第7話 遺跡
「まったく。母さんは楽観的すぎるんだよなあ」
服飾班を見学する当日になっても、志郎はまだ不満を口にしていた。
「水来が超人だってバレたらどうするつもりなんだか。まったく」
休日のお昼前。水来と志郎は、事前連絡を入れた上で、服飾班の工房へと向かっていた。
「でもさあ、それってそこまで気をつけなきゃいけないことなのかな?」
この時代では魔獣と言う怪物が周知のものとなっている。
村人たちは、超人に対しても、ある程度耐性がついているのではないか?
それが水来の主張であった。
「いやいや、逆だよ。逆」
志郎は慌てて、その思い違いを
「魔獣という怪物に日々脅かされているからこそ、超人に対してもアレルギー反応を起こしかねないんだ。多分、水来の力に必要以上に恐れおののく人が大半だろう。……最悪、村からの追放なんて決議も出かねない」
「じ、冗談じゃない」
果ての無い砂漠を、独り歩き続ける自分を想像し、水来は身震いした。
「とにかく、水来が超人であることは、谷口家だけの秘密だ。分かったな」
「り、了解」
「特に『研究班』の連中には絶対に知られないようにしろ」
研究班。それが、失われた科学技術や超科学を蘇らせることを目的とした、知的エリートの集まりであるくらいは、水来でも知っていた。
「あいつらに生きた超人を見せるなんて、猫の前に生魚を置くようなものだ。結果は目に見えている」
「ぶ、ぶるり」
「中でも研究班の班長はことさらにヤバい。自分の知的好奇心を充たすためなら、非人道的な手段にも出かねない」
「そ、そんな危険人物に、班長なんて任せてもいいのかい?」
「優秀なんだよ」
志郎が悔しそうに言った。
「今の人類には、品行方正な人物を優先している余裕はない。多少人間性に問題があろうとも、一にも二にも能力重視だ」
「まあ、……人選ってのは本来そうあるべきなんだろうね」
自分が元いた時代の、和を重んじすぎる傾向に、水来は疑問を抱くタイプだった。
「それでその班長と言うのは、どういう人なんだい」
「名前は――」
ガチャリ
金属音が二人の会話に割り込んできた。
ヒタリ。ガチャリ。ヒタリ。ガチャリ。
奇妙な足音が、どんどん二人に近づいてくる。
その特徴的な音響に、水来も志郎も聞き覚えがあった。
通行人の間を縫うように走って、二人の前にでかい男が現れると、
「よう、
「お久しぶりです。安住さん」
志郎は気さくに片手を上げて、水来は深く会釈をした。
「やっと見つけたぞ、志郎。水来くんもしばらくぶり」
二人と目を合わせると、機械班班長の安住
「やれやれ村中探し回らせやがって」
安住が左腕を動かすと、キュウウン、というアクチュエータ音が鳴り響いた。
金属製の左指がハンカチを握って、生身である額の汗を拭う。
安住賢一は、自分の左半身を機械に置き換えた、昔風に言うならば、サイボーグであった。
第三次世界大戦において、敵国の魔獣に左半身を引き裂かれるも、データベースの超科学によって、死の淵から舞い戻ったという、骨太な経歴の持ち主である。
「そんなに慌てて。何かマズイことでもあったのか?」
志郎が問う。
「マズいよ、とんでもなくマズイことになってるんだ」
安住はその野太い声に情けない色をつける。
「新しいイセキが発見されちまったんだ」
(イセキ?)
その単語は、水来にとってまだ既知のものではない。
(縄文遺跡とかの遺跡か?)
「ああ、そりゃまいったな」
志郎が片手で両目を覆う。
「運がいいやら悪いやら」
「ちなみに、研究班は諸手を挙げての大喝采だな。戦闘班は意気消沈してるよ。
「そんなとこだろうな。……俺も行かなきゃマズイか?」
横目で水来を見ながら、志郎が訊く。
「もちろんだ。現場を仕切れる奴が誰もいない。仙石さんは他の村に出向いてるし。志郎にやってもらうしかないんだ」
このナット村において、政治班に所属する志郎は、村のリーダーの一人であった。
常に村人を主導する立場が求められる。
出世した親友に賞賛の念を抱くと同時に
(うーん。やっぱり大人の志郎は、俺とは縁遠い人になっちゃったなあ)
と、一抹の寂しさも覚える水来だった。
「すまん、水来。今日の見学はまた次の休みに」
もちろん、水来がそれを咎めるようなセリフを言うはずもない。
「気をつけて」と笑顔で送り出す。
「悪いな、水来くん」
猛烈な勢いで走り去っていく二人の様子は、『遺跡』とやらの重要度と危険性を、端的に水来に伝えた。
「さて、……俺はこれからどうしようかなあ?」
二人のことはもちろん気がかりだったが、ぽっかりと空いたスケジュールをどのように埋めるのかも、本人には重要なことだ。
『ああ、今日は誰のお昼ご飯も作らなくていいのね。お母さん、嬉しい。うーん、たまには一人で外食でもしちゃおうかしら』
そう喜んでいた咲良を思い出すと、帰宅するという選択肢も無い。
「えーと……」
このひと月で、水来は知り合いこそ増えたが、友達と呼べるような人物はまだできていない。
「恋でも誘ってみるかな? あいつも今日は休みだったはずだし」
『ケジメをつけさせなきゃならん奴がいる』
「確か、朝食の時に訳の分からないことを言ってたような……」
村の外というのは基本的に危険地帯だ。
仕事以外で村を出るということは、まずありえない。
「市場にでも行ってみるか? もしかしたら出会えるかもしれないし、見つからなくてもあそこなら暇つぶしになる」
方針が決まると、水来はすぐにつま先の向きを定めた。
村中央に引かれた大通り。
その左右を埋め尽くすように、無数の
ナット村の繁華街にして社交場でもある市場は、今日も多くの人で賑わっていた。
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。今朝収穫したばかりの果物たちだよ」
青果店の前に、無数の人だかりができていた。
「美味しそうだなあ……」
ルビーみたいに輝くリンゴを、涎を垂らしそうな顔で、男の子が見ていた。
この時代では極めて希少な果物は、ものによっては、それこそ宝石級の価値があった。
「ああ、目の毒、目の毒。どうせ買えやしないんだ」
目をつむって、早足に通り過ぎていく若者がいる。
「かっけえええ。見てよ、このコップ。魔獣の角から削り出したんだぜ」
元戦闘班の男性が開いている店では、魔獣の身体の一部を加工した、ユニークな日用品が棚を飾っていた。
「おお、これで水を飲んだら、隆も少しは勇ましくなれるかもな。ははは」
「と、父ちゃん。俺は今でも十分に勇敢だぜ」
「そういう台詞は、夜中に一人でトイレに行けるようになってからね」
「う、ううう」
親子連れが商品の一つを手に取って、わいわいと盛り上がる。
「ねえ。これなんて素敵じゃない」
「い、いや。もちろんそれはそうなんだけど。……その、お値段が……」
若いカップルが夢中になっているのは、色とりどりの鉱石を陳列された店であった。
令和の加工技術を知る水来の目には、ただ表面を研磨しただけのそれらが、安っぽく映るのは致し方ない。
「いいわあ。この深いブルーがたまらない。吸い込まれていきそう」
それでも、この時代の女性は、うっとりとした視線を、石々に注いでいた。
もちろん陶然とするのは女性ばかりで、
「あ、ああ。またそんな高い石を手に取って。あっちの半額コーナーにも興味を持ってくれないかなあ」
彼氏の方は、価格に戦々恐々している様子であった。
「おおおおおお!」
騒がしい市場の中でも、一際大きな歓声が上がる。
「なんだ?」
水来は二重三重にできた人だかりの中へ、頭を突っ込ませる。
『骨董品』
そう書かれた看板が、水来の眼前に現れた。
『村から村へと渡り歩く命知らずの大商人・児玉
普通ではお目にかかれない商品を、独自ルートで取り扱い。
本日最終日。
取引はオークション形式。』
看板にはそんな説明が羅列されていた。
「はい。羽根なし旋風機は、そちらの赤い服の男性が落札されました」
「やったあ。これ、昔の本で見て、ずっと憧れていたんです」
男は、落札した商品を、恋人に対するように胸に抱いた。
(骨董品? いや、これって)
水来が目を見張るのも無理はない。
この店の棚に飾られているもの全て。
それは、水来の記憶の中にある、令和最新式の電化製品であった。
(ま、まあ、確かにこの時代の人にとっては骨董品かもしれないけど?)
「おい、そろそろだぞ」
「分かってるよ」
先ほどから、客たちは、そわそわと落ち着かない様子である。
(それにしても、これだけの電化製品を一体どこから仕入れているんだろう?)
その疑問は、この怪しげな店主に限った話ではない。
ナット村にも令和製の機械は多数現存している。
冷蔵庫。電子レンジ。薄型テレビもあるが、これは全く役に立たない。
(世界中が滅茶苦茶になったというのに、これだけの機械が良好な保管状態で残っているなんて、よく考えたら妙な話なんだよな?)
このナット村のある元東北地方は、数千キロに渡って砂だけが広がる不毛の地と化しているというのに。
水来は、独り首を傾げていた。
「さて、みなさん」
日に焼けた禿げ頭を撫でながら、店主がにこやかに笑う。
「いよいよ太陽が一番高い位置となりました。今日の目玉商品のオークションをはじめさせていただきます」
客たちがどっと沸いた。
厳重に梱包された一品がカウンターに置かれる。
頑丈に組まれたロープを解くと、中から現れたその姿に、
「おおおお!」
今日一番の歓声が上がった。
「パ、パソコンじゃないか!?」
水来の声を、店主が耳ざとく聞きつける。
「はい。ぼっちゃん、ご慧眼。こちらは令和時代に作られた高性能ノートパソコンになります」
「ちゃんと中古なんだろうな!」
客の一人で大声を上げる。
「そうだ。新品のパソコンなんか売りつけやがったら、承知しないぞ」
「ふふふ。皆様のご心配ごもっとも。インターネットのない現代において、ろくなソフトの入っていない未開封品には大した価値はございませんからね」
「ちゃんと広告通りのソフトがインストールされているんだろうな!」
「もちろん。それでは、百聞は一見に如かずとも申します。実際に中身をご覧いただきましょうか」
水来にとって懐かしいパソコンの起動音と共に、ОSが立ち上がる。
店主がコンパネを操作して、内蔵されいてるアプリを一覧表示させた。
「うおおおお!」
客たちが昂った声を上げる。
『バトルくの一。
バトルくノ一2。
バトルくノ一外伝。
ここは国立子づくり学園。
幼馴染がサキュバスだった件。
ハーレム・ライフ。』
いかがわしいタイトルがこれでもかと列挙されている。
店主がその内の一つをクリックした。
令和トップクラスのエロ絵とエロテキスト、そしてエロいボイスが流れる。
「おお、噂は本当だ。女の人の絵が動いているぞ」
「うう、かつてはこんな素晴らしいものが手軽に手に入ったとか」
「なんて素晴らしい時代だったんだろう」
パチパチパチパチ。
店を取り囲む男たちは、自然とスタンディングオベーションをはじめていた。
「ねえ、お母さん。あのおじさんたち、どうして拍手してるの?」
近くを通りかかった幼子が、素朴な疑問を口にする。
「しっ! あんな人たち見ちゃいけません。想ちゃんにスケベがうつったら大変だわ」
「?」
好色どもを蔑む目で見た母親は、男の子の手を引き、急ぎ足でこの場を離れた。
「それでは入札をはじめます。開始金額はそうですねえ。大サービスで10万円から」
(じ、10万円かあ)
水来とて健全な10代男子。そういうことへの興味は当然にある。
(でも、俺の全財産は五千円しかない)
「11万円」
「16」
「20万」
値段がみるみる吊り上がっていくのを、指をくわえて見ていることしかできなかった。
「100万円だそう」
水来のすぐ後ろの人物が、驚くべき金額を提示した。
盛り上がっていた客たちが、途端に静まりかえる。
「は? ……え?」
経験豊富と思しき店主さえ、目を白黒させていた。
「100万円で入札する。と言ったんだ」
全員の視線を一身に集めるその男性、いや、その少年。
ほぼ同年代と思しきその人物を、水来は無意識に観察する。
一週間も手入れされていないであろうボサボサの髪。
どういったTPОにも合致しない小汚い恰好。
心の鏡と言われる瞳は、
(う、うーん)
友達になりたいかと問われれば、言葉を濁さざるを得ない。
水来の少年への第一印象は、けして芳しくなかった。
「ちくしょう、
「
「今日も仕事のはずだろう」
「なんでも、このオークションに参加するためだけに、無理矢理休暇を取ったらしいぞ」
客たちのざわめき様からして、この少年は村ではかなりの有名人のようであった。
「くくくく」
大人たちの狼狽ぶりを、終は楽しげに鑑賞する。
「さあ、早く対抗入札をしたまえよ。こちらの金額はたったの100万だ」
「「「……」」」
客たちは一言も発することが出来ずに、ただ恨みがましい目を向けるばかりだ。
「ふむ。どうやら誰もパソコンを欲しくないみたいだな。なら仕方がない。入札した手前、責任を持ってこの僕が買い取るしかないだろう。ああ、しょうがない」
「「「ぐぐぐ……」」」
大人たちの歯ぎしりが市場に渦巻く。
「そ、それでは、このパソコンは、ひ、百万円でこちらの方が落さ――」
「いたぞ。終のバカだ!」
その声が聞こえた瞬間、勝利の高揚で赤くなっていた終の顔色が、一気に青ざめた。
声は、子供特有の、高いソプラノである。
「本当にこのエッチなオークションに参加してやがった」
「班の仕事まで放りだしやがって。なんて奴」
「ク、クソガキどもめ。どうしてお前らがここに」
「あ、あの子たちって」
水来には、猛烈な勢いでこちらに迫って来る少年たちに、見覚えがった。
一際、恋への忠誠心が厚い、いわば谷口恋親衛隊とでもいうべき子供たちである。
「青矢終。恋姉ちゃんがお前を探している。俺たちと一緒に来てもらうぞ」
「じ、冗談じゃない」
終は、いきなりノートパソコンの乗っているカウンターを蹴飛ばした。
傾いた机上から、男たちの四角い宝珠が滑り落ちる。
「「「う、うわああああ!」」」
男たちが血眼になって殺到し、それをすんでのところで食い止めた。
人の流れが壁となって、少年たちと終を分かつ。
「ち、ちくしょう。悪知恵だけは働く奴だ」
「へへ。脳みその小さいお前らが、この終さまを捕まえようなんざ、十年早い。……あれ?」
素早く逃げを打った終が目を丸くする。
自分のすぐ隣を、肩を並べて走る少年がいたからであった。
「な、なんだお前は!? 誰だ? どうして僕と一緒に逃げている」
「あ、はじめまして。北山水来と申します」
走りながら、水来はぺこりと頭を下げた。
「い、いや、このシチュエーションは多分俺にとっても都合が悪いんで……」
そして、水来の不安を裏付けるような会話を、子供たちがしだす。
「あ、あれは恋姉ちゃんちのムショク」
「ど、どうしてここにムショクが」
「決まってるじゃないか。あいつもエッチなオークションに参加していたんだ」
「くそ、なんて奴だ。一銭もお金を稼がないくせに、恋姉ちゃんの親からもらったお金でこんなところにやってくるだなんて」
「あいつも一緒に捕まえろ。恋姉ちゃんの元に引っ立てるんだ」
子供たちの目に怒りの色が宿った。
「ほうれ、案の定」
自分が、あの子供たちから白い目で見られていることは、重々承知している水来であった。
「「「待てええ!」」」
市場周辺に美しく並べられたカラーブロックを踏み鳴らして、子供たちが猛烈なスピードで迫って来る。
「「ひ、ひええええ」」
悲鳴と歩調を仲良くそろえて、水来と終は必死に逃げつづけるのだった。
――これは全力疾走中の水来がまだ気づいていないこと。
彼の行方に奇妙なものがあった。
地面に敷かれたカラーブロックが、ただの石畳に変わり、やがて粗末の木の板に成り果て、最後は砂地がむき出しになる。
ナット村の終端の地区にそれは存在していた。
大地に深々と穿たれた大穴である。
穴は周辺の空気の流れを乱し、コォォォォ、という音が淵で鳴っている。
さながら、その穴自体が息吹を上げているようにも感じられた。
村人たちはここを『遺跡』と呼んでいた。
この時代を生きる人々にとって、希望と災厄を等しく孕んだ地であった。
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