第二章 ナット村
第6話 日常
谷口家に保護され、ナット村で暮らすようになった水来。
日常生活を送ることで、多くの書物を読むことで、志郎や咲良との何気ないやりとりの中で、彼は少しずつこの時代のことを学んでいった。
人類の文明レベルが、21世紀初頭に比べて著しく低下しているのは、終末戦争と呼ばれる第三次世界大戦が原因である。
データベースよりもたらされた超科学。それが生み出した超兵器群は、世界を瞬く間に地獄絵図に変えてしまった。
人類が絶滅しなかったのは、奇跡的な幸運でしかない。
何もかもを失くした人類の多くは絶望の中で息絶えた。だが、生きることへの情熱を失わなかった者たちも極わずかだがいた。
彼らは己の全てを、人類再建のために費やした。
全ては次の世代のために。
それは献身と呼ぶよりは、自らの世代が引き起こした惨劇に対する、贖罪だったのかもしれない。
そうして終戦から二十年。一時は原始時代まで戻ると思われていた人間の生活水準は、どうにか文化的と言えるラインを保ち続けていた。
(もっとも、生活はけして楽じゃないんだよな)
今も、村を散歩する水来の前を、水汲みの子供たちが通り過ぎていった。
大きなプラタンクを一輪車に山と積んで、少年と少女が押していく。
ナット村には下水道は整備されているが、上水道は未設である。
村民たちは、給水班の配る水を、毎日家まで運ばなければならない。
そして、その作業に従事しているのは、主に学校帰りの子供たちである。
しかし、子供たちに悲嘆の色は少ない。
彼ら彼女らにとっては、何だって遊びの延長なのだ。
「ほらほら、見てみろよ、
少年が、水の詰まったタンクを一つ持ち上げた。
それを胸の上に乗っけて、曲芸のようにバランスを取る。
「ちょっと!
百地という少女が慌てふためく様子に、秦という少年はむしろ気をよくしてしまう。
「へへへ、今度はココだ。いよっと」
秦はタンクを額に載せる。
「いよっ、よよっ、ととっ、……わわわっ!??」
タンクは簡単にバランスを失い、秦の額から転がり落ちる。
「!!」
一部始終を見ていた水来が、素早く動いた。
けして短いとは言えない距離を、メダリスト裸足のスピードで一気に駆け抜ける。
最後はヘッドスライディングで、タンクを地面すれすれで受け止めた。
「ダ、ダメだよ。大切な水で遊んだりしたら」
腹ばいの態勢のまま、秦にタンクを手渡した。
「あ、ありがとうございます」
秦と百地は、水来の超人技にあっけに取られながらも、何度も頭を下げた。
水来は現在、ヒト科から外れ、『超人』という区分にカテゴライズされている。
動植物を超科学で弄り回して生まれたのが魔獣。
人間を弄り倒したのが超人である。
なぜ自分が超人にされ、しかも三十年後の世界に目覚めたのか、水来にはまるで分からない。
『一体全体どういう訳なんだか』
あの志郎でさえ見当もつかないようであった。
「ねえ、さっきの人、凄かったね」
秦と百地は、水来から十分離れたと思っていたようだが、超人の優れた聴覚はその声を拾っていた。
「あの人、あれだよね。恋姉ちゃんの家に住み着いたっていう……」
「そうよ、村で噂の『ムショク』よ」
てっきり賞賛の言葉を聞けると思っていた水来は、その単語にズッコケかける。
「ムショクはあの戦争で滅んだと聞いていたのに。まだ生き残りがいただなんて」
「いい歳して班にも所属せず、ぶらぶらと遊びまわる人間がムショクという生き物らしいわよ」
百地の声からは、不甲斐ない年長者への軽蔑が、ありありと感じられる。
「う、うーん。そんな悪い人には見えなかったけど」
「そう見せるのがムショクの手なのよ。奴らは自分が働かないことを正当化することに、異常に長けているらしいわ」
「そ、そうなのかなあ?」
「そうよ。実際、秦ちゃんはあの人に懐柔されかかってるじゃない」
「は! そ、そうか。僕は今、ムショクの奸計に引っかかりそうになっていたんだね」
「そうよ。ムショクの魔の手に、秦ちゃんは犯されかけていたのよ」
「あ、危ないところだった」
「いい、秦ちゃん。ムショクに助けられたなんて話、誰にもしちゃだめだからね」
「わ、分かってるよ。恥ずかしくてとても口に出せやしない」
その後も二人は、水来の心をえぐるような内容を延々と話し続けた。
ようやく、二人の会話が水来の耳に届かなくなる。
「ひ、ひっく。わざわざ助けてあげたのに、何て言い草だろう」
水来はべそをかいていた。
「そ、それにしてもマズいな。まさか、村での俺の評判がこんなに悪かっただなんて」
確かに、人類総動員とでも言うべき現状で、毎日ボケーッとしていたら、悪い噂が立つのも必然と言えた。
「こ、こうしちゃいられない」
水来は駆け足で谷口家へと戻った。
「おう、水来。散歩はもういいのか? 夕飯はまだだぞ」
志郎はペラペラの新聞紙を、繰り返し読みふけっている。
「もうちょっと待っててね」
咲良は、狭い台所で食材と格闘していた。
「ねえ、母さん。料理の出来を左右するのは、一にも二にも肉の量よ。肉は山盛り。この際、魔獣肉でもワガママは言わないから」
居間の中央に寝そべった恋が、偉そうに注文をつけている。
「三人とも、大事な話があるんだ」
「「「ん?」」」
三者の視線が、水来の顔の上で重なる。
「俺も何か仕事をしたい。どこかの班を紹介してもらえないだろうか」
俺の発言に、即座に反応をかえしてよこしたのは、恋であった。
「おお、どうした? 無職がやる気を見せちゃって」
彼女が上体を起こして、水来を見なおす。
「一体いつまで
「君か! 子供たちにおかしなことを吹き込んだのは!」
まさかの黒幕の出現に、水来の声が上ずった。
「何かあったのか?」
水来の剣幕に、志郎が心配そうに訊ねる。
「実は――」
水来から先ほどの一部始終を説明されると、
「ははははは」
「あはははは」
志郎と咲良が声を揃えて笑った。
「笑い事じゃない! 俺はもう涙が出るほど悔しくって――」
「また泣いたのか? まったく」
恋が呆れた様子で、水来を見る。
「誰のせいだと思っているんだ!」
「しかし水来よ。子供の評判なんて、いちいち気にしたってしょうがない」
志郎は、「子供に大人の苦労なんて分かりはしないし、分からない方がむしろいいんだ」と続けた。
「ウチの恋を見てみろよ。戦闘班でも傍若無人を貫き通して、今じゃあ誰もパートナーになりたがらなくなってしまった。ところが、そんなワガママぶりが子供の目にはカッコよく映ったりもする。子供には子供特有の価値観があるもんだ。それ自身は尊重されるべきだが、大人がそれに振り回されてはしょうがない」
「いや、親父。それは子供たちに失礼だよ。あの子たちは、その純朴な瞳で、真に価値あるものを見分けることができるんだ。曇り切った大人の目より余程当てになる」
「何を馬鹿なことを! お前がメチャクチャをする度、戦闘班の班長が俺にクレームを入れに来るんだぞ」
「何!? 九関班長め。私に直接じゃなく、親父の方に苦情を言うとは! 陰湿な奴め。今度会ったら抗議を――」
「言うな! 余計なことは一切せんでいい! お前が口を挟むとややこしくなる」
「何を! これはそもそも私と班長の問題だろう。それに親を巻き込もうとする向こうのやり方が気に入らな――」
「――!」
「――!」
谷口家で何らかの話題が降られると、最終的に志郎と恋の親子げんかに発展するのは、日常茶飯事だった。
「はいはい。みんな、ご飯が出来たわよ」
水来の相談事が再び俎上に上がるのは、肉たっぷりの鍋料理を平らげた後のことである。
「とにかく。この時代に来てもう一か月が経過した。大分この村にも順応してきたと俺は自負してる。そろそろ次のステップに進んでも良いころじゃないだろうか?」
そのような水来の提案は、
「俺はやっぱり反対だな」
と、志郎に否決される。
「水来の事情はあまりにも特殊すぎるんだよ。三十年前の記憶しかないことといい、超人の身体のことといい。デリケートな問題と言うのは、慎重に慎重を期した方が――」
「いいじゃない。やらせてあげたら」
志郎の意見に口を挟んだのは、意外にも咲良だった。
「か、母さん?」
「こういうことって、本人がその気になった時が一番の初め時だと思うし」
「で、でも」
「さほど危険の少ない班だったら問題ないでしょう。そうねえ、服飾班なんてどうかしら? 丁度私も在籍してるし、色々なことを上手く誤魔化せるかも」
服飾班とは、村民の衣服を製作する班である。メンバーの大半を女性が占め、家事の合間に職務を務める兼業の人も多い。
「必要技能はミシンが使えることだけど、確か水来くんって――」
「もちろんもちろん。大得意です」
小中学校の家庭科の成績は常に学年トップだった。そのあまりの腕前に、女子たちシラケた目で見られ続けたほどである。
「い、いや。水来にはもっとふさわしい仕事が――」
「何? その言い方。お父さんは針仕事が下賤な仕事だと思っているの」
「親父ってそういうところあるよな。家事なんて男のすることじゃないと思っている節がある」
ここぞとばかりに、恋が意趣返しに励む。
「け、けしてそんなつもりは」
もう志郎はしどろもどろである。
「なあ、志郎。どうか頼むよ」
いかに弁の立つ志郎であっても、三対一はいかんともしがたい。
逆にこれでどうにかしてしまえば、それは民主主義への攻撃ともとられかねなかった。
「……け、見学だけなら今週末にでもできると思う。実際に班に入るかどうかは、その後のこと、というのはどうだろうか?」
志郎の提案は、最低限の体裁だけを整えた、全面降伏に等しいものだった。
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