第10話 足音は四度鳴る
――しまった。
しかし、どうしようもなかった。
斧と化した水来の右腕が、魔獣を真っ二つにしている。
左右に別たれた魔人蛭は、もう小さく動くこともしていない。
「み、水来。君は超人だったんだな」
「……」
水来は肯定も否定もしたくなかった。
すぐ後ろにいる終の目が、恐怖に見開かれていることを想像するだけで、身がすくむ。
「水来!」
終が、水来の肩を鷲掴みにして、強引に後ろを向かせた。
「!」
水来が、おそるおそる終の顔に視線を向けると、
「!?」
そこには太陽みたいな笑顔があった。
「いやあ、すばらしいよ。まさか本物の超人と出会うことができるだなんて。ああ、やっぱり僕は神様に愛されているんだなあ」
「? ?」
「さあ、握手だ。固い友情を誓って、手を握り合おうじゃないか」
終は、先ほどまで斧だった側の手を、むしろ積極的に触れたがった。
「ふふ、すばらしい。どこからどう触れても完全な人間の手だ。なんて高度な擬態なんだろう」
「? ?」
自分に向けられた感情に、水来は戸惑うばかりだった。
(よ、喜ぶってなに??)
リアクションとしておかしい。
唯一近いものがあるとすれば、熱血友情パターンだろうか。
『君がどんな秘密を抱えていたって、俺たちは友達じゃないか』
ああいうノリだ。
ただ、初対面の二人の間に、そのイベントが起こるわけもない。
(し、志郎は普通怖がられると言ってたよな……。まあ、それよりだったら、喜ばれた方がまだマシ……なのかな?)
「あはは、はははは」
終は、親し気に、肩に腕を回してくる。
「は、ははは、は……」
水来は、曖昧模糊な笑顔でとりあえず対処した。
――大きな音がした。
「ん?」
「え?」
轟音と共に、地面が小刻みに振動しているのが、足元から伝わる。
耳を澄ませば、音の正体は、無数の足音が重なったものだと気づく。
「ひ、ひいい。まさか、また魔獣が?」
終が水来の身体にしがみついた。
「お、落ち着いて。多分、やって来るのは人間だ。ほら、足音はこっちから聞こえる」
水来の視線の先には、村へとつづくトンネルがあった。
魔獣ならば、先ほど同様、遺跡の奥から現れる可能性が高い。
「と、ということは? さっき逃げていったガキどもが、大人たちに通報したと考えれば?」
「うん。やってくるのは、きっと――」
二人の予測通りの人間たちが、トンネルから隊列を現す。
数十人の人間たちは、火器、近接武器、プロテクターで、皆武装している。
村の花形職業、戦闘班の面々だった。
「く、
先頭の隊員は、魔人蛭の死骸に目をくぎ付けにされる。
「むう? ……状況が呑み込めんな」
集団をかき分けて、最後尾にいた男が、前に出てくる。
他の隊員たちが左右に分かれて、その男のために道を作った。
背が高く、細身。水来の第一印象は事務系である。
しかし、よくよく見れば、必要最低限の筋肉が、必要な部分にしっかりと付いていることが分かる。
(軽量級のボクサーみたいな体してるな)
水来は、そのように印象を改めた。
街灯の消えた薄闇の下、細い男は、鋭い視線を水来たちに浴びせる。
「君たちは何者かね? 状況からして、ナット村の村民のようだが……」
猜疑心たっぷりの声を、細身の男が放つ。
「ん? その声は九関か? 久しぶりだなあ。ちっとも俺のところに顔を出さないから、病気でもしたかと心配したぞ」
終が、ひらひらと手を振る。
「げっ!? その声は青矢!」
九関と呼ばれた細身の男が、驚きのあまり後ずさった。
「あ、青矢だって」
「あの青矢終か!?」
「ど、どうしてこんなところに」
戦闘班員たちの間に、波紋のように動揺が広がった。
「ど、どういうことだ? いや、どういうことですか? どうして青矢……さんがこんなところに」
九関とやらは、ひどく戸惑っていたが、水来はそれ以上である。
(九関さんってアレだよな。恋が文句言ってた、戦闘班の班長さん。どうしてそんな偉い人が、年下の終に敬語?)
水来は改めて終を見るが、その貧相ないでたちからは、その理由になりそうなものは発見できない。
「そ、それはそうと」
九関が咳ばらいをした。
「その魔獣は青矢さんが仕留めたんですか?」
その発言を終は一笑に伏した。
「ははは。そんなまさか。僕はおつむの中身以外には、これと言って取り柄のない人間でね」
終が自分のこめかみをトントンと突く。
「はあ……」
「彼さ! この水来くんが、なんと素手で魔獣を打ち倒してくれたんだ」
先ほど以上のどよめきが、戦闘班を揺らす。
「あれって、魔人蛭だろう」
「素手なんてとてもありえない。相手は熊の数倍の
「あのコンクリ塊。自力で持ち上げたのかしら?」
男たち女たちが、好奇と尊敬と恐怖と疑いの目で、水来を見た。
「あの、終くん」
水来がそっと耳打ちした。
「も、申し訳ないんだけど、俺の身体のことは出来れば秘密に――」
「みなまで言うな。俺と君の仲じゃあないか。超人のことは上手く誤魔化しておくよ」
終がささやき返す。
「ああ、本当にありがとう」
「いいって。いいって。その方が僕にとっても都合がいいし」
「え?」
「うふふふふ」
終は楽しくてたまらない、といった感じで、含み笑いをもらす。
「水来くん……というのかね」
九関が、十分な距離を確保した状態で、水来に話しかけてきた。
「あ、はい。北山水来と申します」
「北山水来……。申し訳ないが、その姓名と合致する村人を、私は思い出すことができないのだが」
静かだが、凄みのある声だった。
「あ、あの。俺は一か月ほど前に、村の外で遭難していたところを谷口志郎さんに保護されまして……」
「谷口? ……もしかして、君の言うのは、政治班の谷口志郎さんのことかい?」
「はい。その通りです」
両親を早くに亡くし、身寄りがないこと。
父親が志郎と親友で、何かあったらナット村を訪れるよう言われていたこと。
魔獣に襲われたのがきっかけで、記憶の一部に欠落がある。
以上が、志郎と事前に打ち合わせしていた、水来の公式プロフィールであった。
「そういえば、報告は受けていたな。あの谷口恋が、村の外で遭難者を救助したと」
(ん?)
谷口恋。
その名前を口にした一瞬、九関の顔が苦りきったのを、水来は見逃さなかった。
「ははは。それにしても無駄足だったな」
終が笑った。
「ガキ共の通報でここに来たんだろうが、もうとっくに魔獣は討伐済みと。これだけの人数を集めるのも大変だったろうに」
笑いながら、終は、水来の肩をバンバン叩く。
「……? ガキ? どういうことです? ここに子供がいたんですか?」
「え?」
終と九関が、困惑の視線を交錯させた。
「私たちがここにやってきたのは、遺跡調査のためです」
「調査? この遺跡はとっくに調べつくされたろうが」
「それが、この先に新たな区画が見つかったという連絡が入りまして」
「なに!? 新しい遺跡だって! ぼ、僕は何も聞いてないぞ」
戦闘班員の一人が、恐る恐る手を挙げた。
「あー、班の人たちが青矢さんのことを必死に探してましたよ。村中探しても見当たらないと困りきってました」
「む、むむむ。それはまあ、仕方ないか……。こんな地下深くにいたら、連絡もしようがない」
「ところで、青矢さんはどうしてこんなところに?」
「え、そ、そ、それは」
終が口ごもる。
さすがにエッチなオークションに参加しているところを、子供たちに追っかけ回されたというのは、外聞が悪すぎた。
――二度目の足音が、地下空間を揺らした。
「こ、今度は誰だ?」
水来がトンネルを見た。
足音には前回のようなスピードは無い。
一歩一歩に非常に重量感があった。
「おう、九関。やっと追いついたぞ」
「え? 安住さん」
現れたのは、先ほど村で別れたばかりの、左半身サイボーグ・安住である。
彼と、彼が率いる機械班が、重量級の機械を担いで、トンネルを抜け出た。
「ふうふう」
「や、やっと着いた」
班員たちは、機械をアスファルトに降ろすと、その場にへたり込む。
「なんだなんだ。なっちゃいないぞ。俺たちの仕事は体が資本だと、口が酸っぱくなるほど言ってるだろうに」
安住が班員に檄を飛ばす。
「そ、そんなこと言われましたって……、はあ、はあ」
機械班班員たちは、息を整えるのに必死で、まともに抗弁もできずにいた。
「まったく、情けない」
「さ、サイボーグの班長と比べないでくださいよ」
「俺だって右半分は生身なんだ。言うほど人間離れしちゃいないさ。まったく。日ごろからサボリ癖がついているから、こういう時に苦労するんだぞ」
「はあ、はあ。う、
班員の一人が愚痴る。
(あれ? そう言えば、安住さんがここにいるってことは?)
水来がそのことに思い至る。
「ふう、たったこれだけの距離で息が切れるなんてな。やっぱり四十歳を越すと昔みたいには体が動かん」
頭に思い浮かんだ、その人物が、機械班の荷物を小脇に抱えて、地下空間にやってくる。
「志郎!」
「み、水来だって!?」
「あれ? 本当だ。水来くんだ」
志郎と安住が、二人で目をしばたたかせる。
その様子を見ていた九関が、
「なるほど。谷口さんと顔見知りなのは本当のようですね」
と、分析調の声を出す。
「く、九関さん。これは一体?」
志郎が訊く。
「どうもこうも。消毒の済んだはずの
「な、なんだって!?」
志郎と安住は、ようやく魔獣の死骸に気付いたようだった。
「ほぇー、大したもんじゃないか。魔人蛭と一対一だなんて。戦闘班員でもなかなか難しいぞ。まったく人は見かけによらないもんだ」
安住は素直に水来に感服していたが、
「水来……、お前……」
真実を知っている志郎は、怖い顔で水来をにらんだ。
その気持ちは分からんでもない。
秘密厳守を言い渡したばかりなのに何をやらかしているのか、という心境であろう。
「まあまあ。そんなにおっかない顔をしないでやってくれよ。彼は俺を助けるため、やむおえず力を振るったんだ」
終が、水来を庇うように立った。
「!?!? あ、青矢終??」
志郎が顔面蒼白になる。
「いやあ、水来くんの戦いぶりは、今思い出しても胸が熱くなる」
終が立て板に水の如く語りだした。
「巨体を誇る魔獣に対して、果敢に挑んでいく水来くん。人間とは思われないスピードで駆け、人間とは思われない跳躍を見せ、人間とは思われないパワーを発揮する。圧巻だったね。まったくもって、人間とはとても思えないような勇士だった」
各班員たちは、この奇妙な言い回しに首を傾げた。
「なんか。随分と奥歯にものが挟まったような言い方をするなあ?」
「何度、『人間とは思われない』って言ったんだろう」
ただ、志郎にだけは、終の意図が正確に伝わった。
「くそっ、水来め。終にバレやがったな。よりにもよってこのバカに」
志郎が、小声で呻く。
「ふふふふふ」
終は楽し気に笑っていた。
笑顔と言うものはいいものだ。
見ているものにも幸福をおすそ分けする。
(でも、どうしてだろう?)
水来は先ほどから不思議で仕方がない。
彼の笑顔には本来あるべき作用がない。
それどころか、見ていると逆に生気を吸い込まれるというか、元気が減衰してしまう。
まるで、漆黒の太陽を想起させた。
水来の思考をよそに、三度目の足音が、地下空間に反響する。
ぺた。ぺた。ぺた。
「ま、また誰かが?」
その音は、過去二回と異なり、非常に弱弱しい。
トンネルの奥から、息も絶え絶えな四人が、マラソン最終盤の足取りでやってくる。
「ひ、ひぃええええ」
「死ぬ。死ぬ。死ぬ。死んだ……」
白衣の男女四人組が、アスファルトに盛大に倒れ込む。
そのままじっと呼吸に専念しだした。
「さ、酸素吸入器を早く持ってきてくれ……」
「最高血圧、最低血圧、脈拍、全て危険域……」
時折、虚ろな声で何やらつぶやく。
「やれやれ、ほとんど手ぶらでこの様か。お前さん方、頭だけじゃなく、もうちょっと体の方も鍛えなさいよ」
安住が呆れた目で、四人を見下ろす。
四人組は、白衣を纏い、ウェアラブル式の多機能ツールを頭部に装着していた。
(あ、あの人たちってもしかして……)
村での交流が少ない水来にも、彼らの存在は耳に入ってきていた。
村の問題児集団。トラブルメーカー。天才的な知能を有した大バカ共。
「け、研究班――」
そのパラメーターよろしく、特徴的な容姿を持った四人組を水来はじっと凝視する。
(ど、どいつだ。どいつが班長だ)
志郎曰く『村一番の危険人物』。絶対に秘密を知られてはいけないもの。
「ようよう、お前ら、遅かったな」
終が、気さくな態度で、研究班員たちに近づく。
「え? え?」
「ど、どうして?」
這いつくばっていた班員たちが、驚きの表情で上体を起こす。
「細かいことは気にするな。それより、僕の荷物は?」
「も、持ってきてます。ぜえ。ぜえ」
小さなリュックを二つ背負っていた男が、その一つを終に献上した。
「ごくろうさん」
終がすばやく中身を取り出した。
白衣とウェアラブル・ツールが、瞬く間に、終の身体にフィットする。
「う、うふふふ」
終が笑った。
「は、班長? なんか嬉しそうですね」
「分かるか。今日凄く好いことがあったんだよ。詳細はまだ伏せるが、極上のモルモットが俺の胸の中に飛び込んできてくれたんだ」
終は水来に向けてウインクをする。
それを受けた瞬間、水来の全身に、電撃の痛みが走った。
「ああ、明日が待ちきれないな。超科学に関する研究はこれから劇的に進むぞ。なんせ格好の生き証人が手に入ったんだから。うふふふふふ」
水来は、よろめきながら、志郎の傍に駆け寄る。
「し、志郎。あいつって、青矢終って、も、もしかして――」
「そのもしかしてだ」
志郎が残酷な宣言をする。
『研究班班長・青矢終。村で最高の知能と、最悪の人間性を併せ持つもの』
水来が、その場に崩れ落ちなかったのは、ほとんど奇跡に近かった。
「ああ、あああ……」
水来には、終の心の内が、今ようやく理解できていた。
(そ、そうか。彼には、俺の存在がさぞカモネギのように映ったことだろう。いいや、カモネギどころか、鍋とキノコもセットで背負っていたかもしれない)
「ふふふ、ふはははは」
水来の絶望とは対照的に、終が幸せいっぱいに笑う。
「く、どうしてだ、水来。あいつにだけはバレるなと言ったのに、どうして二時間後には、そいつにだけ正体を知られているんだ」
忸怩たる声で、志郎が言った。
――その時、四度目の足音が、地下遺跡を震わせる。
(こ、今度は何班だ?)
水来がぼんやりとそんなことを思う。
「え?」
「どういうことだ?」
地下に集った班員たちは、互いに視線を交わし合う。
「こ、今回の調査は、戦闘班、機械班、研究班の三班合同だろ」
「も、もう全員揃ってるよな」
足音は、トンネルの奥から、みるみるこちらに迫ってくる。
「総員、戦闘態勢」
戸惑いに支配された空間で、真っ先に動き出したのは、戦闘班だった。
班長・九関の命令を受けると、速やかに、トンネルの出口を包み込むような陣形を取る。
「お前ら。機械をあのでかいビルの陰に避難させろぞ。壊れたら、取り返しがつかない」
「了解っす」
安住の指示に従い、機械班もてきぱきと動く。
「ひ、ひいい。た、退避。退避だああ」
「ま、待ってください。青矢班長~~」
研究班は、さっさとこの場から逃げ出してしまった。
水来と志郎は、機械班と行動を共にすることにした。
足音は猛烈な勢いで突き進んで来る。
予想だにしていなかったその姿が、すぐに全員の視界を占めた。
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