第20話 インターミッション
「どうだ? いるか?」
「お、追ってきている魔獣の姿は無いけども」
「なら、もう大丈夫なんじゃないか?」
「結論を急ぐな。バカ終」
「ちっ、意外と恋は心配性だな」
「隠れ家の安全確認を怠るバカがどこにいる!」
六角町遺跡の外れにある古民家。
そこに身を潜めた水来たちは、玄関扉のわずかな隙間から、外の様子をうかがっていた。
八時間前に遺跡出入口が封鎖されからの水来たちは、それはもう散々であった。
退路を塞がれた三人は、魔獣たちにとって格好の報復対象であると同時に、絶好のごちそうである。
体力も気力もいいかげん尽きかけた三人が、息も絶え絶えに逃げ込んだのが、この古民家という訳である。
「い、いた! あそこに魔人蛭だ!」
超人の水来が、藍色の闇の中にうっすらと浮かぶ、一体の魔獣の影を見て取る。
キュウウ――
魔人蛭は、足元の砂利を踏みしめながら、古民家にまっすぐ近づいてくる。
「くっ……」
恋が、残弾が心もとないライフルを握りしめる。
足裏で石粒を転がしながら、魔人蛭が古民家に最接近する。
「「「……」」」
魔獣は、特に古民家に注意を払う様子もなく、そのまま、近づいてくるのと同じ速度で、遠ざかっていく。
「ほっ」
終が小さく安堵の息を零す。
その瞬間――
キュイ!!
魔人蛭の退化した目が、鋭く古民家の入り口を睨みつけた。
……キュ?
しかし、扉のわずかな隙間には、誰の姿かたちも確認されない。
「「……」」
言うまでも無く、動作の微かな起こりを察知した水来と恋が、素早く身を退いたのだ。
「~~~~~!?」
首根っこをつかんで引っ張り倒された終は、後頭部をしたたかに打ち、水来の足元を無言でのたうち回る。
魔人蛭は、小さく首を傾げるも、深く追求することはなく、今度こそ古民家を後にした。
「ふうう、心臓が止まるかと思ったよ」
水来が胸を撫でおろす。
「俺は後頭部が割れるかと思った」
終が頭をさすりながら立ち上がる。
「にぶいお前が悪いんだ」
その後も、三人は厳戒態勢をつづける。
十分間、魔獣の姿は、その影すら確認されなかった。
「もういいだろう」
恋がとうとう安全を認め、玄関扉が、ガラガラと風情のある音と共に、閉ざされた。
「あー、やっと身体を横に出来る」
終が玄関先の木床に、勢いよく寝転ぶ。
水来と恋も、三人で川の字を作るように横たわった。
「ヤバかったなあ。もう一戦やれとか言われたら、とても身体が持たなかったぞ」
「ふん。終がいつ一戦を交えた。私と水来が戦っている間じゅう、お前は物陰から応援とも愚痴ともつかない言葉を吐き続けていただけじゃないか。実に不愉快だったぞ」
「で、でも、実際危なかったよ。俺ももう身体の武器化さえきつい状態だったから」
三人はしばし無言となり、ひたすら気力体力の充実に努める。
「「「……」」」
床の冷ややかさが心地よいと、水来は思った。
心身の調子がやや上向いてくると、緊張により封じ込まれていた欲求が意識の上に出てくるのは、人間の必然である。
「腹が減った」
恋がむくりと起き上がって、古民家の台所を探し出す。
「食べられるものが何かあればいいけど……」
「期待はしていいと思うぞ。ここは戦時中の街がそのまま保存されたものだからな。何かしらの備蓄がある可能性は高い」
終の推察は的を射ていた。
「ねえ、これ見てよ!」
水来が床下の収納扉を開くと、山と積まれた缶詰とペットボトルが発掘された。
「食いもの! 食いもの!」
「水だ水だ」
空腹に人間性を目減りさせた恋と終が、食料品に飛びかかる。
保存食が恐ろしいスピードで消費されていった。
「ふ、二人とも待って。きちんと公平に分け合って――」
バクバク、ムシャムシャ
水来の美しい提案に、耳を貸すものはいない。
この悪環境の時代に適応した二人は、消費期限切れなどまるで気にすることもなく、百個近い缶詰をあっという間に完食してしまった。
「ああ、俺が見つけたのに……」
結局水来の口に収まったのは、ごくわずかな二人の食べ残しだけであった。
腹の虫が恨めし気に鳴く。
「さて、腹も膨れたことだし、作戦会議でもいっちょやるか」
膨れた腹を満足にさすりながら、恋が台所の椅子に座る。
「話し合わななきゃならんことは山ほどあるが、まずはアレだな。戦闘中に、終が言ってた三種目の魔獣の話を聴きたい」
「お、俺もそれが気になってた」
「ああ、そうだな。この話はきちんとしておかないと」
いまだ姿を見せない、六角町遺跡の三番目の魔獣。
「とは言え、現状分かっていることは少ない。鬼雷蜘蛛の一派と敵対していること。知識はかなり高いことが想像される。後はあれだな。中型トラックを軽々ぶん投げられるほどのパワーがあることは確定事項か」
「うん」
水来の脳裏で、宙を走るトラックの映像が、はっきりと再生された。
「……でかいな。鬼雷蜘蛛もみたいな中型じゃない。間違いなく大型魔獣に分類されるだろう」
恋の声にはどこか嬉々とした響きがある。
「鬼雷蜘蛛も相当に大きかったけどね……」
対照的に、水来は戦う前から負けたような声色だった。
「しかし、そいつはなぜ私たちの前に姿を見せない。この八時間、私らに挑んできたのは、星の数ほどの魔人蛭と、八体の鬼雷蜘蛛だけだ」
終に、言葉を選ぶような間があった。
「……慎重なんだろうさ。僕たちが連戦でさらに疲弊するのを、おそらくは期待している。もっとも、魔獣の思考回路なんて、人間様に推し量れるわけもないけど」
「要はただの臆病者か」
恋が敵をみくびった言葉を吐く。
「臆病な相手が一番怖いって、いつも志郎が言ってるじゃないか」
見かねた水来が、素早く釘を刺した。
「それはそうと、この六角町遺跡の現状は、今どうなってるんだい?」
水来がつづけて、終に見解を求める。
「地響きも止んだし、石の雨も小降りになった。これはもう安心だと思ってもいいんだろうか?」
水来としてはもちろんYESの返事を期待していたが、残念ながら終の首は横に振られた。
「あくまで一時的に安定しただけだ。鬼雷蜘蛛の爆発の衝撃で緩くなった岩盤は、もう元には戻らない。いずれ何かのきっかけで、遺跡は再び揺れだすだろう。その時は確実にアウトだ」
「その件に関しては、私たちは鬼雷蜘蛛を爆発させないよう注意してれば問題ない」
恋は楽観的な立ち位置を示す。
「よく言うよ。さっきから何度も、頭に血を登らせた恋が、鬼雷蜘蛛を誤射しかけてるじゃないか」
フォローをくり返した水来としては、その気楽さが不満である。
「うるさい! それよりも、終!」
「うん?」
「一番肝心なことを話し合おう。私たちは救助を期待していいのか? それとも自力でなんとかせにゃならんのか」
「!!」
それは水来にとっても、今一番ホットな話題であった。
「ん? あー、それ? 全然問題ないでしょ。戦闘班で編成された救助隊がほどなくやってくると思うよ」
終が極めて軽い口調で、重大事を口にした。
「その根拠は?」
恋が訊く。
「あのトラックの爆発は、鬼雷蜘蛛のそれと比べてはるかに小ぶりだったからねえ。あの程度の威力じゃあ、ここの岩盤強度を勘案すれば、トンネルの入り口部分を崩すのが精いっぱいだ。トンネルの大部分は無傷で、いまごろせっせと復旧作業が行われているだろうよ。ええと、時間はそうだなあ……」
終が、頭部に装着されたウェアラブル式多機能ツールにスイッチを入れた。
ちょうど額に位置したレンズが、第三の目のように光輝くと、机上にプロジェクターの映像が映し出される。
しかし、終の開発したこの装置は、そんな旧い機能しか持ちあわせていないわけがない。
「数式は半年前のを一部変えてと――」
終が投影された映像に触れると、タッチパネルのように画像が反応を返す。
光の中を終の指が踊り、その一動作の度に、画面が目まぐるしく変化していく。
「あ、あれってどういう仕組みなんだい?」
令和の初期で科学知識が止まっている水来は、目を丸くした。
「私に分かるとでも思ってるのか!」
「じ、自信満々に言わなくたって……」
「ええと、あれをこうして、これはこうで……」
終の指先が文字を描くと、それは正確にフォントに変換されて、映像の一部となる。
数多の変数から成り立つ、一つの数式がすぐに光の中に浮かび上がった。
「予想される破壊の程度、動員できる人数、使用できる土木機械、九関班長の人望、夜間による効率の低下、恋が被災者であることによるモチベーション減衰……」
終は、その式の一つ一つの変数に、具体的な数値を当てはめていく。
最後にダブルクリックをすると、長ったらしい一つの小数が表示された。
「よし、できた。トンネルの復旧時刻は、最短で明日の夜明け頃と出たぞ」
「……そ、そう言われましても」
経過を一つとして理解できなかった水来には、その結論の信頼性がまったく測れない。
「大丈夫だ、水来。こいつは人間的には最低最悪だが、知性だけは正真正銘の本物だよ。終の計算結果が誤っているということは、まず考えられない。人格的には終わっているけどな」
「……暖かいお褒めの言葉をどうもありがとう」
終はむき出しの歯茎を、恋に突き出した。
「……恋がそこまで言うのなら」
終と犬猿の仲の人物の発言だけに、そこには真実味がある。
「となると問題は。明日の夜明け時に何が起きるかだ」
恋のその一言に、水来は、一瞬忘れかけていた緊張感を取り戻す。
「そ、そうか。俺たちがタダで帰れる訳が無い」
六角町遺跡から出ようとした途端、魔獣共が大挙して襲ってくるのは、想像に難くない。
(まあ、実際にそれだけ恨まれることをしちゃってるし……)
水来が今日葬った魔人蛭の数は、軽く百体を超えてしまっていた。
(魔獣を殺めることに罪悪感をいつか覚えなくなるとは思っていた。しかしまさか、その日のうちに慣れる羽目になるとは思わなかったなあ)
水来が複雑な思いを噛みしめる。
「当然、その際には三番目の魔獣も姿をお披露目してくれるだろうさ」
終がやや深刻な面持ちで言う。
「なら、私たちが今やることは一つか」
「一つだな」
「うん」
三人が同時に頭に思い浮かべたこと。
それは完全なる休息である、睡眠。
敵地のど真ん中で、完全無防備な寝姿を晒す。
言うまでもなく危険な行為だが、このまま疲労困憊で明日の朝を迎えるよりはリスクが低い。
三人ともにそのような結論に至っていた。
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