第28話 メリークリスマス! 下 【改訂版】

 あれから一週間。

 もう十二月も二十日を超えてしまったんだけど、俺はいまだに沙織ちゃんにクリスマスの予定を聞けていない。

 なぜと言われても困るけど……あの一言を聞いてから、俺は沙織ちゃんの中での自分の立ち位置を測りかねている。情けない話だけど、今の関係を悪くするくらいなら自分の気持ちに蓋をしたままの方がいいんじゃないかと……そう思って踏み出せないのだ。

 もちろん、恋心を隠して義兄妹関係を続ける道が楽な話であるはずがない。


 だから……沙織ちゃんの想いが知りたい。




 今日はバイトが早番だったので、まだ街がにぎやかなうちに俺は店を出た。

 クリスマスセールもラストスパート。そして年末商戦真っただ中のおかげで、繁華街もかなりの混雑ぶりだった。

 見れば大人の買い出し客に混じって、中学生や高校生もずいぶん遊びに繰り出しているようだ。期末考査と終業式の間の消化試合みたいな期間だからだろうか。楽しんでいるを通り越して、はっちゃけている感じがする奴らも多いな……ちょっと自棄になってそうな彼らの通信簿に幸あらんことを。

 ちなみにセメスター制の大学の場合、期末は年を越してから。なので十二月は試験勉強は特にしない。大学生になって一番良かったことかもしれない。


 人混みを見ながら俺はふと、沙織ちゃんもこの中に居たりはしないかと期待してしまった。踏ん切りのつかないクリスマスのお誘いを、このクリスマス前の浮ついた空気の中なら口にできる気がする。

 ……はは。

「なーんてな。そうそう都合よく沙織ちゃんがいるわけも……」

「あれぇ? おーい、マコチン!」

「……今日も搬入商品が多くてハードだったなあ! 疲れているからもう帰って寝るか!」

「ヘイヘイヘイヘーイ、無視すんなよぉ、マコチーン!」

 何もなかったことにしてさりげなく離脱を図った俺の上着を、あっという間に距離を詰めてきたショートカットの女子高生が掴んだ。

 一応振り返って確認するけど、そう都合良く沙織ちゃんは同行していなかった。俺はもう涙目で叫ぶ。

「何の用だよ、エっちゃん!」

「知り合いに街で会ったんだよ? 声かけるのは当たり前じゃん」

 確かに今俺は、街行く女子高生の中に沙織ちゃんしりあいが居ないかと願ったが……それで現れたのがなんでエっちゃんなのか!

「……チェンジッ!」

「追加料金発生するっすけど、よろしいっすかぁ!?」




 俺は否応もなく近くのコーヒーショップに引きずり込まれた。

「ま、ま、あたしの奢りだ。遠慮無く飲みなよ」

 ふんぞり返って、俺に「今日のコーヒー」ショートサイズを勧めるエっちゃん。

 他の相手なら、年下の高校生に奢られれば「悪いな」ぐらいは言うんだけど……俺、先日この子にバイトの月収の半分以上になる大金を奢らさせられたんだよな。

 俺のジトっとした視線に気が付いたのか、エっちゃんは何の悪気もなく自分だけ注文していた「冬のトリプルベリーフラペチーノ」グランデサイズ、ショット・ホイップダブル・クラッシュチョコ・ハニー追加から顔を上げてこっちを見た。

 ……どうでもいいけどそのドリンク、たぶん女子校生の一日のカロリー摂取量をオーバーしてないか?

「なに? 思わず見とれちゃうほどエッコちゃんかわいい? ファンクラブ特典で写メ一枚タダで撮らせてあげようか?」

「俺がいつファンクラブに入ったんだよ」

「不思議とみんな、そう言うよね」

「だろうな」


 あっという間に飲み干してカップにこびりついたクリームをすくい取っているエっちゃんに、せっかくなので先日文奈ちゃんにした質問を繰り返してみた。

「なるほどねえ」

 意外と真面目に聞いているエっちゃん。

「マリッジブルーってやつか」

 やっぱり聞いていないエっちゃん。

「なんで結婚前みたいな話になってんだよ。俺はまだ、告白できるかどうかって話をしているんだけど」

「繰り返さなくても聞いてるよ」

 聞いてないとしか思えないから繰り返したんだが。

 エっちゃんはクリームすくいも終えて腕組みをする。無理やり背もたれに力をかけ、椅子の前脚を浮かせながら身体を前後に揺すり始めた。

「鈍感……鈍感っていうかお笑い沙汰……いや、笑止? 失笑モノ? なんて表現したらいいのかな、コレ」

「よくわからないが、いじるネタを練ってるんなら俺帰るぞ」

「まあまあ、待ちんしゃい。あたしが真面目にアドバイスを考えているというのに」

 真面目なアドバイスで、なんで罵倒の表現しか出てこないんだよ。


 エっちゃんが椅子を戻して俺を真正面から見た。

「まあ何を言ったってさ。あたしが今ここでサオリンの気持ちを代弁しても、それは予想にしかならないよ」

「……うん」

 話を振っといてなんだけど、意外と真面目な言葉がエっちゃんから出てきた。

「それで思ったんだけどね? あたしと智君も、小学校からの幼馴染なんだよね」

 ……智史君、こんなのと十年以上も付き合っているのかよ。

「マコチン今、智君がなんで逃げないのかって思ったね?」

「それはいいから、話を進めてくれないか」

 否定はしてやらない。

 ちょっと不完全燃焼っぽいけど、エっちゃんも先を急ぎたいのか追及はしてこなかった。

「実際に付き合ったのは中学二年からかな? 付き合いはそんだけ長いんだけどさ、智君優しくてあんまり自己主張しないわけよ……マコチン今、『勢いに負けて言えないんじゃ?』って思ったね?」

「まだそこまで考えてないよ!? 先回りしてないで話を続けろ!」

 エっちゃんによれば、二人はラブいんだけど智史君の“我が儘”が無いのが不安に思えることもあるという。

「お互いに言いたいことは言えるのが健全だと思うんだよね。だから智君も言ってくれないと、向こうはそんなに愛してくれてないんじゃないかって心配になるの」

 エっちゃんのくせに、結構シリアスな悩みが出てきて俺は驚いた。エっちゃんのくせに。大事なことなので二回言いました。

「……それで、どうしたんだ?」

 思わず引き込まれた俺の問いに、エっちゃんは重々しく頷いた。

「だからあたしもこの三年、悩んで悩んで一つの考えにたどり着いたの」

 俺の眼前に、ピッと立てた人差し指を突きつける。


「あたしが好きなら、それでいいんじゃないかって」


 たっぷり十秒ぐらい時間をおいて再起動した俺の頭は右手に命じ、迷わずエっちゃんにデコピンをさせた。

「あ痛っ!?」

「長々話をした挙句、その結論はなんだよ一体!」

「わかりやすくない!? あたし真面目な話をしたんだよ!?」

「君が自己チューって話と俺が沙織ちゃんに告白する話がどうつながるんだ!?」

「いやいや、あたしの決意を自己チューの一言で片づけてほしくなんだけど!」


 エっちゃんはコンパクトを取り出して自分のデコを見ながら続けた。

「要するによ。マコチンはサオリンを好きなんしょ?」

「ああ」

「妹なんかじゃなくて、女として!」

「……そうだよ」

「それでマコチンはラブなんだけど、サオリンの方がどうだかわからない」

「そこが、問題なんだよな」

「だからあたしは言うの。“気にしなきゃいいんじゃね?って”」

 思わずエっちゃんを見ると、この子にしては珍しく真面目な顔でこっちを見ていた。

ラブの基本は情熱パッションだぜ? マコチン本気で好きなんでしょ? 他の男に盗られたくないんでしょ? サオリンが彼氏できたって男を連れてきたら?」

「手加減できないかもしれん」

「だったらサオリンがその気じゃなくたって、自分がわからなくて揺れてたって、マコチンが情熱で押しまくって一気に押し切るしかないじゃん。」

 ……その考えはなかった。ていうか、両思いでこそ手を取れるって発想しかなかった。

「知ってるかい、マコチン。“好き”っていうのは、言うより言われるほうが幸せなんだよ? たとえ今サオリンにその気がなかったって、毎日毎日『愛してる』って言われまくればマコチンに傾いてくるんじゃないの?」

「!?」

「あたしに今確実に言えるのは、サオリンに彼氏がいないって事だけ! マコチンをどう思ってるかなんて本人に聞かないと判らないけどさ……マコチンがサオリンにとって“お兄ちゃん”だとしたって、血がつながってないんだからアタックして何も悪いこと無いじゃない」

「……そうだよな!」

 どうしよう……エっちゃんがとんでもない恋愛の達人に思えてきた。エっちゃんのくせに!

「どうする? あたしが間に入るより自分でクリスマスの予定確認したほうが良いと思うけど」

「うん、そうするよ。エっちゃんありがとう!」

 俺は礼を言いながら立ち上がった。すぐに、今すぐ沙織ちゃんに予定を空けてくれって言いに行かないと!

 俺は挨拶もそこそこに急いで店を飛び出した。




 悦子はやっと勇気を搾り出した沙織の想い人にひらひらと指先だけで手を振ると、頬杖をついてニヤリと笑った。

「あれだけ常識外れなサオリンのラブコール、気が付かないってマコチンどんだけニブいんだか」

 スマホを取り出して文奈に送るLINEの文面を考える。この出来事おもしろネタはすぐに共有しないと。

「あの勢いだと、今晩中に決着つくかな? ……でもマコチンだしなあ、イブまでは引っ張るか? 沙織もアレだし」

 送ってぶつぶつ呟いていると、すぐに着信音が鳴ってLINEが返ってきた。

『マコチン君を甘く見ちゃダメ』

 続いてもう一文。

『絶対まだ、何か笑えることをやらかしてくれるはず!』

 ニヤニヤ笑う悦子の片頬が跳ね上がった。

「あたしも同じ意見だわ」 



   ◆



 俺は走った。

 とにかく急いで下宿に帰りたい。急ぎすぎて駅前に自転車を忘れてきたが、今から取りに帰る時間も惜しい。

 駅から十五分。やっとマンションにたどり着いた時、沙織ちゃんがエントランスの前を掃き掃除しているのが見えた。

「沙織ちゃん……」

 俺はドキドキする胸の鼓動を抑え、走るのを止めて歩き始めた。何気ない風を装って行こう……心臓がいつまでも収まらないのは走ったからか? 声をかけるからか?

 近づくと沙織ちゃんが気が付いてこっちを見た。

「あ、誠人さん。お帰りなさい!」

「ただいま」

 ほっとさせてくれる沙織ちゃんの笑顔に、笑顔で返事を返す。

 そして笑顔を見ただけで、この笑顔を余計な一言で曇らせたくない弱気がむくむくと……ダメだ! 勇気を振り絞れ! 

 俺はさりげなく……震えそうな声を努めて押さえてさりげなく、沙織ちゃんに声をかけた。

「そういえば沙織ちゃん。クリスマスって何か予定があるの?」

 ……言えた。

 ほっとすると同時に返答にドキドキし始めた俺が、外面だけを取り繕って返事を待っていると。

 特に裏の意味があるとも思ってなさそうな沙織ちゃんが、にっこり笑って答えてくれた。

「お父さんが赴任先から帰ってくるんで、ホームパーティーです」

 俺は最後の力を振り絞って何気ない風に笑顔で沙織ちゃんと別れ、自室に入った途端にキッチンの床へ崩れ落ちた。


 それにしても。

 お父さん、ちゃんと健在だったんだね……それだけはよかったよ。

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