07 森越え

「……ねえ」


 スピカから囁かれたのは歩き出してすぐだった。

 湿度のある声色。たった一言だけだが、さまざまな感情が篭っていることが伝わってきた。

 振り向く。


 緋色の目があった。

 澄み切り透明な印象を受けるその目にどこか居心地が悪くなる。既視感を抱き、思い出されるのは幼い記憶。詰問する親の目だ。


「パロースって所は、人間の、集落なのよね」

「……ああ。そうだ」

「どうしてそこへ行こうと思ったの?」


 ……それは人間を滅ぼすとまで言ったスピカを何故わざわざ人の下へつれていくのか、という意味だろう。

 問われるだろうと思っていた。返す言葉は決まっている。


「人間にも色々居るんだ」


 先ほど呟いたのと同じ言葉。

 色々な人と触れて一方的ではない考えを持ってほしい。そして、今すぐには難しいかもしれないが、できれば、ほんの少しでもいい。……旅を楽しんでほしい。

 スピカの事情を考えていない、俺の押し付けがましい感情。

 これが正しい考えかはわからない。もしかしたら彼女の傷を広げるだけかもしれない。


 ゲームの魔王の台詞を思い出す。

 ”怒りと絶望を抱きながら息絶えるが良い”

 温度を感じさせない冷たい目でこんな台詞を言う未来だけは迎えさせたくなかった。


「……嫌、か? こうやって秘境を渡り歩くのも楽しいもんだ。人里へはよらずに絶景を見ながら竜人ドラフの集落を探すか?」


 でもそれはスピカの気持ちを考えていない独りよがりなもの。だから、聞かれたら相談しようと決めていた。

 俺の言葉を聞いた彼女はフードで顔を隠すと、小さく掠れた声で俺に尋ねた。


「私が人の里で暴れたらどうするつもりだったの?」

「止める。お前も人も怪我をさせるつもりはねーよ。そんで、問題になったらスピカを連れてその場から逃げる」


 一緒に旅をするという選択肢を選んだ時点でそのつもりだった。


「……そう」


 彼女はフードをかぶったままぷいっと顔を背ける。


「その、パロース村はどんな所なの?」

「知らないのか?」

「初めて聞いた」


 竜人の集落はささやきの森奥に居を構えていたのではないのだろうか。森奥に居たなら知っているものだと思っていたが……。


「パロース村には”悪魔の大口”と呼ばれる巨大な穴があるらしい。そこから夜な夜な呻き声が響くそうだ」

「危なくないの?」

「いや、声の主は姿を現したことがなく、その音を嫌ってか周囲の魔物は寄り付かないらしい。音にさえ目をつぶれば安全だそうだ」


 パロース村の名はしらなくとも、悪魔の大口の存在はそれなりに知れ渡っている。唸り声、大穴、話題に事欠かないだろう。

 それなのに彼女は初耳といった様子。ささやきの森にいなくとも、森の近くに居を構えているならば大穴について知っている筈だ。

 竜人ドラフはここいら近辺に集落を構えていたのではないのだろうか。わからん。


 だけど、スピカに尋ねないほうがいいだろう。この話は心の鋭敏な部分に触れる。勢いで人の集落へと連れて行こうとした俺が言えた台詞ではないが、それでもスピカを思いやるならば多分きっと時期尚早だ。


「悪魔の大口。そんな場所はパロース村にしかないだろ。せっかくなら見ておかなきゃと思ってな」


 疑問の代わりに俺が口に出したのはおどけるような言葉。勿論本音である。


「……私にはわからない」


 フードの陰からため息一つ。どうやら呆れられてしまったらしい。

 そりゃそーだ。魔物はびこるこの世界を、金目的ではなく観光目的で旅をするのなんてバカのやることだ。自覚はしている。

 腕を組むと目を閉じて深く頷いた。


 閉じていた目を開くと、スピカが俺のことをじっと見上げていた。


「どうした?」

「……いいわ。行き先はパロース村でいい」

「――おお、おお。そうか」


 心の底から声が漏れた。

 本当によかった。髪をかきあげながら胸中で安堵の息を漏らす。

 後はパロース村で何も起きずに楽しく観光を終えるだけ。何時もの通りだ、きっと大丈夫だろうさ。




 ■




 黙々と歩いて数時間がたった。

 足先は先ほどと同じ方向。時刻は大体10時といったところだろうか。


 用があるわけではないが、振り向くと俺の少し後ろをついてくるスピカの様子を伺う。スピカは上目で俺を見ると首を傾げた。前髪がふんわりと揺れる。

 ……無防備な反応。

 その目が充血していることに気がつく。声を出さずに涙を流していたのだろうか。

 喉奥に空気の塊がつっかえる。前へ向きなおすと、かゆくも無いのに指先で頬を掻いた。


「どうしたの?」

「……なんでもない」

「そう」


 何時からだろうか、スピカの口調が魔王然とした強い語尾ではなく、年相応なものになっていた。

 いやまあ――悪くない。うん。悪くない。

 多少なりとも気を許して貰えたのならば良かった。


 再度彼女の様子を伺う。


「さっきからどうしたの?」

「……いや、ずっと一人で旅をしていたから、誰かの歩調を気にして歩くのが新鮮でな。疲れたり喉が渇いたらすぐ言えよ」

「わかった。何かあったら直ぐ言う」


 呆れるような微笑を浮かべながら言われた返事になんとなく気恥ずかしくなる。気にしすぎだろうか。前へ向きなおすとぶっきらぼうに、おうと答えた。


「今まで、どんな場所を旅してきたの?」

「そうだな……。日が昇らずに一日中夜の場所や、湖の底に存在する城。古代の遺物が溢れる遺跡、見渡す限り一面砂の海とかにも行ったな」


 目を閉じると浮かび上がる風景と冒険の数々。ホント、この世界は面白い。


「中でも一番あせったのは移動する森だな」

「どういうこと? 想像もつかない」

「去年の今頃のことなんだがな――」


 ある都市の飲み屋で聞いた話。

 あるハンターが幻と呼ばれる魔物を狩るために森の奥深くへと訪れた。そこで一晩明かそうと野宿をし、うとうと寝ておきたら、なんと草原に居たそうだ。

 今まで居たはずの森の影形もない。

 結局、そのハンターは魔物を狩ることもできずに拠点へと戻ったそうだ。

 俺にこの話を教えてくれた人は魔物にでも化かされたのだろうと笑いながら言っていた。


「わくわくするだろ? そんな話を聞いたら行きたくなるってもんだ」


 ……返事の代わりに得も言われぬ冷めた視線が返ってきた。


「当然、俺も行ったんだけどさ、言われた場所とは随分ずれた場所に森があったんだよ。

魔法によって木々が魔物ではないことを確認して、話で聞いたとおり森の中で野宿をした」


 小さく息を吸う。


「深夜、月が頂点に昇った頃、急に回りの木々が手足のように根っこを地面から抜いて軽快に歩き始めた。

驚いていると木に声をかけられた。人よ、驚かないでくださいってな。焦りながらその木を見ると小さな口と目があった。……生きてたんだよ、その森」


 スピカは訝しげに俺を見る。


「信じられない」

「本当だ。なんならそこに連れていってもいい。それから俺は木々を見るとたまに話しかけるんだ。調子はどうですかってな」


 右手にある木の幹を軽く叩く。……返事はない、残念だ。


 そんなふうに雑談をだらだらしたり、昼飯を食べるために休憩したり、無言で歩いたりしながら、時間はたち、やがて――。

 夕暮れに差しかかろうという頃だった。

 パロース村が見えた。

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