第29話 ダビデになれなかった道化

 俺は神の加護なきダビデだった。

穣司はそれをようやく悟った。

俺は神に愛されなかった無能なダビデなのだ。他人の女バテシバを奪ったつもりで有頂天になっていたら、実際は何も得られていなかった。才能も、幸運も、あるべき地位も何もかもアイツに奪われたままの、王ですら無いダビデだったのだ。否、だったのだ。

寝台の上に横たわる彼女の肢体を見つめて、彼はまだダビデの一言と強い酒に打ちのめされたままであったが、これからどうするかの予定は決めていた。

まずは、この死体を捨てよう。それから『神子』様に直訴するなり告げ口するなりして、あの男だけは絶対に殺してやる。

だが、とそこで彼は決行をためらった。彼の心には衝動的に殺した女への愛が熾火オキビのようにまだ残っていた。寝台の上の女、彼に縊り殺された哀れな女に近付いて、乱れた髪に手を伸べて整えてやる。今や、アイツをもう一度殺したところで、どうなると言うのだ?何が変化するというのだ?俺の人生はどうなる?またアイツが生き返ったらどうしたら良いのだ?この女は俺のやったことを知ってしまった。もしも夢にこの女まで加わったら、俺はもう一秒たりとも生きてはいけない。あの悲しい目にはこれ以上は耐えられない。

であるならば、いっそここで、一度は愛したこの女と心中するのも悪くない、と彼は思い浮かべた。そうだ、俺はこの女に愛されなくても、確かにこの女を愛していた。俺にとっては、共に死ぬに値する、たった一人の女。その瞬間に彼の心は女への愛情と未練に埋め尽くされた。俺に縊り殺されるとき、あんなに苦しそうだった、不憫なことをした。……ならば、この情愛に任せて、いつまでも俺がこの女を愛し続けてやるのが、せめてもの手向けだろう。

 彼はゆっくりとホテルの部屋を見渡す。丁度、ベランダに出る窓のカーテンレールが頑丈に出来ているようで、彼はそこにカーテンを縛っていたロープを通すことにした。異国の夜風が優しく吹いていく。所々に灯っている街の灯りが、ハワイが観光地として徐々に甦ってきているのを示していた。

だが俺は死ぬ。俺は俺をお終いにするのだ。

穣司は足台代わりに椅子を持ってきて、その上に乗ってロープをしっかりと輪の形に縛る。そうすると、不思議な充実感と満足感が穣司を包んだ。これで、あの夢は見なくて済むだろう。ようやく、俺とこの女の歪だった愛は永遠の愛になるのだ。そこで彼はハッとした。しまった、心中するというのに、お互いの小指を糸で結んでいない。彼はそれで椅子を降りて、女の荷物から裁縫用具を引っ張り出し、糸を長く取ってお互いの左手の小指にちゃんと結わえた。この儀式により、穣司の中で決心と愛情がいっそう固まった。

もう、いい。

穣司は輪に首を通して、目を閉じた。深呼吸をして、足下の椅子を蹴飛ばす――。


 「だが残念、丁度良くお前には使用価値があった」

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