23 月明かり
ランプから放たれる橙色が、ぼんやりと夜に滲んだ。
ジジ……っと魔力が光に変換される擦れるような音が響く。この部屋には静寂が横たわっているが、重苦しくはなく、不思議と心が安らぐものだった。
俺の椅子が立てた身動ぎの音が、静寂をより引き立てる。
だらっと脱力しながらうっすら滲んだ汗を袖で拭うと、何故かこちらを見つめるスピカと目があった。
両手で頬を支えながら控えめな笑みを浮かべている。
「……どうした?」
「ううん。なんか、そういうサンを見るのは新鮮だなって」
「そうか」
「うん」
何が楽しいのだろう。俺にはわからないが……むっつりと不機嫌な顔よりもずっといい。
「疲れているの?」
「少し。気疲れかな。飲み所でバタバタしてさ。あと、軽く酔ってる」
蜂蜜酒の酒精が思ったよりも強く、全力疾走したせいでアルコールが渦巻いているのだ。
「おつかれさま」
俺を心底労わっているのが伝わる、柔らかな表情で彼女は言葉を口にした。
「ありがとう」
「どういたしまして」
スピカはまた楽しそうにへにょりと笑みを浮かべる。少し照れくさそうに浮かべられた柔らかなその表情は、彼女のまとう警戒心が剥がれた無防備な笑みだった。
その笑みを見て、心の深い部分に衝撃が走った。
……なんだ。その、破壊力が高い。
手加減してくれ。そういう思いでスピカを見るが、彼女は依然ニコニコと楽しそうな笑顔。
……何か言わなくては。何かないのか。
脳裏に天恵が閃く。そうだ、お土産があるんだった。
ポーチに手を掛けジュースをスピカに手渡そうと思うが、天恵と一緒に面白いアイディアが降って来た。俺の脳内会議、満場一致で可決判決です。
椅子から立ち上がると窓際まで歩き、窓を大きく開けた。
そして、窓の前でスピカを手招き。
「――きゃっ」
てこてこと傍に近寄ってきた彼女に断りもなく、膝下に手を回すとそのまま抱き抱える。少しは驚くが良い、なんてな。
思ったとおりの反応に笑みを深くしつつ。
夜の旅一名様ご案内である。
――窓から外へと飛び出した。
足元にはほんのり緑色に光る薄い氷。寒くも暑くもない夜風を切りながら、俺は宿屋の外を跳ね上がって行く。
「寒くないか?」
「大丈夫、だけど」
歯切れの悪い言葉ににんまり笑いつつ、スピカの耳に顔を寄せて声をかける。
「夜に外で喋ると声が響くから、小声で会話しようか」
ひそひそ話。なんて童心に帰る言葉だろうか。
スピカはこくこく大げさに頷いた。
「到着っ、と」
俺たちが跳んで来た場所は宿屋の屋根だ。
スピカに一声かけて腕から下ろすと、ポーチから毛皮を取り出して、屋根の上にそっと敷く。なだらかな傾斜を描いているが、激しく動かなければ落ちる心配もないだろう。
「これ、お土産」
瓶とコップを取り出すと、ジュースを注いでスピカに差し出す。
……何もかもが唐突で、驚きの余韻を多分に含んだ、しらっとした目つきを返された。
白魚のような指をそっと伸ばしてコップを受け取ったスピカは、そのまま白い喉を上下させる。
「……美味しい」
「それ、何の味か俺もしらないんだ。どうだった?」
「蜂蜜の香りと……なんだろう。酸っぱい果実の味がする。さんきゅ」
ほーう、中々洒落た飲み物だ。蜂蜜ドリンクか。
「改めて聞くけど、寒さは大丈夫?」
「大丈夫。
「ただ?」
「驚いた。一声欲しかった」
「ははっ」
それじゃあつまらないだろう。
むっと突き出た唇を気にもせずに夜空を見上げる。
星々が今にも零れ落ちそうな、満天の星空。
今日の夜空は雲ひとつなく、空一杯にとても贅沢な光景が広がっている。
月からふんわりとした光が溢れ、透明な夜の空気に乗っかり町を、屋根を、そして俺の横に居るスピカを包み込む。
目の前の町並みからは少しづつ明かりが消え、星々の彩りをより鮮烈に感じとれた。
ほーっと口から息を漏らす。本当に綺麗だ。
横に居るスピカを盗み見る。
月光に照らされて白い肌が煌々と輝いている。目を細めながら夜空を見上げる彼女は、今何を考えているのだろう。
「どうする? 部屋に戻るか?」
「……ううん。もう少しだけ」
楽しんでいるのが伝わる微笑が、返事とともに帰ってくる。……良かった。
蜂蜜酒の入ったグラスを傾ける。
……うん、やっぱり美味しい。これだよこれ。大げさに感慨に耽ると、空を見上げる。
ふ、と。俺の右手の小指と薬指がスピカの手とぶつかった。
いや、違う。スピカの左手で、二本の指をきゅっと握られた。
重ねた手は冷たく、ほんの少し震えている。緊張しているのだろうか。
「いつも、ありがとう」
彼女は決して俺のほうを見ようとはせず、そっぽを向いたまま口を開いた。
……月明かりに照らされたスピカの横顔は真っ赤だった。それを見た俺も爆発的にぼふっと気恥ずかしさに駆られる。
「……なんかしたか?」
気にするなと適当な言葉で
「本当に――」
強い感情の篭った言葉だった。
出会った時にぶつけられた激昂の感情でもない、かといって嬉しい感情から出た言葉でもない。何かわからない、それでも、感情の熱を感じる言葉。
「本当に」
彼女は俺へと体ごと向き直る。俺の指を握る手が強くなり、赤い瞳を月明かりに揺らしながら、口を開いた。
「ずるい」
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