第33話 沙織ちゃん、頑張ります! 中 【改訂版】
沙織たちが帰ろうと下駄箱で靴を履き替えていたところで、ふと文奈が昼休みの話を蒸し返した。
「そう言えば、エッコが智史君と付き合い始めた時の話って聞いてないよね」
言われて沙織も、そう言えばそうだと思い出した。お昼はゴンタ君で時間切れだった。三人の中で一番熱愛中のエっちゃんの話は聞いてない。
そしてそれを思い出すと同時に。
「おっ、聞きたい? 悦子ちゃんと智君の素敵な馴れ初めを聞きたいかい? ニャハハハ、困ったなぁ!」
エっちゃんがウザくなるから聞くべきではないなとも考えた……けど遅かった。
「そう、あれは良く晴れた秋晴れの下。粉雪舞う七月の話だったんだけど」
「舞台設定がブレ過ぎてるよ、エっちゃん」
「エッコ、過剰な修飾はいらないから要点だけ話して」
「えー!?」
ドラマチックに話したい悦子が頬を膨らませるけど、既に訊いたことを後悔している文奈も譲らない。正直、沙織も文奈寄りだ。
悦子が宙をにらみながら頭を掻く。
「んー、要点だけって言われても……私も智君も小中と学区の公立で一緒でね。智君とは小学生の頃から同じクラスになることが多かったんだけど、まあ昔から『やけに親切だなあ』とは思ってたんだよね。んで、中学二年の秋に進路調査があって。訊かれたから八洲女子に行くつもりって言ったら、放課後に呼び出された」
文奈がしまいかけた上履きをぽとりと落とした。
「……エッコの方が告られたの!?」
「告られたの」
「嘘っ!?」
「嘘じゃないってば」
「いくら渡したの!?」
「
沙織も衝撃を受けて下駄箱にしがみついた。驚きのあまり、膝ががくがく震えている。
「智史君に即断する勇気があったなんて……」
「おいおいサオリン、ヒトの彼氏をディスるんじゃないよ」
「エっちゃんでさえ告白されるのに、私ときたら……」
「矛先をあたしに変えたのか、自分を卑下しているのか、どっちかハッキリしてくんない?」
◆
もう太陽がだいぶ下がった夕暮れの中、並んで歩く三人の影が長く伸びる。襟巻きに埋もれかけた口元から白い息を吐きながら、文奈がぽそっと呟いた。
「まさかアレだけ暑苦しくイチャついてるエッコが、一番淡白だったとは……」
暑苦しいだの淡白だの言われて、悦子が苦笑する。
「淡白っていうか、中二じゃまだ恋愛ってピンと来なかったんじゃないかなあ。小学生からあたしに好意を持ってた智君が早いんじゃない?」
「そっかあ……」
いったんそこで会話が終わった悦子と文奈が横を見る。幼稚園の頃から暑苦しい片思いを続けている少女は、黙って
悦子が話を続けた。
「初恋は実らないとかいうけどさ。本当は気の持ちようだと思うんだよね」
「て言うと?」
「なんで初恋が実らないかっていうと、早熟な方が急ぎ過ぎたり待ち過ぎたり、相手が意識してくれるタイミングを逃すからじゃないかな」
文奈がちらりと横目で友人を眺める。
「勢いだけじゃダメってこと?」
「そう。お互い恋したい気分が高まっててさ、その時にこの人が一番いいってのがあってさ……そこでズバッと決めるとバカップルの誕生ってなるんだよ、きっと」
「保健体育で習った排卵周期みたい」
「アッハッハ! 恋したいって衝動って、元を突き止めればそんな生理的な欲求なのかもね」
悦子も横を見た。
「だからサオリン、サオリンもマコチンも発情している今ならうまくくっつくと思うんだよ」
「さっきから私の事だったの!?」
「あたしもフミーも片が付いたんだぜ? あとはあんたでしょうが」
駅前の繁華街をウィンドゥショッピングしながら歩いていると、まだまだ成人式のディスプレーが多い。バレンタインになるまでにはまだ時間があるみたいだ。
文奈が洋菓子店の店頭を覗き、巨大なデコレーションケーキの食品サンプルを眺めた。まだバレンタインも雛祭りも遠いので、普通にバースデー仕様になっている。
「サオリン、まさかバレンタインデーまで待つつもり?」
三学期も始まったばかり、バレンタインデーまではまだひと月ぐらいある。そこを着地点にするのは、焦っているわりにはちょっと気が長い。
沙織は首を横に振って否定した。
「ううん。誠人さんの誕生日が一月二十五日だから、そこで……決めるつもりなの!」
拳を握りしめて力強く断言した友人を、悦子と文奈は生暖かく見つめた。
「決まるといいな」
「いいねえ」
「……二人とも、決まらない前提で話してない?」
「んーん。じゃなくてね」
悦子が言いかけた後を文奈が引き取った。
「サオリンのことだから、
「わ、私だって決める時は決めるよ!?」
「そーかー?」
「いつものパターンで色仕掛けをかけているのを理解してもらえないとか、マコチン君がムッツリのくせにこういう時だけ紳士になるとか、簡単に想像できるんだけど」
「……」
言い返さないあたり、沙織も心当たりがあるらしい。
◆
ホームのベンチに座ってため息をつく沙織は、この先の展開に頭を悩ませていた。
「あーあ、ホントにどうしよう……」
面白がってばかりの悦子と文奈に、真面目にどうしたらいいのか相談してみたけど……。
『うん、真面目な話をするとさ……あたし、智君に告白された方だから自分から言い出したことないんよ。だからそもそもアドバイスができないんだわ』
『私もゴンタ君に告られたから。そう、
まったく参考にならなかった。
そう、恋愛の先輩二人がまったく参考にならなかった。大事なことなので二度言いました。
駅に入ってきた電車を見つめながら、沙織は憂鬱そうに立ち上がる。
「私だってホントは告白してほしかったんだよ……でも、それを待ってたらお父さんが帰ってきちゃう……」
あの鉄壁ガードが春から毎日になるかもしれないと思い、沙織はそれも気が重くなった。
「その前に絶対誠人お兄ちゃんを落とさないと! やっぱりお兄ちゃんの誕生日にかけるしかない!」
正月にエっちゃんと電話で話して決意したとおり、決戦の日はそこしかない。
『サオリン……おまえがマコチンの誕生日に勇気を出せ!』
エっちゃんの力強い言葉が浮かんでくる。
そうだ、待ってないで自分から動くって決めたんだ!
エっちゃんがああいう口調で言う時はだいたい不まじめに面白がっている時だけど、この際それは置いておく。
うん、と力強く頷いて気合を入れる。頬をパンパンと両手で叩いてキッと前を見た沙織は……乗るつもりだった電車がすでに扉を閉めて、ホームから出ていきつつあるのを発見した。
「あう……なんか、不安になってきた……」
◆
俺が下宿に戻ってくると、管理人室の小窓から管理人さんがちょいちょいと手招きしているを発見した。どうでもいいけどあの人、あんな小さい窓から俺が帰ってくるのを見張っているぐらいならポストに連絡メモを入れておけばいいのに……。
「どうしました?」
「うん、あのさあ……君、今月末って何か用事ある?」
「大掃除なら手伝いませんよ」
「年明けすぐに誰が大掃除なんかするんだ」
「年末だってしてなかったじゃないですか」
「沙織がこまめにやってくれているから年末に慌てる必要が無いんだ」
自慢気に言ってるけど、あんた自分は何もやってないんだろ、どうせ。
「おまえ今、どうせこいつは掃除なんかしないだろって思ったな?」
「エっちゃんの真似はいいですから」
「誰も悦子ちゃんの真似なんかしてないわよ」
管理人さんは窓際のカウンターに頬杖をついて、指先で天板をコツコツ叩いた。
「純粋に君が暇なのかどうかの確認だ。別に何か手伝えなんて言わないから」
おかしな質問だけど、何だろう? ……まあ、いいか。
「別に特別に予定はないですけどね」
「友達とどこか遊びに行くとかは?」
「それも今のところは」
「淋しい毎日だな」
「余計なお世話だ!」
この人は何で余計な一言を言わないと気が済まないんだろう? 俺は腹立ちを押さえ、できるだけ平常心を心がけて問い返した。
「まったく……本当に何なんですか?」
「ふむ」
管理人さんは俺の質問に答えず、顎をしばらく撫でていて……。
「わかった。急に予定が入った時はちゃんと沙織に申告するように」
とだけ言って小窓を閉めた。
……ホントに、何なんだよ……。
かれこれ八か月も付き合いがあるのに、俺は管理人さんの思考がいまいちわからない。
詩織は事務椅子にどっかり座ると、スマホを出して電話をかけた。
『はい』
「ああ、千咲? あたしだけど」
『まだ日も出ている時間にどうしたの』
「いや、おたくの息子さんの件なんだけどさ」
詩織は誠人の母に、先日の懸念が当たったことを伝えた。
「ヤツはやっぱり、自分の誕生日を覚えていないぞ」
『やっぱりねえ』
そう、今確認した感触だと、誠人君は今月末に自分の誕生日が来るのをイベントとして
『うちじゃあ小学校出ちゃうと誕生日なんか家で祝わなかったからねえ』
「なんでまた」
電話の向こうから、ハッと鼻で笑う音が聞こえてきた。
『めんどくさい』
「……誠人君にゃ、うちの家庭が歪んでいるってさんざん言われたけどさ。あんたんとこも正直どうなのよ」
『自分の足元の事はかえって判らないものよ』
詩織は誠人君が消えていった階段の方を眺めながら、しばし思案に暮れる。
「どうしたものかな……誠人君に、沙織が祝うつもりだから空けておけって言ったほうが良いのか?」
『いやいや、こういうのはサプライズが大事よ? 思ってもいない所へいきなりぶつけたほうが面白いって』
「……あんたが面白がってどうするのよ。自分の息子の話でしょうに」
電話の向こうはカラカラと笑った。
『そっちだって、自分の娘の話じゃない』
「そうだけどさ。だからこそ、沙織が色々準備したのに当日誠人君が帰ってこなくて
『それはまた、その時の話だわ』
千咲の口調が一転して、三人の子持ちの重さが滲む声色になった。
『なるようにしかならないわよ。何がどう転がったって、舞台の主人公は沙織ちゃんと誠人じゃない。あの二人の物語なんだから、どんな話になったって二人で作るべきなのよ。詩織も過保護に客席から指示なんか出さないの』
「なるようになるのかねえ……あたしゃ迷走している筋書きに冷や冷やしっ放しだよ」
『それが過保護だって言うのよ。あんたと俊雄君だって散々ドタバタしたじゃない。誠人については私、最初に言ったわよ? 意外と長くかかるかもって』
長年の友人に指摘され、詩織も確かに口を出し過ぎているような気になった。しかしそれにしても……やきもきする。
「……これが親になったって事かねえ。自分じゃ二十歳の頃から変わったつもりはないんだけどね」
『昔のあんたに比べれば、丸くなったかもね……親になったっていうより、歳食ったんじゃない?』
「お互いにな」
『それは言っちゃダメよ。私、心は十六歳から歳取ってないつもりなんだから』
「十六歳と何百ヶ月?」
◆
詩織がしばらく電話を続けていつもより遅く家に帰ると。
「あ、お母さん!」
娘が何か、妙に力の入った顔で母の帰りを待っていた。
「……どした?」
「今度の誠人お兄ちゃんの誕生日、アレ貸して欲しいの!」
いつになく強い決意と、おそらくまたピンボケした方向性を滾らせている娘。
……確かに千咲の言うとおりで、親が口出しするような事じゃ無いのかも知れない。
「とりあえず沙織、その話の前に晩飯用意してくれない?」
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