第28話 追い詰められて 下
上からはどやしつけられて下からは影で嘲られる。
穣司にとっては蛇の生殺しに遭っているような日々が続いていた。
だが、現在、彼を最も痛めつけているのは上下からの摩耗では無かった。
あの男が死刑にされたはずの日から、穣司は毎夜のように同じ夢を見る。あの男が前に立っていて、黙って、ただ酷く悲しい目でジッと穣司を見つめている。何日経とうと、夢の内容は全く変わらない。穣司の酒量は激増し、時には薬にさえ手を出したが、眠ると必ず、ただただ、恨み言一つ言わぬ、悲しい目が黒縁眼鏡の向こうから穣司を見つめて離さないのである。
穣司は格式高い神社にも行ったし、家族の伝手で高名な寺にも行った。だがその夢だけは彼がどこに行こうと何をしようと、追いかけてきた。あの男の目が恨みや怒りで満ちあふれていた方が、まだ穣司にはどれほど気楽であっただろう。しかしそこにあるのは深く透明な悲しみだけで、しかもそれを引き起こした原因は紛れもなく穣司張本人なのである。
僕は君を……誰よりも信じていたのだよ。
ついに穣司は家族からの心配により、転地療養を強要された。しばらく、ハワイの砂浜で気分を変えてくるよう、愛人と一緒に行かされたのである。愛人と言っても、没落した名家の育ちも確かな子女であることが身辺調査で分かっていたので、殊更に穣司はこの女にぞっこんであった。
ハワイは青空に白い砂浜が美しく、空気までスッキリとしていて、一瞬は穣司も確かにこの美しい海辺でならあの亡霊を忘れられるかも知れぬと期待した。
しかし愛人――かつての美しいあの女給と腕組みをして港を散策していると、彼らは仰天した。
「ケイさん、痛いです、ワア痛いです! 荷物が落ちてしまいますから、今だけは!」
「黙れ!」
美青年に蹴られ、殴られながら、復員船と思しき船に荷物をセッセと運び込む、あの男がいたのである。
「大体何でこんな大荷物を貴様は買い込んできたんだ!」
「その、船にあった薬や衛生用品では、とても足りませんでしたから、こっそりホノルルの闇市で、」
「この偽善者が! 僕は貴様が大嫌いだ!」
「ワア痛い! 痛い! 殴らないで下さい、お願いします!」
穣司は咄嗟に駆け寄ろうと思った。駆け寄って、その男が亡霊で無いかどうか確かめようと思った。だが、隣にいた愛人が真っ青な顔をしてギュッと穣司の腕を掴み、彼の目を怯えた目で見つめ、こう言った――。
「貴方、ダビデだったのね」
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