第17話 消せぬ想いは沸々と

 鬼雷蜘蛛の爆発は壮絶を極めた。


 深々と抉られた大地が、巨大なクレーターを形成している。


 その面積たるや、野球場と比較しても遜色ない程だろう。


 モゾモゾ――


 クレーターの淵、アスファルトがうず高く盛り上がったところで、奇妙なものが蠢く。


 青緑色に輝く不定形体。


 土中から這い出してきたその生物(?)は、ファンタジーによくあるスライムと酷似していた。


 半透明の身体の内側には、人間と思しきものが二体収められている。


 スライム(?)が、それらを吐き出した。


「げほっ、げほっ」


「ぜひっ、ぜひぃぃ」


 恋と終である。


 久方ぶりに大気に触れた二人は、必死に酸素を取り込もうとしていた。


(ほっ)


 二人の様子を見て、スライム(?)が安堵の息を零したように見えた。


 スライム(?)の形がどんどんと変わっていく。


 重力に抗うように縦に伸びた身体が、ギュッと凝縮されて、


「ぷはあ」


 水来が人間の姿に戻った。


「ああ、二人とも本当に無事でよかった」


 歓喜の涙で、いつものように瞳を潤ませる。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ。……た、助けてくれたことには感謝しよう」


 地面にへたり込んだ終が、ぐったりとした顔で水来を見上げた。


「しかし、もっと上手にはやれなかったのか? 危うく窒息死することろだったぞ。万が一、この酸欠が原因で、俺の知能に陰りが出た場合、水来はどのような補償を取ってくれるのか?」


「そ、そんなこと言われたって。俺だって必死だったんだ。全身をあえてゲル化させて、不死身の身体で二人を包み込む。あの爆発の瞬間に、そこまで思いついて実行できただけで、褒めてほしいくらいだよ」


 それなのに、終の口調は、水来が失敗を犯したようなものだった。


 恋に至ってはさらにヒドイ。


「くそっ! この私がまた他人ひとに庇われた。同じ奴にこれで二回目。……消し難い人生の汚点だ」


 恨みがましい眼で、水来を睨みつける。


「……次に同じようなことがあっても、もう君たちのことは助けないからね」


 さすがの水来もヘソを曲げた。


『チームQ、応答願います』


 恋のスマホが大声をあげ続けていたことに、三人がやっと気づく。


「もしもし? 上杉オペレータ?」


『ああ、恋ちゃん。よかった、無事だったのね』


 スマホ越しの声は、喜びのあまり湿り気を帯びる。


「大げさだよ。上杉オペ……、立波たてはねえは。」


『だって! 子供の頃から妹みたいに可愛がってた恋ちゃんに、もしものことがあったらと思うと』


「昔の話はよしてくれ。第一、カワイイ妹分に対するにしては、日ごろちょっと、からかいがすぎるぞ」


『あら。可愛くない子なんてからかったって、ちっとも面白くないじゃない』


「……やれやれ」


『ん? あ、ちょっとそのまま待ってて。今、九関班長が一斉通話で何か話すみたいよ』


 回線の切り替わる音がして、九関班長の声がスマホから流れ出した。


『たった今、遺跡内で起きた爆発は、全てのチームが観測したことと思う。その爆発の原因である魔獣のデータを全チームに送る。至急確認してくれたまえ』


 ピロン、という着信音と共に、恋のスマホにもメールが送信されてきた。


 クリックすると、魔獣図鑑アプリからコピペしたと思われる、魔獣の解説文が並ぶ。


「ああ、そうだ。鬼雷蜘蛛だ。殺すと大爆発する厄介な奴だ。ははは、すっかり忘れていたよ」


「笑いごとか! まったくそんな肝心なことを忘れる様では、ウチの叡智もたかが知れている」


『さて、言うまでもなく理解したとは思うが、当該魔獣との交戦は厳禁だ。遭遇した場合、必ず退却を選択するように』


「戦っちゃいけない魔獣ねえ……。つまらないことこの上ない」


『それとここからが本題である。先の爆発で、遺跡新区画は、極めて不安定な状態にある』


「そりゃ見れば分かるさ」


 言いつつ、終が手のひらを上に向けた。


 パラパラと降って来る石粒が、あっという間に手のひらを暗灰色にしてしまう。


「まるで石の雨だな。それに遺跡全体が鳴動してる」


 恋が、赤茶の髪を払って、積もった石粉を払い落とす。


『遺憾ながら、探索は一時中断とする。全チーム、速やかに作戦本部まで帰還せよ』


「ええ~!? 班長、私まだ魔獣と満足に戦えていないんですけど」


 ブツリ


 恋の苦情は一顧だにされることなく、通信回線が接続された。


「クソッ、カワイイ部下を無視しやがった」


「当たり前だろ。恋のたわごとに耳を傾けて何の得がある?」


「うるさい!」


 いつもなら、ここから、二人の、何の実りもない口論が、しばらく続くはずであった。


 ところが、今回はイレギュラーな展開が繰り広げられる。


「撤退だって! 六角町から!?」


 らしくもなく、血相を変えた水来が、会話に割り込んだのだ。


「おお、なんだ。水来も珍しくやる気か? いいぞいいぞ。このまま二人で居残って、気の済むまで魔獣退治をしようじゃないか」


「バ、バカなことを言うな。この状態を見てみろよ」


 終が岩の天蓋を指さした。


 大きくて長い亀裂が、縦に横に伸びている。


「あの爆発の影響は深刻だ。いまはどうにか持ちこたえているけど、仮にもう一度同程度の爆発があろうものなら……」


「あろうものなら?」


「岩の天井がまとめて落ちてきて、中にいる僕らは、魔獣もろとも全員ペチャンコだ」


「ううむ。それはあまり楽しくないなあ」


 さしもの恋も毒気を抜かれた顔になる。


「でも、それはつまり、爆発さえ起こさなければ、まだ、多少は持ちこたえられるかもしれないんだろう」


 水来が恋よりも頑なというのは、珍事というよりは、異常である。


「……やけに食い下がるな? 何か理由でもあるのか?」


「じ、実は……、一度昔住んでた家を見ておきたいと思っていて……」


 水来が、気恥ずかしさから、モゴモゴと発声する。


「はあ? 水来の家? そんなとこに言ったって待ってる奴なんて誰も――」


「そんなことは分かってる!!」


 水来の怒声に、終が数歩後ずさる。


「俺の家族がもう誰も生きていないことなんて、当たり前のことだ。そんなことは俺だって分かってるんだよ。でも、それでも、俺は……」


「う、うーん」


 水来の思いつめた様子に、終が珍しく困り果てる。


(まあ、水来の立場を考えれば、やむをえない反応か?)


 三十年前の事故からの記憶の無い水来は、体感的には、この時代にいきなり連れてこられたに等しい。


 古里を前にして、郷愁に囚われすぎたとしても、誰も責めることはできまい。


(とはいえ、現状、ここに長居するのはあまりに危険だ)


 下手をすれば、終にとって貴重極まるサンプルが、永遠に失われてしまう。


(ああ、まいった。何か上手い方策はないか?)と、考えあぐねる。


「気持ちは分かる。だが、今回は諦めろ」


 いつの間にか、水来を真正面に見据えた恋が、そっと手を肩に置く。


「……」


 水来が、恋を、きっと睨み返した。


「そんな顔をするな。それにチャンスはまだきっとある。さっき水来が言ったみたいに、二度目の爆発さえ起こさなければ、多分この遺跡は持ちこたえるはずだ」


「そ、その確率が高いことは僕が保証しよう」


 思わぬ交渉人の登場に、戸惑いながらも、終が援護射撃する。


「そうすりゃ、きっと二度目の偵察任務が発令されるに違いない。その時、中に入る少数精鋭部隊に水来が志願すればいいだけの話だ」


 恋は、励ますような口調である。


 彼女の口からそんな声が発せられることは、水来は想像だにしていなかった。


 しかし、その声音自体は、耳に馴染んだものであった。


 ただ一人自分に残された親友、谷口志郎。


(ああ、やっぱりこの二人は父娘おやこなんだなあ……)


 水来は、なぜか感動に近い心持ちで、恋を見ていた。


「ああ、僕は奇跡を見ている。まさか、あの恋が、他人を諭すようなことをいうだなんて」


「やかましい!」


「……ありがとう、恋」


「む?」


「ワガママを言ってすまなかった。今は無事に帰ることだけを考えよう」


「ふん、ワガママだなんて思ってないがな」


 そう笑った恋だったが、すぐにしかめ面になって、


「ところで、水来。いつまでお前は、その見苦しいものを、プラプラさせているつもりだ?」


 水来の下腹部をじっと見た。


「……?!!」


 水来はやっと気づく。


 全身をスライム状にした際に、衣服がもろくも千切れ飛んでいたことに。


「き、きゃあ! スケベ!」


 慌てて、胸元と股間をかくす。


「だ、誰がスケベか!」


 その言い様に、恋が顔を真っ赤にして怒った。


            ■ □ ■ □ ■ □


 撤退の判断は下された。


 だが、その実行は、けして容易ではない。


 戦いは片方の都合で始められるが、終わらせるためには双方の合意を必要とする。


 今では、そこそこメジャーな格言ではなかろうか?


 水来たちの存在は、魔獣視点に立てば、まごうことなき侵略者である。


 魔獣かれらなりに穏やかに暮らしていたところに、土足で踏み入り、血と銃弾をまき散らした。


 そして、旗色が悪くなったら、すぐさま尻尾を巻こうとする。


 魔獣たちは怒り心頭であった。


 人間どもを五体満足で返してはならないと、その背中に追い打ちをかけるのは、当然のことだ。


 こうして、激しい撤退戦が幕を上げる。

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