第15話 学校祭の招待券 【改訂版】

 夏の間、結局俺は沙織ちゃんと海に行くことはなかった。

 あのお友達のドッキリひもみずぎの件の直後にはこちらから訊きにくかったし、その後は沙織ちゃんの誕生日でドタバタして、俺が帰省して帰ってきたらもう海に入る時期じゃなくなっていた。

 正直に言おう。非常に惜しい。一年を無駄にした気分だ。


 とはいえ水着姿の沙織ちゃんと半日も至近距離にいるなんて環境で、俺のが反応しないとは思えない。沙織ちゃんの同行者がずっとバスタオルを腰に巻いていたら、絶対周りの連中に理由を悟られる。笑い者で済めばいいけど、保護者失格で白い目で見られそうだ。

 もし来年誘われたら、海に行く直前の勉強会は慣れる為に水着で来てもらおう……。

「……何バカ考えてんだ俺!? 妄想が悪化してんじゃねえか!」

 美少女が水着で勉強教えてくださいとか! セクシー系グラドルのイメージビデオか!? ありえないだろ、そんなの!? そう言えば競泳水着でお片付けに来てくれたこともあったっけな。口には出せないけど是非またアレで来てください!

「いかん、一回頭を冷やそう……なんでだろう? 一人暮らしを始めてから俺、自分が通報事案を起こすヤツに思えて仕方ない……」

 おかしいな。俺、地元じゃ面白みのない真面目なヤツで通ってた筈なんだが……。

 現実で沙織ちゃんの艶姿を何度も見るたびに、妄想の内容も悪化している気がするんだよな。本人には、とても言えたもんじゃない。


 朝からそんなふうに沙織ちゃんの事ばかり考えていたせいか、出かけようと外に出た途端に目の前のドアが開いた。沙織ちゃんも学校に行くらしく、半袖の制服姿だ。

「おはよう沙織ちゃん。今日は学校?」

 俺の挨拶に笑顔で答え、沙織ちゃんは通学カバンを見せてきた。

「八月の終わりは補講なんです。授業のコマ数がどうしても足りないとかで、毎年この時期は学校になりますね」

「俺の学校、そんなの無かったな……沙織ちゃんの学校は真面目だね。いっそ二学期の頭を前倒しすればいいのに……」

「それもなんだか嫌じゃないですか? 実質無いとはいえ、夏休みが短くなるの」

「それもそうか」

 そんな会話をしながら階段を降り切ったところで。

「あ、そうだ。誠人さん、九月の第三土曜日ってお時間ありますか?」

 沙織ちゃんが急に変な時期の話をし始めた。

 別にこちらも秋学期が始まったばかりだし、時間自体は十分とれる。ただ、沙織ちゃんも夏休みが終わったばかりで何処か遊びに行きたいとかいう話でもなさそうだ。

「うん、特に何も決まった予定はないけど」

 俺の答えを聞いて、沙織ちゃんがカバンから封筒を出してきた。

「この辺りじゃちょっと珍しいんですけど、私の学校は九月に学園祭なんです。良かったら、見に来てくれませんか? 一人三枚招待券をもらえるんですけど、私は毎年余ってしまって」




『もしもし誠人? 田原だけど……』

 土曜の朝も早くから、どういうわけかゴンタから電話が来た。

「ゴンタか、どうした? 土曜の朝から。そんなに今朝のお子様アニメは神回だったのか?」

『誰がそんな話をしている』

「ああ、戦隊モノの方だったか」

『じゃねえよ。どっちも日曜だよ』

 放映日は押さえているんだな。

 電話の向こうの声はなんだか弾んでいる。外にいるらしく、ちょっと周囲からの音がうるさく感じた。

『いや、実はバイトの仲間と男女一緒にネズミの国に来ててさ。女子と一緒に! この感動を分け与えてやりたいと思っておまえに電話したんだ』

「もし男だけで行ってたら、なかなかの勇者だったな。ていうかおまえ、こういう電話をしてくる辺りでイケてない感すごいよ」

 さすがゴンタと言うべきか。

「着いて早々こんな電話寄越すぐらいなら、少しでも女の子から相手にしてもらえる努力をしろ」

『日常会話に飢えるほど不自由はしとらんわ。ま、入場待ちの列が凄くてさ。暇だからモーニングコールをしてやろうかと』

「俺の予定を昨日までに確認してからやれよ、そういうことは。そもそも俺、今日はもう用事で出かけてるんだよ」

 そう、今日は土曜にもかかわらず朝一で家を出て来ていた。

『おまえが土日に昼まで寝ないなんて珍しいな。どこに行ってんの?』

八洲やしま女子高等学校」

 俺は不思議そうなゴンタの問いに、沙織ちゃんの学校の名前を答えてやった。

 女子高の文化祭招待券をもらうなんて素敵イベント、俺の人生に二度もあるかわからない。だから最大限に堪能させていただこうと、朝一から入場しに来たんだ。


 俺にとっては不本意な評価だが、ゴンタにこの情報は予想外過ぎたらしい。しばらく無言が続いた後、電話の向こうから半分悲鳴のような声で。

『……おまえまさか、八洲女子の学祭チケット盗んだのか!?』

「なんでそっちに行くんだよ。前に話した管理人さんの娘さんがくれたんだよ」

 コイツは何を言い出すのか。

 幾分ムカつきながら答えたら、ゴンタがもっと混乱した声を出した。

『え? おま、ちょっ……くれるってことはの娘、八洲女子か!?』

「まあ、そうなるわな」

 他校の学園祭になんか呼ばないだろ。

『見た目も性格もかわいくて、学校が名門女子高だと!? なんだよ、その完璧超人!』

「恐れ入ったか。というわけでこの幸運をおまえなんかに分け与えたくないから、これ以上漏れこぼれないように電話もう切るな。じゃあ」

『待て! その子にすっげえ興味出て来た! とにかく写真送ってく……』

 俺はバカが喚いている電話を強制的に打ち切り、スマホをポケットにしまった。




「それで入口のチェックが厳しかったのか……」

 ゴンタの話では偏差値が高いのかお嬢様が多いのかまではわからなかったけど、まあ地域の憧れの女子高だというのはわかった。地元にはそんな物は無いから知らんかった。

 そんな所へお誘い下さった沙織ちゃんには感謝しかない。これで大学の連中にすっごい自慢できる。

「そうだ、証拠写真を撮って行こうかな」

 信じないヤツラに“吹かしてる”とか言われたら嫌だから、確実に現場にいるってわかる写真を撮っておこう。

 そう思って展示教室の入口が並ぶ廊下で、自撮りしようとかざしたスマホのカメラで角度を調整していたら肩を叩かれた。

「沙織ちゃん?」

 他に知り合いいないもんなあ……と思って振り返ったら、全く知らない女生徒だった。肩を叩かれた事より、そっちの方がびっくりだ。

「はい?」

 どちらさま? 本当に全く誰だかわからない。

 思わず問い返してしまった俺に、にっこり笑った彼女は腕に巻く「風紀委員」と白抜き文字の赤い腕章を示した。

「申し訳ございませんが、学校の安全上の問題で校内の撮影は禁止しております」

「あっ!」

 女子高にはそういう制約があるって都市伝説を昔どこかで……。

 驚いて硬直している俺が手に持つスマホをわざわざ指さし、営業スマイルの風紀委員が先を続けた。

「こちらの指導を無視されますと、退出いただくか携帯電話をお帰りまで強制的にお預かりします。自発的にしまっていただけますよう、よろしくお願いします」

 風紀委員ちゃんの言葉を聞いて、俺は「ああ、この学校は頭がいい方の名門校か」と納得してしまった。丁寧に聞こえつつ端々に滲む命令口調、これは気品より知力に重点置いてる方々の物言いだわ。

 とはいえ、本当に行ったんだと仲間に自慢するため証拠は欲しい。俺は丁寧に謝りつつも、一枚で良いから写真を撮らせてと食い下がってみた。

「というわけで、勝手なお願いなんですけど……八洲女子高にいるとわかる写真を、一枚だけ撮らせてもらえないでしょうか?」

「そうですね、写真を撮っていい場所っていうと……」

 無理でも言ってみるものだ。風紀委員ちゃんは少し思案顔になると、俺を伴って中庭に出た。

「ここは学校案内でも使っている場所です。ここでファサード越しに尖塔と一緒に写れば十分証明になると思いますよ」

「ここは撮っていいんですか?」

「例外は本当は良くないんだけど、この場所だけだったら学校内のことは何もわかりませんから。校舎の中は不法侵入したがる変質者に情報を漏らす事になるので、絶対に禁止ですが」

「ああ、なるほど」

 そういう心配してるんだ。俺たちの学校とは違うなあ……うちの高校じゃ、変質者はむしろ中にいそうだったが。

 そんなことを考えながら風紀委員ちゃんの気が変わらないうちに写真を撮ろうとしたら、彼女が突如手を出してきた。

「撮りましょうか?」

「あ、すみません。お願いします」

 ここでの撮影に慣れているのか、さして時間をかけずに彼女はパッとスマホを構えた。

「撮りますよ」

「は、はあ……」

「はい、笑って……どうです? こんな感じで」

「えーと……あ、いい感じですね。ありがとうございます」

「いえいえ。それでは」

 にっこり笑うと俺にスマホを渡して、彼女は去って行った。


 その場に残された俺は間抜け面で見送ると、今写してくれた画像を再生してみた。

「画角がビシッと決まってる……さすが現役JK」

 間抜け面の俺と小さくピースして微笑む彼女の後ろに、八洲女子の名物だと言っていたファサードと尖塔がうまく背景で入っている。大したものだ。

 ただ一つ気になるのは。

「なんで風紀委員が一緒に自撮りしてんの?」

 答を聞こうにも、既に彼女の姿は影も形も見えない。


 何だったんだ、あの子。

 女子高生の考えることは、今も昔もわからない……。




 初めて入る学校の間取りに迷い、あちこちで生徒に聞きながら彷徨うこと一時間弱。俺はやっと沙織ちゃんのクラスに到着した。

「2-A……ここだ、やっと着いた」

 良かった、間違いない。俺は額に薄く浮かんだ汗をぬぐった。

 校内に入ってから、もう丸一日迷子になっていたような気分だ。確かに“2-A”と書いてあるクラス表示を見て、俺はもう嬉しくって泣きそうだった。

 別に好きで寄り道してきたわけじゃないぞ? 

 まず、身元チェックが厳しい。父兄しか入場できない筈なんだけど、やはり若い男だけというのは警戒されるらしい。あちこちで呼び止められて、身元の確認をさせられた。

 それに結構な人ごみで……人気の展示の前なんかは、廊下を通り抜けるのさえ苦労した。

 さらにこの学校、校内が迷路みたいで凄いわかりにくい。

 生徒玄関が三階だったり、本館の五階と別館の一階が同じ階層だったり。傾斜地に増築を繰り返した校舎群でできていて、もうマジもんで迷宮じゃないか。

 初めっから作りがおかしいところへ初来校の俺。この学校、災害時にすぐ避難できるんだろうか?


 そんなことを考えながら沙織ちゃんのクラスに入ろうとすると、探すまでもなく沙織ちゃんが廊下で待っていた。

「誠人さん、なんで武道場まで行っちゃうんですか」

 俺が迷いまくったので、散々待たされた沙織ちゃんがちょっとご機嫌斜め……という事の前に。

「あれ? なんで俺が迷ってたことを知ってるの?」

 俺は校内で彷徨ったことを、沙織ちゃんに知らせて。出し物の当番だったら悪いと思って、今日行くと朝一でLINEした以外は連絡を取っていなかったのに。

 沙織ちゃんが困った顔でため息をついた。

「誠人さんを一階で注意した風紀委員、うちのクラスなんです。私の名前呼んだでしょ? それでピンと来たらしくて、私の客かと確認のLINEが来たんです」

「ああ、それで」

 融通を効かせてくれたり変な自撮りしたり、なんだと思ったら沙織ちゃんの知人だったわけか。

「それで、そうだと返信したら……クラスメート全員に私の彼氏が来たと一斉送信されちゃって……」

「ああ……」

 女子高生、そういう噂話好きそうだよね。

「午前中はわりと暇なので、それを見たクラスのみんなが『ゴールから動けない沙織わたしの代わりに探してきてあげる』って理屈で教室を飛び出して行っちゃいまして……それで今はほとんど人がいません」

「何やってるの、キミタチ」

「そしていつの間にか“写真一枚で誠人さん探しゲーム”が始まっちゃって、声をかけた相手が本物だったら私がジュース一本奢るってルールが勝手に決まってしまい……」

「本当に何やってるんだ、君たちは!?」

 頭イイ人って紙一重だって、ホントだな……。

「さっきから、誠人さんを見たと連絡が続々と……二ケタ行く前に着いてくれて良かったです」

「そんなに俺を見つけてたの!? だったらクラスまで案内してくれよ!?」

 俺ずっと監視下に置かれてたの!? なにそのリアリティ・ショー。

「なんだか、リタイヤするまで手を出すなって“初めてのお使い”状態になっちゃってて」

「ねえ、最初の“沙織ちゃんの代わりに探してくる”って建前はどこ行ったの?」




 沙織ちゃんはクラスの出し物の衣装らしく、ミニスカメイド服を着ていた。うん、凄く似合っているし大変かわいらしい。そしてこれぐらいでは動じなくなっている俺、自分で自分が怖い。

 そこへちょうど部屋から出て来た、ショートカットのボーイッシュな女の子が話しかけて来た。

「おっ、そっちがサオリンのイイ人? 迷子になったって言うから、もっとトロい感じかと思ったよ。昼までかからなくてよかったね」

「もう、エっちゃんったら……オヤジ臭い言い方止めてよ」

「サオリンひでえ」

 ちょっとふくれっ面で沙織ちゃんが肩を叩いた少女は、真っ赤で全面に刺繍の入った派手なチャイナ服を着ていた。沙織ちゃんの言った“エっちゃん”という綽名に、なぜか聞き覚え……。

「あっ! キミが紐水着のエっちゃん!?」

「はあっ!? いきなり何言いだすの!?」

 思わず叫んだ俺の声に周囲の注目が集まって、短髪の少女は狼狽して壁に張り付いた。初めて聞いたみたいな彼女の反応に、俺の方が戸惑ってしまう。

「え? 君が沙織ちゃんに破廉恥な紐水着を着せようとしたエっちゃんじゃないの?」

「あ~、あの話? あたしは紐ビキニを提供しただけで、破廉恥ボディはサオリンだってば」

 やっぱりこの子があの時の電話の相手か。

 ショートカットと小気味のいい喋り方もさることながら、黒目がちの瞳がくりくり動いて落ち着きがなく、全体に活発な雰囲気を発散させている。遊んでいる時の猫みたいな子だ。

「あのビキニは確かに沙織ちゃんに似合っていると思うけど、エロいと思って着せたのは君でしょ?」

「そりゃそうなんだけど、でもエロい紐ビキニもサオリンのナイスバデーがあってこそだし。あたしがエロいみたいに言われるのは」

「ふ・た・り・と・も! 今すぐ口をつぐんで教室に入って!」

 エっちゃんと認識に違いについて議論していたら、真っ赤になった沙織ちゃんに教室へ放り込まれてしまった。照れる沙織ちゃんカワイイ。



「いやあ、すまんすまん……サオリンの彼氏さん、なかなか鬼畜だね」

「ごめんね沙織ちゃん。あんまり印象深かったので、つい」

 慌てて入った教室で、プンスカ怒る沙織ちゃんに俺とエっちゃんは謝った。もっとも沙織ちゃんは俺よりも、エっちゃんに対してより怒っている。

「元はと言えば、あんなの用意したエっちゃんが悪いんじゃない!」

「サオリンの特性を活かしたチョイスじゃない」

 その意見は理解するが、性格的に向いているかどうかも掘り下げてみて欲しかった。


 俺は沙織ちゃんとエっちゃんが言い合っているのを放置して、教室内を見回してみた。

 室内の机椅子は片づけられ、部屋の中にさらにカーテンのパーテーションで小部屋が仕切られている。明るさが足りないからなのか、オレンジ色に光るライトがあちこちに設置してあった。まだ全然客がいないらしいけど、それ以前に何をしているのかわからない。

「このクラス、展示の内容は何なんだろう?」

 見ても全然わからない。沙織ちゃんに急いで引っ張り込まれたので、外の看板を見ていなかった。

 気分屋らしく、もう調子に乗っているエっちゃんが無理やり沙織ちゃんと肩を組みながら俺をみてニンマリ笑った。

「ヘヘヘ、わかんない? あー、えーと?」

「沢田誠人です」

「了解! そんでマコチン」

「マコチン!?」

 初対面でいきなり!? “沢田さん”も“誠人さん”もすっ飛ばして!? 

 ガードゆるゆるの沙織ちゃんといい、最近の女子高生の距離感がわからない……なーんて、半年前まで男子高生だった俺が思うのもなんだな。俺の同期もこんな奴らだったのかな……ハハハ、接点無さ過ぎてわからねえ。

「聞いてんの? さあマコチン、うちのクラスの出し物を当ててみてよ? ヒントはあたしとサオリンのコスチュームでえす!」

「メイド服とチャイナドレス……さっぱりわかんないな」

 飲食店か? それにしては収容人数が……正直に言えば後ろのパーテーションもあるのでいかがわしいお店を想像してしまったのだが、いくら何でも学校でそれはあり得ないだろう。

 俺は早々に白旗を上げた。

「わからない。降参だ」

「はっやいなあ。もうちょっと考えてよね」

 ちょっと小ばかにしたように鼻を鳴らしたエっちゃんは、何かの賞を発表するみたいに大げさな身振りで小部屋を指し示した。

「見ての通り、占いです!」

「服装関係なくないか!?」

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