第4話 沙織ちゃんと荷ほどき 下 【改訂版】

 牛丼屋で七転八倒して思いがけず時間を潰した俺は、ついでに本屋に寄って都会の大型書店の品揃えに感嘆してから帰って来た。

 都会の本屋凄いな。文庫コーナーだけでも地元の本屋一件分のスペースを使っていたぞ。伝説の神田神保町まで行ったら何があるんだろう。

 そんなことを考えながら一階のエントランスを通りかかると、管理人室の小窓がガラッと開いて中から管理人さんが顔を覗かせた。

「あー誠人君や」

「はい? どうしました? 小包でも来ました?」

 そんな物が届く予定も無かった筈だけど。冷蔵庫や洗濯機は明日家電量販店まで行って買ってくる予定だし。

「いや、大した話じゃ無いんだけどさぁ」

「はあ」

「さっき帰って来た沙織が、荷ほどきを手伝うんだってあんたの部屋に行ったから」

「えっ!?」

 今まだ昼過ぎ……って、そうか高校だって本来まだ春休みだ。沙織ちゃんは何かの用事でちょっとだけ学校に行って、帰ってきてすぐ店子の世話を焼きに……本当、勤勉で良い子だ。

「じゃあ沙織ちゃん、部屋の前で待ちぼうけですか!? 悪いことしたな……すぐに行きます!」

「ああ、いや。合鍵渡したからもう作業始めていると思うよ?」

「あんた簡単にヒトの部屋の合鍵貸し出すなや!?」

 この人昨日といい今日といい、管理人に不適格過ぎだろ!?

「まあそれはともかく」

「ともかくじゃねえよ!?」

 管理人さんは他に人もいないのに周囲を警戒するそぶりを示し、声を低めてそっと俺に囁いた。

「いやさ……まだ全然梱包開けてないんだろう? 沙織に見つかる前に、“男の秘密エロいヤツ”を詰めた箱だけは隠した方が良いんじゃないかと忠告しようと思ってさ」

「うっ!?」

 その一言で、俺は頭に昇っていた血が一気に下がるのを感じた。


 そうだ、昨日沙織ちゃんには本人に欲情したところをばっちり見られている。記憶も薄れぬ昨日の今日で、また搬入したコレクションを目撃されるのはまずい。

「わ、わかりました。急いで行って……」

「ちなみに沙織には『小さめなのにやたら重い、そのくせ冬物衣料とかワレモノって書いてある箱が怪しい』とはレクチャーしといた。合ってる?」

「何してくれているんですか!? ていうかよく考えれば、あんたが合鍵なんか渡すから焦る羽目になったんでしょうが!?」

 この人がロクなことをしないと判っていたのに、なぜ俺は毎回毎回信用しかけてしまうんだろう。


 後ろから「あ、『参考書など』だった?」という声が追いかけて来るのを無視しながら、俺は階段を二段飛ばしで駆け上がった。




 部屋に着くと扉には鍵がかかっていた。律儀な沙織ちゃんはキチンと鍵をかけたらしい。焦りながら手持ちの鍵で急いで開錠し、部屋に飛び込んだ俺は……硬直した。


 大量の段ボールが積まれている以外は、昨日とよく似たシチュエーション。沙織ちゃんが部屋の真ん中に立っていて、勢いよく飛び込んできた俺を見てびっくりしている。まだ“お宝”は見つけていないようだ。

 そして、俺の方もびっくりしている。

 どこか現実離れした景色を目の当たりにして、俺の脳みそは感覚が麻痺したようだ。映画でも見ているかのように、そこにあるものを架空のものとして認識している。


 片付けの時に邪魔なのか、沙織ちゃんは長いサラサラの髪を高い位置でお団子にしていた。カワイイ。

 見事なボディラインは昨日以上に剥き出しで、着ているものは身体の線を隠すどころか忠実に再現していて目の毒だ。特に黒ストッキングに包まれたおみ足は神々しいまでに美しい。

 そんなことを思いながら黙ってたっぷり凝視した後。

 やっと視覚に現実感が追いついた俺は、近所迷惑とか考える間もなく絶叫してしまった。

「なんで片付けするのに競泳水着なんだよ!?」

「はいぃ!?」


 昨日のこの時間も、この場所でこういう風に座っていたっけな。俺はぼんやりそう考えていた。

 部屋の真ん中の空いたスペースに、沙織ちゃんと向かい合って床に座っている。違うのは管理人さんがいないことぐらいか。

「それで? また管理人さんがなにか?」

 多分そうだろうと聞いたら、沙織ちゃんがこっくり頷いた。やっぱりだ。

「荷物の片づけをしていると汗をかくし埃まみれにもなるから、そのまま身体を丸洗いできるように引っ越しの荷ほどきは水着でするものだとお母さんが」

「それ言われて変に思わなかった!? 今までだって空き部屋の掃除くらいはしたでしょ? 水着で掃除するなんて例はあったの!?」

 この子、なんであんな親を盲信してしまうのか。

「私もそんなバカなとは思ったんですが……」

 俺に言われた沙織ちゃんは両手の人差し指を突き合わせながら、チラッと俺の方を見た。

「誠人さんの地元はそれが普通な頭のおかしい土地だから、服を着て参加したら変に思われるよって」

「ひねってきやがった!?」

 あの女、悪魔か!?

 何喰わない顔で俺に忠告しておきながら、裏で娘になに大嘘吹き込んでんだよ!?

 沙織ちゃんの騙されやすさは、管理人さんがそう育てたんじゃないかって疑いたくなってきた。


 それにしても……。

 今日の沙織ちゃんも、凄い煽情的だった。バニーガールも競泳水着も、露出度はそんなに変わらないけど衣装の厚みが違う。もうこれ以上ってなるとヌードしかないんじゃないかと……。

 ただ、気になるのが。

「……あのさ、沙織ちゃん。水着を着ているのはわかったけど、なんでそれにストッキングを合わせているのかな?」

 そう。沙織ちゃんはどうしたわけか、競泳水着の下にストッキングを履いている。水着の下にそんな物をつけないのは何を言われたにしてもわかると思うんだけど。

 俺の指摘に、沙織ちゃんはよくぞ聞いてくれたとばかりにまくしたてた。

「あ、これはですね! このお母さんが用意してくれた水着、ハイレグが凄くて! ほら、生足だとお尻も半分見えちゃうんですよ!? だから恥ずかしいので、普通はつけないのはわかっているんですけど、バニーさんと同じようにストッキングも履きました!」

 いかに半ケツが女子として恥ずかしいかを力説する沙織ちゃん。

 そんな彼女には悪いのだが……。

「あのね、沙織ちゃん。落ち着いてよく聞いて欲しいんだが」

「はい?」

「競泳水着にストッキングって、実は男の目から見て露出度は生足と変わらないから。むしろ俺にお尻を見せながら解説してくれると、逆に言わなきゃ見なかった部分を強調しているから」

「え……?」

「というかその恰好……水着にストッキングの方が逆にマニア受けするから。もうフェチ心を鷲掴みだから」

 俺の言葉をじっくり噛みしめて……沙織ちゃんの顔が一気に火がついたように赤くなる。

「あの、私そんなつもりじゃ!? むしろ隠すつもりでですね!?」

「わかってる! 沙織ちゃんの気持ちはわかってるから落ち着いて!」

 パニクって身振り手振りを入れながら弁解する沙織ちゃん。それを落ち着かせようと必死になだめる俺。昨日以上に安全にさわれる場所がない沙織ちゃんを、まさか抱きかかえて止めるわけにもいかなかった。


 五分後。

 真っ赤なままペタンと座り込んだ沙織ちゃんは、泣きそうな顔で怒りながら母親を呪詛する言葉を撒き散らしていた。これでも一応落ち着いたと思う。

「誠人さん」

「うん」

「帰ったらお母さんをグーで殴ります」

「そうだね」

「だから早く片付けましょう」

「わかった」

 激オコの沙織ちゃんは後は何も言わず、黙って荷ほどきを始めた。ちょっと声を掛けられる空気じゃない。いったん帰って着替えてきたら、と言える雰囲気じゃない。

 俺も刺激しないように、そーっと一緒に作業を始めた。下手に矛先がこっちに向いたら、彼女の手にあるカッターナイフが凶器になりかねない。

(きっと管理人さん、沙織ちゃんがこんな性格だからからかうんだろうな……)

 純朴過ぎて、のせられやすくて騙されやすい。管理人さんお母さんがオモチャにするわけだ。褒められた話じゃないけどね。

 この子も、母親より社会常識を先に信頼する癖を身につけた方が良いんじゃないだろうか。

 そんなことを考えながら、俺も黙々と手を動かす。本棚を組み立て、食器をしまい、風呂道具とか台所洗剤とか足りない物をメモする。

 向こうが一切しゃべらないので、こっちも不用意に声を掛けられない。何か雑談しながら和気あいあいと作業したいんだけど、ちょっとそれができる感じじゃない。空気が重い。


 そんな状況だったからだろうか。

 俺はきっかけを求めて時々チラチラ彼女の様子を伺っていたんだけど……ちょっと、悪気はないんだけど、次第に、ただの覗き見に……。

 中腰で棚に本を並べる沙織ちゃんの、突き出した形の良い尻がピコピコ動く。箱を持ち上げた時に豊かな胸がぷるんと震える。夢中で雑巾をかける彼女の背中の、白磁の肌に玉の汗が浮いて流れる。

(ホント、なにこのシチュエーション……六畳一間で彼女でもない水着美少女と荷物整理とか)

 なんだろう、シチュエーションDVDとかでこういうのがありそうな……。

 俺はそんな妄想を頭一杯に広げながら無心に手を動かす。頭と身体を切り離して、頭で盛大にエロいことを考えながら体はストイックに部屋の片づけだ。そうしないと……思考と神経を繋げちゃったら、今すぐ沙織ちゃんを後ろから襲ってしまいそうで怖かった。




 だいぶ片付いて来てスペースが空いたので、やっと俺はパイプベッドを組み立て終わった。運搬袋から布団を出し、ベッドの上に敷いてやれば寝床の完成だ。

「良かった、ここまで出来ていれば今日は布団で寝られる」

 昨日は段ボールの片づけが全然進まなかったから、ベッドの組み立ても出来なかったんだよな。ホッとしてベッドに座り、ペットボトルのお茶に手を伸ばす。これで今日はせいせい寝られるわ。

 お茶をあおって喉を鳴らす俺に、本棚の前に座り込んで背中を向けている沙織ちゃんが訊いてきた。

「あの、さっきの話なんですけど」

「さっきの話?」

 なんの話だろう。

「誠人さんは競泳水着にストッキングってお好きですか?」

「ブッフォ!?」

 不意打ちの質問に、俺は思わずお茶を噴き出した。床がフローリングで良かったとこれほど思ったことはない。

「いきなり何を!?」

 慌てて訊き返す俺の胸に、さっくり突き刺さる一言。

「さっきフェチ心を鷲掴みにされるって力説してたので」

「い、いや……それは一般論として……!」

 言ったね、さっき。お年頃のJKに向かって思いっきり。

「じゃあ誠人さんとしてはどうですか?」

 追及して来る。ぐいぐい追及して来よるわ。背中を向けていて顔が見えない分、彼女がどういうつもりで攻めてくるのかわからない。

(頭が冷えてきて、俺のセクハラ発言に気が回ったって事か!?)

 なんて言っていいかわからなくて、ちょっと考え込んだ俺は……。

「……ノーコメントで」

 なんで一番頭悪い回答しちゃうんだ、俺! 認めてるようなもんだよ、コレ!

 俺は次の質問が来る前に、急いでこちらから問い返した。

「沙織ちゃん、どうしてそれが気になるの!?」

 さあ、なんて答える? それによって俺もどう応対するか方針を考えないと……。

「OLストッキング物はあるんですけど、競泳水着にストッキングは無かったからどうかな? って思って」

 ん?

「フェチ別に並べた方が良いのかな……レーベル別? 女優は……推しはいないのかな」

「沙織ちゃん!? 何を見て……!?」

 慌てて立ち上がり、彼女の後ろから手元を覗き込めば……。


 そうだった。管理人さんが(一応)忠告してくれていたっけね。場が重くて忘れてた……。

 一番他人に見られちゃまずい段ボール箱の中身を一番見られちゃまずい相手の沙織ちゃんが律義に棚に並べようとしている後ろで……何を言っていいのか判らない俺は、言葉を探して黙り込んだ。

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