第34話 沙織ちゃん、頑張ります! 下 【改訂版】

 今日は朝から変だった。


 下宿を出ようと思ったら、エントランスで管理人さんが落ち葉を掃いていた。

「よお、おはよう」

「おはようございます。今日は早いですね」

「ああ……早いもんだなあ」

 どこか遠くを見る管理人さん……どうしたんだ、この人?

 明らかに俺の挨拶と管理人さんのそれ、なんか意味合い違うんだけど……いきなり、何? 俺の言葉になんかトラウマを踏む様なところがあったのか?

 管理人さん、なんだか物思いに浸っているけど……俺は授業があるのだ。のんびり付き合ってはいられない。

「えーと……それじゃ、行ってきます」

 俺がそーっと出かけようとしたら、管理人さんが急に俺の方を向いた。

「それでだな、誠人君」

 いきなりだな!? “それで”って、前の話のどこにかかっているんだよ?

「あたし、今日は出張があって今晩は戻ってこないから」

「はあ」

 それを言われて、どうしろと。

 俺がそれを訊く前に、管理人さんが畳みかけるように言ってきた。

「泊りで出かけて明日帰ってくるから、今晩はいないんだ。沙織をよろしく頼むわ」

 何を言うかと思ったら。

 俺は少々呆れて管理人さんの頼みにツッコんだ。

「管理人さん、沙織ちゃん十七でしょ? ベビーシッターが必要な子供じゃあるまいし」

「あいつのポンコツぶりは君だって知っているだろう」

 そう来るか。

 しかし沙織ちゃんが結構抜けているのは周知の事実だが、別に今までだって俺に一々子守なんか頼んでなかったよね? なんで今日に限って……。

「いいな? 今晩はちゃんと面倒見てくれよ?」

「はあ、まあ……」

 腑に落ちない俺の見ている前で管理人さんはまた空を眺め、ポツッと一言付け加えた。

「……あたしが言えるのは、それだけだ」

 管理人さんはそのまま管理人室に入っていく。

「……なんなの?」

 重症患者の容態を見守る医者みたいな言葉がすっごい気になるんですけど? 何、その含みのあるセリフ。沙織ちゃん、昨日会ったけど別に病気でもないよね? 

 管理人さんがおかしいのはいつものことだけど、今日はまた方向性が違うというか……俺は首をひねりつつも、時間が無いので大学へ向かうのだった。



   ◆



 おかしなことはまだ続く。


「おい誠人、今日映画行かないか?」

 昼休み、ちょうど顔を合わせたゴンタが学食へ向かおうとする俺に声をかけてきた。

「今日バスターミナルのところのシネコンが学割デーなんだよ。先週始まったの見たいって言ってたろ?」

「ああ、あれか。いいな、そうするか……」

 “今年最大の話題作”とか言う煽り文句の、ハリウッド発アクション巨編とやらが先週封切られていた。まだ一月なのに大した自信だと失笑しちゃったヤツ。

 俺もそのCMのおかげで気になっていたので、ゴンタの話に乗りかけた……が。

 俺はふと、今朝管理人さんに言われたことを思い出した。

 別に夜遅くなるわけじゃないし、沙織ちゃんを独りで置いとけない理由もないのだが……妙に気になる言い方をされたのが気にかかっている。

「あー、今日はちょっとまずいかな」

「ん? 何か用があるのか?」

「管理人さんにな、沙織ちゃんが留守番だから気にしていてって言われ……」

「よし誠人、今日はオールナイトでガッツリ遊ぶぞ」

「おい待て!?」

 止めようとする俺に、歯噛みするゴンタが逆に食ってかかってくる。

「おまえが一人でお留守番の沙織ちゃんの様子を見に行くだなんて、もうロクなことにならない臭いがプンプンする! 沙織ちゃんの貞操を守るためにも、俺がおまえを隔離しておかないと!」

「なんだよ、おまえのその使命感!? 俺は沙織ちゃんのお母さんに頼まれたんだぞ!?」

「親が許しても俺が許さん! 絶対にイイ雰囲気になんか持ち込ませてたまるか!」

「相変わらずだな、おまえは!?」

 ゴンタだってもう文奈ちゃんと付き合ってるんだろ? 有料だけど! そのくせ、何故まだ他人が女の子と交流があるだけで嫉妬するんだよ!

「いいな、今日は映画、居酒屋、カラオケのフルコンボで行くぞ!」

「勝手に決めるな! おい、待てったら!?」

 ゴンタは人の反論も聞かず、勝手に話を決めてどこかに行ってしまった。あのやろう……。

 授業後にもう一回ちゃんと言っとかないと、と俺はため息をついたのだが……。 


 五限の終了後に教室を出て中庭に入ったら、ちょうど反対の棟からやってくるゴンタを見つけた……が。

「すまん誠人、今日の予定は無しにしてくれ」

 会うなり、いきなり向こうからキャンセルしてきた。

「はっ!? まあ俺もその方が都合がいいけど……いきなりなんだよ?」

「うん、実は」

 そこまで言ったゴンタが、急にデレデレし始める。

「それがさ~、さっき文奈ちゃんからLINEが入ってさ。秋にカラオケで出会ってから三か月目になる記念に、特別に今日は基本料金無しで良いから遊びに行こう、だって! どうしよう、なんか好意持たれてない、俺!?」

「ゴンタ……」

 基本料金は、だろ? 何かやるたびにオプション料金はかかるんだよな?

 友人の相変わらずの食い物にされっぷりに、俺の中の全米が泣いた……。


 まあ俺の方も断りたかったからちょうど良かったんだが……。

 なんだか割り切れないものを抱えながら、俺は飛ぶような足取りで帰っていくゴンタを見送った。



   ◆



 日の落ちかけた街中を、俺は夕飯をどうしようか考えながら歩く。

 管理人さんはもう出かけただろうから、沙織ちゃんを誘って外食もいいかと思いついたんだけど……今日は五限まで講義があったから、時刻はすでに午後六時。

「失敗したな。普通の家なら、今頃夕食の準備をしているよなぁ」

 夕食に誘うのならタイミングが遅すぎる。沙織ちゃんを誘うなら、昼ぐらいまでに連絡をしておかないと……もっと早く考え付くべきだった。。

「沙織ちゃんはもうご飯を食べている頃かな。俺は……牛丼でも食って帰るか」

 牛丼はいい……甘辛い肉と白飯だからな、これが合わないはずがない。そこに味噌汁、サラダ、生卵なんか付けたら完全栄養食じゃないか。

 生肉だとお高くて買えない牛肉が、調理された外食だとなぜか安物の代表格になる不思議にしばし俺は思いをはせた。

「よし、駅のところで大盛食って帰るか……行きつけの店でな!」

 そう言うとなんだかカッコイイな。 




 四車線のバイパス道路を渡る時に、一直線にのびる車道の空を見上げた。

 両側に並ぶビルの谷間に、そこだけ見晴らしのいい空間がある。はるか先の街並みに夕日が沈みかけ、俺の頭上にはすでに夕闇が広がっていた。夕方と夜のまさに境目が見えるこの景色が、俺は地元にいた頃から好きだった。

「逢魔が刻か……」

 昔の人は現代人とは比べ物にならないくらい、この神秘的な光景に畏怖を感じていたそうだ。昼間と夜の入れ替わるこのギリギリの瞬間に、魔物が現れるのだと……そう言われるぐらいに幻想的な色合いの空。

 ちょっとファンタジーで、ちょっとホラーないにしえの言い伝え。実際にこの風景を見れば、俺もそう信じた彼らの気持ちがわかる気がする。

「はは、本当に妖魔が現れたりして……」

 そう呟いた次の瞬間、俺は細い指に勢いよく肩を叩かれた。

「よっす、マコチン!」

「ぎゃああああああああっ!?」




「マコチンとの付き合いも結構長くなったと思うけど、今日の反応はまた新鮮だね」

 智史君とデート中だったらしいエっちゃんがショートカットの頭を掻いた。

「いやあ……まさか本当に“邪悪な妖魔”が現れるとは思わなかった……」

「相変わらずご挨拶だな、マコチンは」

 制服のままなので、学校帰りにデートしていたらしい。カラオケでお疲れ会の時の、制服が目立つので遊べないという話はどこへ行ったのか。

「エっちゃん、制服のままだけど……?」

 目立つけどいいのか? という意味を込めてジロッと睨んでやると、察したらしいエっちゃんは何が楽しいのか呵々大笑した。

「マコチンはホント、そういうところが気が回らないねえ。わかってない。わかってないよ」

「何だよ」

 エっちゃんが真面目な顔になって、ビシッと俺に指を突きつけた。

「これは智君へのサービス! あたしが制服これ着て智君とデートしていれば、“彼女が八洲女子”って自慢になるじゃない!」

「……その相手が実はエっちゃんって段階で、プラマイゼロなんじゃないか?」

「あっはっは! 見ただけじゃ、あたしの中身なんか判んないよ」

 侮辱的な評価を敢えて否定しないとかさ。本当にエっちゃんはいろんな意味で大物だわ……。俺は大きく息を吐いて、へらへら笑っている女子高生と(おまけの)彼氏を見た。

「それで? また見かけたから声をかけただけか?」

「まあそれもあるんだけど。さっき声をかけようと思ったらさ」

 エっちゃんはなにか用があるらしい。

「マコチンが『牛丼でも食って帰るか』って言うから」

「うん?」

 エっちゃんが言うとおり、確かに俺はさっき声に出したが……それがなんだ?

 彼氏と顔を見わせたエっちゃんがまた俺に向き直り。

「ゴチになりますっ!」

「奢らねえよ!?」

 腰を落として軽く頭を下げる高校生カップルに、俺は大人げなく絶叫した。


「まあまあマコチン、いいじゃん牛丼くらい。マコチン大学生だしバイトもしてるんだから、あたしらに食わせるくらい余裕っしょ?」

「なぜ俺が!?」

「こんなところで出会ったのもきっと神様の御導きってヤツだよ! 頼むよマコチン、高校生はあんまりお金持ってないんだよ」

「だからって奢る理由にはならねえよ! 沙織ちゃんがいるならともかく、君ら二人になんで飯を奢らなくちゃならないんだ」

「マコチンのそういうはっきりしたところ、嫌いじゃないぜ?」

 さすが妖魔エっちゃん、何を言っても動じない。俺は影薄く黙って立っている彼氏の方に矛先を向けた。

「君からも、この馬鹿に何か言ってやってくれよ!」

 智史君は困ったように微笑み、首を傾げた。

「僕はバジルチーズダッカルビ牛丼で良いです」

「期間限定の一番お高いヤツじゃないか!? だいたい俺は牛に鶏をトッピングするなんて牛丼と認めないぞ!」

「おや、マコチンは牛丼原理主義過激派? アレなかなか美味しいんだよ、知らないなんてもったいない! 絶対人生損しているよ、今からみんなで行って一回試してみようぜ?」

「そう言って奢らせる気満々だな」

「当然!」

 ああもうほんと、ああ言えばこう言いやがる……くっ、こいつら本当に一緒について来そうだ……。

 俺が断腸の思いで牛丼を諦めようかと考えていると、エっちゃんがニタニタ笑いながら下から俺の顔を覗き込んできた。

「牛丼は諦めて他にするかって考えているね?」

「キミらがついて来そうだからな!」

「ふっふっふ」

 エっちゃんが勝ち誇った笑みを見せた。

「はらぺこ高校生が牛丼だけにこだわるとでも? メニューはマコチンに合わせてやるから、今宵の宴を行う店に早く連れて行くがよい! ……とにかく何か食わせろぉ!」

「ふざけんなっ!」




 結局俺は夕飯にありつけないまま、下宿へとぼとぼ戻ることになった。エっちゃんホントに追跡してくるんだもんな……もういい、買い置きのカップラーメンでも食べよう。

 逢魔が刻か…昔からの言い伝えって、大したもんだな。



   ◆



 ファストフードで注文の列に智史が並んでいる間、悦子は確保した席で待ちながら電話をかけた。

「あ、もしもしフミー? 今ゴンタ君とデート中?」

『もうすぐ待ち合わせ時間。どう? そっちの首尾は?』

 楽しそうに窓の外を眺める悦子は、流れる車列の光を見ながら口の端を歪めた。

「やっぱりマコチン、外で飯食って帰りそうだったからさ。今三十分ばかり追いかけ回して諦めさせたとこ」

『やっぱりね。サオリンのお母さんに言われたとおりに、家にまっすぐ帰ればいいのに』

 

 沙織は今日の誠人の誕生日にかけると言っていたけれど、その計画には穴があった。

 沙織母しおりさんの情報によれば誠人はしばらく誕生日パーティをやっていないので、自分の誕生日を祝うという感覚が無いらしい。だからこそ沙織はサプライズでお祝いする席で決める! と意気込んでいたけど……と思い込んでいる誠人がまっすぐ帰るとは限らない。

 そこでボランティアを買って出た悦子と文奈は、手分けして直帰しない二大要因の“友達の誘い”と“夕飯を食って帰る”を阻止するべく動いたのだった。


「それにしてもマコチンったら、予想通り過ぎて笑っちゃうわ」

『こっちもよ。ゴンタ君と電話したら、本当に徹夜で連れ回すつもりだったみたい。手を打って良かったわ』 

「よく気が付いたね」

『マコチン君の間の悪さなら、ゴンタ君が邪魔にならないはずが無いじゃない』

「そりゃそうだ、ハハハハハ!」

 電話を切った悦子は、トレーを持って悦子を探す智史に手を振りながら呟いた。

「さあて……後はあんた次第よ、サオリン」



   ◆



 俺が自室の扉を開いたら、中の照明が初めから点いていた。

「あれ? 沙織ちゃん来てたのか」

 今日はエっちゃんのせいでちょっと遅くなっている。昼間掃除に来てくれたりするけど、この時間までいるなんて珍しいな。

 俺は靴を脱いで部屋に上がり……キッチンから六畳間まで進んだところで硬直した。


 テーブルには食事の支度が……パーティかと思うぐらい、俺の好物ばかりが所狭しと並んでいる。そしてそのテーブルの前には、沙織ちゃんが……。

「ハッピーバースデーです! 誠人!」

 沙織ちゃんが、入居当日のバニーガールのコスで立っていた。

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