第5話 昔話
「お、お父さん、大丈夫」
ふらつく足取りで居間に辿りついた志郎は、熱いお茶を一気に飲み干して、ようやく一息ついた。
「ふ、ふう。……そ、それにしても、まだ信じられない」
志郎は、自分の腕にしがみつく水来を見た。
水来は親鳥を見上げる、小鳥の眼差しである。
「よかった、本当によかった。志郎がこの世界にいてくれて。う、ううう……」
また涙をこぼす水来を、恋が呆れた目で見た。
「……やれやれ、まさか、昔話と寸分たがわぬ泣き虫とは。親父の話は大げさに誇張されたもんだと思ってたのに」
「そうだ! 志郎!」
水来の視線に、怒りの色が差される。
「君だな。俺の不名誉なあだ名をその子に教えたのは!」
「い、いや、それはその」
志郎の困った時の反応は、水来の記憶のままであった。
「こ、子供の頃の思い出話を娘にせがまれてさ。中でも水来の話の反応がよかったものだから、あれこれ詳しく話しちゃったんだ」
「私もびっくりしたよ。大昔に死んだはずの親父の親友が、往時の姿で現れるんだもの」
「大昔? 死んだ?」
水来が首を傾げる。
「そ、そうだ。その話をしないと」
志郎は真剣な顔になって、
「水来。お前はどうしてここにいる。どうして未だに生きているんだ?」
「ど、どうしてって言われても、昨日さあ、俺、事故にあっただろ」
「事故? ……水来の言う事故って、もしかしてあの交通事故のことか?」
「もちろん。ほら、あのL国に隕石が落ちたとかいうニュースを見ていたら、車が突っ込んできて――」
「「L国の隕石!」」
志郎と奥さんの顔が、一気に蒼ざめた。
「水来。一つだけ確認をしたい。L国に隕石が落ちたのは、お前にとっては昨日のことなんだな?」
「俺にとって? ……ああ、うん。正確には一昨日かもしれないけど、とにかくごく最近。それで、その後なぜか病院で目が覚めて――」
水来は、廃病院でのことを、全て正確に志郎に伝えた。
自分の身体の異常も、ためらいがちに話す。
「ああ、なんてことだ、なんてことだ」
志郎は、悲劇を目の当たりにしたように呻いた。
「お、俺のことより、君のことだよ」
この世界は何なのか?
君はどうしてここにいるのか?
どうしてそんなに歳をとっているのか?
水来は、無数の疑問点を、志郎にぶつける。
「ちょっと待ってくれ。頭を整理させてくれ」
志郎の思案顔は、水来の見たことのないほど険しいものだった。
「そいつは『超人』に改造されたんだよ。それしか答えはないだろ。さっさと教えてやった方が親切――」
「お前は黙っていろ!」
父親に本気で一喝されると、
「ふ、ふん。わざわざ家まで連れてきてやったのに。なんだいその言い草は」
恋は、うろたえ気味に、部屋に戻っていった。
長い沈黙を経て、
「なあ、水来」
志郎が水来の目をのぞき込んだ。
その瞳の色が、水来には相変わらず眩しかった。
知性とか勇気とか友情とか。
ヒーローの要素がこれでもかと詰まった瞳である。
ただ、水来は親友の瞳に、知らないカラーが混ざっていることにも気づいた。
(……悲しみ?)
「俺の言うことをよく聴いてくれ」
つらそうな声で、志郎が話し出した。
志郎の話は、水来にとって衝撃の連続だった。
水来の交通事故は三十年前の出来事。
この世界は、二十年前に戦争で滅んだ。
生き残ったわずかな人類は、小さな集落を作って細々と生活している。
「う、ウソだ」
一つでも受け入れがたい事実が列挙される。
水来の許容量は簡単に限界を迎えた。
「そ、そんなことが、そんなことが起こりえるはずがないじゃないか……」
声を高くして、志郎を否定しようとする。
「世界がこうなったそもそもの原因は、あのL国に落ちた隕石だった」
水来の脳裏に、どこか橋元に似た、あの国王の顔が浮かぶ。
「あれは厳密には隕石じゃあなかった。何者かが、地球上に向けて送りこんだ装置だったんだよ」
「そ、装置? だ、誰かが作ったってことなのかい?」
「ああ、明らかに知的生命体の手により作られたものだった。もっともそれが誰であるかは未だにはっきりしない。宇宙人説、未来人説、高次元人説、……」
非常識極まる創造者候補たちは、それだけその装置が尋常でなかったことを意味する。
「一体それは何なんだ?」
「それだけははっきりしている。それは極めて高度な『データベース』だった」
「デ、データベース?」
「俺たち人類が、後千年かけても知りえないような、とてつもない知識が満載された情報記録媒介だ」
宇宙の果て。
魂の在りか。
魔法のような科学。
志郎の口から、夢物語のような内容が次々と溢れた。
「……それって好いことなんじゃないのか?」
水来は単純にそう思った。
そんなものが手に入ったのなら、人類はさらに繁栄を謳歌できたはずであろう。
ただ、現実には世界は滅亡していた。
「なんていうかさ、俺たちは人類を過大評価していたんだろうな?」
「?」
「人類っていうのは俺たちが思うより、ずっと幼かったんだろう。種として成熟したどころか、実際は幼稚園の高学年くらいだったのかもしれない」
志郎の哀惜がさらに深まる。
「あ! も、もしかして、そのデータベースを手に入れたL国が、よからぬことを考えたのか?」
高度な知識を独占し、世界征服をくわだてる。
水来はそんな想像をしていた。
「いや、違う。……ん? あながち間違いでもないのかもな? 今にして思えばL国はそうしようと考えていた節がある」
「?」
「L国はさ、内政に大きな問題を抱えた国だった。貧富の差、権力の腐敗、横行する民族差別。国の高官たちは、そこから国民の目を逸らすために、わざと大国とトラブルを起こして有事を演出していた」
「は、はあ」
志郎の話しぶりは、まるでどこその知識人じみていて、水来を困惑させた。
「まともな機密管理ができるような国ではなかったんだな。政権の幹部たちは、その情報をすぐさま諸外国に売り渡し、自分たちは国外逃亡をしてしまった。こうして、データベースの最初の持ち主は、あっという間に当事者から外れた」
志郎が、皮肉めいた顔で笑う。
窓の外では紅砂が渦を巻いていた。
「で、でも、L国が世界征服に失敗したのは、やっぱり好いことだろ」
「ん?」
「そのデーターベースとやらがさ、世界で共有されたんだ。アメリカとか日本とか、まともな国がそういうのを持つのはいいことじゃないか」
「ふっ」
志郎の笑いは、本人にそのつもりが無かったにせよ、水来には嘲りに感じられた。
「言ったろ。まともな国もそうでない国も、大差は無い。いるのは未熟な人間だけだった。データーベースって奴はさ、原始人に贈られた銃と同じだったんだよ」
手にした力は使わずにはいられない。
はじめは空に向かって発砲していたものが、やがてや木や岩を撃ち始める。
そのうちに物足りなくなって、鳥や獣を狙いだす。
そして最後は、同じ人間を撃つ。
「政治家は夢想を語り、軍人は勇ましい言葉を吐き、科学者は好奇心のままに突き進んだ。L国に隕石が落ちてから、全面戦争までには十年もかからなかったよ」
そして、データベースの科学知識で生み出された超兵器たちが、世界を瞬く間に地獄絵図に変えたという。
「……」
水来は呆然自失の体である。
自分の傍らに、湯飲みがいつの間にか置かれていた。
それに手を伸ばすも、とっくに冷え切っている。
「む、村の外にいる、あの怪物たちはなんなんだ? 魔獣とか呼ばれていたけど」
「あれがデータベースの科学力で生み出された兵器だ。動植物の遺伝子をいじくりまわして作られた生物兵器だよ。かつての戦争では各国の主力兵器だった」
それが今では人間に変わって地球上を専横している事実を、志郎が忌々し気に吐き捨てた。
「あらあら、お茶が冷めちゃったわね」
志郎の奥さんがやってきて、水来の湯飲みを温かいものと交換した。
「あ、ありがとうございます」
「いいわよ、他人行儀ね。私たち同級生じゃない」
「え? ど、同級生」
「そうよ。
「え! ええええええ」
水来は、今日一番のリアクションを取ってしまう。
「あの咲良さん。あのポッチャリの?!」
「ポッチャリって……、女性になんて失礼なことを言うの」
「い、いやその、キレイになったなあって思って」
お世辞ではなく正直な感想であった。
咲良と水来は、当時、同性同士のような友達付き合いをしていた。
人間的な魅力には充ちていたが、異性として見ることは難しい。
そんな風に思っていた彼女が、サナギが羽化したような、美麗な姿に変貌していたことに、水来は目を見張る。
「あら、そんな目で見てくれて嬉しいわ。昔は男友達としか見られてなかったのに」
「そ、そ、そんなことは」
「母さん、今は大切な話をしているんだ」
「はいはい」
咲良は、もう一つの湯飲みを、志郎の傍に置く。
「ほどほどにしてあげなさいね。水来くん。もういっぱいいっぱいって顔をしているわよ」
咲良は、部屋の仕切りである垂れ幕をくぐって、台所へと去っていった。
「む、そうだな」
志郎は、音を立てて茶をすすった。
「今日はここまでにしよう。水来の立場を考えれば、一度に全部聞くのは大変だろう」
「い、いや、大丈夫だよ」
そう見えは切ったが、水来の精神的耐久力は、すでに限界に近かった。
「それにしてもなあ」
志郎が、水来をジロジロと見る。
「あの水来が生きていて、しかも当時のままの姿で現れるなんてなあ。まったく世の中って奴は何がおこるか分からない」
志郎の水来を見る眼差しは、憐憫の色を含んでいる。
「……俺が生きていちゃマズかったのかな?」
そんな視線を前にして、水来の口から、ついこんな言葉が出た。
「い、いや、そんなことは……」
志郎がうろたえる。
「バカなこと言っちゃだめよ、水来くん」
台所から、咲良が声だけ投げてよこした。
「その人は水来くんのことをいっつも話していたんだから。人生で一番の親友だったって」
「ああ、毎度毎度同じ話を聞かされて、こっちはウンザリだったよ」
恋の声も遠くからした。
「お、おほん」
志郎が大きく咳払いする。
「み、水来。俺はお前が生きていてくれて、心から嬉しい。また会うことができるなんて夢のようだよ」
「し、志郎」
そんな状況ではないのだが、水来は感激していた。
志郎が、今も昔も、自分を重荷に感じているのではないかと、水来は密かに不安だったのだ。
「まあ、話は今日はここまでにしよう。水来に行くアテは……」
水来は力なく首を振った。
「バカなことを聞いたな。水来さえよければ、ここに泊っていけよ」
「い、いいのかい!?」
「えー! 私のご飯が減っちゃう!」
「お前は黙ってろ!」
志郎が離れた娘を𠮟りつける。
「ほ、本当にいいのかな?」
「もちろんだ。俺たち友達だろう。気の済むまでいてくれていいから」
「ぶー、ぶー」
遠くから聞こえる恋のブーイングを無視して、志郎は水来を自室に案内した。
志郎の部屋は、大きな本棚が印象的な、大人な雰囲気の空間となっていた。
「とりあえずは、ここを寝泊まりに使ってくれ。俺は咲良の部屋で休むことにするから。そのうち、空き部屋を一つ水来用に片づけるよ」
一人きりになると、水来はベッドに横たわる。
「……」
今日はあまりにもいろいろなことがありすぎた。
毛布に包まるや否や、水来の意識は、たちまち暗闇へと沈んでいった。
■ □ ■ □ ■ □
「なあ?」
志郎が、横で寝ている咲良に話しかけた。
「どうしたの?」
照明を見上げていた咲良が、夫の方に顔を倒す。
「俺は夢を見ているのか?」
「水来くんのこと?」
「俺を庇って車にひかれて、植物状態になっていた水来が、三十年後にあの頃のままの姿で現れる。……正直言って頭がついてこない」
「あら? 志郎もやっぱりそうなのね」
この夫婦には、二人きりの時は、必ず下の名前で呼び合うという取り決めがあった。
「当たり前だろう。悪い夢でも見ている気分だよ」
「悪夢だなんて失礼ね。水来くん怒るわよ。いや、彼の場合は大泣きするかしら?」
「ふふ、止めてくれよ。あいつは一度泣いたら、泣き止ませるのに本当に苦労したんだから」
「それは小学校までの話でしょう。中学に上がるころには大分マシになっていたじゃない」
「だったっけ? ……正直もうよく覚えていない」
「あなた、水来くんが生きていてくれて、本当に困ってるんじゃないでしょうね」
咲良は怒ったような声を出す。
「おいおい、自分の夫を見損なうなよ。あいつは俺の命の恩人で、最高の親友だ。生きてくれて戸惑いこそすれ、迷惑に感じることなんてない」
「おお、カッコいい。さすが私の亭主」
オレンジの毛布の中で、咲良が手を叩いた。
「ただ、……こんな滅茶苦茶になった世界であいつが生きていけるのかと思うと……」
「それは大丈夫なんじゃない。恋が言うには、水来くんは『超人』になっているらしいし」
「誤魔化すな! だから大変なんだってことは、君だって分かっているはずだろう」
「まあねえ。超人の人にとっては、この世界はさぞ住みにくいでしょうねえ。でも、考え方を変えて見たらどうかしら?」
「何を言ってる?」
「水来くんがこの時代に現れたのは何か理由があるのかもしれないわ。もしかしたら、神様が大きなことをさせようとして、彼を遣わしたのかもしれない」
「やれやれ、女性ってのは、本当にロマンチストだなあ」
志郎が呆れたように言った。
「しかし、残念ながら、その推論は成り立たないな、母さん」
「咲良ね」
「はいはい。咲良。……この世界に神様なんていないよ。それはこの時代に生きる俺たちが、誰よりも知っているだろう」
怖いくらいに真剣な声を、志郎は上げていた。
「あら? 何も水来くんを派遣したのが神様とは限らないわ。そうね、ひょっとしたら、『あの人』が導いてくれたのかもしれない」
「……」
「そうとでも思わなければ、このただっ広い砂漠で、うちの娘と偶然出会えたなんて考えられないわ」
「おい、この話はもうやめよう。明日も早いんだ」
志郎は、寝転がって、咲良に背を向けた。
「あなたはいつもそうね。あの人の話をするとそう言って不貞腐れて」
「……」
志郎は逃げるように頭から毛布を被った。
「
紫紺の毛布が、びくんと震えた。
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