第5話 沙織ちゃんが思うこと 【改訂版】

 ベッドにうつぶせに寝そべっていじけている俺に、幾分気遣いの感じられる声で沙織ちゃんがそろそろ帰ると声を掛けてきた。

「あの、玄関の鍵はかけときます?」

「……ああ、お願いします」

 そう言えば、合鍵乱用の件……まあいいや。コレクションを見られた今、もはや沙織ちゃんに勝手に入られて困ることなど何もない。


 ……ムッツリスケベ野郎の部屋になんか、もう来ることも無いだろうがな。


 エッチなアレコレを見られた恥ずかしさより、“これで嫌われた!”っていうショックの方が大きい。相手がこれから四年間は近所づきあいするお隣さんで、管理人さんの娘で、すごい美少女というのも条件が悪すぎる。気マズいというか、立場がマズい。

 俺の大学デビュー、さっそく失敗した……。


 合わせる顔も無いので見送りもできない俺。荷ほどきを手伝ってもらっておいて態度が悪いが、かといっていけしゃあしゃあと笑顔で見送るのも恥知らずだろう。

 枕に顔をうずめたまま沙織ちゃんの気配だけを伺っていると、一度玄関に行きかけた気配がまた戻ってきた。そしてそっと枕元にしゃがみ込んで。

「冷蔵庫も無いし、まだご飯作れないですよね? 今晩お母さん出かけるんです。一緒に食べませんか?」

「はいっ!?」

 動揺した俺の頭が枕の上でバウンドする。器用だな、俺。

 今、なんつった? この子なんて言った?

 エロい物を下宿まで箱一杯持って来る男に、「ご飯行かないか」だと!?

 パニクっている俺の問い返しをOKの意味と受け取った彼女は、ちょっとホッとしたような声で「また夕方に声かけますね!」と言って帰って行った。


 今度こそ鍵をかける音がする。完全に室内の物音がしなくなってから、俺は寝返りを打って仰向けになった。


 普通、女の子はああいう物を笑って済ませられないよな。


 気にして無いみたいにその場を取り繕う事はあるかもしれないけど、その後はそっと距離を置くだろう。

 それを無かったことにして、ショックを受けている俺をご飯に誘ってくれるなんて。

「……沙織ちゃん、マジ女神」

 沙織ちゃんの完璧な外見と、ついでに抜けている中身のギャップに萌えていた俺は……心遣いもできる優しさにも、ギュッと心臓を掴まれたような気がした。




 沙織ちゃんは夕方六時前に本当に呼びに来た。どうせだからと二人で外へ食べに出る。

「管理人さんはどこかに出かけているの?」

「はい。お仕事で打合せです」

「え? 管理人が仕事では?」

「あー、それはですね……」

 沙織ちゃんの話だと、管理人さんは本業は別にあって在宅勤務らしい。

 それで完全に自宅に閉じこもるよりは、“基本いればいい”レベルでゆるい勤務体制の小さい低層マンションの管理人をダブルワークでやっているんだそうな。

「邪魔はされたくないけど、まったく人づきあいが無いのも嫌みたいで」

「それはわかる気がするな」

「『そこにいれば普段何もして無くたって給料出るんだよ? 美味しいわぁ』とも言ってました」

「あの人だとすごくわかる気がするな」


 駅前のファミレスに行くことにして、俺たちは日が暮れて来ている街中を歩く。

 ヘッドライトを点け始めた車が行き交う横を歩きながら、俺はさっきのメンズコレクション発覚の件を聞いてみた。

 今じゃなくてもいいかもだけど、店で腰を落ち着けてからだと逆に聞きにくい。面と向かって「エロい本、気にならないんですか?」なんて言えるわけがない。

 俺の持って回ったわかりにくい質問に対して、聞きたいことを察した沙織ちゃんは朗らかに答えてくれた。

「男の子が誰でもエッチなものに興味があるのなんて、今さらな話じゃないですか。誠人さんみたいに親元から初めて離れて一人暮らしするんなら、むしろ必ず持って来るものですよ」

 さすがマンション管理人の娘。その辺りの心理をわかってくれているとは。

 彼女の心の広さに胸の中で感涙にむせぶ俺。沙織ちゃんはなんていい子なんだろう。

 と思っていた俺は、次のやりとりで爆死した。

「それに、女の肌って男が思っているより敏感なんですよ?」

「え?」

 いきなり沙織ちゃんが、なんだか色っぽい事を言い出した。

「それは、どういう……」

「視線って案外強く感じるんです。特に近くからだと、『誰がどこを見ている』って見られている方は結構判るんですよ」

「あの、それって……もしかして」

「だから昨日も今日も、『あ、誠人さんずっとお尻見てる』とか『胸が揺れてるとチラ見の回数増えるなあ』とか、『今日見とれるの五回目だけど足が好きなのかなあ』とか思ってました」

「やっぱり!?」

 あまりのエロさにチラチラ盗み見ていたのが、ご本人さおりちゃんに全部バレてる!

「それで誠人さんが“健全な男の子”なのはわかってましたから。本とかDVDとか出て来ても、そんなの今さら別に……」

「ごめんなさいっ!? 生きててすみません!」

「お店着きましたよ」

 俺は、沙織ちゃんの度量の大きさに、一生頭が上がらないと心に思った。



   ◆



 遡ること三日前。


 ちいさなマンションの管理人を務める羽嶋詩織は、勤務時間を終えて一階上にある自宅へ帰ってきた。別の仕事の終わり切らなかった書類とノートパソコンを抱えて、場所だけ変えて自宅で続きをするつもりだ。勤務時間の曖昧さが、在宅勤務の良いところでもあり悪いところでもあり。


「お帰りなさい」

「おうよ」

 家に入ると、娘の沙織がキッチンで夕飯の準備をしていた。

 今年高二になる自慢の娘は、親に似ないでまっすぐ育ってくれた。おまけに家事を全部押し付けられていることに疑問を持っていない。実に出来のいい娘だ。

 屈託ない娘の笑顔を見て、詩織は昼間来た連絡を思い出した。

「そうだそうだ、忘れないうちに言っとくわ」

「なあに? お母さん」

「千咲んの誠人君な、いよいよ明後日入居して来るぞ」

 中学校以来の親友、沢田千咲の息子が進学でこっちへ越してくる。そういう話を聞いたので、それならと以前自分の勤務するココをお勧めしておいた。

 ファミリー向けの2DKは大きさが中途半端で人気はイマイチだが、学生向けのワンルーム部屋は結構好評なようなのだ。面積が狭い代わりに風呂トイレが別部屋なので、使い勝手が良くってボッチ気質な学生には人気の物件らしい……六畳一間なので友達が多いと座る場所にも困る、リア充には不向きな部屋だが。

 お勧め通りに入居を決めた誠人君は間取りを見て気に入ったらしいので、ホームパーティに興味が無いらしい。マンション管理人としてはありがたい入居者だ。


 そんなことを考えていると、フリーズしていた娘が急にアタフタし始めた。

「ちょ、ちょっと着替えてくる」

「落ち着け沙織、来るのは明後日だ」

 この娘、沙織はなぜか昔から幼馴染な誠人君が好きなのだ。おそらく、性的な意味で。

「あんた相変わらず誠人君大好きねえ。もう十年会ってないのに」

 呆れて言うと、娘は赤くなってゴニョゴニョ独り言のように呟き始めた。

「だって、誠人お兄ちゃんは私にすっごく優しかったし。強くてカッコいいし……」

 うん、四歳児の話な。

 近所の犬(戦闘態勢ではなかった)から守ってくれた二歳上の夏休み限定お兄様に、この娘は十年以上も恋している。あの頃「誠人お兄ちゃんと私って結婚できるかな?」とか大真面目に聞かれたから、義兄として慕っているわけではないと思う。

「幼児なんざ十年経ったら面影もないもんだよ。根暗でオタクなもやしっ子に変貌しているかもよ?」

 実際子供なんて、小中高で性格が激変するものだ。小学生でわんぱく坊主だったからって、大学生になった時にそのままに育ってる事なんか珍しい。だけど夢見る娘は憧れの王子様がそのままだと信じているようだ。

「そんなこと無いもの!」

「なんでわかるよ?」

「千咲さんから時々写真貰っているけど、誠人お兄ちゃんあの頃のままでカッコいいよ!」

「待って? あたし千咲から何にも聞いてないよ?」

 娘がいつの間にかこっちのダチと文通してた。千咲の奴も何故言わない。

 スマホに保存している写真を見せてもらうと、確かにソコソコな高校生男子が写っていた。とはいえ可もなく不可もなくで、モテるような匂いは全然感じないのだけど……沙織にはイケてるように見えるらしい。

「恋は盲目だねえ……」

 詩織の呟きは、片思いの相手の引っ越しに舞い上がっている娘には聞こえていないようだった。


「もうすぐお兄ちゃんに会える……料理も洗濯も頑張ってるし、私すぐにでもお嫁に行けるよね!?」

「せめて高校は卒業してくんない?」

 テンパって明日にでも結婚式を上げそうな愛娘。そうだろうな。「お兄ちゃんのお嫁さんになるの!」と興奮して叫ぶ幼い娘に、「だったら花嫁修業を頑張らないとね」と焚きつけて家事全般を詩織が叩き込んだのだ。

 ……今でも便利にこき使っているのを考えると、なんだか結婚を認めてやらんといけないような気がしてきた。


 だ・け・ど。

 多分この子が知らない悪いニュースを、誠人君本人と顔を合わせる前に伝えてやらないといけない。

 ちょっと気が重いけど、詩織は娘を対面に座らせた。

「誠人君に会う前にな、沙織に言っとくことがある」

「なあに?」

 不思議そうな娘に、少し躊躇ってから言いづらい事実を告げた。

「誠人君がこっちに来ることになったので、千咲がさりげなくカマかけてみたんだけどな……彼、十年以上前に時々遊んだ『ちっちゃいサオリちゃん』のことをよく覚えていないらしいぞ」

 遊びに行ったのは彼が小学校低学年の頃の、三年間の夏休みだけだものなあ。沙織が小学校に入る頃にこちらも転居や仕事で行けなくなったから、十年も会っていなければイメージも残っていないだろう。

 一人っ子で親しい幼馴染もいなかったうえ、犬から庇ってくれたヒーローに恋している沙織ほどは強烈な印象も持っていなかったに違いない。


 沙織と誠人君の温度差をちょっと不憫に思いつつ、黙り込んだ娘を見ていると。

 いきなり沙織が訊いてきた。

「誠人お兄ちゃん、彼女とかいるのかな?」

「あ? 千咲にしてもらった限りじゃ、全く影も形も無いって嘆いていたが」

「じゃあ、巨乳とか好きかな?」

 ピンポイントに突いて来たな。それを売りにできると自覚しているぐらい、沙織は誰に似たのか胸がある。

 ……コイツさおりに念を押しておきたいが、この母アタシもバカでかくはないがサイズ的には平均に劣るワケではないぞ?

「隠しているエロ本の傾向だと、どちらかと言えば好きみたいだ」

「そう」

 そこでいったんまた静かになった沙織は、すっくと立ちあがってこぶしを握った。

「わかった。それならそれで、私、やり直して見せる!」

「ん? どゆこと?」

「誠人お兄ちゃんとあらためて出会って、お兄ちゃんに好きになってもらいます! 彼女がいないのなら、私にだってチャンスはある筈!」

 決意を新たに宣言する娘を詩織は生暖かく見守った。

 うん、千咲の話だと誠人君わりとムッツリらしいから、沙織が色仕掛けでアタックすれば簡単に落ちるだろう。なにしろコイツは自分アタシ譲りの美貌に加えてグラドル体型と、なら一般人にしておくには豪華すぎる逸品だ。

 沙織がちょっとすり寄れば、思春期の青少年ならたちまち陥落……良いことを思いついた。

「よっしゃ、そんな沙織に良い物を貸してやろう」

「なあに? お母さん」

「明後日誠人君が来るときにさ、あんた彼の部屋で待ち伏せしなよ。そん時ちょうど良い物がさ……」

 友達の結婚式の余興で用意したら「結婚式を壊す気か!?」と怒られたバニーコートがたしかまだあった。あれをこの子に貸してやろう。沙織は脚がめっちゃ長いし掌に余るオッパイ持っているから、あの手の衣装はよく似合う筈だ。


 詩織は楽しいことになりそうな予感を感じながら、クローゼットを漁りにウキウキと腰を上げた。

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