03 爆発

 語る口は持たない。

 その言葉の通り、魔王は魔法で編まれた短剣を手に出現させると俺に向かって投げ飛ばしてくる。ゲームでも見た攻撃方法だ。空間を割く短剣は透き通るような蒼穹の色で覆われており、端につれて溶けるように白い色へ変化している。こんな状況でなければじっくりと見たいほどに綺麗だ。

 魔力光は人の根本が現れると言われているのだが、空の色にはどんな意味があるのだろう。前世でも今世でも好きな事にかまけて色の勉強なんぞ一切してこなった頭では答えは出ない。ちなみに俺の魔力光は緑がかった白色だ。


 思考にふけっている場合ではない。

 俺も魔王と遭遇して動揺しているのだろう。まさかこんな事になるとは思ってもいなかった。


 ――魔王ベルベット。

 ゲームの中では空間を司る魔法を扱い、豊かな胸元を大きく露出した深い紺色のワンピースの上から襟のあるマントを羽織った装いをしていた。端々に金色の装飾が付いており、紺色と金色の印象が強い。

 目の前の少女を見つめる。

 ゲームのものよりも一回りほど幼く華奢な姿。姿格好は違えど、俺を射貫こうと睨む眼光の鋭さだけは変わらない。ただ、眉尻は記憶よりも随分か柔らかい。


 彼女は俺に攻撃が通らない事に業を煮やしたのか、地面を強く蹴ると突っ込んでくる。

 地面を蹴る軽い音が響いた。

 その音や姿からは想像もできない速さで俺との距離をゼロにすると、手を上段にかざし、瞬時に作り出した半透明の剣を振りおろす。

 その攻撃を再度出現させたフリズドで防ぎながら声をかける。


「待て、まってくれ。落ち着いてくれ。話をしよう」

「お前ら人間は父を、母を殺した。――許すものかッ!」


 彼女は泣いていた。

 俺から視線をそらさずに真っ赤な目で睨み上げながら、意地でも嗚咽は上げないと言わんばかりに唇を強く噛み。柔和な曲線を描く頬を真っ赤に染め上げ、眉間に皺を作り、微かに唸り声とも泣き声ともつかない声を漏らし、ぽろぽろと涙を流し続けていた。

 その気丈さに目を奪われる。


 あー…………。参った。白旗だ。

 恨むぞ、事を荒立てた野郎。ホントどうすっかね。


 内心頭を抱えていた俺の視界の片隅――不吉に明滅する光があった。


「まずいッ!」


 ここは結晶を形作る程に魔力が濃い。

 知恵ある者は魔力を操る事で様々な神秘を起こす。俺のように氷や炎を出したり、目の前にいる魔王のように剣を編み込み操ったり、果てには生命すら操る者すら居ると聞く。

 そんな魔力の塊が結晶となってゴロゴロと転がっているのだから、ここは宝の山だと思うだろうか。それを発見した俺はこの結晶を売りさばくことができれば一生金に困らないな。


 残念ながら違う。そんな甘い話は無い。


 自分以外の魔力は加工することが難しく、ましてや結晶なんて超がつくほどの危険物だ。下手に触ればどうなるかわからない。王都にて結晶をメインに据えた研究所があったが、そこでは爆発事故がおこり更地となったという話を聞いた。

 ゲームで危険地帯を魔物に追われて逃げるイベントがあった。洞窟内部、主人公の背後には無数の魔物たち。最後の最後、危ないと思った所で仲間の魔法使いが結晶へと炎の呪文を使ったのだ。

 爆発音。スマホの画面と俺の視界を染め上げるまばゆい光。

 主人公一派は爆風に背中を押され、命からがら洞窟から逃げ出る。ありがちなイベントだろう。


 その結晶に魔法で作られた剣が突き刺さったらどうなるだろうか。


 何をかけたっていい。爆発する。俺の危機感が強い信号を放っている。

 結晶に背を向けるように剣を構える魔王は不吉な光に気が付いていないのだろう。

 瞬間、思考する。迷っている暇はない。

 体中に魔力を流して身体機能を強化する。強化ブーストオーラという技だ。ゲーム内では攻撃速度、攻撃力を上昇するバフ技。現実で使うと身体能力の全体的な底上げだ。練度によってその恩恵は大きくなる。

 あぐらをやめて立ち上がり、剣を構えて突きを放つ彼女へ自ら体を差し出す。戦意を見せていなかった俺が行動を起こした事に驚いたのか、一瞬硬直した魔王の横腹を抱きかかえる。


 魔王の突き出した剣は俺の腹を深く抉った。


 つんざかれる思考。激しい熱。心臓の鼓動に合わせて熱が痛みに変換される。

 体から大事な熱量が失われる感覚があるも、ここで意識を失うと共倒れだ。


「お゛お゛お゛お゛っ゛!」


 足りない体力は掛け声で補う。

 危機感に従い全速力で魔法を練り上げ、地面を蹴り、繰り出した足が地面につく前に氷の床を作る。

 階段の要領で俺は空へと全速力で駆け上がる。


 左手にはずっと持っていた鍋、右手には抱きかかえた魔王。

 俺の後ろからは連続的に響く爆音、そして閃光。

 爆風に背中を押され、転がるように宙を全速力で走り抜ける。

 足を止めたら勢いで転ぶだろう。もし彼女を放りだしてしまえば、行きつく先は死のみだ。

 連鎖的に森のあちこちから響く爆発音。巨大な音と衝撃、閃光にやられてぼんやりと酩酊する。


 ある程度の高さまで駆け上がると、少しづつ余裕が出てきた。

 彼女は大丈夫だろうか。

 そう思い抱きかかえた右手を見ると、脱力し、されるがままになった魔王の姿。


「……無事か?」


 返事はない。ただ、頭が微かに上下する。


「そいつはよかった」


 体をはった甲斐があった。安堵すると同時に吹きだす強烈な痛み。思わずうめき声が漏れた。

 今は絶賛空の旅真っ最中だ。

 作った氷をその場に維持させるのにも魔力は消費されるし、集中力を求められる。ここで魔法を失敗すると二人とも地面へ全力ダイブ、命はないだろう。氷で鍋の蓋を作ると、魔王へ向かって声をかけた。


「すまん、鍋、持っててくれ。地上へ降りる」


 彼女は俺に抱きかかえられたまま顔を挙げずに手をゆるゆると差し出し、鍋を掴む。

 空いた左手でポーチから回復薬を取り出すと一気に呷る。痛みは薄くなり、傷口が早送りをしているかのように塞がっていくのがわかった。

 まったく魔法様々だ。

 遮るもののない夜空の景色は俺の言葉では言い表せられないほど美しいのだが……残念ながら鑑賞する余裕はない。

 流れ出た血で足を滑らせないように慎重に宙を跳ね、地面へと降下していく。


「何故、怪我を負ってまで私を助けた」


 ふと、鈴の音のような声が響いた。


「何故ってそりゃ……なんでだろうな」


 ゲームのキャラだから?違う。

 同情したから?無いわけではないが、理由の全てではない。

 彼女の気丈さに見惚れたから。……違うな。


 もっと単純で根源的な理由。たぶん、嫌だったからだ。良い事も嫌な事も沢山経験してきたが、それでも俺はこの世界が好きだ。

 不幸を無くそうとか勇者になって魔物を全滅させようとか、そんな正義感の強い情熱は最初から持ち合わせていない。

 ただ、せめて、目の前で何かが起こったら。俺の見える範囲で対応できるのならば、するだろう。器用な生き方じゃあないが、俺はそうやって生きてきた。これからもきっとそうだろう。


「ま、良かったじゃねえか。俺もお前も死なずに済んだ。それでな」


 嫌だから。なんとも子供染みていて恥ずかしい理由だ。口に出すのは気後れするので、明確に答えるのは止しておく。


「こうやって空の旅をした仲なんだし、よかったら名前、教えてくれないか? お前って呼ぶのも味気ないしな。俺の名前はサンソン。親しい人はサンって呼ぶ」


 宙に掻き消えてしまいそうな程小さな声だったが、ぽつりと呟かれた声は俺の耳に届いた。


「私は、私は――スピカ・ベルベット」

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