13 大口の主
いざ地上へ、という時のことだ。
スピカが緊張していることに気がついた。
強く結ばれた唇からは色が消え、たまに口を開いてはつぐんでいる。何かを言いたいのだろうか。その様子を見ていられなくなって俺は光を見上げながら声をかけた。
「なあ。この後、パロース村の一件が終わったら俺にしてほしいことはあるか。見たい景色があるなら案内するし、何か欲しい物があるなら俺の懐と相談するさ。楽しいことを考えよう」
「……いいの?」
彼女は赤い瞳をたゆたわせながら俺に問う。
「おう。いつかも言ったが、遠慮しないで悪態ついているくらいが丁度良いもんだ」
「……じゃあ。リンカの実を使ったお菓子をまた作って欲しい」
「……それでいい、のか?」
「美味しかった。また食べたい、です」
「わかった。
そう言うと俺は竜にまたがるとスピカへと手を差し出す。未だ緊張した様子のスピカを見て、自然と笑みがこぼれた。
「なぁに大丈夫さ。なんとかするし、なんとかなるもんだ」
少しづつ、ゆっくりと、スピカの小さな白い手が伸ばされる。そして、俺の手を取った。
思ったよりも華奢で柔らかい手だ。俺の手よりも少し冷たい。
その手を引っ張り上げ、氷でできたドラゴンの背にしっかりと座らせる。俺の魔法によって凍えるような冷たさは感じない。
ドラゴンに魔力を流していざ突撃……と思ったところで、遊び心が顔を出す。
「そうだ。せっかくだから、なんか掛け声くれよ」
「……えぇ」
温度の感じない目で見つめられた。俺の氷よりも凍えた目だった。
なんだよ、俺のちょっとした遊び心くらい良いだろう。
「何も言わないで空を飛ぶのも味気ないだろ? それに男のむっさい声で気合を入れるよりも、俺の身が入る」
観念したように目を伏せ小さく吐息を漏らすと、彼女は鋭く息を吸う。
「飛翔せよっ!」
「はは、ありがとう、最高だ。それじゃあ行くか!」
なんだかんだ付き合ってくれる所、凄く良いと思うぞ。
ドラゴンが大きく翼を羽ばたかせる。体にかかる重力。ふっと体が浮いたかと思えば、竜は――飛んだ。
†††
ドラゴンのいななく声が静寂を切り裂く。
心地のよい春の澄み切った日差しの下、純朴な自然が織り成す緩やかで広大な景色。平凡な日常が続いていた。
ほんの少し前までは。
パロース村にとっての
この場にはどこに居たのかと疑問に思うほどの人、人、人。その中にはこの村に訪れたときに助言をくれたラークの姿もある。ドラゴンにぎょっとした表情をうかべたあと、背に乗った俺たちの姿に心底ほっとしていた。
そして、俺の目の前には、動揺を隠すように首筋についた脂肪をねじくるタナトスの姿。
額いっぱいに油汗を浮かばせながら、全身を使って、まるで幼い子供を宥めるかのようにドラゴンに語りかけて来た。
「ううむ、その、ですな。貴方様が”悪魔の大口”に住まわれておられる主様でしょう。私にはわかりますともッ!」
”知らん。そんなものになった覚えはない”
ドラゴンの声を聞いたタナトスは、汗を地面に垂らす勢いでこくこくと頷いた。敬いという感情を全身で表現しているようだった。
「ええ、その通りでしょう。でしょうとも。ですが、私たち人間は矮小な存在。何かを敬わないと生きていけないのですよ。貴方様は大口に住まわれる主たる存在なのです。そのお声、聞き間違えたりはしませんとも」
”人間というのは大変だな”
その言葉を聞いたタナトスはニヤリと笑うと、竜の背にのった俺とスピカを睨みつける。
「――おいッ! 何故お貴様らが主様の背に乗っている。貴様らは悪知恵を働かせて主様を篭絡したようだが、このタナトスが居る限りそれも通じんッ! 昨夜と同じようにお前らの化けの皮を剥いでやろうではないか!」
「……まあいいか。聞きたいこともあったし、話に乗るよ」
俺はそういうとスピカの肩を軽く触り、竜から飛び降りる。
「タナトス、お前、随分と良い暮らしをしていたみたいだな。手は柔らかく、体中に肉もついている。ところで、大口の底に人骨があった。あれは、なんだ?」
「ははは、人骨が転がっていたんですねッ! それらはロッジとその家族でしょう。パロース村の平穏を守る我輩に反抗してきた村人です。大口の主様への贄となってもらいました」
「平穏、ね」
「――そう。人々は唸り声に震えて眠れぬ夜を過ごし、やがては夜の影にすら怯えるようになる。怯えは疑心を産み、疑心は
「じゃあ、なんで、ロッジが反抗したんだ?」
「……それは、この我輩の高尚な目的が理解できなかったのでしょう。学がなかったですから」
「もう一つ質問、いいか。タナトス、お前、俺たちがこの村に来たときにスピカに何をしようとした。確か浄化するとか言っていたが、それって具体的になんだ? ただの旅人がこの村に混乱をどうやってもたらすんだ? 教えてくれ」
俺はそういうと、タナトスから視線をはずしてドラゴンを見上げる。
「お前の言う大口の主もここに居る。ちゃんと本当のことを言ってくれよ」
「それは――ええい、うるさいうるさいッ! やはり貴様らは悪魔だ。こうやって混乱をもたらし、この村の平穏を壊そうとしているではないかッ!」
顔を真っ赤に染め上げ、全身で不本意だと大声をあげるタナトス。汗をかきながら息切れを起こしている。
ここでダメ押しだ。
”匂うぞ。嘘の匂いだ。……タナトスといったな。お前、嘘をついているな。それに我はこの村に手を出したことなんてないぞ。そりゃ、多少唸り声を上げたが、それだけで人っていうものは不和になるのか?”
「あ゛あ゛あ゛――ーーッ! そんな筈がないのです! 我輩は、我輩はッ!!」
地面に崩れ落ち、豪華な法衣を泥で汚すタナトス。手を差し出す者は――誰も居ない。
力なく地面に伏すと、やがて、顔を上げて俺を見る。
「善行をしたとでも思っているのか。さぞ気持ち良いだろうな、この、傲慢の
「そんなんじゃねーよ。俺はただ、この村のために何かしようとかじゃなくて、ただお前に腹が立っただけだよ」
返す言葉もなくなったのだろう。今度こそタナトスから全身の力が抜けた。
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