第19話 アイリーン

 「私ね、ずっと奇妙に思っていたのよ。 私は何で立って小用を足しているんだろうって」

アイリーンはぽつぽつと話し出す。

「何で髪の毛を伸ばしたらいけないのか、何でペニスが付いているのか、何でお化粧したら気味悪がられなきゃいけないのかって。 学校の成績は一等だったから親は私を大学院まで行かせてくれたし、それは本当に感謝しているのよ。 でも、親でさえ私を理解してはくれなかった。 ううん、理解なんて大それたことじゃないわ、『まあいいか』って緩めに受け入れてもくれなかった。 でも、確かにそれが当たり前なのよね。 男がワンピースを着たがったり、お化粧したがったり、ロングヘアにしたがったり、確かにそれは気持ち悪いことなのよ。 ましてや男が男に恋をするなんて、絶対にでは許されることじゃなかった……。 でもね、本当に好きだったのよ。 誰よりも愛していたと言い切れるわ。 あの腕に抱きしめられて『愛している』って囁かれたら、殺されたって何も後悔しなかった。 ――だけれど、現実ってホント甘くないのよねえ。 強制収容所に危うく放り込まれて解剖される所だったわ。 ああ、強制収容所ってね、ユダヤ人ばかりが入れられる所じゃないの。 あのチョビ髭が『イレギュラー』『不要』と見なした人間全てが入れられて、そして二度と生きては出てこられない……。 私みたいな女装癖の同性愛者や、障害者の赤ん坊だってね、殺処分する。 この大日本帝国は天皇崇拝を強要するけれど、それは表向きだけ従っていれば良いじゃない? 何も心底から崇拝する必要は無いって、大体みんな分かっている。 御真影を飾るのだって私にしてみれば魔除けの像の設置のようなものよ。 ……ああ、貴方は心底から崇拝している人だったわね、ごめんなさい。 この世界に楽園なんてどこにもないことは誰よりも分かっているつもり。 それでもナチス・ドイツに比べたら大日本帝国の方が遙かにマシよ。 天皇バンザイって口だけで言っていれば、私みたいな人間でもこっそりと生きることが許されているから。 ……本当はね、馬鹿みたいって笑うでしょうけれど、ちゃんと女に生まれてから、コンピューター関係の研究者になりたかった。 だってプログラムに性別なんて無いでしょ? 男か女かのどちらかでなければならないなんて、言わないでしょ? ……私は何で男に生まれたんだろうって物心付いてからずうっと悩んで傷ついて苦しんでいても、コンピューターは全て0か1かにあっさりと換算してしまうから。 ――ア、やだ、ごめんなさいね、長くなっちゃった!」

「まずは女性ホルモン剤等の投与です」季太郎はウンウンと頷きながら真摯に聞いていたが、アイリーンが落ち着いた所で言い出した。「体だけ女性にいきなり作り替えても、男性と女性では体内物質も少し異なりますから、体と心のバランスが取れずに辛くなるでしょう。 最短で数ヶ月はかかります。 しばらく精神的に不安定な時期が続きますが――お覚悟はありますね」

意思の確認を取られたが、アイリーンは微笑んで、

「勿論。 想像しうる限りに辛いだろうけれど、希望もあるのよ。 あの超うるさいクリフやグェンを見ちゃったら、嫌でもね」

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