02 出会いと警戒

 日が沈み、夜が来る。

 木々の隙間からは月が顔を出していた。

 幼い頃、暖炉の火に照らされながら寝話として聞いた寓話を思い出す。空には神様が居て人々を見守っている。悪い事をしたら神様に怒られる、そんなありふれたおとぎ話だ。

 実際に神はいるのだろうか。この世界なら居てもおかしくはない。一度会って話をしてみたい。そんな事を言うと宗教家に不敬だと怒られてしまうだろうか。


 月光と魔力光に包まれながら、木々と草むらをかき分けたその先――目の前に人が倒れていた。


 うつ伏せに倒れこんだ姿から年齢や風貌を確認する事はできないが、腰にかかろうかという程の長髪や、楚々とした体付きからから女性だという事が伺える。

 簡素な寛頭衣は泥で汚れ、裾が擦り切れ、無防備に晒された素肌はあちこちに擦り傷が出来ている。……痛々しい。

 慌てて駆け寄り、地面に突っ伏した顔を横へ向かせると口元へ手を翳す。

 ……しっかりと呼気は感じられる。

 そして俺の目に入るのは、頭の横から突き出た角。獣人、か。


 死に至るような怪我をしているという訳ではなさそうだが、彼女は気を失うほど衰弱している。

 ほうっておくわけにはいかないだろう。

 抱きかかえるとベース……キャンプ地へと向けて歩き出す。


 ここは人気のない森の中であり、道なき道の先には村しかないだろう。その集落へ行くにしたって遠回りにはなるが人の手によって整備された道がある。

 ろくな装備品一つ持たず体中に怪我を作り、衣類もボロボロで、おまけに獣人ときた。


 キナくせえ。知らず知らず眉間に皺がよっているのを感じる。


 人と獣人の仲は悪くはない。正確に言うならば無関心が正しいだろうか。お互いに下手に手を出すと火傷ではすまなくなる厄介な存在と思っており、住んでいる土地が近くでもない限り、手を出す人間は少ない。

 種族の持つ秘宝や特産品などを目的として襲撃を起こした人間の事件は、旅をしていると耳にすることがある。願わくば目先の欲に駆られ、短慮に走った人間の行動の結果ではないことを望むが……どうだろうか。





 ベースに戻ると再度手早く火を起こす。

 暗闇の中に温度のある光が灯り、ほっと安心。薪のはぜる音、ゆらゆらと小刻みに動く火を見ると、なんとなく落ち着いて居心地が良いのは何故だろう。


 そんな事を思いつつ、動物の毛皮の上に寝かせた彼女の様子を伺い見る。


 腰までかかる銀髪、目を閉じていてもわかる端正な顔立ち。ほっそりとした輪郭は思ったよりも幼く、少女と女性の中間だろう。

 何より頭の横から生えた角、そして、手首からひじにかけて特徴的なウロコ。


 ドラゴンヒューマン……竜人ドラフだ。


 目を閉じ、小さく身じろぎをする彼女を横目に焚火に鍋をくべる。

 中身は先ほど捌いていたウサギ肉、訪れた村で頂いた季節の野菜、それに山で取れた乾燥キノコ。

 これらは腰につけたポーチから取り出した。

 握りこぶし大のポーチにこれらの材料は入らないように見えるが、ありがちな、見た目より容量がデカいマジックポーチというアイテムだ。ポーチに入れたものは腐らないという特性があるのも、言葉では言い表せられないほどに便利で、非常に重宝している。運よく手に入れる事が出来て良かったと強く思う。


 鍋に入れた材料をバターで炒め、牛乳を注ぐとだしを少々。食欲のそそる優しい香りがあたりを包む。

 作っているのはホワイトシチューだ。

 俺一人だったらサバイバル料理でもよかったのだが、彼女もいるとなると話は別。肉の塊は痛んだ体に優しくないし、食べにくい。汁物なら弱った体でも食べやすいだろう。

 女の子から視線を外し、焦げ付かないように鍋の中身をかき混ぜる。


 まさか”ささやきの森”の隙間でキャンプをし、シチューを作っている人が居るとは誰も思うまい。


 シチューの香りにそそられてだろうか、背後で小さくうめき声が上がる。目を覚ます兆候だろう。

 俺の腰にぶら下げた小さなポーチに手を突っ込むと、中からお椀を二つ取り出し焚火の横に置く。


 ゆっくり鍋をかき混ぜていると――背後から強烈な殺気。

 俺は振り返る事なく口を開いた。


「起きたか。腹、減っているか? もう少しでシチューが出来上がる」


 返答はない。それどころか小さく空気を割く音がする。

 俺の首元に魔力で作られた刃が突き付けられていた。


「……くっ」


 苦悶の声を漏らしたのは俺ではない。

 刃を阻むように氷の壁が出来ていた。否、俺が作った。こうしなければ俺の首は胴体とおさらばしていただろう。


 氷結初級呪文フリズド。眼前に氷の棘を作り敵へと飛ばす呪文だが、小器用に使えばこういう事もできる。


 幼い頃から手足のように魔力を編み込み、その術を磨き上げてきていた。魔法が使えると知った時のワクワクと熱狂ぶりは、少年期すべて捧げたといっても過言じゃない。

 余談だ。


「あー、元気が良いな。俺は君に対して何かする気はない。一旦、落ち着いてくれると嬉しいんだが」

「……黙れ。貴様ら人間は油断を誘い同胞を殺した。問う口は持たない。死ね」


 ……。強烈な既視感。

 聞き覚えのある声だった。鍋を手に持ったまま振り向く。


 残雪のような白い頬が橙色の火に照らされて冴え冴えと際立っている。

 猫のような印象を受ける鋭い切れ長の目、濃ゆい紅色が意思のあかりを灯していた。透き通る銀髪がしっぽのようにうねる。殺意を研ぎ澄ませ、意思そのままに動かされる体は、俺の命を刈り取ろうとしているのだろう。

 繰り出される刃をぼんやりと見つめる。……まだ死にたくはない。どこか遠い冷静な自分が、思考の外で彼女の攻撃を捌いた。


 視線が交差する。


 まるで作り物じみた印象すら受けるほど、整った容姿だと思った。


 触れたら壊れてしまいそうな細い体躯から繰り出される重く鋭い攻撃。

 唇から漏れ出た鈴の音のような声。

 空の色をした魔力光や、魔力で刃物を作って攻撃するという手段。


 既視感は脳裏を震わせて一枚の絵を描いた。


 前世で見たスマホ越しの光景、ロード中のキャラ絵。

 この娘――魔王じゃないか?

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