第10話 裏で頑張る沙織ちゃん 【改訂版】

 測定の順番を待ってライン際で膝を抱えている沙織の横に、先に終わったショートカットの少女が座りこんだ。

「どしたんサオリン。悩んでる顔で」

「エっちゃん」

 沙織と(自称)一番仲がいいクラスメートは、人を引き込む天真爛漫な笑顔で微笑んだ。

「その胸から下げてるデカブツがツラくて揉んで欲しいんなら、あたしならタダで揉みしだいてやってもいいよ? もう丁寧に時間をかけてねっとりたっぷりとね!」」

「最高に素敵な笑顔で、なに最低なセクハラかましてくるの?」

「ふっ。この世界のことわりが、あたしにそれを望んでいるから……かな」

「カッコ良さそうな言葉で責任転嫁とか、最高にカッコ悪いよ」

「今日はサオリン辛口だなあ」

 エっちゃん氏は横から沙織の顔を覗き込む。

「んで? 察するにサオリンの悩みは『愛しの誠人さん』の事ですかにゃー?」

 沙織もエっちゃんの顔を見つめ返した。

「判る?」

「色ボケしているサオリンに、他に悩みなんかないじゃん」

「エっちゃんこそ一つも無さそうな人生で羨ましいなあ」


 沙織が誠人に仕掛けた数々のアタック(と沙織は思っている)。

 それらはどれもダメだったと聞いたエっちゃんこと悦子は、宙を睨みながら唇を尖らせて呻いた。

「色仕掛けが全部アカンってかー……サオリンボディで全く効かないってなると、既成事実向こうから手をを作る出させるやり方は難しいなあ」

「バリエーションも色々試したんだよ? でもダメなの」

 沙織もどうしたらいいのか判らない。バニーに水着、大胆なボディタッチ。不可抗力で濡れ透けワンピからのバスタオル一枚もやった。

「反応はしてるのね」

「してるよお。チラ見はするのよ? もう何回も!」

「うんうん、そりゃそうだ。男だったらアタシだってそうなるわ」

「私が好みじゃないのかって心配だったから、誠人さんの持ち込んだエッチな本やDVDも精査してるんだよ! どんなDVDが好きかは本人にも聞いてみたもの!」

「ちょっと待った」

 話を聞きながらウンウン頷いていた悦子が、鼻息の荒い沙織にストップをかけた。

「本人に?」

「本人に」

「あんたにゃ前にアドバイスしたよね? 念押しした“さりげなく”はどこ行った」

「“さりげなく”やってるよ? 引っ越し荷物の荷ほどき中にね、出て来たエッチな本を整理しながら“さりげなく”リサーチしたんだから」

「“さりげなく”のやり方がおかしいわ!」

 悦子は出来の悪い生徒がキョトンとしているのを見て、酢を飲んだような顔になった。

「いいかい、サオリン。男にそれやると、気まずくってエロい気持ちが引っ込むから」

「あー、お母さんもそんなことを言ってたなぁ……そういうもの?」

「あ・た・り・ま・え・だ!」

 あぐらに腕組みの悦子が、ツッコみながら何かを思い出して苦い表情になった。

「……前に智君がねー」

「話に聞く智史君? どうしたの?」

 智史君は悦子が熱愛中のボーイフレンドで、中学の同級生らしい。

 友達で彼氏がいるのが悦子だけなので、女子の遊びに呼ぶわけにもいかず会ったことは無い。どんな人なのか中学校が違った沙織は知らないけど、悦子の話ではちょーラブラブらしい。

「智君の家に遊びに行った時にねー。面白いもの隠してないかなって探したら出て来たんだわ」

「ふーん。その智史君でも持ってるんだね」

「んで、引っ張り出して片っ端から検分してたら……泣かれた」

 今度は沙織が微妙な顔になった。

「……うわぁ。またエっちゃんがしつこくからかったんでしょ? ドン引きだよ」

「本人が留守中に上がり込んで、毎週持ち物検査をやってるあんたもなかなかだからね?」

 渋い顔の悦子が膝をトントン指先で叩きながら過去の失敗を振り返る。

「止めてってお願いして来るのがかわいくて、しつこくいじり過ぎちゃったんだよね……マジ泣きが三十分止まらなかったわ」

 遠い目をしている悦子に、沙織も生暖かい目を向けた。

「やらかしちゃったことは仕方ないよ」

「うん。そうなんだけどね……それからあたしも気を付けてるのよ」

「それがいいよ。また素敵な人が見つかるといいね」

「……待ってサオリン!? あんた勘違いしてるでしょ! 別れてないから! まだ付き合ってるから!」

「判ったわ。そういうことにしといてあげる」

「なんにも判ってないよね!?」



   ◆ 



 閉店間際の学食で俺がスプーン片手に物思いにふけっていると、友人のゴンタがひょっこりやってきた。五限の授業が遅れて終わったらしい。

「お、誠人も今メシか」

「バイト前で時間もないしな。ここより安く食えるところなんかないし」

「それはそうだ」

 うちの大学の学食はいかにもな給食業者系の店で、間違ってもタウン誌なんかに載ったりするような小洒落た店ではない。メニューもウン十年前から変わってなさそうだし、食器はメラミン製のオレンジやペールブルーの病院食で出てくる感じのアレだ。

 だから自慢のタネにはならないが、その代わり大学周辺の店より値段は四割ぐらい安い。定食のご飯を大盛りにしても五百円いかないんだから、系の男子学生には熱く支持されている。

 俺の向かいに腰を下ろすと、ゴンタはさっそく箸を手に取った。

「そんで誠人、呆けていたけど何かあったのか?」

「考え込んでいたと言え」

 俺も時計を確認して、食べるペースを速めた。あと十分で出ないとバイトに遅刻しそうだ。

「まあ、大した話じゃないんだけどさ……何かしたわけでもないのに、隣の家に住んでる女の子がやたら好意的に接して来る。これってどういう心理なのか、判るか?」

「なんだそりゃ?」

 そう思うよな。

「いやまあ、一般論として」

「やたらに限られたシチュエーションで、一般論て」


 前提条件に納得していないながらも、ゴンタは一緒に考えてくれた。

「そうだなあ……俺が考えるに」

「おう」

「まず考えられるのが、“その子は実はおまえに好意を持っていて、親密になる機会を作りたくて仕方ない”」

「ふむ」

 まさかとは思ったけど、やはり他人から見てもその可能性はあるか。

「だがこれはナシだな」

「おいっ!?」

 真っ先に上げておいて、二言目に否定するとか。

「出しといて、いきなり消すのはどういう理由だ」

「理由は、“おまえが女子にモテるなんてありえない”からだ」

「一般論だって言っているだろうが、なぜ俺の事と限定する。それにおまえに比べれば、女子モテはどう考えても俺の方が可能性があるだろ!」

「どこに?」

「主に顔」

「ハハハッ!」

 俺の真っ当な反論を鼻で笑ったゴンタは、得意げにスマホを俺に見せてきた。

「誠人君は“俺の方がモテてる”という現実が見えていないようだなあ? ま、証拠にこれを見てみたまえ」

「なんだ?」

 自信満々に突き出してくるので彼女の写真かと思えば、恋愛シミュレーション系のソシャゲが表示されていた。かなりやりこんでいるらしく、リストの女の子はどの子もパラメータがメチャクチャ高くなっている。

「俺がどれほどモテているか、彼女たちの好感度俺のハーレムを良く見てみろ」

「おまえの方こそ、現実を見ろ!」


「俺の彼女たちに何の不満があるんだ」

「別にカノジョ? に不満はないけどさ」

 機嫌を悪くしたゴンタに俺もジト目でツッコミを入れる。

「おまえな……やたらバイトが多いと思ったら、ゲームに課金してたのかよ。現実の彼女にプレゼントしまくってるならともかく、画像データの御機嫌取りでじゃぶじゃぶ金を突っ込むなんて空しくならないのか? 後に何も残らないじゃないか」

「バカだな誠人。現実こっちじゃ俺なんか歯牙にもかけない綺麗なねえちゃんが金で買えるんだぞ? こんな楽な話は三次元にはないだろう」

「じゃあ画集でも買えよ!?」

「イベントSSRのシルクスクリーンでも出たら考えてもいいと思ってる」

 食べ終わったゴンタは湯呑に手を伸ばした。

「その一般論だかおまえの事情だか知らないが、どこからどう見ても美点の見つからないおまえにお隣さんが思わせぶりな行動を取ってくるとなると……」

「おまえに俺の何が判る……となると?」

「扱いやすいバカとみて財布にしようとしている」

「おい」

「もしくは相手が欲しいものをおまえが持っていて、色仕掛けで譲らせようとしている」

「おいっ」

「新興宗教の勧誘かも」

「そんなわけ無いだろ!」

「“一般論”で言ったら、そんなものだろ。顔見知り程度の女の子が、大した付き合いもないおまえにモーションかけて来るなんて」

「……」

 そう言われると、反論できる根拠がどこにも……。

「それとも何か? “特別な理由”に心当たりでもあるのか?」

「特別な理由、かあ……」

 沙織ちゃんが俺に積極的に絡んでくる、理由。

「……お母さんがマンションの管理人、って事ぐらいかなあ……」

「ほっほう!?」

 ハッとした時には遅かった。

 いつの間にか机を廻りこんでいたゴンタが俺の肩をガシッと掴んでいる。痛いぐらいに。

「なるほどねえ。誠人君は大家の娘が自分に気があると勘違いしていましたかぁ」

「いや、大家じゃなくて管理人、じゃなくてっ!?」

「おまえは絶対ニ次元の住人向きこっちがわだと思っていたんだがなあ……生身の女に声をかけられない男が、たまたま免疫の出来た女にのぼせ上がる。ハッハッハ、ありがちですねえ?」

 全然目が笑っていないゴンタのニタニタ笑いが気持ち悪い。失敗した……コイツ、思ってた以上に他人の恋愛にひがむタイプか!? 変な奴に相談しちまった!

「ざんねーん! そんなの接客の一つですからぁ!」

「おまえに何が判る! 沙織ちゃんはそんな金勘定で動く子じゃない!」

「ほう、沙織ちゃんというのか……よし誠人、今からカラオケ行こうぜ? その“沙織ちゃん”がどれほどかわいいかを一から順に聞かせてもらおうじゃないか!」

「俺は今日バイトだって言ってるだろ! 帰る!」

「逃がすかゴラァ! 俺の目の黒いうちは他人の幸せなんか許さねえぞ!?」

「おまえは画面の中の嫁とよろしくやってろ!」

 俺とゴンタの揉み合いはしばらく続き、俺はバイトに遅刻した。



  ◆



 悦子が不意に閃いた顔をした。

「ねえサオリン。あんたの色仕掛け爆笑コントって、全部その誠人さんの部屋で?」

「エっちゃん。なんか今、言葉に含むものがなかった?」

「そんなのはどうでもよろしい」

 沙織も考える。

「そうね……うん、全部誠人さんの部屋かな」

「だったらさ、シチュエーションを変えてみるのもいいんじゃね?」

「シチュエーション?」

 にんまり笑った悦子がプールを指さす。

「もうすぐ夏じゃん? 夏休みの頭ならわりと時間あるじゃん? そこで誠人さんに『試験明けに泳ぎに行こうよ』とか誘うわけよ!」

 言われた沙織は不思議そうな顔で、悦子の指し示したプールを振り返った。

「あのプールに? 女子高のプールに誠人さんを誘うのは難易度高いんじゃ……」

「アレじゃない! プール! プールって言いたかっただけ! 海でもいい! 開放的なロケーションに水着のサオリン。いつもと違う雰囲気に、お堅い誠人さんとやらもその気になっちゃう(かも)!」

「なるほど……」

 やっと友達の真意を理解した沙織も瞠目して……すぐに困ったような顔になった。

「でも、うちの学校の水着ってダサくない? あんなので誠人さん食いつくかなあ……」

「あんたは学校から離れろっ! なんでも有り物で済ませようとすんな!」


 ピンボケしまくりな沙織に頭を抱えた悦子が、ちょっと考えて膝を叩いた。

「よし。このエッコちゃんがとびっきりのを用意してやろう」

「えっ? それ不安しかないんだけど」

「サオリン、あんた自分が手段を選り好みできるようなご身分だと思ってんの……!?」

 キレかけの悦子に詰め寄られ、沙織が慌てて首を縦に振る。

「判った。判りました」

「まったく……去年みんなでプール行くときに買った水着を貸してあげるから、あれで誠人アニィを誘いなさい」

「去年のって言うと……あぁ、あれ?」

「そう、おまえさんが堂々学校のスクール水着なんか着て来た時のヤツよ」

 ちなみに沙織たちの学校のスクール水着は、ランニング型のトップスと半ズボン型ボトムのツーピース。生徒たちからは「夏休みの小学生」とか「おばさんフィットネス」とか言われて人気はない。沙織一人が着て来ただけで、グループのテンションがガン下がりだったことは説明の必要も無いだろう。

「ビキニだぞ、ビキニ」

「ビキニ……!」

 沙織はプールで着ていた悦子の姿を思い浮かべる。

 あれなら確かに、誠人お兄ちゃんの気も引けるかもしれない……。

「判った! 頑張ってみるよ!」

「おーけー、今度持ってきちゃるからね!」


 二人で盛り上がっているところに、測定が終わったショートボブの少女がへろへろになって寄って来た。沙織と特に仲がいいもう一人の親友は、死にそうな顔で二人の前に腰を下ろす。

「何盛り上がっているの?」

「サオリンの間抜けなハニートラップで大爆笑してた」

「そういう趣旨じゃなかったよ!?」

 沙織は遅れてやって来た友人、文奈に簡単な説明をした。

 こちらは悦子のように笑わず、あー……というしぐさをする。

「いいことサオリン? あなたのそもそもの間違いはね」

「うん」

 いつでも仏頂面な文奈は、横で身を乗り出している悦子をちらりと見た。

「エッコなんかに相談を持ち掛けている事よ。まともな答えが出てくるはずがないじゃない」

「あー、そっかー……」

「ヘイッ、キミタチ!? なんかみんなでエッコちゃんに冷たくない!?」

 女子高生たちのかしましい会話は、教師にバインダーではたかれるまで続いた。

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