第24話 母の声
六角町遺跡を覆う揺れは、みるみる激しさを増していく。
轟音と共に、岩の天地に、長く太い亀裂が刻み込まれた。
大地の裂け目は、数多の魔人蛭たちを、地の底のさらに底へといざなっていく。
天の裂け間は、
キュイイイ!?
キュウ! キュウウ!!
突然の天変地異に、魔人蛭たちが、狂乱の体に陥る。
それらの間隙を縫うように、小さな影が疾走する。
??
その後を追う
「ええい、このクソ虫! いいかげんに水来を返せ!!」
リルルルル
恋とアバドン蟲。
一人と一匹は、地下空間が崩壊の只中にあるというのに、まだ戦うことを止めようとはしない。
恋の指先が、銃身側部のパネルを操作する。
つづけて、屋根の上に飛び上がって、射角を確保した。
「とっておきだぞ!」
もはや何十度目かも判然としない発砲。
ただし、今度の射撃は、今までとは明確に異なっていた。
照準が、そもそもアバドン蟲に合わせられていない。
ルル?
恋の愛銃は、電磁加速式。
爆発で力づくに加速させるしかない旧来の銃とは異なり、電圧を微調整することで、弾丸に複雑な力を加えること可能であった。
明後日の方向に飛んでいったはずの弾丸には、特殊な回転がかけられている。
それは野球のカーブさながらの円弧を、中空に大きく描いた。
さらに、恋が、一拍遅れて、今度は直線軌道の二射目を放つ。
「これで終わりだ!」
直進する二射目と、曲がる軌道を描く一射目が、完全にタイミングを
一人二方向同時攻撃。
恋の数多の射撃技術の中で、最も必殺率の高い一つである。
ジロリ
しかし、アバドン蟲の巨大な眼には、音よりも速く迫る弾丸とて、二匹の蝿と大差ない。
二つの弾丸を結ぶ直線軌道が、一目で見抜かれる。
リリリ
同じく音速で振るわれた触手が、一薙ぎで、二つの弾丸を粉々に弾き飛ばした。
「…………くそったれめ」
毒づいた恋が、空になったマガジンを放り捨て、最後の一つを装填する。
「認めたくないが、スピードとテクニックだけじゃあ、こいつを仕留めきれない。クソ虫の動体視力と機敏な防御を打ち破るには、一にも二にもパワーだ」
恋の脳裏を、半径50メートルを獄炎に包み込む、必殺の焦炎弾がよぎった。
「あれはもう無いんだよなあ。昨日全部撃ち尽くしてしまった。ああ、なんで昨日の私は、今日の私のために一発くらい残して置いてくれなかったのかなあ。昨日の私という奴は、本当に気の利かない奴だなあ」
無茶苦茶な理論を展開する恋だったが、本当は理解している。
昨日の戦闘は、余力を残して生き残れるものでは無かった。
猛烈な数で攻めたててくる相手に、範囲攻撃が唯一可能な焦炎弾を出し惜しみしようものなら、そもそも今日の恋は存在できていない。
しかし、そのせいで、今日の恋が手詰まりに陥っているのも、また事実。
敵の反撃が無いのをいいことに、アバドン蟲が、ぐいぐい前に出てくる。
鋭い触手が変幻自在に虚空を舞い、上下左右から恋を攻め立ててきた。
回避に専念するしかない恋ではあったが、
「まだまだ。まだまだ、だ!」
その瞳から、戦意の炎が失われることはけして無い。
「た、助けてくれえ~~」
ただし、その情けない声が耳に届いた時ばかりは、がくりと肩から力が抜けるのは、致し方ないだろう。
「今忙しいんだ! 自力でなんとかしろ! 終!!」
「お、お前は俺の護衛役だろう、それは職務放棄じゃないのか?!」
見れば、終の立っている雑居ビル屋上の真上に、恐ろしい光景が見て取れる。
緩んだ岩天上の一部が、周囲から切り離されて、ゆっくりとゆっくりと、ビルめがけて滑り落ちてきているのである。
「ああ、これは助からないな。享年14歳。見事な散り様だったと村の皆には伝えておこう」
「死にざまなんて知ったことか。美しい死よりも、断然、醜い生だ。僕は、世界中から後ろ指さされたって、何ら顧みることは無く、自分さえよければいい人生を全うしてみせるぞ」
「やれやれ。なんてろくでもない発言だか」
とは言え、さすがに幼馴染を見殺しにしては、夢見が悪い。
「親父や九関班長も、終を死なせたらうるさいか」
恋が、背面跳びで、アバドン蟲から、いったん大きく距離を取る。
屋根から屋根へ、ときどき電信柱のてっぺんも経由しながら、終の救助に向かった。
「よし、これ」
雑居ビル傍の、大きな日本邸宅を足場に選んで、大ジャンプ。
その頑強な瓦屋根は、恋の全力の踏み切りにも耐えきってみせた。
翼を持つかのように、恋の身体が中空に舞い上がる。
「れ、恋~~。よく来てくれ――」
「黙ってろ」
「もがっ!」
雑居ビル屋上に着地した恋は、終をすばやく小脇に抱えて、滞在時間0コンマ5秒でそこを離れる。
たちまち、頭上の巨大な岩塊が、天蓋から抜け落ちて、急降下をはじめた。
一瞬前に二人がいたビルは、十倍近い質量を有する岩塊に、跡形もなく押しつぶされた。
木っ端みじんになったビルの破片が、猛烈な塵芥の嵐となって、辺りを包み込む。
リイィィ!?
石片が大量に混じった黒風に黒目を撫でられ、さすがの大魔獣も悲鳴を上げた。
吹きすさぶ嵐を前にしては、自慢の触手も何の役にも立たないであろう。
アバドン蟲は、全身を丸めて、完全防御の態勢を取った。
「クッ、チャンスはチャンスなんだが」
無抵抗のアバドン蟲に背後から近づく恋だったが、唯一の急所を固く守られては、手の出しようがない。
「お前は戦いの邪魔にならないところに隠れてろ」
「ま、まだ戦る気なのか」
「当たり前だろ。今度こそ、あの目ん玉ぶち抜いてやる」
「無理だ。恋。もう諦めろ」
「あん?!」
「これまでで十分わかっただろう。今のお前の装備じゃあ、あいつは殺しきれない」
終の助言の正しさは、同じ考えに至った恋が、何より理解している。
だが、終はそもそも勘違いしていた。
現状は、有利とか不利とか、得とか損とか、そんな次元をとうに超えている。
「仲間が敵に捕らわれているんだぞ。それを見過ごせと言うのか!」
「ああ、クソ。お前はまったく。普段は傍若無人の癖に、いざとという時にはご立派な人道主義者になりやがる」
「人道うんぬんじゃない。共に命をかけた戦友さえ信じられないというのなら、人生にどんな価値がある」
「ふん、気取ったことを言いやがって。散々、戦闘班のお仲間を、邪険に扱ったお前の言うことか?」
「あれはレクリエーションの一環だ。みんな分かってる」
「分かってるわけないだろ! 遊び半分なのはお前だけだ!」
「なにい!」
「……もういい。……もういいんだ、恋」
そのか細い声は、猛烈な地響きの中にあっても、鮮明に恋の耳に響いた。
「水来!?」
アバドン蟲に囚われた水来が、息も絶え絶えに口を開く。
「俺のことは、……もういい。二人だけで、逃げ、てくれ……」
「却下だ。私はお前を必ず助ける。私の哲学にかけて」
「俺は、……もう助からない」
「恋。水来の言う通りだ。あいつの身体は、もう大半が消化を終えられている」
終の助言はまたしても正しい。
水来が呑み込まれてから、あまりにも時間が経ちすぎた。
水来にはもう、目視できる頭部と右腕以外、肉体は残されていないのだろう。
「敵に喰われた部位は不死身の超人であっても、再生はできない。アバドン蟲の身体から引っ張り出した所で、もう水来は生きることができないんだよ」
「うるさい! お前は黙ってろ!」
恋のあまりの剣幕に、終が「ひっ」と悲鳴を上げる。
「いいんだよ。恋。終くんの言ってることは本当だ。……君たちは早く安全なところに……」
水来の声は、死を受容したものにある、透明な響きを帯びていた。
それが恋には恐怖でしかない。
「諦めるな。必ず、私が助ける。だから!」
あの勝気な瞳が、涙で潤む。
「……ふふふ、君でもそんな顔をするんだね」
水来の心が奇妙な満足感で充ちる。
思えば、恋とは喧嘩ばかりの毎日だった。
相手のおかずが多いとか、風呂の時間が長いとか、読んだ本を本棚に戻さないとか、呆れるほど些細なことで、感情をむき出しにした。
それが水来には新鮮だった。
素の自分をさらけ出して相手とぶつかるというのは、あの志郎とさえ築きえなかった関係性である。
こうして振り返ってみれば、あの騒がしい日々は、まるで煌めく宝石箱のように思われてならなかった。
「本当にありがとう、恋。君と、出会えてだけで、この、世界に、いた意味はあった、よ」
水来が、必死に笑顔を作ろうとする。
「やめろ、水来。どうか諦めないでくれ。ううう」
恋の目から、大粒の涙がこぼれだした。
「……」
死に際の笑みで、最後の力を使い切った水来は、全身を虚脱させていた。
硬く握りしめていた拳から、力がほどける。
紅い光が、手の内から零れ落ちた。
「なんだ? 赤いブローチ?」
終が怪訝な顔になる。
それは紛れもなく、水来の母が手にしていた、あの誕生日プレゼントである。
「? どう、して?」
水来にも、なぜそれがここにあるか分からない。
もちろん、アバドン蟲に母とまとめて押しつぶされた際、たまたま水来の手の中に入った、という推理くらいはまだ思いつけるが。
ブローチが、落着の衝撃で、カチリと機械音を立てる。
『この話は、誰かに伝える意図があって残されたものではありません』
ブローチが、女性の声を奏でだす。
「か、母さん?」
水来の目が驚愕に見開かれる。
『ただ懺悔をせずにはいられない。私の愚かな行為とその顛末について』
「ブ、ブローチに録音機能?」
「み、水来のお母さんの声だって」
『私は息子の水来にとんでもない十字架を背負わせてしまいました。あの子はきっと、魔獣の溢れる荒廃した未来世界で、ひとり超人の身体を持て余しているでしょう』
「「「!??」」」
全員の息が停まる。
「ど、どうして、母さんが、俺の現状を知ってるの?」
母からの返事は当然ない。
機械はただ、淡々と母の言葉を再生していくのみである。
それが聴くものにとって、どれだけ悲劇的かどうかということなど、忖度する機能は一切ない。
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