第7話 甘く見ていました 上 【改訂版】

 俺は変なところから漏れ出した水を見て、参ったなとため息をついた。

 蛇口の付け根、壁からちょこっと配水管の頭が顔を出しているところから水が漏れている。そんなに大した量ではないけど、これも一晩放置すれば風呂桶一杯溜まるんじゃないだろうか? 月額に直せば水道料金が結構行きそう。

「どうも蛇口と水道管の間が緩んでいるだけみたいだけどな……」

 部品がひび割れているようには見えないし、単純に蛇口の金具が緩んだだけと思える。かと言って、じゃあ締め直せばいいとか言う簡単な話でも無くて。

「コレ、どういう工具で締められるんだ? 締めただけでいいのか? 接着剤とか塗るの?」

 プロじゃないから、道具もやり方もさっぱり判らない。ただひとつわかっているのは、素人がネジ締めの感覚でやったらそのうちに再発するだろうという事だ。

 ……プロ。

 俺は引っかかったその一言で、当たり前のことを思い出した。




「そうだよ、管理人さんに言って水道屋を手配してもらえばいいんじゃないか」

 管理人ってその為にいるんだよな。あの人って見かける時はだいたい沙織ちゃんをからかって遊んでいるから、ついついアレが本業みたいに思ってた。

 俺は急いでサンダルをつっかけて、悪化する前にと一階まで降りて管理人室の扉を叩く。

「すみません、管理人さんいますか?」

「はーい」

 中から若い声が聞こえてパタパタ足音がして。

「お待たせしました!」

「あれ? 沙織ちゃん?」

 顔を出したのは沙織ちゃんだった。


「そうなんだ。管理人さん出張か……」

「はい、今日の夕方には帰ってくる予定なんですけど」

 沙織ちゃんの話を聞いて、俺は思わず唸ってしまった。

「あの人、管理人の仕事しているの見たこと無いんだけど」

「ハハハ……それで誠人さん、どうしたんですか?」

 沙織ちゃん、否定しないんだね……それはともかく。

「ああ、えーとね」

 答えづらいので話をずらす沙織ちゃんに合わせて、俺も本題の方にシフトした。

「風呂場の洗面台の蛇口が水漏れしちゃってね。修理業者を呼んで欲しいんだけど」

「わかりました!」

 トイレには手洗い台が無いのに、風呂場には洗面台があるんだよな。多分中間に脱衣所置くと、扉と壁が増えるから予算をケチったんだと思う。洗面台の所属はどちらかと言われればトイレのような……どっちで歯を磨きたいかと言われれば、そりゃトイレより風呂だけど。

 奥へ引っ込んだ沙織ちゃんはガサガサ連絡先を探している。時間がかかるので、もしかして電話帳を探しているのかなと思ったら……本人が工具箱を持って戻ってきた。

「では、行きましょう!」

「待って?」

 俺はやる気溢れる沙織ちゃんを押しとどめた。

「沙織ちゃんが直すの?」

「はいっ!」

 返事は良いけどさ。

 やる気一杯のところ申し訳ないが、俺はどうも沙織ちゃんに配管工のスキルがあるように思えないんだが……。

「こういう事、よくあるの?」

「はい、はよく直していました!」

 やっぱり不安しかない。

「いや、でもさ。沙織ちゃんは初めてじゃないのか?」

「大丈夫ですよ」

 沙織ちゃんは自信ありげに胸を張り、豊かな膨らみをプルンと揺らした。

「昨日テレビで『バカでもできるDIY入門』を見ました! ちょうど蛇口の修理をやっていました!」

「それでかー」

 OK、やってみたい気持ちは理解した。けど、俺としては超不安。

 ……やっぱり業者さんを呼ぶという選択肢を……。

「洗面台でしたね!? 先に行きますよ!」

 言い出せる雰囲気じゃないね。うん、判ってた。


 工具箱を提げて意気揚々と、階段をスキップするみたいに上がっていく沙織ちゃん。俺は足取り重くその後ろに続いた。




 そして今。

 シャンパンを開けたような破裂音がして、風呂場の外で待つ俺の前を蛇口が飛んでいった。対面のガスレンジに激突して派手な金属音をたてるのと同時に、風呂場から勢いよく水が噴き出してくる。

「キャーッ!?」

「うぉっ!?」

 沙織ちゃんの悲鳴と俺の驚きが続き、キッチン兼通路に噴き出す水をせき止めるように風呂場の扉が閉められる。中から沙織ちゃんが閉めたらしい。

「沙織ちゃん!? 大丈夫か!? ケガしてない!?」

大丈夫です! でも水が凄くて……外に溢れ出ないようにドアを閉めました! 絶対開けないで下さいね!』

 風呂場の中で水を噴き出す水道管を、両手で必死に押さえてアタフタしている沙織ちゃんの姿が目に浮かび……焦燥感と一緒にちょっと萌えた。

 いや、そんな場合じゃない。

『蛇口を工具で緩めたら、いきなり飛んでっちゃって……なんで? どうしよう!?』

 おろおろしている沙織ちゃんの声を聞いて、俺はスマホで業者を検索することを思いつき……ついでに、一つ見落としていた手順を思い出した。

「なあ沙織ちゃん、元栓って閉めたっけ?」

『……あっ!』


 探し回った俺は三分後に部屋の外の小さい扉を開けて水道管の元栓を発見した。急いで閉めて、風呂場へ様子を見に行く。

「沙織ちゃん、大丈夫!?」

「あうー……酷い目に遭いました……」

 風呂場の扉が開き、濡れネズミという言葉がぴったりな沙織ちゃんが姿を現した。

 もう頭から爪先までびっしょり。普段はサラサラと宙を舞うストレートロングの黒髪が、墨に浸した筆のようにピタッとまとまった束になっている。ピンで上げている前髪もほどけて顔に張り付き、彼女の視界を奪っていた。

「あうー……誠人さん、すみません」

「あ、いやいや……初めてなんだよね、仕方ないさ」

 こんな会話をしていると、彼女には「失敗を謝って来る少女を優しく慰めるナイスガイ」……に聞こえているだろうか。聞こえているといいな。

 現実の俺は、声が上ずらないようにするのにいっぱいいっぱいだった。

 電球しかない風呂場から、窓から陽の光が入るキッチンへ出て来た沙織ちゃん。頭から水をかぶって全身ずぶ濡れの彼女の服はグッシャグシャなわけで。

 薄いイエローのワンピースは生地も薄かったらしく、身体にピタッと張り付いたついでに下着の形どころか色まで透けて見えていた。ペパーミントグリーンのハーフカップのブラが高校生らしくて爽やかでいい。中身は凄い盛り上が方を見せているけど。このサイズでよくハーフカップがあったな。ショーツもお揃いだ。隙が無い。偉い。

(……んなこと考えている場合じゃねえだろ!?)

 彼女の視界が塞がっているのをイイことに、変態じみた思考で全身舐め回すように見ているとか!

 善意? 好奇心? で部屋の修理に来てくれた彼女に、俺は何をやっているんだ!?

 そんな自分に嫌悪感を催して頭を抱える俺に、前髪を掻き分けやっと前が見えるようになった沙織ちゃんが申し訳なさそうに頼んできた。

「誠人さん、申し訳ないんですけどタオル貸して下さい……」

「あ、そうだね!」

 急いでバスタオルを二つばかり取り出して渡す。

「体冷えちゃうでしょ? ついでにシャワーでも浴びて温まって!」

「何から何まですみません……」

 修理に失敗してしょげている沙織ちゃんが、俺の言う通りにバスタオルを持って風呂場に引っ込んだ。

 ……さて、雑巾を持ってきて後片付けをするか。




 キッチンの床を拭く雑巾を探しながら、壊れた蛇口をいつ直せるか考えていた俺の耳に……小さく扉が開閉する音が聞こえた。

「ん?」

 玄関はもっと派手な音がする。振り返ると風呂場のすぐ外の床に、丸めた布の塊を置いて引っ込む細い腕が見えた。薄い黄色の生地に見覚えがある。

「あ、そうか……浴室に脱いだ服を置いておく場所が無いんだよな、この部屋」

 脱衣所が無い上にトイレ併設じゃないから、便座もカーテンも風呂場の中に無い。ファミリー向けの部屋には脱衣所が付いているんだろうか。

「あれ干さないとまずいよな。床に置いといて、水たまり広げるわけにもいかないし」

 俺は何気なく拾い上げ、ベランダの物干し竿へ引っかけるべくワンピースを広げた。

 この辺り、大家族で家事を手伝っている男子諸君には心当たりがあると思う。女物だろうと男物だろうと、それは洗濯物という括りであって他の何物でもない。だから何も考えず、無意識に濡れた服を広げて干そうとした行為に決してセクシャルな意味はない。


 そんな俺が黄色いワンピースを広げた途端、視界を何か緑色の物がかすめていった。

「あれ? 今なにか……」

 床に落ちた物を見ると、上下揃ったペパーミントグリーンのビキニだった。

 ただ普通のビキニと違うのは、全く他人に見せるつもりのない肌着専用の物で……自分をごまかしていないで素直に認めよう。うん、これは沙織ちゃんの下着ランジェリーだ。

「!」

 散々思わせぶりなコスチュームで迫って来た? 沙織ちゃんだけど、よく考えたら下着を生で見るのは初めてだ! 中身は入っていないけど、これはこれで想像力が……!?

「だから俺は何をやっているんだっての!?」

 慕ってくれる沙織ちゃんをエロい目で見ない。そう決意するたびに、な、ん、で、すぐに自分で反故にするんだよ俺!?

「いかん、考え込む前に干さなくちゃ」

 心を無にして俺は機械のように、ワンピースと下着を物干し竿に洗濯ばさみで留めた。

(考えるな! 誰の物とか考えちゃいけない!)

 凄く可愛い沙織ちゃんのものだとか、タグのサイズ表記を確認しておきたいとか、そういうことは考えちゃいけない!

(無心になれ……無心だ!)

 そう考えているということは、つまり無心じゃないのだが。

  

 沙織ちゃんの服一式が風になびいて空を泳ぐ。今日は陽も出ているし、そよ風も心地よいからすぐに乾くだろう。

 俺は「健康な男子限定大量破壊兵器」を無事に処理し、ホッとしながら雑巾を探す作業に戻った。

「おかしいな? 入居の時に使ったんだけど……」

 つまりその後二か月使っていない雑巾を探していると……風呂場の扉がいきなり開いて、泣きそうな沙織ちゃんが恐る恐る出てきた。身体にバスタオルを巻いて。

(あ、そうか。彼女今着るものが無くて、つまりあの下は全裸……だから俺はぁっ!?)

 今日何度目かわからない決意の崩壊を脳内で罵っていると、沙織ちゃんがワタワタとキッチンの蛇口を指差した。

「誠人さん。よく考えたら元栓閉めちゃったから、この部屋水が一切出ないんでピギャアッ!?」

「なんだっ!?」

 沙織ちゃんがシャワーが使えないと訴えてきたんだけど、話の最中でいきなり変な悲鳴を上げた。内容よりむしろそっちにビックリして彼女を見ると、真っ赤になった少女の視線は俺を通り越してベランダに向かっている。

「え? どうしたの?」

 外は良い天気で、ずぶ濡れの服が風にそよいているだけだ。おかしなものなど何も見えない。

「ま、誠人さん!? 恥ずかしいんで下着を単品で干しちゃダメです!」

「あっ」

 忘れてた。

 確か、他の洗濯物の陰になるように配置するんだよね。我が家の女性陣に配慮した事なんか無いから忘れてた。

「ご近所さんに見られちゃう!」

 悲鳴をあげながら、沙織ちゃんがパタパタ駆けて来て俺の横をすり抜けようとした。俺は慌てて通せんぼした。

「ちょい待っ、待って沙織ちゃん! 俺が取り込むから! お願いっ、沙織ちゃん聞いてるっ!? 自分の格好を自覚して!?」

 無我夢中でベランダに駆け寄ろうとする沙織ちゃんを慌てて止める。

 よく考えて!? 風に泳ぐ下着より、簡易包装の沙織ちゃん本人がベランダに出る方がよっぽどマズいだろ!


「下着がぁ!」

「だーかーらー!」

 両手を広げてブロックする俺とすり抜けようとする沙織ちゃんの攻防は、彼女が正気に戻るまで三分ほど続いた。

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