22 飲み所ガレスちゃん
「ここか」
目の前にある窓から漏れる明かりに照らされた紙は、手書きの地図であり、円で囲まれ強調された”飲み所ガレスちゃん”の文字。その文字と、扉の前に設置された看板の文字を見比べる。まったく同じ字面だ。
……分厚い扉越しに人々の喧騒が響いてくる。
木で作られた重たい扉をゆっくりと開く。どんな場所か、期待とわずかな不安を込めて開いた扉の先には――。
むわっと篭った熱気と、頭の奥をガツンと叩くような酒臭さ。そして。
「おう、新顔かい」
赤ら顔、酒焼けした声、ビール腹、糸のように細い目、煙を立てるパイプ。そして明りを反射するスキンヘッド。
イメージする飲み屋の店主らしい要素をすべて羅列して、人へと落とし込んだらこんな感じになるだろう。腕を組んで俺を睨む、壮年と初老の中間ほどの男性の姿があった。
「……もしかして、ガレス”ちゃん”?」
「おう。ワシがガレスだ。なんでい、妻がつけてくれた店の名前に文句があるってのか?」
「……そりゃあ、すまなかった」
「おう。夜気が入ってしけっちまう。座りな」
……ガレスちゃんという名前から、可愛らしい看板ガールをイメージしていたため、俺を襲った衝撃たるや。この話を聞いた人は共感して貰えるだろうか。
店内の様子を伺いながら示された椅子へと座る。
真っ先に目に飛び込んだのは、壁一面に張られたメモ用紙。小さな文字で何かびっしりと書きこまれている。いかにも飲み屋然とした店とそこだけ温度が違い、いかつい店主と壁と、視線を数度動かした。
目に魔力を走らせて文字を流し見る。
”カーリーの話。曰く、禁煙するにはまず、自己犠牲と聖水から”
”隕石と蛍石と酒ダル。いいか、お前はサボテンだ”
”人として成長するにはまず四択を作ってそれをこなせ。それとオナラを笑うんじゃない”
目を疑った。単語としてはわかるのに、まるで意味がわからない。
思わず店主を見ると、俺の姿を見て苦笑いをしていた。
「ハ、あれはワシにだけわかるメモだ。……とはいっても、その場の気分で書いてるから、後から見返したらワシにもわからないモノもあるがな」
……大雑把というか、マイペースというか。
それにしても、蛍石とサボテン。これらの単語の関連性を誰か教えてくれ、俺の頭では思いつきもしない。ガレスに意味を尋ねたら教えてくれるだろうか。そんなことを考えながら、指示された椅子へと腰掛けた。
「にしてもお前さん、目がいいな」
どうも。魔法を使っているため、純粋な身体能力ではないんだけどな。
■
「町の外で何か話題になっていないか。それと、獣人について騒動の一つでもあれば教えて欲しい」
「……そりゃあ、難しいな。漠然としている」
注文もそこそこに質問を投げかける。
「一つ質問させてくれねえか? その質問は、今日お前さんと一緒に町に来たお嬢さんに関係あるのか?」
――思わず椅子から立ち上がりかけた。脇の下にうっすらと嫌な汗が滲む。
さすが、ターカーに情報通と案内されただけはある。耳が早い。
「なんでい。つまらん。そんな驚いてねえな。なあ、カーリー」
ガレスは壁際に座り酒を飲む老婆に声をかけた。ニコニコと人好きのする笑みを見せながら手を振る老婆。どこかで見た顔だと思えば、町に着いた際に、花を売ってくれた老人だった。
なるほど、彼女から聞いたのだろう。
「……いや、十分驚いた。心臓に悪い」
「ワハハ、ちょっとした冗談だ。にしても、そうか。うーむ……。うむ、うむ」
ガレスは俺の目を覗き込むと、両手を組んで、魔物のイビキのような低い唸り声をあげた。
「情報の精査もなしに噂話を流すわけにはいかんしな。お前さん、どれくらいこの町に滞在するんだ?」
「ひとまず6日間宿を取ったところだ。それ以上の滞在も考えている。
……そうだな、情報に応じて金は払う。まず、前金に銀貨一枚。内容にもよるけど、銀貨十枚は最低でも払うと約束するよ」
「なるほど、なるほど。それじゃあ6日後にまた顔を出しな。それまでに纏めておいてやるよ」
差し出されたガレスの手をしっかりと握る。商談成立だ。
ポーチから抜き出した銀貨一枚をカウンターに置くと、ガレスは気分が良さそうに朗らかな笑みを浮かべた。
「せっかくの上客だ。最初の一杯はおごりにしてやる」
「それはありがたい。じゃあ……そうだな。この店で一番上等な酒を貰おうか」
「ワハハ、しっかりしていやがる。破産させる気かよ」
「冗談だ。この町らしい一杯を頼む」
「そいつあ、つまり、一番上等な酒を頼むって事でいいんだな? おう、しっかり味わいな」
そう言いながらガレスは、後ろの棚から立派なボトルを取り出した。
ボトルから粘性の高い液体がグラスへと注がれる。しっとりと濃厚な蜂蜜の香りが漂う。
「いいか、これはだな、ミエルの町で作られる蜂蜜の中でも一番良質で、厳選された――」
ガレスの薀蓄を聞き流しながらグラスから一口。
鼻を通り抜ける濃厚な蜂蜜の香り。それで居て口の中に広がるのはほんのり心地よい苦味と透き通るような酒精。
これは美味しい。驚くほど洗練された味なのだが……。
むう、と唸る。
物足りない。
味は文句の付けようもない満点。なのに脳裏に浮かぶのは、先日、雨の日に飲んだ酒の記憶。そのほうが充実していた。
違いは――明白だった。
拙い手付きで、俺のお猪口に酒を注ぐスピカが居た。
彼女は今、一人で部屋に居るのだろうか。熱を持ち始めていた体の芯がすっと冷める。
据わった目でグラスを睨むと、むんずと酒を掴み、喉奥へと流し込んだ。
「おおっ!? おまっ、お前、この酒、高いんだぞっ!」
「――蜂蜜酒、とても美味しかった。瓶でくれ。それと、酒精のないジュースも一つ買いたい。売ってないか?」
この言葉を聞いたガレスはニヤリと笑うと、カウンターから身を乗り出して、俺の肩を軽く叩く。
「ハ、ハ。ハハ。なるほど。そりゃあ、一人で飲んでも美味しくはないな。さっさと帰れ帰れ。勿論お代は頂くがな」
†††
”その日を摘め”
という言葉がある。前世で聞き
月明かりに照らされた細い道を駆ける。駆ける。駆ける。酸欠に喘ぐ頭がぼんやりとする中、一本の道を縫うように走り抜ける。
その言葉の意味は、神々が我々に死を何時与えるかはわからない。短い生の中に希望を求めるのではなく、今を楽しめ。その日を彩る花を摘んで、機会を出来るだけ摘んで、飲んで食べて楽しんで生きろ。
そういう、意味だ。
……出かけていたのは一時間と少しだろう。
最初はゆっくりと道を歩いていたのだが、段々と足は速くなり、気がつけば全力疾走。何をやっているのだろうか、俺。
一人ではしゃいで酒を飲むというのは、どうも、つまらなかった。
暗い部屋で一人で待つスピカの姿を想像すると、色々な感情がごちゃ混ぜになって嫌な気持ちが俺を満たす。それは焦燥感にも似た何かになって、歩く足を早くさせた。
……どうやら俺は、俺が思っている以上に二人旅を楽しんでいたらしい。
出かける前に、ヤコに顔を出してくれないかと声をかけたのだけど、彼女も一日を労働に費やしている身だ。顔を出せるかはわからない。
気がつけば宿の前に立っていて、ゆっくりと戸を開く。
受付台に立つヤコの姿。俺を見て何かサムズアップしているが、雑にひらひらと手で返事をすると、階段を歩いた。
涼しげな印象を受ける、白い色の扉が目に入る。
その扉をノックする。返事は返ってこない。寝ているのだろうか。
入るぞと小さく声をかけてから、扉を開いた。
果たしてスピカは、扉に背を向けて椅子に座っていた。
その背中は驚くほど小さく、夜に飲まれて消え去りそうで、頼りない。
ややあって、彼女は振り向いた。
ランプによって銀の髪は透き通るように輝き、ふんわりと揺れ動く。大きな目を丸くして、きょとんとした顔。
「……早かったね。どうしたの?」
「わからん」
少し荒立った息をその場で整えると、同じ言葉を吐き出した。
「わからん」
そのままのしのしと近づくと、スピカの小さな頭をむんずっと掴むようにかき回して撫でる。
「ごめんな」
「……何が?」
「なんでもない」
そう言うと、椅子に全体重を預けたのだった。
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