28 そして(下)

「なあ」


 代わらずに俺の背中にぴったりとくっつくスピカへと声をかける。


「何?」

「何時までそこに居るんだ?」


 そことは、俺の背中と外套の間のことだ。


「……そういうこと、聞く?」

「聞く」


 だって、暑いし。動き辛いし。いくらここに人気が無いとはいえ、外でこういう状態だと気になるし。


「……サンって、時々残念よね」

「それが俺だ」

「知ってる。……それ以上に、ずるい」


 ……よくわからんが悪口ではないのだろう。多分。

 のそのそとスピカが俺の背から這い出てくる。ぼんやりその様子を見ていると、見られていることに気がついたスピカが俺の外套でまた顔を隠した。

 顔を隠したまま、俺の顔を指差して、言う。


「泣き腫れて酷い顔」

「……スピカだって」


 鼻にかかった声だ。


「――あははっ」


 スピカは笑った。

 外套から外に出て一歩俺の前に立つと、満面の笑みを俺へと向けた。屈託の無い、顔中くしゃくしゃと崩した笑顔だった。

 顔は泣いたりこすったりしたことで腫れぼったいし、顔を押し付けていたせいか、顔の一部だけ赤くなっている。


 それでも――曇るものを一切感じさせない、青空のように晴れ晴れとした、笑顔。

 今まで見たどの表情よりも印象的だった。


 それを見た俺の心は、安心感のような何かで満たされた。気を抜くと、不必要な何かを言ってしまいそうで。


「帽子、ずれて髪が爆発してる」


 照れ隠しのようにそれを指摘した。

 スピカは信じられないといった様子でぷいっと顔を背けると、真っ赤な耳を俺に見せ付けて、ごそごそと髪を直そうとする。


「そこじゃない。……そこでもない」


 悪戦苦闘する彼女を見かねて手を伸ばすと、俺の手はひょいっと避けられた。


 ……ほう。

 手を伸ばす。避けられる。手を伸ばす。避けられる。


 銀の髪がまるで俺を煽るように右へ左へ揺れ動いた。帽子がずれていることにも無頓着なまま、スピカは笑いながら俺の周りをくるくると走る。


 ……はは、やってやろうじゃないか。いいだろう。


 最初は人間の身体能力だけで追い縋るも、どうしても、竜人には勝てない。

 体を魔力で包み込むとスピカは文句の声を上げた。


「ずるい!」


 なんと言われようと良いのだ。世の中結果が全てなのである。ふははー。

 先ほどとは段違いの速度で彼女を追いかけて手を伸ばす。あっけにとられるほど簡単に、スピカを捕まえることが出来た。


 腕を掴んだ事によって、彼女が倒れ込んでくる。

 危ない、と。しっかり両手で捕まえると、後ろから強く抱きかかえる形になった。

 マントの二人羽織なんかより、よっぽど恥ずかしい状況だろう。

 心臓が激しく動悸する。ドッドッと激しく脈打つ音が聞こえるほどだった。

 手の中にある柔らかい感覚。うっすらと香る女の子の匂い。上から見える彼女の顔は真っ赤だけど、嫌がっている様子は見えない。

 それがなおさら俺の心を焦らせる。


「……ねえ」

「……なんだ」

「私のこと、ちゃんと捕まえていて」



 ……。



「私は、もしかしたら、貴方の知る魔王になるかもしれません。だから、サンがちゃんと私のことを見て、止めてください」



「貴方が居れば、私は、ただの竜人でいられ、ます」



「だからお願い。ちゃんと、捕まえていて、ね?」



 力を入れたら折れてしまいそうなほどに華奢な体躯。真っ白く透き通る肌は、新雪を連想させるほどだ。憂いを帯びた赤い瞳は、笑うとふわっと蕩けることを知っている。

 銀の髪は柔らかくて、撫でると心地良いことを知っている。


 今は俺が、両手で、しっかりと抱いている。


「当たり前だ。今更、目を離してなんかやらねえよ」


 ぶっきらぼうに答えると、彼女は嬉しそうに口の端に笑みを浮かべた。


「……なあ」

「なぁに?」

「これからも……一緒に、旅しないか?」


 ずっと思っていた願望が、口を付いて出た。

 それを聞いたスピカは顔をこちらに向けると、上目で真っ直ぐに俺のことを見つめる。……何故か半目になった。

 ぺしりと抱きかかえる腕を叩かれる。


「そのつもりだった。じゃなきゃ、捕まえてなんていわない」

「そうか」


 ……そうか。

 爆発的に歓喜の感情で満たされる。

 落ち着こうと数度深く息を吸うけど、落ち着けたもんじゃない。彼女が言った言葉が頭の中で反響して、上手く飲み込めない。

 俺は一体どんな表情をしているというのか、スピカはくすりと笑い声を零すと、先ほど俺がやったように俺の手をなんども撫でる。


 恥ずかしさが限界になって、両手を離して一歩ずれる。

 スピカはその距離を詰めると、全身で俺に抱きついてきた。


 回された手の感覚が嫌に熱くて、そこだけやけどをしたみたいだった。

 彼女は俺の顔をまじまじと見つめると唇を開けた。


「サンって、結構可愛いのね」

「……男にとってそれは不名誉な言葉だ」

「ふふっ」


 何が楽しいのか、にこにことした笑み。

 スピカの話を聞いていたつもりが、なんだか俺があやされているみたいじゃないか。

 恥ずかしさを筆頭に色々な感情が衝動となって、スピカの両肩を掴むと、そっと引き離す。


「終わりだ終わり。ほら、一日は有限だ。このあとどうするか決めるぞ」


 首を傾げるスピカを横目に言葉を重ねる。


「買い物に戻るか、それとももう少しここでゆっくりしていくか、宿に帰るか。どうする?」

「……まだ、ここに居ない? もう少しだけ」

「わかった」


 ……俺も。実の所、体中の熱が引くまで時間が欲しかった。


 スピカはベンチへ。俺は噴水のへりへ。腰をかけると、少しのあいだ目を閉じる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る