第11話 お出かけしたい 【改訂版】

 まもなく夏季休暇が始まるというある日。

 俺は学生生活初めての夏休み到来に浮かれつつも、その前のレポート作成に苦心していた。

 中高生の時も楽しいロングバケーションの前に期末考査という壁が立ちはだかっていたけれど、大学生だって何の手順も踏まずに休ませてもらえるわけじゃないのだね……。


 うちの大学はセメスター制を採っていて、学期は春期秋期の二つになっている。だから期末試験は七月と二月の年二回。各講座の締めくくりに、筆記試験または課題レポートの提出が行われる。

 筆記試験は意外と問題なく

 というのも、ほとんどはテーマに対して自分なりの考えを述べるだけのものだからだ。高校みたいな丸暗記の知識を確認する設問は多くないので、講義をちゃんと聞いていれば大して外さない回答ができる。ヤバいのは穴埋めがほとんどの第二外国語ぐらい。

 したがって俺たち学生にとっては、テストよりもレポート提出を要求される方がつらい。

 レポートを書くためには、まず論拠が必要だ。出された課題に関する資料をいくつも探し回らないとならない。情報の元データはあればあるほど良くて、大学図書館で足りないと持っていそうな公立図書館を探し回る必要もある。

 そして集まった情報を分析して方向性を導き出して、自分なりの推論を論拠を示しながら文章化……気が遠くなる。高校までの読書感想文みたいなレポートが懐かしいぜ。


 今季はそんな課題が五個も出ている。規定の提出日までに出さないといけないので、余裕はほぼない。というか時間が足りない。

 教授ども、一斉にレポート課題出しやがって……一度にできる限度を考えやがれ。


 そんな感じで初めてのレポートの作成に苦心惨憺していると、誰か来る予定もないのに玄関のチャイムが鳴った。

「なんだ? 通販……はこの時間の指定してないよな」

 ちょっと届く予定の荷物があったけど、あれ確か時間指定できないから昼間に来るはず。

 インターホンに出ようと立ち上がったら、ガチャリと音がしていきなり玄関の扉が開いた。

「え?」

「よおっ」

 管理人さんが顔を出した。

 さりげない登場だけど、今この人は勝手に合鍵で開けたよな。

「あたしちょっと急用でこれから出てくんだけどさ」

「はあ……どうぞご勝手に」

 そんなことを俺に報告してどうしろと言うのか?

 と思っていたら、管理人さんは沙織ちゃんを玄関に押し込んできた。

「深夜まで帰れないから、ちょっとうちの子預かってや。んじゃ、よろしく」

「はいっ!? いや、ちょっとっ!?」

 慌てて止める俺を気にせず、管理人さんはさっさと出かけてしまった。


 いや、これが六歳児なら俺だって預かるよ?

 だけどさ、十六歳児は普通一人で留守番できるんじゃないかと思うんですけど?

 むしろ若い男の一人暮らしに預けるとか、逆にまずいんでないかい!?


 呆然としている俺と玄関の扉に挟まれ、居心地悪そうな沙織ちゃんがえへへと笑った。

「あの、お母さんの前振りは特に意味は無いので……」

「あー……そうじゃないかと思ったけど」

 用件に関係なく、場を引っ掻き回したいだけだったと。あの管理人さんだ、さもあらん。

「今お母さんが出かけしなに、昼間に誠人さん宛の小包預かったのを思い出したんです。それで届けて来いって、一緒に連れ出されたんですよ」

「ああ、そういうこと……」

 それにしたって。親しく付き合っている隣人とはいえ、年頃の女の子が一人で家にいるのを男に教えてしまうのはどうかと思うけどな。




 とりあえず、せっかく来たので沙織ちゃんに家へ上がってもらう事にしよう。沙織ちゃんもせっかく来たんだしね。

 俺がどうぞと言おうとしたら、沙織ちゃんが困惑しながら手元の荷物を見た。

「それでですね。お母さんが『勉強になるから一緒に見せてもらえ』って言ってたんですけど……なんでしょう?」

 勉強になる……?

 戸惑っている沙織ちゃんの手元を見て、俺は飲みかけた麦茶を噴き出しかけた。


 それ、俺が通販で買ったDVDじゃん!


 もちろん、当然ながら沙織ちゃんが見ちゃいけない年齢制限のヤツ!

 管理人さんあのアマ、全部分かった上で沙織ちゃんに持たせて寄越したな!?

 さすが海千山千のマンション管理人だ……ロゴも入ってないまっさらな段ボールでも、送り状の「内容物:精密機器アダルトの定番」で勘づきやがった。

 俺は沙織ちゃんに部屋にあがるように勧めながら、さりげなく彼女の手から薄い段ボール箱を奪ってベッドと壁の隙間へ投げ込んだ。

「俺が今やってる期末のレポートの事かなあ? 別に見ても面白くも無いけど、見てみる?」

「へえー……大学のレポートってどんな感じなんですか?」

 興味深そうに机に広げた資料を眺める沙織ちゃん。意識が箱から机上の資料へ移ってる。その後ろで、俺は小さくガッツポーズを取った。

(よし、これで気をそらせた!)

 管理人さんがどこまで話しているかわからないが、コイツこの一枚ばかりは絶対沙織ちゃんと一緒に見るわけには行かない。

 ただのAVだったとしても、マジメ系JKの沙織ちゃんに見せたら何を思われるかわからないが……このDVDはその中でも特に最悪。なぜなら、女優が黒髪清楚な巨乳美人なんだよ!

(沙織ちゃんが見れば、自分に似ているって一発で気がつく……そんな物の存在を見せられるか!)

 

 今晩戻って来た管理人さんが沙織ちゃんに真実を話したところで、現物を隠してしまえば明日何を訊かれたってごまかせる。よし!

 何とか揉み消しに成功した俺は興味津々な沙織ちゃんに、大学のレポートをどうやって書いているのか説明を始めた。




 お互いの期末試験の話から話題が夏休みに移ったところで、沙織ちゃんが目をキラキラさせながら俺のスケジュールを聞いてきた。

「誠人さん、夏休みの頭の方ってお時間あります?」

「え? うん、大丈夫だよ? まだ就活とか関係ないし、家に帰るのはお盆前後で考えているから」

 なんだろう? ちなみにうちは八月盆。

 沙織ちゃんがそれならと身を乗り出してきた。

「私も来年は高三で遊んでいられませんから、もし良ければ海とか泳ぎに行ってみたいんです! 連れて行ってくれませんか?」

「海!? 俺と!?」

 沙織ちゃんは夏休みをひかえてテンションが高くなっているのか、とんでもない事を言いだした。

 海って、あの海だよね? 開放的で夏の日差しの下を泳いじゃったりするアレだよね? 女も男も水着でバーベキューしたり岩陰でアバンチュールするあそこだよね? 俺も友達もそういう陽キャじゃなかったから、実際の現場は見たことないけど。

 そこに俺と行きたいって……いや、沙織ちゃんの事だから「お兄ちゃんついて来て」の感覚なんだろうが……にしても二人きりで? いや友達はみんな彼氏がいるからってことか?

 俺が微妙な反応で停まっているので、ダメかと思った沙織ちゃんがちょっと悲しそうに聞いてきた。

「ダメですか? お母さんもそんなに遠出してはいられないし、遊びに行くなら誠人さんとと思ったんですけど」

(グループ交際の保護者かと思ったら、正真正銘二人で行くつもりかよ!?)

 どっちなんだ? って言われたら、俺だってもちろん二人きりで行きたい。そんなのどう見たって俺が沙織ちゃんの彼氏に見えるやん。

 彼女自身は身内の認識でも、沙織ちゃんの距離感の近さはもう彼女レベル。周りから見ればカップルがイチャイチャしているようにしか見えないはずだ。美少女にベタベタ甘えられているところを見せびらかすとか、俺の人生最高の一ページになること間違いない。

 あと純粋にゲスい気持ちで、沙織ちゃんの水着姿を見てみたい。凄く見たい。


 ただ、沙織ちゃんが美少女過ぎるので強引なナンパが気になる。男がいたって声かけてくる連中がいる(らしい)し、無理やり連れて行くような悪質な輩もいる(らしい)。俺一人でボディガードが勤まるか……。

 そんなことを考えて、ふと俺は想像の中で微笑む沙織ちゃんが春に見た競泳水着を着ているのが気になった。

「……沙織ちゃん、あの水着で行くの?」

 アレはアレで大変眼福だったけど、レジャーに行く格好ではないかな? 

「あの水着? ……あっ! いやいや、アレじゃないですよ!?」

 俺の質問で過去の記憶を反芻した沙織ちゃんが、三秒ほど考えて真っ赤になった。

「お母さんの貸してくれたあの水着じゃ、生地が薄いしハイレグ過ぎます! 私にはちょっとアレです! 向いてないです!」

 いや、凄い似合ってたけどね。

 とっても沙織ちゃん向きだったけどね。

 でも残念ながら、男が着せたい水着と女が見せたい水着は違うんだよなあ。


 アレじゃないのかと残念に思っていたら、沙織ちゃんが嬉しそうに教えてくれた。

「実は海とかプールとかへ遊びに行きたいと言ったら、友達が水着を貸してくれたんです。ビキニですよ」

「ほう?」

 ビキニ。沙織ちゃんのバニーガールと競泳水着と濡れ透けワンピースは目に焼き付いているけど、ビキニはまだない。脱いだ後の下着を数に入れても、着ている状態はまだ見ていない。

(……いやいや、近所の子を相手に“まだ見ていない”とか!? 俺、沙織ちゃんを性的に見過ぎじゃないか!?)

 自分で考察しておいて自分でセルフツッコミをしている俺、ちょっとヤバいな。


 軽く自己嫌悪に陥っている俺に、興味を示したのが嬉しかったのか沙織ちゃんが俄然売り込みを始めた。

「借りて来たの、見てみます? 私、部屋から持ってきますよ!」

 前のめりで積極的にプッシュしてくる沙織ちゃん。

 そんなに海に行きたいんだろうか? 水着を見せてまで行きたいアピールとは。

(でも、確かに見たい!)

「じゃあ、ちょっと待っててください!」

「あっ!?」

 行きたい気持ちとデメリットを秤にかけている間に、止める間もなく沙織ちゃんがバタバタ部屋を出ていってしまった。

 ……“止める間もなく”と言ったけど、正直に言えば俺の止める気持ちも形だけではある。向こうがせっかくその気なんだもの。見せてもらえるものなら見てみたい。

 エッチな目で見るのを否定しておきながら、それでも気になる沙織ちゃんのビキニ姿……変態と言われようとスケベと言われようと、やっぱり沙織ちゃんの艶姿は薄っぺらい建て前なんか吹き飛ばす破壊力があった。




 すぐに沙織ちゃんは笑顔で戻ってきた。手に紙袋を持って。

(……うん、見せてくれるとは言っていたけど、着て見せるとは言ってなかったわ)

 言葉は言う方も聞く方も正しく使おう。勝手に期待すると勝手に落胆する羽目になるぞ?


 微妙な肩透かしを微笑みで隠した俺の前で、沙織ちゃんが「友達のエっちゃんが去年のを貸してくれて……」とか説明しながら袋を逆さにする。

 紙袋からは、深紅のビキニが転がり出てきた。


 とっても布面積が小さい紐ビキニが。


 いわゆる三角ビキニ。水着グラビアではおなじみだけど、現実に一般人が着ているのを見ることはまずないヤツだ。見る限り裏地はついているけどパッドは無い。それに布部分の面積はなかなか小さいので、おそらく沙織ちゃんだとふくらみをフルにカバーするのは難しいかも……下もサイドは完全に紐だけだ。布は腰骨までとても届きそうにない。

 ハイレグではないかもしれないけど、どう考えてもお母さんの水着よりお尻の出方がハンパなさそうな逸品を前に……俺と沙織ちゃんはしばし無言で机の上を見つめていた。




 沙織ちゃんが無言のままスカートのポケットからスマホを取り出し、机に置いた。スワイプして電話アプリを呼び出し、履歴をタップする。

 沙織ちゃんが耳に当てて十秒後。

『はっあーい、エツコでっす!』

 スピーカーにしてないのに、俺にまで聞こえる音量で相手が出た。水着を貸してくれたお友達のようだ。そのテンションの高い声を聞いただけで、かなりはっちゃけた性格だと俺にも判った。

 沙織ちゃんは、どこか噴火を予知させる妙に静かな声でスマホに問いかけた。あの荷ほどきの日……管理人さんをグーで殴ると宣言した時の、アレだ。

「エっちゃん? 沙織だけど」

『サオリンどしたん? あ、水着着てみた? どうよ、ばっちしでしょ?』

「その水着なんだけど……私、去年のって聞いてたんだけど?」

『去年のだよ? 去年

「去年着てた、あの白い花柄のじゃなかったの……?」

『去年とは言ってない』

 黙り込んだ沙織ちゃん。電話の向こうからは、空気を読まない能天気な声が流れてくる。

『だいたいサオリン、あの水着カップ付きだよ? CカップのあちきのトップスがGカップのサオリンに着られるわけないじゃん。だからサイズフリーの貸したんだけど』

「……これ、エっちゃんは着たの?」

『着てないよ。うちの彼氏ダンナを悩殺しようと思って買ったんだけどさ、そんなエロいの着るのはやっぱ恥ずかしいわ、ハハハ! だからのサオリンにあげるよ』

「そう……明日学校で

『あっそう? じゃあ楽しみにしてるわ、んじゃ!』

 その言葉を最後に、通話は切れた。




 黙り込んでいる沙織ちゃんに、俺は恐る恐る声を掛けた。

「あ、あの……沙織さん?」

 沙織ちゃんがスクっと立ち上がった。

「……誠人さん、すみません……明日エっちゃんにならないので、今日は早く帰って寝るのでこれで失礼します」

「あ、そうですか……」

 俺は何を言って良いかもわからず、憤怒のオーラに包まれた沙織ちゃんが肩を怒らせ帰るのを黙って見送った。




 翌日。

 目を覚ました俺は、海に行く話もどこかに行っちゃったのを思い出したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る