29 買い物の続き

 風が吹いた。花のやさしい香りをいっぱいに含んだ風は気持ちよくて、体の芯に残った熱がほぐれていく。


 二人とも口を開かない。

 心の内側からこぼれた心地のよい静寂。日常の喧騒に包まれる町の中にぽっかりと空いた、静かな空間。

 こういう時間を楽しめるのって、良いよな。そんな考えが浮かび、照れくさくなって空を見上る。空から降る眩しさに目が細くなった。


 全身使って伸びを一つ。新しい風を体に取り込むと、


「そろそろ行くか?」

「わかった」

「じゃあ――買い物再開だな」


 噴水から体を起こすと、ベンチに座るスピカへと手を差しだす。スピカは俺の手をしっかりと握ると、立ち上がった。

 マントの裾が、花が開くようにひるがえった。





 活気の中を歩く。

 人々の往来も増し、通り沿いの店も人の出入りは盛んだ。

 店の前に飾られた花々がそっと風に揺れ、鮮やかな色彩が俺たちの目を楽しませる。道先にぬっと突き出た青々とした葉を避け、初夏を感じる日差しの中を進む。


「ね、サンのこと教えてよ」


 急にスピカから声がかかった。


「……俺ェ? 聞いて楽しいのか、それ」


 思わず語尾が延びてしまう。

 振り向いた俺の様子を気にもせずに、スピカはコクコクと頷いた。


「ってもな。俺のことなんて、たいしたもんじゃないぞ」

「それでも」


 ……要望とあらば、言うけど。隠すほどのものじゃないし。


「何を聞きたい?」

「じゃあ、いやなことやきらいなもの」

「虫食。あと、悲しい事と、悪意有る人」

「……好きなことは?」

「旅。美味しい食べ物。綺麗な景色。後は、そうだな」


 ぽろっと言葉が口から出る。


「二人でこうやって歩く時間は、結構好きだ」


 この言葉を聞いたスピカは、俺の前に一歩踏み出すと、くるりと振り向いた。

 俺から視線を逸らして、淡いはにかんだ笑みを浮かべて、言う。


「私も、好き」

「――そうか。良かった」


 思わず心底安心して、息を吐きながら頷く。憎からず思ってくれているのはわかっていたが、言葉で聞くのと、そうでないのとでは、全然違う。

 ややあって、スピカは小さく息を吸うと、俺の服の裾を引っ張った。


「これからはどこ行くの?」

「服屋に再び行くのは確定だろ?

 後はどうしようか。食材はある程度買ったし、スピカの旅装束も調ととのえた。道具屋で回復薬なども買った。あとは細々とした旅の道具を見繕う必要があるな」


 本格的に旅をするとなると、ナイフは絶対に必要だし、清潔な布、小さな袋や紐、魔法がつかえない時用の火口になるもの、カロリーの高いナッツのたぐい、魔物避けの魔具などなど。着替えも必要だ。


「それに、旅は楽しいだけじゃないからな。回復薬だけじゃなく、何かあったときのための薬も準備しておかなきゃいけない。あとは落ち着かない夜を越すための、匂い袋のような、安心できる何かがあるといいな」


 スピカはくすりと笑った。


「む。安心感ってのは、旅をする上で大事なんだぞ」

「ううん。サンは、本当に旅がなんだなって」


 わかっていたけど、と笑みを浮かべて言われた言葉に、頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。

 好き。

 ……さっきのスピカの発言は、安堵感にかき消されてしまっていたが、とてもパワーの強いものだった気がする。強かったのだ。

 その事実を今更になって自覚してしまい、顔にかーっと熱が集まった。恥ずかしさをごまかすように眉間を揉むが、照れという感情は厄介で、もっと意識してしまう。

 そんな俺の動揺を見たスピカは、何故だか嬉しそうな表情だった。

 目を閉じて胸を張り、胸に手を当てスピカは言う。


「……サンが前言ってくれたようにね。私にとっても、サンは、良くしてあげたいと思う人だし、何かしてあげたいと思わせる人。好きなことも知りたいと思う。私に出来ることがあったら、なんでも言って欲しい」


 間近から俺を見上げて、彼女は言葉を重ねる。


「私に出来ることなんて少ないけど。だからこそ、何か出来ないかなって。何でも言ってね」


 そう言って満面の笑みを俺へと向けた。

 ……さっきまでのは照れでもなんでもなかった。ほうっておくと体中から力が抜けてしまいそうだ。顔が熱い。スピカの顔を見ていられなくなって、顔を背けてしまう。


「……光栄に思っとく。その、なんだ、今はちょっと思いつかないから、改めてお願いさせて貰う」

「ん、わかった」


 しどろもどろながら言葉を返し、スピカを見ると、目を細めて嬉しそうに俺を見る彼女が居た。




 買い物は続く。




 旅の道具を見繕うつもりが……気が付けば、道端で移動販売している花のジュースを二人で飲んだり、花屋を冷やかしたり、本屋へと入ったり。

 彼女の話からなんとなく感じてはいたが、スピカは本を読むのが好きなようだ。女の子が好みそうな甘い恋愛小説などではなく、伝記や辞典などに目を向けていたのは予想外だったが。


 カランと涼しげなベルの音が響く。


 町の散策を楽しんでいたら、深い青色をしていた空も今はすっかり橙色に染まり、半分近く夜に変わっていた。

 俺たちの後ろにはつたが這う古めかしい木目の扉、そこには服屋”ベゴニア”の文字。

 スピカの腕には布袋があり、中には修復が施された彼女の服が入っている。


「今日はそろそろ宿に戻るか」


 スピカはこくんと頷いた。

 俺とスピカの影が石畳に長く長く伸びる。ぽつぽつと窓からは橙色の光が見え始め、一日の終わりを告げている。


「買い物、疲れたろ。おつかれさま」


 スピカへと声をかける。

 長い一日だった。疲労感はあるけれど、それ以上に充実感で満ち溢れていた。

 俺の横を歩くスピカを見る。俺に視線を向けられていることに気が付いた彼女は、顔を向けると首を傾げた。

 柔らかな雰囲気。

 そんなスピカを見ることが出来て、良かった。スピカから話を聞けて、本当に良かったと思うのだ。

 斜陽もすっかり夜に包み込まれている。昼の名残は、空の端っこで紺色と溶け合う橙色ばかり。小さな音を立てて空を飛ぶ鳥を見ながら、俺たちも帰路を進んだ。




 宿に戻り、布袋を開けたスピカは「わっ」と驚きの声を漏らした。

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