運なヤツだ」ケイが無感情に答えた。「一瞬で体が蒸発して死ねたんだからな」
「……そう、なの」アイリーンは震えだした。だが唇を噛みしめて、「――逃げないで、アイリーン!」
「……グェンさん、工場や治療施設の方はどうなっていますか」
荷台の中に隠れている季太郎がグェンに囁いた。彼は密入国しているので、表立って行動できないのである。
「川沿いに土地を確保してある。 建物は言われたように作らせたが、中に搬入するナノマシン量産機の製造がまだだ。 アイリーンやクリフの力が必要だからな」
「……行こうぜ。 嘆いても悲しんでも、誰も生き返りゃしねえからな」そう言って、クリフが荷台を再び押し始めた。
「これが貴様のやったことだ」ケイは荷台の乗った手車を引きながら言った。「これが全部、貴様のやったことだ」
「はい」季太郎は肯いた。彼の目は焼かれて溶けて廃墟になった街と、バラックに住むアメリカの人々と、戦争が終わっても決して癒えぬ傷をしっかりと見ていた。「これが僕のやったことです」
あの施設は日本人が作らせた、人体実験を行う研究所だ。絶対に子供を近づけるな。
米国で季太郎を待っていたのは、迫害ですらなく、忌避であった。
グェンが手を回していた有力者達は、己や関係者が全員ナノマシンの投薬を受けると、くるりと手の平を返して、冷遇した。
その全ての動機は、季太郎が日本人だからであった。
季太郎もすぐに日本人の成金富豪達がアメリカ人の女を現地妻にしているという話や、大日本帝国臨時米国統治軍がいかにアメリカで好き放題をやっているかという話を耳にする。
そして無条件降伏したとはいえど、
「完璧に俺が悪い、見込みが間違っていたんだ……。 こうなったら街角で宣伝活動でもさせよう」
と四角い机を囲んで考えている中で、グェンが嘆いたのに、小馬鹿にするようにケイが言ってのける。
「で、誰かを捕まえて、季太郎は日本人だが安全だと半額セールでもするつもりか?」
「……。 いっそ石礫を投げられた方が手の施しようがあったな。 『日本人』を怯えて嫌っている相手に何をしたら安心させられるんだ?」想定外の事態に、クリフが呻く。
「こうしている間にも人は死んでいくのに、どうしたら……!」
アイリーンも思案に余って、指で机を叩いている。
ナノマシン量産機も、人員も完璧に揃っているのに、肝心の患者が誰も来ないのだ。
「……。 少し、外の空気を吸ってきます」
季太郎はふらりと出て行った。ケイがまだ嘲った顔のまま、その後を付いていく。
「とにかくもう一度、俺が声を掛けてみよう、それからだ」とグェンが椅子から立った。
季太郎はポトマック川の川岸まで、恐怖と嫌悪の眼差しに晒されて歩いて行く。日本人だ、日本人だぞ。アメリカの大都市を片端から何度も空襲で焼き払い、あまつさえ原爆を二発も落とした日本人だぞ。
だが彼はまだ諦めてなどいなかった。何しろ季太郎は一度頑固になると、実際、死ぬまで頑固である。
季太郎は川岸の土を掘り起こし始めた。何だ?周囲のバラックに住んでいるアメリカ人の目に疑問と好奇心が宿る。
季太郎はある程度穴を掘ると、どこからかそっと小さな苗木を取り出して、植えた。そして川から水を運んで、植えたばかりの苗木にやった。しばらくその苗木を見つめていたが、ウン、と一度だけ頷く。
「……何をやっているんだ?」
ケイが疑問をついに口に出した。
「桜の植樹です。 桜は元来弱い木ですけれども、新しい土地でもすぐに根付いていけるように、少し品種を改良したものを持ってきました」
「桜――アッ」ケイが一瞬、息を呑んだ。思い出したのだ、
「日露戦争の後、日本に好意的な立場を取って下さったのを感謝し、
「……桜でアメリカ人のご機嫌取りか」
「いいえ。 平和の未来の夢のためです」
「貴様なんかが平和の夢を語るのか? 未来の理想を言うのか?」
「夢も理想も思えぬ人間に未来を担える訳がありません」
季太郎は穏やかに、だが恐ろしいくらい断固としていた。ケイが黙ってしまうほどに。
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