20 宿の部屋で

「部屋は一つ、ベッドは二つある部屋で。それと花刺しを一つ貸して欲しい。それと、リンカの実を持っていたら金は払うから売って欲しい。ああ、後でいい」



 要望を告げると、ひとまず六日ぶんの料金を支払った。

 まどろみ亭の看板娘であるヤコに先導されて、夕日の差す階段を上がり、一つの部屋へと案内される。


 開いた扉から見える部屋は落ち着いた装いで、好ましいものだった。


 優しい色合いの木々で組まれたその部屋の中央には一メートルほどの絨毯が敷かれ、小さなテーブルと椅子が二脚置いてある。テーブルの上には魔力を流すことで光を灯すランプと、端っこが解けた蝋燭、蝋燭立て。そしてやっぱり花が飾られている。

 大きく開けられた窓からは人々の雑多な喧騒とともに心地よい風が流れ、白く薄いカーテンを揺らした。

 部屋の端と端には柔らかそうなベッドが置かれ、真っ白い毛布が畳まれて置いてある。


 思わずため息がこぼれた。


「ふいー……」


 いくら旅が楽しいものでも、野宿が続けば疲労感だって募(つの)る。久々に人らしい部屋へと来た俺を満たしたのは、安心感と疲労感だった。


「ごゆっくりどうぞ。何かあればお申し付けくださいませ」


 愛嬌のある笑みを浮かべて狐耳を揺らし、ぺこりと一礼したヤコを見送ると、椅子に座り込んだ。どっしりと体重がかかった椅子はキィと小さく文句を漏らす。


「どっちのベッドが良いとか、ある?」

「特には」

「りょーかい。じゃ、お互い近いほうのベッドでいいか」


 返事を待たずにベッドの中へとダイブ。

 清潔なシーツから香る太陽の香り、心地の良い柔らかさ。くうーっ、やっぱいいもんだ。


「そうだ。花挿しを借りるように伝えたから、カレンソウは花挿しに入れるといい。もう少ししたらヤコが持ってくるんじゃないか?」

「良かった」


 枕から顔を浮かせて椅子に座るスピカを見れば、安心した顔でこくこくと頷く姿があった。喜んでくれたようで、嬉しいもんだ。


 窓から差す西日が部屋を橙色に染め上げる。鼻奥をくすぐる花の良い香り。心地よい部屋と寝具の柔らかさが、俺をとても深いところへ誘おうとしている。 

 ……あ、これ人をダメにするやつ。

 重たくなる瞼に逆らえず、まどろみの世界に沈んだ。





 ○





 これは夢だ。懐かしい夢を見ている。

 俺が孤児院に住んでいた頃の夢だ。


 隙間風が入ってくるボロっちい部屋にある窓を開け放つと、窓の近くまで生えた木の枝を伝って外へと抜け出した。シスターの目を盗んで鬱蒼と生い茂る生垣の隙間を掻き分ると、そこにはもう外の世界だ。

 濃い乳色の霧が町を覆っていた。……埃っぽい道には人通りはなく、寂れて寂しい印象を受ける。


 幼い俺が向かった先は、小さな古書堂。


「こんにちは」


 さび付いた取っ手を握って扉を開くと、途端にまいあがる埃とカビのつんとした匂い。こんな場所……というと失礼だが、ここにずっと居て体が痒くならないのか不思議に思う。

 店の奥には一目でわかる、日焼けしてくたびれたテーブルがある。

 奥には積まれた本を読む年老いた男。彼こそがこの店の主であり、俺の魔法の師匠でもあった。


「……来たか」

「はい。晩飯の時間まで短いですけど、魔術の教本を読ませてもらえればと思って」

「これを読むといい」

「ありがとうございます」


 俺は饒舌に喋るタイプではなかったし、老店主も無口で偏屈な性格。ここに広がる時間はいつもセピア色で落ち着いていた。

 ……老健だろうか。俺が旅に出る頃にはもう店を畳んで余生を楽しんでいたが、たまには顔を見に行きたくなるな。


 何時だったか、尋ねられたことがある。


「お前ならば望む魔法使いになれる。将来を捧げれば、いつか、古書に記されるような未来を見通せる占い師や生命すら操ることのできる治療者、死霊魔術師といった御伽噺にも行き届こう。その力で何をするのだ?」

「特には、何も。……この世界を見て歩きたいだけです」

「そうか。ハ、ハ、賢い生き方だ」


 こっくりこっくり頷くと、古いパイプを燻らせたのだった。





 ――俺を包むまどろみの輪郭から手を放す。すっと息を吐くように意識が覚めた。

 惰眠をむさぼっていたようだ。惰眠、なんとすばらしい単語だろうか。


 目を開けた先には、二人の女の子がテーブルを囲んで座っていた。

 一人はスピカで、もう一人は先ほど俺たちを案内してくれたヤコの姿。あたりはすっかり薄暗くなり、ランプに灯りがともっている。

 そのヤコはといえば……何かとんでもないものを見たかのように目を見開き、唇をわなわな震わせている。

 横には両手で顔を抑えるスピカ。手で隠しきれない肌や耳は真っ赤に染まっている。照れているらしい。


 やがて、起きたことに気が付いた気が付いたヤコは、戦慄の表情を崩さないままおずおずと俺に話しかけてきた。



「おにーさん……っ! スピカちゃん、かわいいね……!」



 ……十分過ぎるほど、知ってる。


 ヤコに遅れて俺に気が付いたスピカは、俺の顔を見つめると、うっすらと染まった顔をさらに赤く染め上げた。今にも倒れ込みそうにぐるぐる目を回すと、フードを目深に被ったかと思えば机に突っ伏した。

 一体何を喋っていたんだ。


「あんまりいじめてくれるなよ」


 ヤコに話かけながらも、二人が喋るほど仲良くなったことに嬉しい気持ちでいっぱいになる。良かった、本当に良かった。

 純粋な人間と喋るのは難しくても、年も近いハーフのヤコならばと思っていたんだ。俺自身は何かしたわけではないが、ゲームにおける高難易度のミッションを一つ達成した気分だよ。実績ボーナスは俺の嬉しい気持ちです。……ガチャ石でも付いてこないと、文句が噴出しそうだ。


 ヤコは眉をきりりっと吊り上げると、次にはへにょりと悩む顔を浮かべた。一度スピカを見ると、次に俺を見てまた難しそうな顔をする。


「うーん……。おにーさん、良い人だしなぁ。うーん。決めたっ。私は今からおせっかいをします。なので怒らないで聞いてください!」


 なんとも後ろ向きな発言だ。そこまでして俺に伝えたい言葉とはなんだろうか。


「わかった。言ってくれ」

「おにーさんはスピカちゃんと対等でありたいのなら、もっとダメな部分を出したほうがいいと思うのです……! ほら、前来たときはダメでだらしないところもあったでしょう?」


 ……心当たりがないと言ったら嘘になる。対等、か。

 ううむ、腰掛けていたベッドで膝先をしっかりと合わせると、神妙な顔つきで頷いた。


「スピカちゃんも気を使いすぎだよ。おにーさんは良い人だから、もっと思ってることを喋っても大丈夫だと思う、多分っ! スピカちゃんのほうが詳しいんじゃないかな」


 突っ伏したスピカはぷるりと震えた。

 ヤコは大げさに額を拭うと、にへらっとバツの悪さを誤魔化すような笑みを浮かべた。


「えーと、なので、上手く行く事を祈っていますっ! じゃ、失礼します。ではっ!」


 最後に真面目な顔つきで俺たちの将来を案じた後、尻尾を揺らしながら部屋から退出していった。

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