19 まどろみ亭

 町へと一歩足を踏み入れた俺たちを出迎えた光景は、ファンタジーゲームの光景そのものだった。


 軽い足音を立てる地面は石畳で作られており、門から伸びる大通りには色々な店が軒を連ねている。建物はレンガを積んで作られており、手作りの温もりを感じた。

 店の前に備え付けられた看板には剣と盾のマークが書かれたものや、薬草を束ねたもの。マンガ肉や、旅人とポーチを描いたものと、わかりやすく”いかにも”なデザインが描かれている。

 いたるところに花瓶やプランターが置いてあり、華やかな色彩が広がっている。個性的な店なんかは花瓶の変わりに、店の壁一面につるが垂れ下がり、一面に小さな白い花が咲き乱れていた。


 ……何度見てもワクワクする。


 日が暮れるにはまだ少し早い時間で、人々の往来は多い。

 道を歩く人々は、思い思いの場所に花や、花をモチーフにしたアクセサリーを身につけている。


「人が多いけど大丈夫か?」


 俺の傍にぴったりと近寄るスピカへと声をかけると、こくこくとフードが上下した。しかし、声での返事は返ってこない。

 ……町に入る前の威勢はどこへ消えたよ。


「そうだな。せっかくだから」


 言葉と供に右手で示した先には、花をばら売りしている露天がある。少しでも緊張がほぐれたらいいけど、そういう思いで露天へと足を進めた。


 ニコニコとした笑みを浮かべる老婆に銅貨を二枚渡すと、一輪の花を受け取る。

 慎ましく広げられた薄い桃色の花びらがなんとも可愛らしい。


「この花の名前を教えてもらってもいいか?」

「カレンソウじゃ」

「ありがとう」

「なんの。質問のお代は、また花を買いに来てくれたら、それでいいとも」

「逞しいな。わかった、また買いに来るよ」

「まいどあり」


 ……初めての客に”毎度”とはずいぶん洒落っ気がある。ひらひらと手を仰ぐ老婆に背を向けると、スピカのフードを少しだけずらす。

 道行く人のように、スピカの耳にカレンソウを飾った。


「これでスピカもミエルの人だな」


 フードの隙間から見える銀髪と紅色の瞳に、薄いピンクの花弁がとてもよく似合っている。我ながら良い仕事をしたと満足して深く頷いた。


 ……彼女の顔はじわじわと花のように色付いた。表情を隠すように瞳を伏せたが、俺がフードを持ち上げているために、浮かんだ感情は隠すことなくと伝わってきた。わかってしまった。


 照れとか、嬉しいとか、そんな感じのやつ。

 弾かれるように勢い良くフードから手を放す。


 ――めちゃめちゃ気取ってかっこつけた行動じゃないか、今の。はっず。

 弁明しようと思うが言葉にならない。頭の中は恥ずかしさ一色、フードから手を放した状態で体は硬直した。何か言わなければと思うが、頭の中は感情がぐるぐると渦を巻くだけ。


 そんな俺を見たスピカはくすりと笑うと、唇をほころばせた。


「嬉しかった」


 俺から一歩離れて、目深に被ったフードをほんの少しだけ上げる。


「カッカッ。アンタ、ずいぶんじゃな」

「……おう。そうだろ」


 からかうように露天の店主に声をかけられ、返した言葉は開き直ったヤケクソなもの。火照った顔を冷ますように目を手で覆った。


「……この後だけど、ひとまず、宿に行こうと思う」


 隙間風のように掠れた小さな声だった。


「わかった」


 鈴の転がるような軽やかな声が返ってくる。

 力が抜けたスピカの声色に少しだけ救われた気分になった。





 ■





「いらっしゃいませ! ……おお? おーっ」


 ぴょこんと突き出た狐の耳がピクリと揺れた。

 快活な印象を受ける栗色の瞳を丸くすると、八重歯の覗く口から感歎の声が漏れた。


「おかーさん! この前の旅のおにーさん、また来たよー! 女の子連れてる!」


 店番をしていた狐人族の女の子は席から立つと、店の奥へとパタパタ走り去ってしまった。

 放置された俺とスピカは、目を合わせて苦笑を漏らす。



 ”まどろみ亭”へと到着した俺たちを出迎えた珍事である。



「彼女はこの宿の看板娘で、来る前に言った通り狐人族と人間のハーフだ。その話は一旦おいておこう。

 ……スピカ、一人で泊まれそうか? いや、変な意味ではなくてだな」


 この言葉を聞いた彼女はピシリと目に見えて固まった。考え込むように少しの間を置いた後、申し訳なさそうに俺を見て、ゆっくりと首を振った。


「……その」

「わかった」


 続く言葉はネガティブなものか、それとも謝罪か。フードごと、頭のてっぺんを押さえつけるようにぐりぐりと撫でる。


「あらあら、お久しぶりです」

「久しいというほど日数も経ってない気がするけど……。また世話になりに来た、よろしく頼む」


 言葉をかけてきたのは、橙色のエプロンで身を包んだ小柄でほっそりとした女性だった。

 娘と同じく栗色の瞳をしており、腰まで届くほどの長い小金色の髪を一つに束ねて首筋から胸元へ垂らしている。頭には飛び出た狐の耳。


 やや遅れて、看板娘に手を引かれて熊のような巨大な男が姿を現した。

 前掛けで手を拭いつつ、ぬっ、と敷居をまたいで現れた男の眼光は鋭い。巨大な肉食獣じみた、力強い印象だ。

 ……見た目とは裏腹に、とても心優しい男だという事を俺は知っている。


 この三人がまどろみ亭のスタッフ全員で、家族でもある。


「……サン、息災なようで嬉しく思う。俺の名前はベアだ。俺ァ基本的に裏に居る。何かあったら妻のシノダに言立ことだててくれ」


 言葉を告げるや否や、彼は踵を返して裏へと戻って行った。

 実は彼は甘いものに目がなく、手芸や炊事洗濯といった器用な作業が得意で、雑事を全て担っている一家の大黒柱。


「私がシノダです。よろしくお願いします」


 胸の辺りでゆったりと手を振っている。


「私が娘のヤコ! よろしくねっ!」


 快活に笑うと、シノダと同じ位置で手を振る。親とは違って力強く元気で溢れていた。

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