第19話 古里からは帰れない

「ぐ、ぐおっ」


 魔人蛭と死闘を繰り広げていた水来は、突如乱入してきた鬼雷蜘蛛に、横腹を突かれる格好になった。


 超人の反射神経を持ってすれば、反撃は不可能ではない。


 だが、相手を殺してしまえば、どのような惨事が起こるかは、痛い程に知っている。


 攻められるが、攻めてはいけない。


 この不自然な判断に、戦闘初心者の水来は、一瞬身体を硬直させる。


 その隙を、魔人蛭たちは見逃さない。


 首を長く伸ばして、水来の肩と腰と太ももに噛みついた。


「うぐっ!?」


 三体の魔人蛭は、渾身の力を同時に込めて、水来の動きを封じ込める。


 さしもの超人も、身体の要所要所を抑えられては、やすやすとは振りほどけない。


 キシャ!


 そうこうしている内に、鬼雷蜘蛛が、水来を間合いに収める。


 鬼雷蜘蛛は、防御力こそゼロだが、その恵まれた巨体から繰り出されるパワーまで、ハリボテであるはずがない。


 巨躯が、大きくのけ反って、曲刀のような前足を高々と構えた。


 縦に伸びたバス級の体は、足元の水来には、ビルがそびえたったようである。


(あ、あの高さから振り下ろされた一撃は、俺を苦も無く両断するだろう)


 その後は、かつて廃病院でされたように、五体をバラバラに裂かれて捕食されるのは目に見えている。


(あ、あの時は小型の魔獣で数も少なかったから、毒化プログラムが有効だったけど)


 中型の魔人蛭たちに大群で血液を吸われたら、一人当たりの分量不足から、毒は十分に機能しない。


 不死身の超人の唯一の欠点。


『他の生物による捕食された部位は、二度と元に戻らない』


 ゲル化された全身を、くまなく吸いつくされ、何の残滓も残らない光景が、水来の脳裏にありありと浮かんだ。


「う、うわああああ!!」


 水来が絶悲鳴を上げた。


 水来の金切り声を裂くようにして、雑居ビル屋上の高さから、刃が振り下ろされ――


 ガギィ


 誰も予想だにしていなかった、破断の音が鳴る。


 脳天に触れる直前だった刃が、根元から弾けとび、くるくると宙を舞って、地面に突き刺さった。


「何をふざけてる! 水来!」


「れ、恋?」


 水来の視界に、鬼雷蜘蛛に銃口を向けた彼女が映りこむ。


 恋が、自分のために援護射撃を放ったのだ。


 そして、その行為は、彼女を囲む魔人蛭たちに、隙を献上するのと同じことであった。


 魔人蛭の群れが、喜び勇んで、恋の背中に殺到する。


「あ、危ない!?」


 しかし、恋は熟練のつわもの


「はしゃぐな! 三下どもが」


 水来の心配をよそに、縦横無尽のステップワークで、嵐のような猛攻をしのぎ切る。


 その勇士が、水来の発奮材料となった。


「ぬ、ぬおおおお!」


 一度は恐怖に叫んだ精神に、ふたたび闘志の炎が宿る。


 左腰と一緒くたに咥えられた左腕を、強引に引っこ抜く。


 そのまま、かぎ裂きにされた左手で、右肩に噛みついた魔人蛭の頭部を鷲掴わしづかみにした。


 渾身の力を込めると、不快な感触と共に、敵頭部が握りつぶされる。


(これで右腕が使える)


 斧化した右腕を振り回して、腰と太ももに噛りついた二つの首を、まとめて切断した。


 地面に落ちてもがく頭部を、力任せに踏みつぶす。


「これで、残すは鬼雷蜘蛛のみ――!?」


 しかし、右前足を失った相手ではあったが、すでに態勢が整えされている。


 水来が見やった先では、大きく掲げられた左前脚が、今にも振り下ろされようとしていた。


(防御不可。回避一択。右――ダメ。左――ダメ。後――ダメ。前―――)


「うおおおおおお!」


 ギロチンのように落ちてくる刃を、間一髪、敵の腹の下に飛び込んでかわす。


 キ、キィ!?


 蜘蛛同様の体型を持つ相手にとって、身体の真下は絶対の死角である。


 鬼雷蜘蛛は、前後左右に動いて、どうにか水来を自分の影から引きずり出そうとするが、それをさせじと、水来が動きを同調させる。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ」


 台風の目にも似た安全地帯で、水来が呼吸を整え、攻撃のタメを作る。


 水来のすぐ横には、柵のように並んだ片側四本脚がある。


「ええいっ!!」


 斧と化した右腕に、長い一文字を描かせた。


 ギシャェェェ!!


 右側の足を全て断たれた鬼雷蜘蛛が、その巨体を大きく横倒しにする。


 立つこともままならないその姿からは、もはや何の危険も感じられない。


「ど、どうにか殺さずに無力化できたか」


 安堵感に包まれた水来が、その場に腰を降ろす。


 その姿は、戦場にあってはならない隙だらけのものであったが、問題はない。


「ははは。どうだ、魔人蛭ども。思い知ったか」


 恋が、すでに、残りの全魔獣を殲滅しおえていたのだ。


「さて、集計をしようか。えーと、私が二十三体。水来がたったの九体。鬼雷蜘蛛に特別展をつけてやったとしても、私の圧倒的勝利に変わりはないな。はははは」


「……元気だねえ、君は」


 高らかに笑う恋に、水来は呆れた。


 彼女からは、今の一戦を、もう二、三回できそうな余力を感じる。


 対して、水来は疲労困憊こんぱいであった。


 時間すればわずか二十分そこらとは言え、生死をかけての戦いは、学校の授業に換算して千時間分にも相当したかもしれない。


「ふう~~」


 息を大きく吐いて、疲労感をほぐす。このわずかな小休止で、超人の身体はみるみる自己修復を進めていった。


「……ああ、そういえば」


 水来は、自分にはもう一人仲間がいたことを、やっと思い出した。


「おーい、終くん。終わったよ~」


「……」


 しかし、コンテナにいるはずの終からは何の反応もない。


「おおーい。もう魔獣はいないったら!」


「……」


「もしもーし!」


「……」


「終くん?」


 水来の心に不安が射した。


(まさか、俺たちが戦っている間に何かあったのか?)


 あるいは、水来たちの目を盗んで、魔人蛭が一匹、コンテナに入り込んだのかもしれない。


 水来が、大急ぎでトラックに駆け寄る。


「終くん!?」


 血みどろの内部を想像しながら、恐る恐る、コンテナの扉を開く。


「ん? どうした、水来。もう戦いは終わったのか?」


 そこには、いつも通りの終の姿があった。


 どうも彼は、コンテナ内の荷物を物色するのに夢中だったらしい。


「まったく。心配して損したよ」


 水来が仏頂面になる。


「そんなことより、これを見ろって」


 コンテナの奥には、数多くの金属ケースが積み重ねられている。ケースには、長ったらしい化学式が、赤いインクで刻印されていた。


「なんだい? やけに仰々しい箱だね」

 水来がフタを開けると、中には何重にも耐衝撃の処置が施された上で、円筒状の容器が収められていた。


「中身は……水?」


 水来がそのように形容するほど、何の特徴もない液体である。


「そう思うんなら、容器をちょっと振ってみるといい。機械班の安住みたいに、ロックな見た目になれるぜ」


 機械班の安住班長が、戦争で体の半分を吹っ飛ばされ、サイボーグ化手術を施されたのは、周知の事実である。


 水来が、液面に近づけていた顔を、慌てて離した。


「ば、爆弾!?」


「おいおい、不正確な表現はよしてくれ。これは化学的に非常に有用な特性をもった薬品だ。まあ、非常に不安定で、ちょっとの衝撃で大爆発を起こすという、副次的な性質もあるがね」


「そっちの方がメインの性質だよ!」


 水来が、容器のふたを締め直し、そっと金属ケースに戻す。


「ささ、こんな物騒なもので遊んでいる場合じゃない。早く遺跡の外に出よう」


 水来が終の手を引く。


「待て待て。この地点をマークしておきたい。次、遺跡に来た時に、確実に回収できるようにな」


 終が、頭部に装着した端末を操作する。


 どうも地図アプリを弄って、現在地を記録しているようだ。


「いやあ、この化学薬品が手に入るとは思わなかった。これがあれば、僕の作った化学プラントの工程を大きく省略することができるかもしれない」


「こんな物騒なもの使って、事故でも起きたらどうするんだい」


「そういるリスクがあるのは認めよう。しかし、水来。この地球上にあるものは全て、有用なものは扱い難いと相場が決まっているもんだ」


「うーん、それはそうかもしれないけどさあ……」


 二人は、話しながら、コンテナの外に出た。


「ほら。そこに最高の好例がいるだろう」


「……それはまあ、……確かに」


「む、なんだ? 二人して妙な顔をして」


 平時においては最悪のトラブルメーカーだが、有事においてはこの上なく頼れる戦友、谷口恋。


 彼女を引き合いに出されては、水来も渋々納得するしかない。


「おい、さっさとここから引き上げるぞ。似たような戦いを何度も繰り返すのは、趣味じゃないんだ」


 水来が周囲を見渡すと、このわずかな間に、早くも新手の魔人蛭が、自分たちを遠巻きに見つめていた。


 数は少しづつ増えてきており、十分な頭数に達すれば、再び攻撃を仕掛けてくることは明白である。


「た、確かに、速めに退散した方がよさそうだ」


「ち、ちょっと待て。コンテナにしっかりと鍵をかけ直して……、よし」


 水来たち三人は、魔獣たちの敵意の視線を浴びながら、再び退却ルートに乗った。


 道中、幾度か魔人蛭の群れが散見されたが、どれも少数で、水来たちに仕掛けてくるようなことはなかった。


『~~♪』


 恋のスマホが着信音を奏でた。


『こちら作戦本部。チームQ。退却が遅れているようですが』


「さっき、魔獣の集団からの襲撃を受けた。今はそれを殲滅し、退却を再開している」


『了解しました。ご無事で何よりです。それはそうと、先ほど残りの全チームが作戦本部に帰還しました』


「分かってるよ。私たちももうすぐ……、ほら出入口が見えた」


 水来たち三人の視界に、つい数時間前に潜ったトンネルが現れる。


「うーむ、結局超化学の収穫は無しか。まあ、例の薬品を見つけたからトントンかな?」


「あー、久々に暴れられた。願わくば、もうちょい歯ごたえのある奴がいて欲しかったが」


「よ、よかった。無事生きて帰れた。ううう」


 三者三様の感想を見せる水来たち。


 突如、その頭上に、ぬっ、と大きな影がのしかかった。


「!?」


 恋が素早く反応し、


「わっ、とととっ!?」


 水来がもたもたしながらも、それに倣う。


「な、なんだ、あれ?」


 終が呆然と上を見上げた。


 後方から、三人の真上を、大きな何かが通過していく。


「「「???」」」


 それは、何事もなく、水来たちの頭上を通り過ぎていった。


 飛翔体の正体に、一番に終が気づいた。


「あれって、……さっきのトラック?」


 終にとっての貴重品が満載された、例の運搬車両だ。


 空を駆けるトラックは、真っ直ぐに、遺跡出口へと向かっていく。


「マ、マズイ」


 恋が、その意図に気付くも、もう手遅れだった。


 トラックが描いた、長い放物線が、トンネル出入口を終点と定める。


 轟音と共に、車体がへし曲がり、コンテナがひしゃげる。


 直後、さらに凄まじい爆発音がして、トラックが跡形もなく吹っ飛んだ。


 コンテナ内部に満載されていた危険物が、大輪の炎の華となって爆ぜる。


「う、うわああ!」


 50メートルは離れていた水来たちが、熱風で後ろ倒しになるほどの、爆発。


 その衝撃で、トンネル周辺の岩盤が、まとめて崩れ落ちた。


『チームQ! 今の音は一体!? 恋ちゃ~~~~~~!!!――――』


 作戦本部との通信が途絶する。


 それは即ち、電波の通るわずかな隙間もない程に、トンネルが塞がれたことを意味した。


 六角村遺跡の長い夜は、これから始まるのである。

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