第25話 罪と罰(前編)
この世界はまもなく終わりを迎える。
私、北山
この時代を生きる、すべての人間の共通認識であった。
L国に落下した隕石から発見された、夢のような超科学。
それらを正しい方法に使うことが出来たのなら、私たちは、ユートピアだって実現できたはずなのに。
人類は、それを戦争の道具としてしか用いることが出来なかった。
地殻破断ミサイル。
気象コントロール兵器。
重力制御装置。
生体兵器『魔獣』。
そして超人。
「ん?」
電車に揺られていた私は、前の席に座る女の子の視線に、やっと気づいた。
子供のつぶらな瞳は、私のバッグから覗く、お菓子の箱に釘付けになっていた。
「くすくす」
私は少し迷ったが、そのビスケットを箱ごと取り出し、子供の膝の上に置いた。
「はい、あげる」
「わあ、ありがとう――」
と、子供が素直に受け取ろうとしたので、傍らの母親がうろたえる。
「い、いいえ、いただけません。そんな高いものを」
母親が、娘の手からビスケットの箱を取り上げた。
ビスケットが高級品か……。
その事実は、十数年前の豊かな社会を知る者にとっては、どうにもやるせない。
戦争で疲弊しきった世界にとっては、かつて100円そこらで売られていたものが、大変なぜいたく品なのだ。
事実、私もこのビスケットを手に入れるにあたって、それなりに苦労をさせられた。
「いいんですよ。お菓子はやはり子供が食べるべきですから」
「で、でも、何かに使うつもりだったのでは」
「まあ、……息子のお見舞いにと思いまして」
「それでしたら、なおのこといただけません」
「いいんです。どうせ息子は食べれませんし」
「え?」
「本当に構いませんから。息子は優しい子ですから。来る途中で子供にあげたと伝えたら、自分が口にするより、むしろ喜んでくれると思います」
「……本当によろしいんですか」
「もちろん」
「ありがとう、おばちゃん」
女の子が、ビスケットの箱を抱きしめる。
母親は、電車から降りる私の背中に、繰り返し頭を下げていた。
最寄り駅から徒歩12分。息子の入院している大学病院が目の前に現れる。
戦時下にあって、日本中の大学は、例外なく休校の措置がとられていた。
病院と併設された医学部キャンパスからは、ゴーストタウンに似た雰囲気を醸し出す。
「こんにちは、水来。元気にしてた?」
「……」
この十二年間、目を閉ざしたままの息子からは、何の反応もない。
「志郎くんから手紙が来てたわよ。あの子は相変わらず頑張っているみたい」
人類の滅亡をどうにか阻止しようと、各国に対話を呼びかける国際的NPО法人。
志郎くんは、そこの日本支部の代表を務めていた。
「あの若さでよ。やっぱり志郎くんは大したものね。子供の頃からちょっと毛色が違ったものね」
もっとも最近は、色々と苦労が絶えない様ではあるのだが。
その法人の活動内容はいたって平和的なものなのだが、その存在を快く思わない各国政府によって、いわれのない糾弾を浴びることもあった。
「いきなり警察官がやってきて、そのまま一か月間理由も告げずに拘留されたメンバーもいたんだって。志郎くんは大丈夫かしら?」
私は、携帯音楽プレーヤーを取り出して、水来の好きだったグループの新曲をかける。
軽快なメロディが病室を駆けまわった。
「そういえばね、小学校で仲が良かった木島くんはね――、塾が一緒だった佐藤さんは――」
「――」
「――」
一週間待ちに待った面会日。
私は、ため込んだ話題を、これでもかと水来にパスする。
「……」
「……」
「……」
当たり前だが、水来からの返球はない。
息子と触れ合えるこの時間だけが、私にとっては生きる理由そのものだが、時折、痛切な虚しさに襲われることもある。
「……水来がどうか目を覚ましてくれたなら」
それを思わなかった日は無い。
親子水入らずの個室に、不意に、白衣の男性の影が入り込んだ。
「ああ、桜井先生、いつもお世話に……?」
その人物を、私はてっきり、水来の担当医と思ったのだが、違った。
目の前にあるのは、目の下に大きなクマを作った、見慣れた壮年医師の姿ではない。
「どうも、はじめまして」
若手俳優と見まごうような容姿を持った青年が立っている。
「ど、どちら様でしょうか?」
その爽やかなスマイルに、逆に警戒心が働く。
「私、先週こちらの病院に勤務することとなりました、村上と申します」
村上と名乗った男は、白衣の胸元につけられた、顔写真付きの名札に指を添える。
「先週退職しました桜井の後任として、急きょ配属されたしだいです」
「えっ。桜井先生は辞められたんですか?」
「はい。一身上の都合で」
「そ、そうですか……」
桜井医師は、その懇切丁寧な診察ぶりと、確かな医療知識で、患者から絶大な信頼を得ていた人物であった。
医師と言うのは、大概、知識はあるが患者あしらいが雑すぎるものか、患者への応対は満点だが腕がイマイチなものに大別される。
両方を兼ね備えた桜井医師は希少な存在であり、私が、わざわざ六角町から離れたこの病院に水来を入院させているのも、その人物の存在が大きかった。
「……残念です」
私は心からそう思った。
「隣、よろしいでしょうか?」
許可を得た村上医師が、私の横に腰掛ける。
「桜井の書いた、水来さんのカルテを拝見いたしました。14歳の時に交通事故に遭われて、それから12年間意識不明だとか」
「はい……」
分かってはいるが、実際に言葉にされると、水来の境遇が不憫でならない。
私は、無意識にスカートのすそを握りしめていた。
「桜井のしてきた治療は適切だと思います。おそらく現代の医学でできる最大限のことをしているでしょう」
「はい。桜井先生は、とてもよくしてくださいました」
「ただ、非常に申し上げづらいのですが、その上で症状になんら改善が見られない現状、さらなる治療は難しいと言わざるを得ません」
「……」
私は、無言で視線を下に落とした。
「ただ、一つだけ有効な方法があります」
「!?」
私の視線が跳ね上がる。
「そ、そんな方法が!?」
「はい。L国の隕石から発見されたオーバーテクノロジー、いわゆる超科学を用いて、水来さんの治療を行うんです」
「しかし、それは……」
一旦期待を抱かされてしまった分、直後の失望は大きかった。
「超科学は各国でトップシークレット扱いです。しかも、その用途は軍事用に限られます。一民間人の治療に、国が超科学を提供してくれることなど、ありえません!」
知らず知らず、声が大きくなっていた。
「ですから、治療ではなく軍事用として、超科学を借り受けるのです」
「……?」
はじめは、村上医師の言っていることが全く分からなかった。
「……!!」
やがて、その意味することが、現実的に一つの答えしかないことに気付く。
「先生!! バカにするのもいいかげんにしてください」
勢いよく立ち上がった衝撃で、椅子が床に転がった。
「水来を超人の被験者として提供しろと言いたいんですか。可愛いわが子を生体兵器の実験体にしろ。そんな提案を呑む親がいるとでも思っているんですか!?」
「どうか落ち着いてください」
村上医師が、ゆっくりとした動作で、倒れた椅子を元に戻した。
私は、しばらく、怒りの目で村上医師を見下ろしていたが、やがて再び着席した。
「もちろん、北山さんのお気持ちは分かっております。私も医師として、意識不明の患者を超人に改造するなんて、本来はとても口にできない。医師の倫理に著しく背きます」
「でしたら、口にしなければいいのに」
「事情があるのです。それも、北山さんと息子さんにとってあまりよくない」
村上医師はノートサイズの端末を操作して、一つの画像を表示させる。
「これは……、CTの画像でしょうか?」
「はい」
村上は、写真に写った多数の影を、一つずつ指さした。
「これはガンです。非常に言いにくいことですが、水来さんは現在ガンを発症しており、しかもそれが全身に転移しております」
「――」
あまりに衝撃的な発言に、私は足元が崩さるような錯覚を覚えた。
「い、いわゆる若年性のもの、ということでしょうか」
震える舌で、どうにか理知的な言葉を扱う。
「いいえ。非常に言いづらいのですが、治療の副作用と言うことが考えられます」
「ふ、副作用。そんな話は桜井先生からは一切……」
「実は、水来さんに行われた治療法の中には、発がん性のリスクが非常に高い方法があったのですが」
「き、聞いていません」
「そう、ですか……。治療に当たっては、説明が義務付けられているのですが……」
村上医師は苦し気に言う。
しばし無言の時間がつづいた。
水来の安らかな寝息だけが、空間を充たす。
あの桜井先生が、そんな患者の人権を無視するようなことを?
医師の鑑と仰いでいた人物の、手ひどい裏切りに、私はショックを隠し切れなかった。
「非常に申し訳にくいのですが、このままでは水来さんの余命は、ガン治療が最高にうまくいって、後一年ほどしか……」
がっくりと、全身の力が抜けるのが分かった。
「そんな、……そんなの!」
「北山さん。どうか落ち着いてください」
狼狽する私を、村上医師が、優しく制する。
「そこで先ほどの提案なんです」
村上の口調は、年長者が子供に諭すようなものであった。
「水来さんが目を覚ます可能性は低い。その上ガンで余命いくばくもない。そうなれば、もう現実的には超科学にすがるしか方法はありません」
「で、でも。水来が超人になってしまったら、例え目を覚ましたとしても、すぐに死んでしまうじゃあないですか」
超人の兵器としての有用性は、群を抜いていた。
それはさながら、特殊な装備を有した少数精鋭部隊が、時として大軍以上に必要とされたように。
超人に改造された水来が、新型兵器としてただちに激戦区に投入されることは、想像に難くない。
「無理です。無理です。そんなこと」
優しいばかりのあの子が、強大な魔獣どもと戦うなど、想像もしたくない。
私は子供のイヤイヤのように、激しく首を振った。
「そのお気持ちは重々承知しています。だからこその提案なんです。いいですか? よく聞いてください」
村上医師が声を潜め、そっと私に顔を近づけた。
「フリをするんです。超人になった水来さんを、政府の命令通りに引き渡す必要なんてない。そのまま超科学の恩恵だけを受け取って、水来さんが術中に亡くなったとか、適当な報告をすればいい」
「!?!」
村上医師は、怖いくらい真剣な顔で、私の目を見ている。
「そんな、ご冗談を……」
「冗談でこんなことは言えません」
強い調子で
「こんな提案をしたことが政府に知れたら、私は間違いなく収容所送りです。そこで待っているのは、拷問か過酷な労働か」
「そ、そうですよね。疑って申し訳ありません」
「いえ、北山さんがそうおっしゃられのも当然です。あまりにも突拍子もない――!」
「!!」
年老いた掃除婦が一人、いつからか、私たちの様子を覗き見ていた。
「あらあら、人がいたんですか? 歳をとると、視力がすっかり衰えちゃって」
老婆が、「いひひひ」、と意味深に笑う。
「こ、この部屋の掃除は後でいい。別のところを先にやってくれ」
「はいはい。……ああ、そうそう。私は最近めっきり耳も遠くなっちゃてね。なーんも聞こえなかったんで、ご安心を。いひひひひ」
笑いながら、老婆は掃除用のワゴンを押していった。
「な、なんだあの妖怪みたいな婆さんは。……き、今日のところはお話はここまでにしましょう。北山さんにも、気持ちを整理する時間が必要でしょうし」
そこからの私の記憶は判然としない。
気が付いたら、夕焼けの中を疾駆する、一台の電車の中であった。
ガタンゴトンという、のどかなリズムに合わせて、目の前の吊り革が揺れている。
著しく注意力を欠いた私は、虚ろな目でそれを眺めていた。
水来。水来。
あの子はもう間もなく死んでしまう。
助ける方法は超科学にすがることだけ。
それは国を欺く危険な行為。
私の心の振り子は、正に負に大きく揺れる。
法を守ることが正なのか?
子を救うことが正なのか?
私には何も分からない。
何時間考えても、何日考えても、明瞭な答えなんて出やしなかった。
ただ、何となくわかっていることはある。
超人になれば、水来は意識を取り戻す。
「水来と、……もう一度話ができる」
あの子と過ごした十四年間の記憶。
けして裕福ではなかったが、愛情だけは溢れるほどつまっていた。
「あの日々をの続きができる」
この甘い誘惑に、自分はけして抗うことは出来ないだろうという予感。
「お願いします。水来をどうか超人にしてあげてください」
そして、一週間後の面会日、やはり私は、村上医師に深々と頭を下げていた。
「お任せください。必ず悪いようにはしませんので」
この男の本質が邪悪そのものであることなんて、この時の私には知る由もなく。
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