第4話 再会


「お、俺は怪しいものではありません」


 水来は腕を真っすぐ上げたまま言った。


「ふざけるな。どこからどう見ても異常すぎるだろう!」


 水来の戦いぶりをみた感想としては、それは至極真っ当なものだった。


「そ、そんな言い方はやめてください。お、俺は人間です。人間なんです」


 振り返りかけた水来の頭に、銃口がごりごりと押し付けられる。


「おかしな動きをするな」


「う、うう……」


 水来は泣きたい気持ちだった。


 精いっぱいの勇気を振り絞って怪物に立ち向かったのに、その報酬が銃口とは。


「ど、どうすれば俺のことを信じてもらえるんです?」


 水来はしつこく食い下がった。


 半日砂漠をさ迷い歩いて、やっと出会えた人類である。


 どうにか彼女に信頼してもらい、友好関係を築かなくては。


 そのためなら水来はどんなことでもするつもりだった。


 ただ、水来の経験値ではその具体的な方策を思いつけない。


「ああ、こんな時志郎がいてくれたらなあ?」


 いつも自分を助けてくれた、親友の名前がつい口を突く。


「む? ……志郎?」


 少女の呟きを、水来は質問と誤解した。


「あ、はい。俺の子供の頃からの親友のことです。いつも俺を助けてくれました。谷口志郎という、俺とは月とスッポンの立派な人間で――」


「誰が口を開いていいと言った」


 銃口が水来の後頭部を押す。


「ご、ごめんなさい」


 今の水来にとって、拳銃自体はなんら脅威ではない。


 ただ、少女の発する強い敵意が、多感な水来には恐ろしく感じられた。


 少女の敵意の正体が、自分への怯えであることも、水来はもう気付いている。


(ああ、他人に怖がられるのって、こんなにも哀しい気持ちになるんだなあ)


 人生初の体験に、水来はそんなことを思っていた。


「谷口志郎……」


 少女は、志郎のフルネームをオウム返ししている。


(んん?)


 少女の敵意が、一瞬揺らいだのを、水来は鋭敏に感じ取っていた。


「お前、名前はあるのか?」


「も、もちろんです」


「名乗れ」


「み、水来。北山水来と言います」


 少女は、逡巡の間を経てから、


「お前、もしかして、ひょっとして、泣き虫水来か?」


 と、半信半疑の声を出した。


「ど、どど、どうしてそのあだ名を!?」


 水来が驚くのも無理はない。


 泣き虫水来。


 それは、小学校時代の水来に与えられた、不名誉な二つ名であったからだ。


『うえーん。志郎―。また、○○君にからかわれたよう』


 週に一度は人目もはばからずに大泣きする様子から、そう命名された。


 もっとも、さすがに小三に上がるころには、水来の泣き癖も大分改善されていたため、そのあだ名を知るものは、現在では極めて少数のはずであった。


 そのはずなのに―― 


(ど、どうして異世界の人間が、俺の昔のあだ名を知っているんだ)


 心底仰天した水来の様子を、じっと少女が観察しつづける。


「ああ、本当にそうだったか。まさか、こんなことが現実に起ころうとは……」


「あ、あの、君は俺のことを知っているんですか?」


「まあ、多少な……」


「そ、それなら」


「こちらを向くな。お前の身元が分かったことと、お前をどうするかはまた別の問題だ」


 少女は、ぶつぶつと独り言を発しだす。


「いっそここで……、後腐れがない……、親父のことだから……、……独断ではマズイか?」


 水来の耳に、少女の言葉は切れ切れにしか届かない。


 しかし少女の心の天秤が、激しく揺れ動いているのは、見て取れた。


 秤皿に載っているのは、水来にとっての幸福と不幸であろう。


(どうか。どうか、俺にとってより良い結論がでますように)


 水来には祈るより他にない。


「……お前、私の言うことを聞くか?」


 唐突に少女が言った。


「え? え?」


「質問に答えろ。私に逆らわないと誓えるか?。従順に命令に従えるか?」


「あ、は、はい。もちろんです!」


「誓えるな。もし、この誓いを破ろうものなら、お前が想像もできないような絶望を与え、反抗を心底後悔させてから処刑してやるぞ。例えお前が『超人』であっても、手段なんていくらでもあるんだからな」


(ち、超人?)


「わ、分かりました。誓います。絶対に、君には逆らいません」


「よろしい」


 少女が拳銃を降ろす。


 水来はやっと振り返ることを許された。


 赤茶けた短髪をした少女が、水来の目の前にいる。


(俺と同じくらいの歳ごろか?)


 マントがはだけた先には、スポーティーな服装に包まれた、引き締まった身体があった。


 水来は、(陸上部の身体)だ、と思った。


「ふう。汗でレンズが曇ったな」


 少女がゴーグルを外すと、ベルトに引っかかった前髪が暴れた。


「!?」


 少女は、それは美しい相貌をしていた。


 水来の学校でなら、間違いなく学校中で話題になるレベルの美少女である。


 ただ、水来の驚きの理由はそこではない。


(懐かしい?)


 少女の顔形を見た瞬間、なぜか郷愁のような感情が湧きあがったのだ。


「なんだ? 私の顔をじろじろ見て」


 少女はマントで拭ったゴーグルを、再び装着する。


「い、いえ、何でもないです」


「さて、村に帰るぞ。このままここでじっとしていたら、またいつ次の『魔獣』に襲われることか」


(魔獣……。字面からして、この怪物たちのことだろうな)


 少女の言う通り、水来たちの周辺では、大中様々な異形が蠢いていた。


 それらの一体が、いつ、こちらに興味を示すとも知れない。


「車に乗れ」


 水来は指示に従って、助手席に座した。


「やれやれ。無駄にガソリンを消費した。村まで持てばいいけどな」


 けたたましいエンジン音を轟かせ、バギーが再び走り出す。


 走行中、水来は、バギーのインテークをじっと見ていた。


(これって、ウチの世界の車だよな)


 機能からデザインに至るまで、水来の知るものとよく似通っている。第一、印字された製造主が、超有名メーカーだ。


(俺の世界とこの世界を、行き来する方法があるってことなのかもしれない?)


 そのように思い至り、水来の心に、はじめて光明が射した。


「見えたぞ」


「う、うわああ――」


 なだらかな砂丘を登り切ると、砂漠の中に突如、人の生活圏が現れた。


 規模としては、町というより村。


 周囲を、怪物対策と思しき高い壁が覆っていて、そのあちこちに重火器が配備されている。


 そのいくつかは、水来の知識の中で、自衛隊の装備に分類されていた。


「ああ、人間だ。人間がたくさんいる」


 村の中に入ると、大勢の人々の生活風景が広がっていた。


「う、ううう」


 久方ぶりの光景に、水来は感激のあまり泣き出してしまう。


「なんだ。泣くことないだろうに」


「ご、ごめんなさい。で、でも嬉しくて」


「まったく。お前は噂以上の泣き虫だ」


 地面に敷かれた石畳を、けたたましく蹴りつけて、少年少女が駆けてくる。


れん姉ちゃんだ」


「戦闘班の恋さんが戻ってきたぞ」


 子供たちは、あっという間に少女を囲む。


「こら、お前ら。邪魔だからあっち行ってろ」


 恋と呼ばれた少女は、野良犬を追っ払うような手つきをする。


 子供たちは恋のそんな無礼を、まるで気にしない。


「恋姉ちゃん。今日はどんな魔獣を仕留めたんだい」


「いったい何体の魔獣を殺したんだよ」


「恋姉ちゃん」


「恋さん。恋さん」


 子供たちは目を尊敬に輝かせながら、少女に質問を浴びせまくる。


「ええい、うるさい。さっさと散れ」


 恋は力づくで押しとおろうとするが、それは子供たちの輪の中心が移動しただけに過ぎない。


「俺も大きくなったら、恋さんみたいに戦闘班に入るんだい」


「それは止めとけ。ウチみたいに親と揉めるぞ」


「なんだい、親なんて! あいつら学校で一生懸命学校で勉強しろってうるさいんだ。それが幸福の近道なんだってさ。本気でそう思ってるんだからたまらないよ」


 一際生意気そうな少年が、吐き気をこらえるような顔をする。


「いいじゃないか。たくさん勉強して、研究班や機械班に配属されるといい。そして、将来政治班の一員に選ばれれば、理想的なエリートコースだろう」


「なんだい。今日の恋姉ちゃんは大人みたいな口をきいてら」


「私は立派な大人だ。もう班に配属されてるからな」


 そう言いつつも、恋のしたり顔はどこか子供っぽい。


「つまらないや。みんなどっか行こうぜ」


「どこ行く?」


しゅうのところなんてどうだ。恋姉ちゃんに裏切られた怒りを紛らわすため、あいつを散々にからかってやろう」


「「「異議なーし」」」


 子供たちは、来た時と同様に、怒涛のように走り去った。


「な、なんて言うか、エネルギーの塊だね」


 子供たちのパワーに圧倒されて、水来は一言も口を挟めなかった。


「ん? 子供なんてあんなもんだろう。どこの世界でも一緒じゃないのか?」


「うーん。まあ?」


 水来の知る、平成と令和の子供たちは、もっと大人しかった気がする。


 とは言え、必ずしもそうとは断言できない。


 水来が知っていたのはごく狭いコミュニティの少年少女であり、『俺の世界ではこうだった』と一概に言うのはためらわれた。


 村は質素なものであった。


 全ての構造物がひどく簡素で、現代日本を知る水来には、何もかもがみすぼらしく映る。


 家もコンクリートを箱型に固めただけのものに見えた。


 何の装飾もない灰色の立方体が、やや蛇行した一列に並ぶ。


 大きめの四角形の前で、恋は足を止めた。


「ここが私の家だ」


 頑丈な木製扉を開けると、


「あら? もう帰ってきたの」


 と、パタパタという足音が俺たちを迎えた。


「まあ。まあ!」


 美熟女と呼ぶべき女性が、驚いた顔で、水来と恋を見比べた。


「大変、恋が男の子を家に連れて来た。あの恋が!」


 女性はそのままへたり込んでしまう。


「う、ううう」


 女性の涙声が、小さな玄関に木霊した。


「どういうリアクションだ! それはいくらなんでも娘に失礼だろう!」


「ご、ごめんなさい。つい感激しちゃって。ああ、あの恋に男性のお友達ができた。よかったよかった」


 よろめきながら恋の母が立ち上がり、エプロンの裾で涙をぬぐった。


「あの子はこのまま魔獣と戦うだけの青春を過ごすのかと、お父さんと二人で心配していたのよ。お父さんなんか『あいつのもらい手を探すのは、不老不死の妙薬を見つけるより難しい』とかボヤいていたし」


「なんて失礼な! 親父は一人娘のことを何だと思っているんだ」


「恋のこれまでの行いを考えたら、そう言われるのも仕方がないでしょ」


「う……」


 旗色悪しと悟ったのか、恋が、

「もういい。おい、私の部屋はこっちだ」

 と、母親の前から逃げ出した。


 彼女の部屋は、女性らしさとは無縁の空間であった。


 銃器、刃物、そしてトロフィーと思しき怪物の一部。


 それらがむき出しのコンクリートを飾っている。


 それ以外のものは 簡易なベッドとテーブルしかない。


「ほら、座れ」


 とは言うものの、座布団すらない。


 冷たいコンクリートの上に、水来は正座した。


「……」


 何らかの拷問を受けているような気分になった。


「も、もうちょっと部屋を飾った方がいいんじゃあ」


 たまらず提案する。


 ここに来るまでに見かけた部屋は、絨毯や壁紙で、それなりに人間的な温かみのある空間であった。


 恋のこの部屋は、異世界うんぬんではなく、彼女自身に問題があるのだろう。


「ふん。親父みたいな口ききやがるな」


 恋はうんざりした表情になる。


「装飾ならあるだろ。ほら、壁に魔獣の角と毛皮がかけてある」


「い、いやその、そういうんじゃなくて。もっと女の子らしいものをさ」


「あー、うるさい、うるさい。どいつもこいつも、口を開けばおんなじことばかり。少しは私の個性を尊重――」


「ただいまー」


 玄関の方角から、中年男性の声がした。


「お父さん、大変よ。恋が男の子の友達を連れてきたの」


「何! あの恋が!? ……恋が異性の友達だと? ……そんなことはありえるはずがない。と、なれば考えられる可能性は……。た、大変だ、ついに人間に擬態できる魔獣が生まれてしまったぞ!」


「……クソ親父め。いつか一辺痛い目をみせて――。お、おい! 待て!」


 その男性の声を耳にした瞬間、水来は、弾かれる様に走り出していた。


 細い廊下を駆け抜けて、玄関まで一気にたどり着く。


「き、きき、君が恋のお友達かい?」


 警戒感むき出しの中年男性に、水来は抱き着いた。


「ち、ちょっと、君?」


「ああ、志郎! 志郎! 志郎! 会いたかった。君もこの世界に来ていただなんて」


 力いっぱい抱きしめると、懐かしい親友の匂いが、鼻孔をくすぐった。


「うえええん」


 水来は、その匂いを身体にこすりつける様に、顔をすりよせた。


「!?!?!?」


 志郎が、おおきくよろめいた。


「み、水来? あ、ああ、ウソだ。お、お前は、あの事故で。さ、三十年前の事故で……」


 この世界が異世界ではないことを。


 元いた世界の成れの果てであることを。


 水来が知るのはもう間もなくである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る