第9話 バトル1

 ジジジ………。


 オレンジの街灯が明滅していた。


 この街が地下に堕ちて十数余年。


 明けることのない夜を、休みなく照らし続けてきたのだ。


 いかに当時最先端の設備とは言え、まもなく限界が訪れる。


 灯りは、最後の仕事として、二つのシルエットを照らし出していた。


 一つは、人ならざる異形の形体。


 もう一つは何の変哲もない人間の形。


 しかし、本当のところは、人間の方もまた、中身は立派な化け物であった。


「キュイイ」


 異形の怪物。吸血ヒルをベースにした魔獣がいなないた。


「……」


 魔獣と対峙した、超人・北山水来は、威嚇に怯えることなく、淡々と戦闘思考を巡らせる。


 身長。体重。そこから推測される最大攻撃力、防御力。


 予測される攻撃手段。得意なこと。できないこと。


 冷静な分析は、この一か月間、恋と志郎から受けた指導レクチャーの賜物である。


 その結果、水来は一つの結論をはじき出した。


(こちらが上手うわてなのは確実)


 弱気な水来にそんな結論を出させる程、超人の力はすさまじい。


(ただし――)


 一瞬だけ、水来は、へたりこんだままの終を一瞥いちべつした。


(ただし、俺が超人であることを、けして彼に知られてはならない)


 この一文が添えられただけで、仕事のグレードは飛躍的に上がってしまう。


(か、考えただけでクラクラする)


 とは言え、今後も村で生活をつづけるつもりならば、この条件を外すことはできない。


 水来が、眼球を真正面に向き直らせる。


「キュイイ!」


「!?」


 巨体からは想像もつかない俊敏さで、魔人蛭まじんびるが、水来の懐に潜り込んできた。


 敵は手を用いなかった。


 大型犬をも丸呑みできそうな口で、噛みつきを図る。


「しゅっ!」


 水来が、素早くバックステップを踏んだ。


 回避成功。


 魔人蛭がさらに前に出てくる。


 大樹の幹みたいな首を柔軟にうねらせて、上下左右からの連続噛みつき。


「よっ、ほっ、ととっ」


 その全てを、水来が軽やかにかわし切った。


 それどころか、敵の攻撃をくぐり抜けて前進、


「ふんっ!」


 鋭いボディブローを、逆に叩きこんだ。


「キュエアアア!」


 まるでダメージを感じさせない素振りで、魔人蛭が即やり返してくる。


 長くて太っとい首を振り回して、水来を薙ぎ払おうとする。


 水来は、後方への大ジャンプにて対処した。


 空中で大きく一回転すると、減点無しの華麗な着地。


 ジジジ……。


 一人と一匹の頭上で、街灯がまた音を立てた。


「す、すげえ。す、素手で魔獣とやりあってる」


 終が感嘆の声を上げた。


 超人と言う兵器の長所は主に二つ。特殊能力と超身体能力。


 水来は、今、ゲル化の特殊能力を封印して、強化された身体能力のみで敵にあたっていた。


(でも、これだと――)


 水来の拳には、先ほど魔人蛭の胴体をぶん殴った感触が、ありありと残る。


 重機のタイヤを殴ったような重厚な手ごたえ。


(素手ではとてもダメージが通りそうにない)


 身体能力をさらに引き上げる必要性を覚えた。


 ただし、それをすれば間違いなく終に不審を抱かれる。


 今だって、オリンピアン以上のパフォーマンスを発揮しているのだから。


(な、何かないか?)


 窮余の策として、水来は武器になりそうなものを探し求めた。


 幸い、令和遺跡には、その候補が多数転がっている。


 朽ち折れた道路標識。


 割れた窓ガラスの破片。


 老朽化して崩れたビルの一部。


 水来が目移りしている間に、魔人蛭が再び間を詰めてくる。


「キュウウ!」


 何度目かの噛みつき攻撃。


 水来は、迷いなく後ろに跳んで、高度と距離を取る。


 たった数度の成功体験のみで、水来はこの方法を、確実な回避と位置付けていた。


 素人の哀しさである。


 熟練の恋ならば、敵の首筋にある無数の横シワを警戒し、けしてその回避手段を取らなかっただろう。


 魔人蛭の首が、ぎゅん、と伸長し、空中の水来に肉薄した。


「!!?」


 足を地につけていない水来には、もう何もできない。


 ガブリ、と水来の左スネに牙が立てられた。


「うわあああ!!」


「キュエエエエ!」


 首の筋力を活かして、魔人蛭が水来の身体をぶんぶんと振り回す。


 スピードが最高に乗ったところで、顎を開いた。


 水来が、矢のようにすっ飛んでいく。


 ガラス張りのオフィスへと、頭から突っ込んだ。


「あ、あああ」


 激音が轟き、終の足元が地震みたいに揺れる。


 ビルからはもうもうと粉塵が立ち上がり、それは微細なガラス片が混じったことで、キラキラと光輝いていた。


「み、水来。なんてことだ。俺を庇ってやられてしまうなんて。ああ。どうせやられるなら、俺が安全なところまで避難してからやられてくれればよかったのに。……この役立たずめ」


 人間失格なセリフを、平然と吐く終。


「………………くそ。なんて助けがいの無い奴だろうか」


 弱弱しい声がビルの奥からした。


 デスクや椅子を跳ねのける音。


 そして、足を引きずりながらも歩く音。


「み、水来……」


 終が絶句してしまうほどに、傷だらけの水来が姿を現した。


「はあ。はあ。はあ……」


 誰の目から見ても、戦闘の継続は難しい。


 それは自身が一番理解しているのだろう。


(どうする? どうする!?)


 必死に思考を回転させ、挽回の策を求める水来であった。


「う、うぐっ……」


 全身を射す痛みが、それすらも満足にさせてくれない。


(?!!)


 ところが、その痛みがある記憶と紐づいたのだ。


 廃病院。かつて戦った、狼ベースと思しき魔獣の群れ。


(そうか。その手があったか……)


 名案かどうかは分からない。


 ひょっとしたらとんでもない愚策かもしれない。


 だが、すでに眼前に迫る魔人蛭を前に、別案を探すことは不可能であった。


「キィィィィ!」


 一際口を大きく開いての、噛みつき攻撃。


 水来が地面を横に転がって、紙一重で捕食を免れる。


 その先にはガラス片があった。


 折れた窓枠を持ち手にして、それを握りしめる。


「む、無理だ。そんな鈍い刃物じゃあ……」


 終が呻いたが、それは見当違いである。


 水来は刃を敵に向けるつもりはない。


「へ?」


 水来は、ギザギザの刃先を、自分にそっと当てる。


「うわああああ」


 自らを鼓舞する咆哮を上げると、ガラスの先端を、上腕部に潜り込ませた。


「~~~~~!?」


 あまりの激痛に、声にならない叫びが上がる。


 血が噴水のように噴きあがった。


「キュイイ、キュイイ」


 狂喜乱舞の体で、魔人蛭が大好物のシャワーを浴びる。


 ゴクゴクと喉を鳴らす怪物に、たちまち異変が起きた。


「ギィグエェェ!??」


 人間によく似た腕で喉元をかきむしり、アスファルトをのたうち回る。


「え? え? え?」


 終が高速で瞬きした。


「ど、どうにか上手くいった」


 水来が服の裾を裂いて、腕の傷を止血する。


 ゲル化の能力を持つ水来の肉体は、限りなく不死に近い。


 ただし、その不死身には一つだけ穴があった。


 他の生物に身体を摂食された場合、その部分はもう再生しないのである。


 詳しい原理は水来にもよく分からない。


 このことを教えてくれた志郎も知らなかった。


『他の生き物に喰われた部分は、もうその生き物のもの。まあ、自然の摂理なんだろうさ』


 したがって、そういう状況を絶対に避けるべく、水来の細胞にはあるプログラムが組み込まれている。


 それは毒化プログラムと呼ばれていた。自身が敵に吸収されかけていることを感知すると、その名の通りの猛毒へと変化し、排出を促す。


 この毒と言うのが、想像を絶する刺激物だとか。


 実際、魔人蛭の苦しみ様は尋常ではない。


 そんな魔獣を尻目に、水来は、地面に転がるビルの欠片へ近づく。


 フェンスの一部が突き刺さっていることから、元はビルの屋上だったのだろう。


 リフティングのチャンピオンなら、かろうじて持ち上げられるサイズ。


「ふんぐぐぐ」


 上腕から血を滲ませながら、コンクリート塊を高々と掲げる水来。


 そのまま、フラフラとした足取りで魔獣の傍へと近づき。


「ふん」


 頭上の大質量を、真っ逆さまに落とした。


「!!!」


 胴体を押しつぶされた魔獣が、両手足をビクンと痙攣させた。


「……」


 そのまま、体中から力が失われていく。


「や、やった……?」


 終が半信半疑の様子で呟いた。


「やった。やったんだ。あはははは」


 傍らのビルに手を添えて、立ち上がる。


「すごい。素晴らしいよ、水来。素手で魔人蛭を倒すなんて、戦闘班の誰も成し遂げていない偉業だ。いやあ、僕は歴史の立会人だね。あはははは」


 朗らかに笑う終は、窮地に吐いた暴言を忘れているらしい。


(指摘してやろうかな?)


 とも思いはしたが、結局しなかった。


 水来は真正なお人好しである。


(他人がせっかく笑っているのだから、わざわざそれを邪魔することもないだろう)


 極めて人の善い論理で、自分も口元を緩める。

 

 ブツン。


 厚いゴムが千切れたような音が、水来の足元でした。


「ん? ……!!」


 そこにはあるべきものがない。


 魔人蛭の首から上。


「ひゃあああああ!?」


 終が甲高い悲鳴を上げた。


 見れば、首だけになった魔人蛭が、ヒル本来の動きで、終に迫る。


「じ、自切した!?」


(しまった。残心を怠った。ま、間に合わない)


 すでに終の救助は不可能だった。


 超人の全能力を使わない限りは。


 人命のかかった状況で水来が躊躇ちゅうちょするわけもない。


 全身の傷口が瞬時に塞がり、うっとおしかった痛みが消える。四肢に力がみなぎる。


 スニーカーの踵が、とてつもない音を立てて、地面を蹴った。


 次の瞬間、水来は、終と魔獣の間に割り込んでいる。


「へ?」


「ギ?」


 水来の右腕が、刹那のゲル状態を経由して、斧の形に変化する。


「ふん!」


 刃閃が煌めく。


「ギギ――」


「ギガ――」


 魔人蛭の巨大な口が、真っ二つに裂け、各々が断末魔を上げる。


 ジ――――


 同時に、オレンジの街灯もまた、寿命を迎えていた。


 周囲が薄闇に包まれる。


「み、水来。き、君は?」


 仄暗い中にあっても、今の水来の存在感が、霞むはずもない。


 終の目には、藍色に染まった少年の姿が、カラーよりも鮮明に映っていた。


(ああ。終くんは、今、どんな目つきで俺を見ているんだろう?)


 水来に、それを振り返って確認する勇気はない。






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