第21話 悪夢にいざなわれる


 敵地で睡眠を取るにあたって、交代制で見張りを立てるのが本来であろう。


 しかし、水来たちには、休息を取れる時間にも人員にも不足がある。


 やむなく、周辺に罠をしかけるという、ありあわせの策を講じた。


「まあ、罠と言っても大したものじゃないよね。さっき食べた缶詰の空き缶をロープにぶらさげて、あちこちに張り巡らせるだけ」


 魔獣がロープに触れると、大きな音を立てて、水来たちに危機を伝える、というだけの機能しか持ち合わせていない。


 慣れない作業に手間取った水来が、やっと自分の割り当てを済ませて、恋と終の待つ寝室にやって来る。


「ごめん、遅くなっちゃって」


「がおー、がおー」


「すぴー、すぴー」


 手早く作業を済ませたらしい二人は、すでに高イビキをかいていた。


「さっさと寝ちゃうんだなんて、友達甲斐がないなあ……、あれ? このベッド――」


 寝室には丁度人数分のベッドが設置されていた、という話のはずであった。


 ところが、内二つは立派な大人向けだが、最後の一つは、半分程度のサイズしかない子供用である。


 もちろん、水来に割り当てられた一つが、その子供用だ。


「またこのパターンか!」


 言いたいことは山ほどあったが、夢の世界に逃げられてしまっては致し方ない。


 渋々、水来は子供用ベッドに身を横たわらせる。


 ベッドの底面が、水来の体重にきしんだ音を立てた。


「さて、夜明けまでさほど時間が無い。俺も早く眠らないと」


 元来はさほど寝つきのよくない水来だが、今日はあまりにも心身を酷使しすぎた。


 枕に後頭部を乗せ、薄手のタオルケットを羽織ると、瞬く間に安らかな寝息を立てはじめるのだった。


「……」


 水来は夢を見ていた。


『どうしたの? 水来』


 台所で夕食を作っていた母親が、浮かない顔をした息子ミラに気付く。


『その……、これお誕生日プレゼント』


 六歳の水来が、リボンでトッピングされた小箱を差し出す。


『まあ、素敵なブローチ』


 箱を開いた母親が破顔する。


『ご、ごめんなさい』


 今にも泣き出しそうな顔で、水来が頭を下げた。


『? どうして水来が謝らないといけないの? お母さん、とっても嬉しいのに』


『こ、このブローチね。掘り出し物だって店員さんに勧められたの。これをもらったら人はものすごく喜ぶって。だから、僕、お小遣い三か月分をはたいたの』


『あら……。そんな高いものなんていらなかったのに』


 母親が表情を曇らせる。


『で、でも違ったの! インターネットで調べたら、全然人気が無くて、499円で投げ売りされてたの。僕、ぼったくられちゃった』


『難しい言葉を覚えたわね。志郎君の影響かしら?』


『ひっぐ。ひっぐ。せっかくのお誕生日なのに、とんでもないものあげちゃった。ごめんなさい。ごめんなさい』


 水来が激しく泣きじゃくる。


『よしよし、水来。あなたが泣く必要なんてないんだからね』


 母が、水来の涙を指でそっとすくう。


『えぐっ、えぐっ』


『お母さんは貴方の気持ちだけで胸が一杯よ。このブローチだって言うほど悪いものじゃなさそうじゃない。たくさんの秘密機能が付いているんだって。なになに?『録音機能も当然完備。これで交際相手の不用意な発言もきっちり記録だ。裁判になっても証拠として有効だぞ!』だって』


『ううう。そんなおかしな機能をつけるから売れないんだよ……』


『そう? お母さんは気に入ったわ。案外使い道がありそうよ』


『?』


 ――最愛の母との思い出の一ページ。


 本来ならその夢は、目覚めて幸せな気分になれる、良夢の類であった。


 しかし、今の水来の立場にしてみれば、それは悪夢以外の何物でもない。


 ベッドから跳ね起きた水来は、


「はあ、はあ、はあ」


 汗だくで荒い呼吸をくり返した。


「か、母さん。うううう――」


 突如三十年後の世界に連れてこられ、母と不本意な別れを余儀なくされた水来には、心残りは数えきれないほどあった。


(たった一人の家族が事故に遭った母さんは、どれだけ悲嘆にくれたのだろうか)


(長く意識不明だったという俺は、きっと大変な負担をかけただろう)


(世界をこのようにしてしまった大戦争、母の身にどれだけの災難が降りかかったか)


 慙愧の念に激しく揺さぶられ、水来の心はコントロールを失う。


「母さんに会いたい。それが叶わないなら、せめて二人で暮らした家だけでも見たい」


 恋に諭されて、一度は心の奥底に封じ込めた願いが、今再び浮上する。


「がおー、がおー」


「すぴー、すぴー」


 二人に気付かれないよう、忍び足で寝室を去っていく水来。


 その背中が、六角町遺跡の深い闇の中へと消えていくのだった――


               ■ □ ■ □ ■ □


 寝室にセットされた目覚まし時計が、夜明け少し前に鳴る。


 目を覚ました恋と終は、水来の姿が忽然と消えていることに、大いに慌てふためいた。


「くそっ! あの大バカ者。きっと母親と住んでいたという自宅を見に行ったんだ」


 恋が激しく床を踏みつける。


「まいったなあ、あの和を重んじる水来がこんな大胆な行動に出るだなんて」


 終の発声に合わせて、盛大な寝癖がゆさゆさ揺れる。


 二人は、わずかに残してあった缶詰で、大急ぎの朝食を済ませると、すばやく水来の後を追った。


「家の場所は分かるか?」


「支給された当時の地図があるから、おおよその見当はつく」


 地上はそろそろ東の空が白みはじめてもおかしくない頃合いである。


 だが、地下深くに沈み込んだ六角町に、朝日が射しこむことはけしてない。


 十数年の間、この街は明けない夜を延々くり返しているのだ。


 アスファルトを高速で踏みしめる、恋と終。


 二人を包み込む藍色が、突如、闇を濃くする。


「む?」


「へ?」


 二人の直上に巨大な何かが突如出現し、影を落としたのだ。


 物体は急降下してくる。


「くっ!」


「だああっ!?」


 恋が軽やかなステップでかわし、終がドタバタとしながらも難を逃れる。


 落ちてきたものは〈家〉であった。


 六角町に林立する昭和風建造物が、二人目がけて飛翔してきたのだ。


 落着した家屋は、自重と落下の衝撃の板挟みになり、粉々に破裂した。


「まったく。ここの天気はどうなっているんだ? 昨日はトラックで、今朝は家が降ってきたぞ」


 恋が闘争心いっぱいの顔で舌なめずりする。


「さ、三番目の魔獣? いや、しかし? なんでこんな急に……」


 終の疑問はもっともである。


 ここまで隠密行動に徹していた魔獣が、突如攻勢に転じる。


 あまりにも不可解であった。


(休息明けの僕らを、このタイミングで狙う理由は無い。僕らと無関係な何らかの条件が、すでに充たされたゆえの方針転換だろう。それはおそらく……)


 終は着々と推理を進めるが、それを披露する機会はない。


 暗夜から次々降って来る建造物の雨から、二人は、逃げ惑うので必死である。


「ケンカを売られた。私は買うぞ。いいな?」


 恋が目を血走らせながら訊く。


「僕に確認したって、何の意味がある。僕が何と言って止めようと、お前は勝手に喧嘩をおっぱじめるだろう」


「ははは。さすが幼馴染。話が早い」


 言い終えながら、恋が駆け出す。


 行く道はもちろん、敵魔獣への最短直線経路。


 迎撃してくださいと言わんばかりのコースだったが、その速度が尋常ではない。


 高速で交差する両脚は、瞬く間にチーターのトップスピードをも上回る。


 電光石火の走りを前に、家型砲弾は、恋の後方に、むなしい着弾をくり返した。


「到着!」


 魔獣皮製スニーカーの靴底に、火花を散らせて、急ブレーキをかける。


 あたり一面の民家が、根こそぎ引っこ抜かれた異様な場所。


 ついに一人と一匹が対峙した。


「むむむ?」


 三番目の魔獣を、はじめて目視した恋の眉間に、不快気なしわが寄る。


「や、やっと追いついた」


 恋を囮にしたような迂回ルートから、終が安全に現場入りする。


「おい、終。水来には申し訳ないが、私はこの六角町が好きになれそうにない。どうしてこうグロい魔獣ばかりが住んでいるんだか」


 恋の眼前にそびえたつもの。


 それは、新幹線三両分ほどの巨体を有した、巨大幼虫であった。


 身体の構成要素はたった三つ。


 乳白色のだんだん腹ボディに、その先端に埋め込まれた巨大な眼球。そして、丁度まつ毛のように生えた、一本の長い長い触手。


「う、うわああ!?」


 終が悲鳴を上げた。


 それはもちろん、見た目のグロテスクさにおののいたわけではない。


 科学者の一人として、外見と言うたかが一要素に囚われる過ぎることを、終は軽蔑する。


 だからこそ、終の悲鳴は、科学者としての確かな知見に裏打ちされてのものであった。


「ア、暴食アバドン蟲。なななな、なんでこんな化物が!?」


「アバドン? なんだそれは?」


「お、大昔の本に出てくる大喰らいの悪魔のことだ」


 説明をこなす終の声は、微かに震えていた。


「大喰い? ……この魔獣には口なんてないじゃないか」


 恋の言う通り、本来顔があるべき場所は、巨大な眼球が占領してしまっている。


「それは――」


 終の説明を遮って、


 キュウウウウ!!


 という怒りの声が上がった。


「あれは、魔人蛭! ……またグロい奴が」


 恋が来たのとは逆方向から、魔人蛭の集団が急接近してくる。


 外観的に共通点の多い両者だったが、だからと言って関係が良好とは限らない。


 魔人蛭たちは、恋にも終にも目をくれず、一斉にアバドン蟲へと飛びかかった。


「ん? どうしてアイツらはアバドンとかを襲う?」


「アバドン蟲は鬼雷蜘蛛と明確に敵対関係にあった。そして、魔人蛭と鬼雷蜘蛛は協力関係にある。味方の敵は、言うまでも無く敵だ」


 魔人蛭は、両手両足でアバドン蟲に抱き着き、その大きな口を乳白色の身体に喰い込ませた。


 アバドン蟲の体液が絞り上げられていく音が木霊する。


「……美しい光景とは言い難いな。だがまあ、これだけの数にいっぺんに襲われたら、アバドン蟲もお陀仏だろう」


 恋がライフルを肩に預けて、リラックスした立ち姿になる。


「とんでもない」


 終が歪んだ口角を持ち上げた。


「恋はよく見ておくといい。奴がどうして暴食の悪魔の名前を冠しているかを」


 異常はすぐに起こった。


 ズズ、ズズズズ――


 巨大幼虫にしがみついていた魔人蛭たちの身体が、ゆっくりとその乳白色の巨体に沈み込んでいく。


「こ、これは?」


 恋が目を見張る。


 キュウウ! キュウウウン!?


 魔人蛭たちは懸命にもがくが、むしろ抵抗すればするほど、沈降のスピードは増す。


「まるで底なし沼さ。アバドン蟲は、その全身を使って獲物を捕食する。いわば体表全体が口なんだよ」


「……なるほど。確かに大喰らいだ」


 あまりにおぞましい食らいっぷりは、恋の背筋に冷たいものを走らせる。


 キュ……


 全ての魔人蛭を呑み込むと、アバドン蟲の体内から、くぐもった咀嚼そしゃく音が鳴り響く。


「なるほど。家やトラックを投げ飛ばすパワーと言い、この貪食さといい、久々に歯ごたえのある戦いができそうだ」


 恋が、瞳を燃えるような闘志を輝かせ、再びライフルを構え直す。


「水来には悪いが、捜索は後回しだな。今はこいつと先に遊ばせてもらおう」


「……水来ならここにいるじゃないか」


 終の声には、氷のような冷たい響きがある。


「はあ?」


「アバドン蟲が僕らに積極的にしかけてきた理由は明白だろう。僕ら三人の中で、一番ヤバい奴をもう倒してしまったから、僕らにもう脅威はないと判断されたんだ」


 終の指先が、アバドン蟲の尻尾の辺りをさす。


「!!?」


 恋の顔面が蒼白になった。


「ああああ~~~」


 苦悶に蠢く水来の顔が、アバドン蟲の白い皮膜の下に、浮かび上がっていた。

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