09 悪魔の大口

胸クソ展開は一切ありません。信じてください。雨降って地を固まらせます。ええ、ほのぼのです。

ーーーーーーーーーー



「スピカは好きな食べ物とかってあるのか?」

「……リンカの実」

「あれか。美味いよな」


 時折鼻をすんすん鳴らすスピカと会話をしながら、ラークが指した道を歩く。

 リンカの実とは芳醇で甘酸っぱい味の果物だ。この世界特有の果物で、味を例えるならばリンゴに近い。

 以前買い込んだ記憶がある。まだポーチに残っているはず。

 晩飯の後にデザートでリンカの実を出そう。だけど、そのまま渡すのも芸がない。せっかくだからこの果物を使ってちょっとしたデザートを考えておこうか。


 ……恥ずかしいから口には出さないが、頑張ったスピカへの労いだ。


 それにしても、ポーチの中身も整理しなければいけないだろう。

 色々なものを手当たり次第突っ込んだおかげで中身はごちゃごちゃ、散らかっているというレベルではない。掃除か……。考えただけで憂鬱な気分だ。嫌いな言葉トップ5に入るな、うん。

 鼻からゆっくりと空気を吐く。


 澄んだ清爽な空気とは裏腹に、心なしか遅くなった俺の足。その先には――。

 遠目からでもしっかりと見えていた、地に開いた穴。それがはっきりと見えるほどに近づいていた。




 日没、すなわち昼と夜の境目というのはどこか仄暗い印象を受けるだろう。

 逢魔時おうまがときという言葉もある。人は昔からこの時間に思いを馳せ、訪れる闇に畏怖を抱いた。


 その黄昏に包まれて”悪魔の大口”は口を開けていた。


 ぽっかりと開いた直径5メートルはあるだろう穴。まるで地面の内側から破かれたように隆起し、穴の周辺には地肌が露出している。

 その穴からはささやきの森でも見た”もや”のような魔素と、砕かれ擦れた風がヒュー……ヒュー……とか細い音を立て地上へと漏れ出ていた。

 まるでゆっくりと呼吸しているようだ。

 これが――悪魔の大口。

 



 そして。

 木々に遮られて見えなかったが、穴の横で演説をする司祭服の男。聞き入る十数人の村人の姿があった。


「……で、あるからにして、先ほども我らが主が憤懣ふんまんを上げられました。我輩にはわかるのです。さあ、我輩と一緒に祈りなさい。主は声を聞き遂げてくださりますとも……!」


 彼がタナトスだろうか。

 でっぷりと突き出た腹を大げさに揺らしながら、不思議と通る声で村人たちに説法を説いている。


 司祭服といえば華美な装飾は避け、機能に優れたシンプルな装いだろう。

 だが彼の服は違う。肩からは複雑な文様が描かれたストールを下げ、黒を基調に作られた服には金銀糸で編まれた装飾が付いていた。

 彼の顔ほどの大きさもある五芒星のネックレスを身につけ、金で装飾された本を持っている。


 …………うわあ。


「見つかる前に離れるぞ。嫌な雰囲気だ」


 またしても俺の背中に寄り添っていたスピカに囁くも……遅かったようだ。


 タナトスの話に耳を傾けていた村人と目が合ってしまった。

 知らない者を見た動揺はあっという間に伝染していく。タナトスも直ぐ異変に気が付き、そして、俺と目が合った。

 タナトスは村人へ一言二言何かを言うと、俺へと近寄ってくる。


「おお――これはようこそ、パロース村へ。どういったご用件でこの村へ訪れましたかな?」


 ニコニコとした人当たりの良い笑顔。しかし、その目は笑っていない。よそ者への排他心によるものか、それとも他の気持ちによるものか。


「……悪魔の大口のうわさを聞いて足を運んだ旅人だ」

「すると、トレジャーハンターか何かですかな?」

「違う。観光だ」

「なるほど、それはすばらしい。トレジャーハンターは嫌いでしてね。偉人に敬意を払わない薄汚い鼠風情、泥臭くてかないませんからな」


 タナトスがげらげらと声を荒げて笑う。


「我輩はタナトスといいます。名前を伺っても?」

「サンソンだ」


 手を差し出されたので握手に応じる。柔らかな手だった。


「そちらのお嬢さんも」


 そう言うとスピカにも手を差し出すが、

「そいつへは勘弁してやってくれ」

 体で遮る。


「人嫌いなんだ」


 それも事実だし、これ以上タナトスの目にスピカを映させたくなかった。


「ふむ……ふむ。まあ、いいでしょう」


 ニコリと柔和な笑顔を浮かべるタナトス。

 しかし、俺が遮った瞬間にタナトスが浮かべた表情は酷く苛立ったものだった。


「所で――あなた方は昨夜の爆発について何か知りませんか? この大口の主が酷く怒っていらっしゃる。まさかあなた方が大口の主の気を機嫌を損ねていたいりはしませんよね?」


 きっと、タナトスからするとただの意趣返しだったのだろう。

 少し脅かしてやろうとか、そういう類の。




 ”ボオオオオオオォォォォーー――――――…………。”




 タイミングの悪いことに、まさにこの瞬間、悪魔の大口から唸り声が放たれた。

 地面に開いた亀裂から勢いよく風が吹く。

 吐息のようなその風は辺りの木々の葉を揺らし、葉が擦れあう小気味よい音が広がった。

 俺の視界の隅、タナトスの顔が崩れた。


 ニ ヤ リ。


 鼻の穴が膨らみ、口角が歪み、ほう、と下品な吐息を漏らした。


 嫌な予感がしてスピカの様子を伺う。風に煽られて目深に被っていたフードが煽られ、スピカの美貌が白日にさらされていた。

 スピカはフードを押さえるも、容姿を隠しきるには――遅い。

 声か、それともスピカの容姿にか。動揺して囁きあう村人たち。


「おお。おお。大口の主が怒っていらっしゃる。何故かわかりますか?」


 動揺している村人へ振り返ると、大仰な身振りで演説をする。

 両手を広げ、顔を醜く歪ませ、陶酔した表情で訴えている。


「彼らが――この村に災いを齎すのです。この娘を見ましたか。あの顔つき。大口の主とまぐわい、村に姦淫かんいんと混乱をもたらしに来た魔女です。かれらが、かれらが! ええ! 我輩が浄化せねば――」





「黙れ」





 俺の憤りが魔力となって体から漏れる。コントロールなんて出来やしない。俺の心のままに辺りを威圧し、暴走し、周囲を凍てつかせる。


「ヒッ」


 タナトスが悲鳴を漏らすが、そんなことはどうでも良かった。


 スピカは全身を震わせていた。地面に崩れるようにしゃがみこみ、耳をふさぎ、首を小刻みに振っている。

 酷く怯えていた。


 人間だからという理由で会話をせずに俺に切りかかってきたのも、今考えれば恐怖の裏返し。人に攻撃性を見せずに俺の背中に貼りついていたのも、緊張した様子だったのも、嫌に強がっていたのも――少し考えれば、自分を守る行動だとわかるべきだった。

 何がスピカのことを考えている、だ。ああ、クソッ! 心臓が痛いほど激しく鼓動して、視界が赤黒く染まる。


 腹が立つ。


 付いて行くことを決めてくれた信頼に答える事が出来なかった自分に、能天気に観光気分だった自分に。

 ……ああ、もしかしてゲームだと一人でパロースに来たのだろうか。


「ハ、ハハッ! 見ましたか、この魔力。彼も魔物、ヒヒッ、主よ、助けたまえ……!」

「俺にしたら、お前こそが、魔物だよ」

「そ、そうやって口で人々を惑わせるのです。ええ、あののように! あなた方も聞いたでしょう、我輩の言葉に呼応して声を荒げた大口の主をッ! 正義は、我々に、ありますぞッ!」


 タナトスは力強く言い切ると、村人を鼓舞するように両手を掲げる。


「彼らこそが――村に混沌と秩序の破壊をもたらすのですッ!」



 ――ゆらり。



 意思を感じさせない動きでスピカが立ち上がった。

 表情はフードに隠れてわからないが、体からは目に見えるほどの魔力が立ち上っている。

 両手を上にかざすと、スピカの手には魔法剣が出現した。その手をそのまま振り下ろそうとし――。


「ごめんな、俺が悪かった。こんなところだと思わなかった。本当にごめん」


 出来るだけ優しい手つきでそれをとめる。


「……何故。どうしてッ! 何故とめるッ! 貴方が、貴方はッ!!」

「殺すなんて生易しい。アイツの尊厳を全部奪ってやろう。タナトスの言葉は全部嘘だ。この大穴に主なんていない。俺にはわかった」


 一度目の声を聞いた時に感じた強烈な既視感の正体、さすがに至近距離で聞いたら思い当たる。

 それに。

 今の勢いで人を殺すと、きっと、スピカは魔王になる。

 ああ、もしかして、スピカが魔王になったのはこの村が原因だったのかもな。


 スピカの気に当てられて震えるタナトスに向かって口を開く。


「……お前の嘘、全部見破ってやるよ」

「……は?」

「お前は詐欺師だ。暴かれるのを、震えてまってろ」


 スピカの膝下に手を通すと抱きかかえる。

 そして、俺とスピカは――悪魔の大口の中へと体を躍らせた。

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