第8話 その答えは

 意識を取り戻したのは、真夜中だった。真っ暗な部屋で、しんとした静けさが彼を包んでいる。季太郎はぼやくように呟いた。

「僕の前世は猫いらずを食べたネズミだったに違いない……」

「……何故砒素ヒソと分かった?」

真っ暗な部屋の中から、あの美青年の詰問の声がした。季太郎はハハハと苦笑いして、

「奥方様が最初に重湯を持ってきて下さった時は、きっと宮様のお持ちもので、ロシア製なのでしょう、立派な銀の匙でした。 ですが貴方はどうしてか陶器の匙を使った。 ……砒素もきちんと精製してあれば銀は変色させませんから、貴方の心配は無用でしたよ」

「貴様に食わせたのは安物だ。 気付かれるに決まっている」美青年の手が暗闇から伸びて来て、季太郎の胸ぐらを力任せに掴んだ。「――どうして分かっていながら食った!?」

「一時的な感傷です。 僕にはどうもセンチメンタルの気があるようなのです。 親友に裏切られて特高に売られたのが、悲しくて、」

無抵抗のままの季太郎に、美青年は顔を近づけて怒鳴りつけた。

「貴様は嘘が下手だな――罪悪感に負けて自殺しただけだろうが!」

「……」返答は、重たく苦しい沈黙であった。

「才能は化物じみている癖に、変な所で死を厭わない。 狂人だ、貴様は」

美青年は不愉快げに言い捨てる。

「……否定は出来ません」

それっきり無言。二人とも長い間、何も言わなかった。夜がもっとも濃くなった後に、夜明けが近付いてきたのか、すうっとほの明るくなり始める。小鳥の鳴き声が遠いどこかで聞こえた。

「……『誰も寝てはならぬ』か」季太郎はまぶたを伏せた。「貴方のお名前を僕は知りません」

「ケイだ。 ケイ・ルイス・ノイエ。 天皇を殺そうとこの国に来て、ミハイルに拾われた」

「綾長季太郎と申します。 罪悪感に負けながら、何をどう償ったら良いかも分かっておらぬ、ただのA級戦犯です」

「……アメリカは決して自由の国では無かった。 差別まみれだった。 僕のような日系は特に。 それでも、それでも、どんな良い戦争より悪い平和の方が良かったんだ!」

「平和とは何なのでしょうか。 戦争をしていない状態なのでしょうか。 戦争とは何なのでしょうか。 平和ではない状態なのでしょうか……」

天才の彼にも分からなかった。何が最善か、正答なのか、全く、分からなかった。少なくとも彼が今まで信じてきたものは罪深い虚偽だった。背中には重すぎる十字架がある。その重みだけはしっかりと理解しているのに、何が答えなのか分からない。人類には平和など遠すぎるのかも知れないと彼はぼんやり思った。人類はそもそも争うために殺し合うために生まれてきた猿の延長線上なのだから。

それでもだった。彼には成すべき義務があった。その義務は誰彼から与えられたのではなく、彼自らが選んだ一つの結論だった。

「貴様の理想論などクソ食らえだ! 現実を見ろ! 貴様は人殺しだ!」

「はい、僕は人殺しです。 だからこそしなければならぬことがあります。 謝罪でもなく、弁償でもなく、今出来うる最大のことを」

「フン、その有様で何をすると言う!」

「体は動かなくても、頭は働きます。 ――放射線被曝による諸症状の治療手段を、ようやく形に出来ました」

「は……?」

「ナノマシンの直接投与です」

「ナノマシン……?」

「人体のどの細胞よりも小さい人工細胞です。 特定の状況下で発動し、細胞の修復や特定の細胞の代替活動、更に人体に必要な物質を発生させる、という性質を付与させます。 これを転用します。 被曝による諸症状を回復もしくは緩和させるための人工万能細胞にするのです。 僕の体が動くようになったら、すぐにでも原型を作成します」

「……」

「ただ、問題があります、研究設備と被験者です。 僕はもはやこの国には存在のない身、民間の研究所すら利用することは出来ません。 更に試作できた対被爆ナノマシンの成果を実際に試さずに実際に投与することもなりません。 被験者がどうしても必要なのです。 でも、僕は被爆していない……」

「そうか。 ……そうか!」

ケイの手が季太郎から離れた。

「化物じみた天才……いや、確実に貴様はだ!」

ぴしゃんと障子が閉められて、ケイの気配がみるみる遠ざかっていく。

季太郎はその気配が為すすべもなく分からなくなってから、ぽつりとまた呟いた。

「……氷のように冷たいのに、焼き焦がすものは……」

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