12 おはよう

 朝だ。朝なのだ。

 徹夜でぼんやりとする頭を冷ますように手を額に当てながら、万感の思いをこめて呟く。


「終わった……!」


 床に倒れこむと、そのままごろごろと転がった。

 突っ伏したまま達成感と疲労感の入り混じった長い長い息を吐く。


 半回転。


 慣性のままに見上げた”悪魔の大口”の天井からはうっすらと差し込むように日の光が入ってきており、陽光を乱反射する水晶のカーテンが昨夜とはまた違った絶景を描いていた。


「ほんと綺麗だな」


 ポツリと呟く。

 そんな俺の声で起こしてしまったのか、くぐもった伸びるような声が響く。


「んんーー……」


 二枚の毛布の下からごそごそ這い出てきたスピカは、目の下をこすりながら大きなあくびを漏らした。


「おう、おはよう」

「……おはようございます」


 何時もよりも幼い声にあわせて頭がゆっくりと揺れ動く。挨拶のつもりだろうか。

 目があう。眠たそうに半分開かれた目が俺を見つめている。


 スピカの瞳からゆるゆると力が抜け、柔和な曲線を描いた。


 ……おい。ちょっと俺に気を許しすぎじゃないか。

 その顔を見ていられなくなってまた半回転。冷たい地面に額を付けて、ゆっくりと息を吸う。ああ土くさい。

 徹夜明けの熱とは違う、また別の熱が頭の中をぐちゃぐちゃとかき乱した。

 自覚してくれよ。お前は美人なんだ。本人に吐露とろするのも恥ずかしいから言わないが。


「何してるの?」


 先ほどよりも少しだけはっきりとした声。


「……地面の匂いをかみ締めてる」

「変わった匂いでもするの? ……ううん、変わった匂いはしないよ」


 身動ぎする音が聞こえたと思ったら、わざわざ地面の匂いを嗅いだらしい。

 違う。違うんだ。そういう意味じゃないよスピカ。

 しかし、どういう意味かと尋ねられると、とても恥ずかしい思いをしそうなので適当に言葉を重ねることにする。


「まあ、そういうことだ」


 我ながら意味不明だ。


「たまにサンはわからないことを言――、」


 小さく息を飲む音。


「……スピカ?」


 途切れた言葉が気になって頭を上げてスピカを見た。

 彼女の視線は俺の少し奥を向いている。顔がゆっくりと上へ上がる。地面からだんだんと正面を向き、さらに顔は上がり、ついには天井を振り仰いだ。


「……すごい。すごい、サン」

「おう、俺も中々やるもんだろ」


 スピカが見ていたもの、それは――。




 氷で出来た、巨大なドラゴン。




 全長8メートルほどあるだろうその氷で出来たそれは、爬虫類に良く似た印象を受ける。ただ、爬虫類とドラゴンをわけるのは、何よりも、力強い印象を受ける巨大な翼だ。雄雄しい羽は陽光を浴びてうっすらと白煙を上げている。

 ゴツゴツとした体、体の半分以上を占める太く長い尾。鋭い印象を受ける透き通った目には眼光のように光を反射する丸い結晶が入っている。

 シュッとした細身の体つきのドラゴンで、小さな細い氷の棘を幾重にも重ねて出来上がった姿は我ながらかっこいい。

 俺は一つ頷く。良い出来だ。


 駆けるようにドラゴンに近寄るスピカを見て、俺はドラゴンに魔力を流した。


 ――咆哮を上げると、氷の竜は力強く羽ばたく。空間を震わす躍進の重低音。

 さらに。


”昨夜の余りのポトフとパンで、朝ごはんを済ませようか”


 竜が羽をふるわせたかと思えば、開かれた竜の口から、おどろおどろしい低い擦れるような声が漏れた。

 その声を聞いた彼女はふるりと体を震わせると、目を輝かせて俺を見る。


「どうやっているの!?」

「竜の体にコイツを埋めた」


 上着の内ポケットから俺の魔力の固まり――言うならば”俺”の結晶を取り出す。


「なあ、魔力の結晶って、魔法が濃い場所に作られるだろ。それを再現できないかと思って、ずっと試していたんだ。それが、これだ。いくつか竜の体に埋め込んでいて、それを起点に竜の体を操作している」


 魔力に意思を乗っけることで、結晶が反応してその通りに動くのだ。

 ラジコンを操作しているような感じといえば伝わりやすいだろうか。楽しい。


「声はちょっとした魔法の応用で」

”この体に埋めた俺の結晶から魔力を引き出して、それを使って声のように響かせている。風の結晶で起こったことを無理やり再現してる感じだな”


 途中から俺の口ではなく、ドラゴンが伝える。


「……。簡単に言っているけどとんでもないことだよね。サン以外に出来る人、居ないと思う」


 驚愕とも呆れともつかない声が投げられる。


「さぁーな」


 俺の場合はこの世界が魔王に脅かされるかもしれないという焦燥感もあったから、練度だけは高めていたからな。

 適当に返事をした俺はそのままごろごろ転がると、寝転がったまま焚火に近寄り体を温める。氷を弄くる作業を一晩中していたため、焚火は朝まで絶やさずにずっと燃やしていたのだ。

 優しく体が温められ、眠気がじわじわと俺を満たす。


 さすがに疲れた。……ねみい。


「髪……ぼさぼさになってる」

「ああ、転げまわったから。後で水でも被るさ」

「……うん」


 俺への返事ではないだろう。何かを決意するかのように、スピカは小声で頷いた。

 竜を見上げていたスピカが俺のほうへ近寄る音。俺の直ぐ傍へときたかと思えば、スピカはおそるおそる俺の頭へ手を伸ばした。

 冷たい指が頭に触れ、心臓がひときわ強く跳ねる。


「どうした?」


 驚愕を隠すように、俺は出来るだけ冷静な口調で尋ねる。


「動かないで。髪の毛、直すよ」

「それはありがたいが……なんで急に?」

「だって――だって、私、サンに良くして貰ってばっかりだ。……何かしなきゃと思って」


 その言葉を聞いた俺は、瞬間、面食らう。そしてゆっくりと心を満たす嬉しい気持ちが、隠そうという気にもならずに零れ出た。


「スピカ、お前、良い奴だな」


 スピカから返事はない。ただ、俺の頭を梳る指がピクリと震えた。

 ……わかるよ。気恥ずかしいんだよな、面と向かって言われるの。

 年下の女の子に頭を撫でられることに、何故か、言い様のない気後れのようなものを感じる。ただ、頭をくすぐる指先は、どうしても抗えないほどに心地良い。

 スピカの指がそっとに俺の頭をまさぐった。

 ……徐々に、少しづつ、心地よい暖かさと振動で眠気が強くなる。

 それを振り払うように口を開く。


「良くしてもらったら、その気持ちに報おうと出来る人は良い人だよ。色々な人を見てきた俺が言うんだから、間違いない。

 ……そうだ、ポトフ、出してあるから。食っててくれ。そうだな。落ち着いたら、飯、一緒に作るか」


 だが、言葉は纏まらずにとっ散らかったままだった。

 さまざまな心地よさに包まれて、俺の思考は鈍く、緩やかになっていた。

 ……眠い。とても眠い。


「悪い。ちょっと寝る。おきたら、地上へいこう」


 上手く言葉になったかはわからない。襲い来る睡魔に飲まれると、俺は意識を手放した。




 ■




 ぼんやりと開いた俺の視界、スピカは俺に背を向けてドラゴンへと向き合っていた。

 恭しいものを触れるようにそっと手を伸ばし、人差し指でちょんとつつく。


「……冷たい」


 そのまま手を広げて氷で出来た突起をそっと撫でた。


「ウロコ」


 地面へしゃがむと、鉤爪を見つめてつぶやいた。


「鉤爪」


 そのまま腹の下へともぐりこみ、じっとにらみつけるように竜を見上げる。


「おなか。風の結晶がうっすらと見える。竜としては基本的なサイズ。……サンは竜に詳しいみたい」


 そんなことはない。前世でのサブカルチャーのおかげです。

 スピカはそのままじっと竜を見つめたまま、再度口を開く。


「……サンが操っていたのは本当だと思う。でも、生きているとしか思えなかった。ちゃんと説明してくれた、けど……」


 また人差し指を伸ばしたかと思えば腹をつつく。


「こんにちは。中に誰か居たりしますか。……なんて」


 小さな声でおそるおそる竜に声をかけた。


 スピカを見ているうちに、途中からすっかり目が覚め、ふつふつと込みあがる笑いを堪えるのに必死だった。なんつうか、可愛いらしい。

 俺の中の悪戯心がのそりと鎌首をもたげる。スピカにばれないように魔力を流した。


”バレたか、小娘。実はな、サンのやつはああ言っていたが、我にもしっかりと意識はある。大口の主とは――我のことよ”

「わ、わひゃあっ!!」


 物凄い速度で俺へと振り向くスピカ。勿論俺は目を閉じて寝ているフリ。

 寝ていることを確認したスピカはあわてた様子で口を押さえると、竜へ振り向き恐る恐る声をかけた。


「あ、あの、サンが寝ているので小声でお願いします。その、本当に……?」

”そうだとも。驚いたか? 風の結晶の中で、じっと外の世界を見ていたのだ”

「……そうなんですか。大変ですね」


 真面目な顔で頷く。


「その、このことをサンは……?」

”きっと、知らな、ああ、ダメだ。堪えきれない、あ、あはは”

「ご、ごめ、でも、はっはは」


 俺はスピカへと背中を向けると、その場で笑い転げた。



「…………………………ねえ、サン?」



 ぞっとするくらい冷たい声色。ゲームの中ですら聞いたことの無いほど冷たい声だった。

 一瞬で笑いが引くと、スピカの顔をおずおずと伺う。満面の笑みだった。ただし、目が笑ってはいない。


 やっべ。やりすぎた。


「あー、その、確認するスピカがあまりに可愛くて、ついからかいたくなった。ごめん」


 俺の言葉を聞いたスピカは毒気が抜かれたように目を丸くすると、しばしの後に目を閉じて諦めたように息を吐く。


「本当に驚いた。こういう事は良くないと思う」


 ――俺に取れる選択肢は平謝りのみだった。

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