第7話 彼の罪状
「季太郎、綾長季太郎か」と名前を聞いてまたまた目を覚ます。汚れたはずの眼鏡や体は綺麗になっていて、季太郎は布団の中にいた。慌てて起き上がろうとしたり眼鏡を掛けようとしたが、体は動かず、仕方なく顔だけ声のする方に向けると、布団の隣で火鉢を囲む数人の人間がいた。顔までは分からないが、異国人もいるようである。と言うか、圧倒的に多言語の方が平然と飛び交っていた。幸い季太郎は語学も得意だったので、何を言っているかは分かる。
「大学を最初から最後まで
「長門の学術士官の時の
「米国を殺したあの『新型爆弾』の開発には加わっていないのに、皮肉にもコイツの提唱した新理論がそれの開発を成功へ導いた……これが事実なら……コイツはヒトラーよりも人殺しだ」
「でも、世界のエネルギー事情を逆転させた『無限発電炉』の原型を構築した張本人じゃねえか」
「それだけじゃない。 読め、これを。 宇宙科学や兵器工学に関する彼の知識の一断片だ」
「ゲッ! 『火星植民地化計画』『コンピューター発展理論』『戦後の主流兵器はミサイル搭載型駆逐艦・潜水艦』……全部SFのおとぎ話じゃなかったのか!?」
「一見落書きに見えるけれど、これは宇宙船の設計図よ。 おまけにナチス・ドイツ相手の宇宙船同士の戦争をも予期している。 ここをよく見て。 宇宙船……いいえ、宇宙戦艦専用の武装よ」
「大気圏を通過する大陸弾道ミサイル!? もう止めてくれ、オレの頭が付いていかない」
「宗教論……何だ、意外と文系なところもあるじゃないか。 ……ラテン語やギリシャ語を扱えないとこれは書けない……グノーシス主義やマニ教についても同時代資料を引用してとうとうと語っている」
「あら、これ素敵ね、美味しそう! ……。 将来地球で発生するであろう人口爆発に伴う食料対策案や、宇宙でも食べられる保存食の試作品だったわ。 ねえミハイル、コイツの頭の中には何があるの?」
「俺に聞くなよ。 丁度本人が起きたようだから、誰か重湯食わせてやってから聞け」
「ン? コイツの世話は、貴方が面白がってなされていただろう?」
「それがなあ、季太郎が俺を苦手らしい。 さっきも地べたで俺やお冬(フユ)相手に『無礼を働いた』って謝りまくって、挙げ句、土下座したまま気絶しやがったんだ」
「ブハッ」
「クスクス」
「ククククク」
「気の毒に。 フフフ、それでは僕が食事の介助をしてやろうじゃないか」
季太郎は学ラン姿の線の細い美青年に抱き起こされ、眼鏡を掛けて貰い、口元に湯気を立てる重湯の入った陶器の匙を近づけられた。
「ア……ありがとうございます」今は腕を持ち上げることすら難しかったので、素直にその匙から熱すぎず温すぎない重湯をいただく。胃袋にじんわりと染みわたるような米と海塩の味がした。まともな食事は、警察の独房にいた時から食べられなかった。体に力と安心が戻ってきて、思わず、ふう、と声が出た瞬間に消化器官が大きな音で鳴ったので、彼は赤面した。
「ハハ、気にせず全部食べたまえ」
そう言って美青年は二匙目を差し出した。恐縮しつつも季太郎は、今度こそ腹八分目まで食べた。
「綾長季太郎、と言ったな」彼が食べ終えたのを見計らって、美青年が季太郎の手帳を開いてめくりながら話しかけた。「年は数えの二十四、天涯孤独、特別高等警察に捕まるまでは帝国科学研究所に主任として在籍していた。 幾つか書いた論文やら日記やらを見せて貰ったが、君は化物のような天才だな。 あのY閣下が格別に贔屓にしたのも納得だ。 ――君の発想はこの時代の数十年、数百年は軽く先を行っている。 だが一つ疑問がある」
「何でしょうか?」
「君が何一つ特許を取っていないことだ」
美青年は切れ長の目でじっと季太郎を見据えた。
「それどころか君は理論や成果のほとんど全てを同僚や上司へ教え与えた。 何故そんな利他な真似をした? 君は偽善者なのか?」
「……」穏やかに季太郎は微笑んだ。「約束なのであります。 『名誉も金も地位も求めるべからず。 己が義務を一心に成し、今上陛下と大日本帝国臣民のために尽くすべし』……僕の父も、そうでしたから」
「君は正真正銘の偽善者だな」侮蔑と軽蔑が混ざった顔で美青年は彼から離れた。「知っているかい、君が善意のつもりで行った研究の結果が、何十万人と米国人を殺したのだよ」
「……。 放射線治療に関する研究、ですね」季太郎は、うなだれる。
「おや察しが良い。 そうだよ、君がそれで提唱した新理論に基づいて新型原子爆弾が作成され、そしてたった二個の爆弾がアメリカ合衆国の息の根を止めた。 何十万人もの米国人が殺傷され、被爆し、そして戦後の今もなお深刻な被爆症状に苦しんでいる。 やあ季太郎君、僕は君に出会えて光栄だよ、だって君ほど人を殺した学者を僕は知らないのだからね」
「……貴方は、アメリカ合衆国のご出身なのですね。 言葉の抑揚の端々に、英語に近しいものがあります」
「……」美青年の顔が憎悪に歪んだ。「そうだとも、僕はワシントンDCで暮らしていた。 ――爆弾が投下されて全てが地獄と化すまであの街で暮らしていたんだ!」
カッとして美青年が季太郎に襲いかかり、押し倒して首に手をかけた。
「止めろや、ケイ!」だがミハイルが彼を羽交い締めにした。「復讐はとっておきのデザート、そう教えただろうが!」
だが美青年の爆発はまだ収まらない。金切り声で、
「運が良いヤツは蒸発し、あるいは消し炭になって死ねた! でも体中が焼けただれてもまだ死ねずにみんな街を亡霊のように彷徨って、苦しみ抜いた果てに死んでいったんだ! 赤ん坊も子供も男も女も老人も誰も彼もが! 誰も彼もが皮膚を垂らした化物のような有様になって死んでいった! ――僕の母は倒壊した建物に閉じ込められたまま火災に巻き込まれて焼け死んだ! 分かるか、貴様らに、目の前で母が生きながら焼かれ死ぬのに、何もできなかった絶望が! 大日本帝国の勝利!? ふざけるな、勝ち誇っている貴様ら全員が人殺しだ! 殺す、殺す、貴様ら全員を殺してやる!」
「このままどうぞ僕を殺して下さい」と季太郎は言った。半分狂気的になって暴れていた美青年が、動きを止めた。穏やかな、しかしどこまでも悲しそうな目が黒縁眼鏡の奥から美青年を見つめていた。「そうか、勝っても寂しく、負ければ苦しく悲しい……戦争は、この戦争は……まだ終わっていないのですか」
「まだ戯言を! この、」美青年がまた暴れようとした時である。
「僕の父はミッドウェーで空母エンタープライズに特攻して共に死にました。 立派な名誉の死だと皆が口にし、僕もそう言ってきましたが、内心ではただの無駄死にだと思っていました」
季太郎は、ぽろりと涙をこぼした。
「……」
「もう二度と笑って下さらない。 もう二度と叱って下さらない。 もう二度と喜んで下さらない。 母とのラブ・ロマンスを語って下さることも、酒を酌み交わすことも、頭を撫でて下さることも、平和な空を飛行機乗りとなって翔ぶ本当の夢も、何もかもがもはや叶わない。 何も叶わぬまま僕だけ置き去りにした、これが無駄死にでなくて一体何でしょう」
「……貴様は……」
「どんな形でも良い、汚名被りなら幾らでも喜んで。 金も名誉も地位も邪魔だ。 ……全ては、この戦争を終わらせるための研究。 そしてやっと終わったと、平和が訪れたと、僕は盲目的に信じてようとしていました。 何と愚かだったのだろう。 まだ、この戦争は終わってもいないのに……………………ぐ、ガッ!」
そこで派手に血を吐いて、痙攣と共に季太郎の体が布団の上に卒倒した。
「ケイ、盛ったな?」ミハイルが長いため息をついた。
「……」美青年は、不機嫌そうに黙っている。
「仕方ない、また治療室送りだ」
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