第8話 遺跡2

「こ、ここまで逃げれば、もうガキどもも追いつけまい」


 息を弾ませた終が、砂の上に腰を降ろした。


「ず、随分遠くまで逃げて来たね」


 水来は、見覚えのない地区を、心配顔で見渡していた。


『危険』


『立入禁止』


『すぐに引き返せ』


 剣吞な看板が、いくつも目に留まる。


「こ、ここって入ってもよかったのかい?」


 村の敷地内でこそあるが、傷んだバラック小屋がいくつか立ち並ぶだけで、人の生活臭はまるで感じられない。


「ここには遺跡があるからな。誰も近づこうとはしないんだ」


「い、遺跡?」


 今日二度目となる、その未知の固有名詞。


「それってどういう――」


 その意味するところを訊ねようとした水来だったが、


「みんなこっちだ。終とムショクはこの辺りに逃げ込んだぞ」


 子供たちの大きな声に質問を遮られる。


「クソ。しつこいガキどもめ」


 終はさらに地区の奥へと進んでいく。


「う、うう」


 止む追えず、水来も後につづく。


 そしてついに、水来は遺跡を目の当たりにする。


「お、大きな縦穴?」


 高層ビルを丸ごと呑み込めそうな、深くて広い穴が大地に穿たれていた。


 穴の周辺を、まんべんなく鉄の柵が囲み、鉄条網が張り巡らされる。


 人の出入りを厳しく禁じた様子は、穴の内側に危険が内在していることを、水来に一目で伝える。


「こっちだ。きっとこっちだ」


 子供たちはまだ二人を追ってくる。


「ねえ、くぬぎちゃん。この先には遺跡があるよ。ち、近づいたらいけないんだよ」


「だからこそ隠れ場所にはもってこいなんじゃないか。終の考えそうなことだ」


 子供たちの声は着々と近づいてくる。


「ど、どうす……る!?」


 水来が終の方を見ると、彼はすでに鉄条網をくぐり抜けて、大穴の淵にいた。


「そ、そこって危ないんじゃないの!?」


「背に腹は代えられない。僕にとっては、あのクソガキ共に捕まって恋の前に引っ立てられる方が、よほど危険だ」


 終は縦穴をためらいなく降りていく。


「ああ、もう……」


 子供たちの声はどんどん大きくなる。


(この先が本当に危険なら、終くんを一人で行かせるのもマズイか?)


 覚悟を決めた水来が、「ま、待ってくれ」と、名しか知らぬ少年の後に続く。


 大穴の壁面には、長大な下り坂スロープが設置されていて、さしずめネジ穴の表面のおもむきであった。


 螺旋の坂道を、水来は慎重に降る。


 光はすぐに届かなくなり、視界は完全な暗闇に閉ざされる。


「もうちょいで底に着く。そうしたら明るくなるはずだ」


 暗黒の中で、終の声がした。


 今の水来にとって世界とは、左手から伝わる土壁の冷たさと、靴底にある大地の硬さだけである。


「!?」


 唐突に地面の傾斜が終わった。


 そろそろと足を踏み出すと、平たい地面がどこまでも続いている。


「ど、どこだ。終くん」


 パッ、と光が瞬いた。


「う、うわっ?!」


 水来は反射的に目を覆う。


「ふう、よかった。備え付けのランプに、まだ油が残っていたみたいだ」


 久方ぶりに目視した終は、手にランプを一つ持っていた。


「ほら、こっちだ。……ええと、名前は?」


「水来」


「こっちだ、水来。この先に隠れれば、絶対にガキどもにも見つからない」


 終は、ぐんぐんと歩を進める。


「ま、待ってくれよ、終くん」


 巨大の穴の底には、今度は横穴トンネルが続いていた。


 昔の坑道みたいに、木材で崩落防止の補強がなされている。


 坑道に設置された多数の照明器具に、終がスイッチを点けていく。


 およそ300メートも歩いただろうか?


「!?!?!?」


 道が突然開け、水来の目にとんでもないものが映し出される。


「そ、そんなバカな!?」


 巨大な岩のドームに覆われた、広大な地下空洞。


 その内部には地底都市が広がっていた。


「あ、ああ……」


 水来は言葉を失っていた。


 そこに広がる光景は、紛れもなく、水来の生きてきた令和の日本の街並みであった。


「ふふふ、凄いだろう」


 終が水来の反応に満足したように笑う。


「これがナット村の中核、令和遺跡だ」


「……」


「ふふ、凄すぎて言葉もないか。せっかくだ。村の連中は、遺跡の存在こそ知っていても、その成り立ちには詳しくなかったりするからな。この青矢終が直々に講義をしてやろう」


 今の水来には、他人の言葉に耳を傾ける余裕などありはしなかったが、それでも断片的な情報が耳に入る。


「終末戦争では超科学を用いたとてつもない兵器が多数使用された」


「その威力は跡形もなく山を吹き飛ばす、……いや、それどころか、地殻をめくり上がらせて、平地を山に変えるほどだったという」


「大破壊の一環で、多くの街が消滅した」


「中には、消滅こそ免れたものの、兵器のあまりの威力で、地盤ごと地底深くに沈み込んでしまったものがある」


「それらを今の時代の俺たちは令和遺跡と呼んで、恩恵にあずかっている訳だ」


「……な、なるほど」


 水来がようやく口を開いた。


「……これでようやく謎が解けたよ」


「んん?」


「村にあったたくさんの機械や道具。あんなものがどこに保存されていたのかが気になっていたんだ。あれは全部ここに残されていたものを持ち出したものだったんだな」


「? それは今更気づくことでもないだろう。村に住んでいる奴なら、三歳児だって知ってることじゃないか」


「あ!? えーと、あはははは」


 目いっぱい笑って誤魔化す。


「今、笑い声がしたぞ!」


 高いソプラノが、令和遺跡に鳴り響いた。

 

「く、椚くん。ヤバいって。遺跡の中は大人だって立入禁止なんだよ」


「終の奴が隠れているんだぞ。このトンネル内の灯りがその証拠じゃないか」


「で、でも……」


 岩のドームの中では、子供たちの声はキンキンと反響して聞こえた。


「ええい。本当にしつこい」


 水来と終は、坑道を出てすぐの場所を離れ、ビル陰へと身を隠す。


 入れ違いになるように、十人を超える子供軍団が、令和遺跡に到着した。


「う、うわわわわ!」


「すげっええええ!」


「ほ、本当に昔の街がそのまま残ってるんだ」


 彼ら彼女らは、初めて見る巨大な街並みに、瞳輝かせた。


「私、あの高いビルに昇ってみたい」


「お、俺はあのオブジェを近くで見たい」


「僕はそっち」


「私はあっち」


 子供たちは、好奇心が恐怖を凌駕するという、極めて子供らしい状態にあった。


 少年少女がバラバラに散っていく。


「ま、待て! お前ら!」


 椚少年が、勝手な行動をいさめた。


「俺たちは恋姉ちゃんから貴い使命を与えられてここにいるんだぞ。それを果たさず遊びふけるなんて、恥ずかしいとは思わないのか」


 椚の正論など、遊園地を訪れた子供たちには、まるで耳に届かない。


「わーい。わーい」


「あはははは」


 子供たちは、大人ではとても思いつかない方法で、遺跡を堪能しまくる。


「なあ、みんな。もっと奥の方まで探検してみようぞ」


「「「さんせーい」」」


 子供たちが一斉に駆け出す。


 彼らの一人として、もはや椚の存在は覚えていないだろう。


「ま、待ってよ、みんな。ぐすっ。俺も仲間に入れてったらー」


 椚は半べそをかいて、その後を追いかけた。


 全員がいなくなると、ビルの背後から、水来と終が顔をのぞかせる。


「やれやれ。どうにか気づかれなかった」


「それにしても、子供ってのは本当に元気だなあ。こんな薄暗くて不気味なところで、あんなにはしゃいで」


 地下空間に陽が射しこむはずもなく、この遺跡は、数少ないオレンジの街灯が瞬くのみであった。


 また、太陽の熱も届かないため、肌を刺すような冷たさが、辺りには立ち込める。


「ささ、今のうちに地上に逃げようぜ。あいつらはここに置いてけぼりにして――」


「う、うわあああああああ!!」


 先ほどまで桃色の音楽を奏でていた子供たちが、絶悲鳴を上げる。


「な、なんだあ?」


 子供たちが走っていった方角から、一人また一人と、少年少女が出戻って来る。


「ば、ばばば、化け物」


「れ、れ、恋姉ちゃんに報告しないと」


「ひょええ」


 とてつもない勢いで、子供たちは地上への道のりを走り去った。


「お、お、置いてかないでよおお」


 椚が、号泣しながら最後尾を走っていく。


「「……」」


 水来と終は、その様子はポカンと見ていた。


「ば、化物とか言っていたけど、……まさか魔獣が?」


 水来が身構える。


「い、いや。それはありえない」


 終が言うにはこういうことらしい。


 確かに、かつてはこの令和遺跡にも魔獣はいた。


 街の沈下に巻き込まれた不運な魔獣たち。


 この密閉空間は、魔獣たちにとっては、さながら蟲毒の壺と同じであった。


 数少ない食糧を巡って、さらにはお互いを食糧にすべく殺し合いの日々が続く。


 従って、人間たちが遺跡に入る頃には、淘汰を生き延びた、強靭極まる魔獣だけが生き残っていたという。


「だ、だけど、それも昔の話だ。ここの遺跡は、戦闘班が多大な犠牲を払って消毒を済ませている。ここ数年、魔獣の目撃情報は一件もない」


 終の説明は理路整然としていたが、


「キュウウウウウン!」


 人ならざる怪異の声を前にしては、なんら説得力を持たない。


「そ、そんなバカな」


 終がガタガタを震えだす。


 ぺたり。ぺたり。ぺたり。


 地面にへばりつくような足音が、静かに接近してくる。


 ついに姿を現したその異形に、


「うっ!」


「げっ!」


 水来と終は、瞬間、凍り付いた。


(ヒ、ヒル。ヒルの怪物。でかい。二足歩行)


 吸血ビルを三メートルほどまで巨大化させ、人間のものに酷似した手足を移植した怪物。


 水来の目の前の怪物は、簡単に言えば、そのような容姿を持っていた。


 頭には目も鼻もなく、丸い口だけがある。


 口の内側には鋭い歯がびっしりと生えそろっていた。


「キュイイイイイイン」


 不気味な声を上げながら、子供たちの消えていったトンネルへと進もうとする。


「ああああ。魔人蛭まじんびるだ。そ、そんなバカな」


 よろめいた終が、ビル壁に全体重を預ける。


 老朽化していた外壁が、ベキリ、と音を立てて窪んだ。


「!」


 ヒルの怪物の足が止まった。


 勢いよく、水来たちの方に向き直る。


(み、見られた!?)


 怪物に資格を担当する器官は見当たらない。


 しかし、この時の水来は、全身をなめ回すような視線を、確かに感じ取っていた。


「あ、あひえええ」


 終がその場に腰を抜かす。


 怪物が駆けよって来る。


(く、くぅう)


 水来に選択肢はない。


 素早くビルの陰から身を躍らせる。


「キュイイイイイ!!」

 

 推定地下300メートル。超人と魔獣による血で血を洗う戦いが、今にも始まろうとしていることを、地上の人間は誰一人として知らない。

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